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今日から8月、ちょっと風邪ぎみです

(2005年8月1日 月曜日 晴)

 毎日暑いです。肌がジリジリ焼けて、45度以上になるサハラ砂漠を体験してきた夫も、このじっとりムシムシが加わった暑さの方が耐えきれへんと言っています。私もついにクーラーを入れてしまいました。そして気持ち良くうたた寝が過ぎて、昨日あたりからのどがイガイガとしています。体力が相当落ちている今、風邪の神にとりつかれると大変だと思い、本日午後から開かれる大阪府都市計画審議会の傍聴は止めにして、おとなしく家に居ることにします。

 さてと折角家に居るのだからと、どんどん溜まっていく資料の整理に取り掛かりましたが一つひとつ目を通しているとなかなか捗らず、結局机の上の書類の山は現状維持となりました。教育関係で、少し気になった事柄があります。

 それは、大阪水上隣保館「遥学園」の情緒障害児短期治療施設に係る事柄です。現在遥学園では新築建物の中に、定員50名(小・中学生)で来年4月の開設を目指し準備を進めています。当施設は全国でもまだ26箇所しかなく、大阪では高槻市に「希望の杜」、貝塚市に「歩みの丘」の2箇所があります。

 皆さんには桜バザーでお馴染みの大阪水上隣保館は、古い歴史を持つ社会福祉法人として島本の地に根を下ろし、赤ちゃんからお年寄りまでの福祉施設と幼稚園、専門学校の教育施設を経営・運営しています。島本町における社会資源の基盤整備は、本法人が片翼を担ってきたといっても過言ではありません。ですから、隣保館が大阪で3番目の情緒障害児短期治療施設を開設することには何の不安も心配も抱いていません。

 しかし、私は「教育関係で、少し気になった事柄があります」と前述しました。正確には、当施設のことが出された「島本町フロンティア教育推進協議会」での発言に触発された結果の“気になる事”と言ったほうがいいでしょうか。(「協議会」は学校・園長、教頭、3つの学校協議会代表(住民3人)及び教育委員会事務局職員で構成されています。)

 7月1日の会議における発言は「当施設は本来治療が目的であるが、現在の大阪府全体の状況より、入所してくる子は被虐待、不登校、非行等多面的な要素があると考えられる」「当施設設置により、本町の教育環境に変化があると考えれば、住民にも説明が必要になる」さらには、当施設により中学校において養護学級の増設となれば教職員の配置が困難になる恐れが生じることも述べられています。

 つまるところ当施設の小・中学生が町立の学校に通うことへの多面的な準備が、現在の所はまだ何もなされていない事がわかります。私の考えでは、施設で治療を受けつつ地域の学校に通うことで、子どもたちにはきっと良い効果がもたらされると思うのです。しかし残念で悲しいことですが、そう思わない保護者や地域住民も確実に存在します。島本町のみんなが温かく迎える気持ちになるには、相当の時間を要するのではないでしょうか。来年春の開設まであと8ヶ月です。大阪府に聞いても町のフロンティア教育推進協議会でも、まだ関係者間での打ち合わせ途上です。

 本当は「少し気になる」どころか「大いに気になっている」私です。関係者は一日でも早く住民に対して、この施設への理解を得るため動き出して欲しいと願っています。

 


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島本町のアスベスト使用状況調査結果が出ました

(2005年8月2日 火曜日 晴)

 アスベストによる被害状況が日々深刻度を増しています。そんな中当町もやっと重い腰をあげて、7月下旬に職員による建築時の設計図面チェックと建物内外の目視調査を実施しました。調査は47施設を対象に行われ、内18施設でアスベストの使用が確認されています。さらにその内の5施設では、即対策が必要とされる危険性が高い「吹き付けアスベスト」の存在が、以下の通り明らかになりました。

* 人権文化センター(ベランダ屋根裏)・・H10年度外壁補修時に封じ込め措置済

* 役場庁舎(機械室)

* 衛生化学処理場(脱臭室、送風機室、放流ポンプ室、ブロワ室)

* 大藪浄水場(ポンプ室、デカンタ室)

* 中継ポンプ場(ポンプ室、自家発電室)

 残る13施設ではアスベスト含有成型板が使用されています。自治会集会所、保育所、やまぶき園、山崎ポンプ場、消防本部庁舎等が該当しています。今回の調査は、結果報告書に書かれているように「緊急・簡易に実施したもので、不明点もあることから、この結果が最終的なものではない」のです。まだ13の教育施設と住民ホールほかも結果が明らかにされていないのですから、当然でしょう。

 島本町が公共施設にアスベストを使用したのは、何も特別悪いことをしたわけではありません。それぞれの施設建設当時には全国津々浦々で使っていたのです。しかしその後の対策が十分であったのかと問われれば、国が取った対策の遅れはあるものの、町独自の姿勢としても残念ながら首を横に振らざるを得ないのが現状です。今日の大問題に到っても、島本町の対応ははっきり言って“鈍い”と思います。

 今回この現実を目の当たりにしても未だに、他自治体が設置した対策委員会のような機関の設置も行っていません。これから私は全施設の確認を行っていきますが、現に「現場を見はったらびっくりしますよ、怖いでっせ」と告げる職員もいます。しかし、先の報告書にはこのようにも書かれています。「人権文化センター以外の施設については、発見された場所はいずれも、住民が普段出入する場所ではない」と。でも、だから良いなんて誰も思いません。そこで働く人々を犠牲にするような安全は本物の安全ではありません。

 吹き付けアスベストについては今までに、徹底的な調査をするチャンスが複数回あったはずなのです。それが今に到って、初めて5施設の状態が明らかにされるのには本当に納得がいきません。いずれにしても対策が急がれます。9月議会の補正予算(9月1日)で脱アスベストの関係予算が出されるはずです。本当はあと3週間も手をこまねいているのは心が痛みますが、しっかりとした予算をつけてもらいたいと思います。

 2時からの農業委員会を傍聴してから帰りました。農業委員の改選があり議会からの推薦委員も変わったので、会長選出が主な案件でした。僅か10分で終了しました。会議の長さは関係なく勿論法令上も問題はないので、当然ながら各委員には報酬7千5百円が支払われました。

 


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亀岡まで行って聴く話かなあー、議員研修

(2005年8月3日 水曜日 晴)

 島本町、豊能町、能勢町の北部地区の議員が「勉強をしましょう」と年1回開く研修会です。研修会の後は懇親会がもたれます。こっちの方がお目当ての議員もいるのでは?と思ったりもして・・・。そもそも1年間にたった1時間半話を聴いて、どれほどの研修になると言うのでしょうか?また研修なら、何もわざわざ亀岡の湯の花温泉くんだりまで行く必要はありません。

 まあそれでも私が以前議員のときに懇親会費用を自前に変えさせたこともあるし、また今回は島本町議会が当番幹事で事務局も骨を折ったようだし、清水議長のご挨拶も聴いておいてあげたほうがいいし等々考えて出席をしました。ただ懇親会は欠席してサッサと先に帰りました。同じ思いの能勢町議Yさんの車で途中まで乗っけてもらって助かりました。

 肝心の講師さんの話しですが、結論は「団塊の世代をうまく使うことが、これからの地域活性化につながる」ということです。2007年から団塊世代の定年が始まる事は自明であって、島本町も退職金の積み立て基金がそれより前に0(ゼロ)になり、借金して退職手当を調達しなければなりません。今後ドッと巷に溢れる“団塊人”をいかに地域のパワーとなし得るのか、様々な仕掛けが必要です。自治体は具体的にどのような方策を持つべきか、議会人の目の付け所は何処にあるのかなどの話を期待していましたが、チョット肩透かしの講演内容でした。

 やっぱり北部地区議員研修会のあり方を再考しなくてはならないと思います。私は3町が集まる事に全く意味がないとは言いませんし、研修を無くせと強硬に言い張るつもりもありません。折角の機会なのだから3町を順次訪れ、町の施設で研修する。講師は外から来てもらってもいいし、市長・助役をはじめ行政の職員や地元住民または議員自らが講師を務めてもいいのではないかと思います。懇親が必要な人は研修の後、ご自由になさったらいいのではないですか。とにかく、懇親会の世話まで議会事務局の職員にさせるんじゃない!と言いたいです。

 


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辻元さんがノンフィクション本「へこたれへん。」を出版します

(2005年8月4日 木曜日 晴)

 午前中は水無瀬川緑地公園で行われた総合防災訓練を見学しました。ここ数日特別暑くて、準備・本番・後片付けに従事した職員は大変だったと思います。私は4年ぶりの見学でしたが、訓練内容は以前とそう変わっていないと感じました。参加者の皆さんには「お疲れさま」なのですが、もしもの時本当のところ効果の程はどうなんでしょうか?とフト思ってしまいました。お昼から辻元清美さんが家に来るので、大急ぎで帰ります。

 講演等で全国を飛び回っていると言う辻元さんは、とても元気そうでした。細くて長い手足を真っ赤なポロシャツと黒のパンツに包み、颯爽とやって来ました。島本町議会の様子や川口町長の仕事振りを私に聞いたあとは、郵政民営化法案をめぐって解散風が吹き荒れる国会の話になりました。当然その先の「デリケートな件」にも話は及びました。

 辻元さんは今ひとつの来訪目的である単行本の発行を告げて、再び颯爽と帰っていきました。大阪10区の私の友人達には未だに、ひとり一人が胸の中に辻元さんの像を持ちながら葛藤している人が多いと思います。私は昨夏の参議院選挙応援で、気持ちに踏ん切りがつきました。政治に係る人間として、やっぱり私はともに歩みたい人だと思っています。

角川書店発行 辻元清美著「へこたれへん。」・・・8月19日発売

辻元さんのサイン会もありますよ。(島本では以下の2書店)

* 8月20日(土)午後4時〜5時   ブックハウスみなせモール店(モール街)

* 8月28日(日)午後4時半〜5時半 長谷川書店島本店(阪急水無瀬ダイエー前)

 


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思わず息を止めました・・・役場地下機械室の吹付けアスベスト

(2005年8月5日 金曜日 晴)

 8月2日の日記で町のアスベスト使用状況を、現時点で判る範囲のお知らせをしたところです。なかでも吹き付けアスベストを使用している5施設については、早急に我が目で確認しなければと心がせいていました。8月3日も4日も行政側と時間が合わず、今日やっと10時からの第四保育所に始まって、大藪浄水場、役場庁舎の現場を確認することが出来ました。

 第四保育所では、民生部部長と保育所所長が案内してくれました。繊維状の吹き付けが2階プレイルーム天井と1階階段下倉庫天井と屋外機械室天井の3箇所にあり、一見吹き付けアスベストの様相を呈しています。しかし成分分析の結果、全てロックウールである事が判りました。ロックウールは現場を見た部長が思わず青ざめたというほど、見た目はアスベストにそっくりです。結果が判り部長は安堵したと言いますが、1988年以前のロックウールにはアスベストが混ざっている可能性があります。(四保は1976年建設)分析結果を示すように求めておきましたので、私たちの安心はその結果が判ってからということになります。

 次に大藪浄水場のポンプ室の壁とデカンタ室の天井を水道課長の案内で見分しました。割合大きな面積に吹き付けられています。一見して剥離は見られなかったのですが、アスベストが浮遊して送水直前のプールに入る可能性もあります。また小学生の見学コースの通路にも当っている所です。勿論職員の立入りは常時です。

 3番目は、役場庁舎地下1階の機械室です。総務部長と次長が案内してくれました。私は思わず息をのんだというより、アスベストを吸い込まないように息を止めたと言う方が正しいです。2箇所の壁面に吹き付けられたアスベストが剥離してボタボタと壁の出っ張り部分に落ちているのです。落ちたアスベストは手でつかめるほど、私の目と鼻の先にあります。壁からは人の動き等によっても容易に剥がれ、浮遊拡散しているのではないかと思います。「何で?こんな状態で放置しているのか!」と恐ろしさと驚きで一杯でした。そして、この機械室で1日中働いている委託先職員への影響を考えると胸が苦しくなりました。

 機械室のアスベストはアモサイト(茶石綿)ではないかと思われます。飛散状況確認の為、環境測定を実施予定ということですが、9月補正を待つまでもなく1日も早い着手を要求します。そもそも分析は何時行ったのか?8月2日の庁議に報告されたのは7月の21日から29日の間に調査したものであって、そのわずかの間に分析委託を行ったとは考えにくいです。吹き付けアスベストについては、先行して調べたのではないでしょうか。そのこと事態は当然のことで良いわけですが、それでは調査分析が終わっているのに、何故機械室はこのように放って置かれているのかという疑問です。

 いずれにしても、直ちに緊急の対策をとるべきです。とりあえず真っ先に吹き付けアスベストの壁面を覆うことが必要です。そして壁のある部屋と職員が常時詰めている部屋をドア等で仕切ること、また機械室で働く職員の検診を行うこと。最低これらのことを1日を争って着手しなければ、許されないです。本当に私は自分自身気がつかなかった申し訳なさと、悠著に構えている(のではないかと思う)行政の対応に目の前がクラクラする思いでいます。

 川口町長、即陣頭指揮をとらなければなりません!

 


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お祭りなので友人と共に、ちょっと夜更かし

(2005年8月6日 土曜日 晴のち曇と雨)

 澤嶋さんと連れ立って、2年ぶりに島本夏祭りをのぞいてみました。たくさんの人出で賑わっています。4年前の町長選挙に落ちてからヘルパーとして働いていたグループホームの皆さんも車椅子でお祭りに来ていました。なつかしかった!各校の校長先生を先頭に奮闘しているカキ氷屋さんでは、地元の四小を選んでレモン味を注文しました。

 知人と話していると町長がやって来たので、しばらくの間しゃべりました。前町長なら間違っても私の所に近寄って来ることはなかったです。またこれも前町長なら絶対しない格好ですが、川口町長は腰の後ろにウチワを差し込んでいました。祭りで“お供”がいるのも野暮なことですが、町長が一人でウロウロしているのも今までになかったことです。私の好みではウチワも一人も「いいんじゃないの」と思います。

 けれど、ちょっと離れた本部席のあたりには役場の幹部、議員たちが大勢固まっているのです。好むと好まざるに係らず、彼らを初め町長も(町長ならなおさら)一個人として祭りに参加しているのではなく、やっぱり肩書きを背負っての参加です。何よりも住民から見れば「川口のオッチャンがお祭りに来ている」のではなく、やっぱり「川口町長が祭りに参加している」ということです。堅苦しいと思っても、まあそれなりの格好づけが、その時々に首長には求められるのかなとも感じました。

 いっそ川口町長が、なんでもありでもっと元気よくブッ飛んでいるなら、“ウチワも一人も”もっとカッコよく映るんですが・・・。はっきり言って中途半端です。

 「盆踊りが始まるよー」の前に家に帰りました。これからが私たち、といっても気のあったごく少人数で実費徴収のお祭りが始まります。私は昼間に散らし寿司他いろいろ頑張って作りました。飲んで食べて喋って、今日もまた日付が変わってしまいました。

 

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幼稚園の預かり保育施行は随分先に?・・・前の日記を訂正します

(2005年8月7日 日曜日 晴)

 はや「立秋」ですが、連日猛暑で38度を超えるところも出ています。夏の疲れも表れてくる頃ですが、お互い頑張って何とかこの8月を乗り切りましょう。日曜日は議会や役場関係の仕事はないので、ついダラダラと過ごしてしまいます。それでも溜まった資料等の整理を気まぐれにやってみたりしています。今日は資料の中で「ごめんなさい」とともに訂正をお伝えしなければならないものがあります。

 7月27日の日記で「10月から幼稚園の預かり保育が始まりますよ」と書きましたが、この内容に大きな変化が生じていました。10月1日から来年3月末までを無料の試行期間とし、4月からは本格実施するとお伝えしていました。これが試行期間は来年の1〜2月に、本格実施は10月に遅れる事になりそうです。また試行期間の保育料は無料から実費徴収となるようです。私はこの預かり保育事業については、教育委員会が迅速な事務を進めたと評価していました。

 ところが関係各課の合議を経る中で、特に保育所を所管する児童課からは意見が噴出し、財政課からも無料実施は「受益者負担の原則から逸脱するもの」と厳しい指摘がされました。これらを読むと「なるほど」と頷くところもありますし、“迅速な事務”が故の粗さが教育委員会にあったかもしれないとも思います。しかし試行を3ヶ月、本格実施を6ヶ月も遅らせる必要はどこにあるのかしらと不思議です。

 私は子育て中の保護者の選択肢が1つでも増えるのは良いことだと思うし、事業準備に大層なお金が必要でもないし、住民は早期の実現を望んでいるのではないかと感じています。関係各課がいろんな意見を出し合うのは当然で大事なことですが、それは預かり保育事業が成案となる前に済ませておくことじゃないかしらと思います。

 「預かり保育ワーキンググループ」とやらを学校教育課と児童課で今頃立ち上げたと聞きますが、それって先にやっておく事でしょう?ワーキンググループから預かり保育の事業案が出てくるのが、横断的な行政といえるのではないでしょうか。なんか縦割り行政のしりぬぐいをするようなグループ化は本末転倒だと思いません?

 話は全く変わりますが、8月5日付けの日記の訂正をさせてください。

 役場の地下機械室の吹きつけアスベストのひどい状況を5日に書きました。その中で職員が常時居る部屋とアスベストが存在する部屋の間には「ドアを設けるべきだ」と指摘しました。実はドアはありました。開けっ放しに固定されていたので、ドアがないと勘違いしていました。もう一度確認に訪れたとき間違いに気付きました。正確には「ドアを必ず閉めるべき」となります。(2度目の時にもドアは開いたままでした)それにしてもアスベストの存在に係り庶務課は委託の職員たちに、どのような注意や指導を行っているのでしょうか?

 


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衆議院解散!辻元さん立候補してくれるかな?

(2005年8月8日 月曜日 晴)

 郵政民営化法案は参議院で否決されましたが、小泉首相は法案を通した衆議院の解散を行いました。なんか矛盾しているようですが、小泉さんは「法案を“国会”が否決した。私が正しいか国会が正しいのか、選挙をして国民に審判してもらう」と実にあっけらかんとしています。そう言われればそうかなとも思うし「青票が何人、白票が何人」とか、怨念をズルズル引きずりながら国会が死に体を呈するよりも、まだマシかもしれないと考える人がたくさん居るのは事実です。

 でも小泉首相の斬り方、排除の論理は何かにとり憑かれたような感がして、大いなる違和感があります。いまほど、辻元さんのあの“総理!総理!総理!”に象徴される切実な“庶民の叫び”が求められる時はありません。また秘書給与詐欺事件においては、既に辻元さんは司法の裁きをきちんと受けていると私は認識しています。諸々を踏まえ、やっぱり「大阪10区」の住民の一人として、辻元さんに「お帰りなさい」と心の底から伝えたいと私は思っています。

 まあしかし、この暑いさなかに選挙ですか!?日程は町の9月議会にしっかりと重なっていますし、なんと言っても島本は4月に選挙したばかりです。一瞬「かなわんなぁー」と思いました。しかし、辻元清美さんの再びの国会登場が実現しそう、辻元さんが私たちの大阪10区(衆議院小選挙区=高槻・島本地区)に帰ってくる・・・このことはかなり胸ワクワクの出来事です。

 まっ、まだ辻元さん自身の口から立候補の意思表明は公にされていないので、私が喜んでいてもしょうがないのですが・・・。しかし早くも「へこた連」(近々発売の辻元さんの著書「へこたれへん。」からのネーミング)なる勝手連が立ち上がっています。私に何が出来るかわかりませんが、猫の手も借りたいほど突然の選挙だし、何なりと使ってもらえればうれしいと思っています。でも町議会の仕事を先ず優先しなければならない事は言うまでもありませんが。

 午後からは人権文化センターを訪れて、アスベストの使用状況を見分しました。1978年に解放会館として建設された同センターには、2階ベランダ軒裏に吹き付けアスベストが使用されています。アスベスト含有成型版板もトイレや給湯室の天井に存在します。多くの住民が出入する施設なので吹き付けアスベストの現況を心配しましたが、役場の説明では7年前の外壁塗装工事の際に封じ込め措置を行ったから安心と言います。確かに見たところ塗料で覆われている状況ですが、その事実を設計書が行方不明とかで確認出来ないのです。当日は30年前の設計書を私も見ました。反面僅か7年前の補修工事の中身が確認できないのは、大変問題だと思います。設計図書を引き続き捜すよう求めておきました。

 


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議員研修と辻元さんの集会に参加しました

(2005年8月9日 火曜日 晴)

 今日は町村議会議員セミナーに出席の為大阪に出かけますが、お昼過ぎにマイクロバスが役場を出発するので、それまでの時間は7月分の文書処理簿を見ます。これから2、3日は合間を縫って役場の全部局が起案した公文書の目録を閲覧していきます。1週間から1ヶ月前の文書ですし、大半が何ら問題のない事務のありようを記録したものですが、稀には1枚の書類からズルズルと意外な展開が明らかになったりする事もありますので、毎月欠かさずチェックしています。別に何か“掘り出し物”を捜しているわけでなくても、役場の仕事の流れと現状はある程度つかめます。ある日突然「継続は力なり」が自覚できる書類を見つけたりすると、やっぱり「やったー」との気分になりますが、そんな事は滅多にありません。

 議員セミナーは大阪府内の全町村の議員が集まります。講演を聞いて帰るだけという、あんまり実のない研修が多かったと記憶していますが、4年のブランクがある私ですから公務は忠実に果たさねばならないと思いますし、何か吸収できる事もあるかと出席を決めました。講演は「巨大地震と行政・市民の対応」と題して行われました。

 阪神淡路大震災に遭遇した講師の石井布紀子さんは、ごく普通の市民から有限会社「コラボねっと」を立ち上げ、災害に強いコミュニティづくりに力を注いでいます。従って市民の目線で防災を捉えており、市民を代表する議員にとっては参考になるお話しでした。島本町でも地域防災計画の見直しが進められていますが、石井講師の「殆どの自治体における防災計画は災害そのものに対応するものであって、被災者に対峙するものではない」との発言には注目しました。

 帰りは高槻によって、辻元清美さんとの交流会に参加しました。当初は本の出版紹介を兼ねた集会が予定されていましたが、昨日の衆議院解散で話は当然、辻元さん出馬に向って参加者の発言が続きました。辻元さんは立候補の意思は示しました。しかし無所属か政党に復帰かで悩んでいて、みんなの意見を聴きたいと言いました。どちらの意見も真剣に提起されましたが、この場では政党派が多かったと私は感じました。私も指名されてしまったので発言しましたが、私の個人的な気持ちは無所属で辻元さんらしく弾けて欲しいと言いました。

 しかし、誰もが言葉の最後につけたのは「辻元さんが決める事、私たちはその決断を尊重する」とのことでした。私も全く同じ思いでいます。辻元さんが悩んで苦しんで出した結論を、誰も否定するわけはありません。公での決意表明を今は黙って待ちたいと思います。

 


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会派代表者会傍聴〜救命講習受講〜アスベスト実地見分

(2005年8月10日 水曜日 晴)

 午前中は会派代表者会議の傍聴をします。主な案件は2つあって、1つは7月19日の日記にも書きましたが、政務調査費に係る検討を何処でするのかとの案件です。共産党は支給については異論がないようですが、きっちりとした議論を求めて特別委員会の設置を提案しています。山吹民主クラブと緑風純政会と公明党は幅広い調査研究を行う為と表向きの理由を述べてはいますが、兎にも角にも支給の根拠を得るために条例の制定を求めていると思われます。

 そしてこの3会派は代表者会議では政務調査費支給を決定する事が困難だと察すると、今度は一転して条例の制定を目的とした特別委員会設置に対し前向きな姿勢を示してきました。危ない危ない!特別委員会で採決を取り、多数決で押し切ろうとする魂胆が見え見えです。緑風純政会が提出した「議会運営等に関する検討課題」には次の文章が書かれています。「〜(政務調査費を)なかには、必要性がないとのお声もあるが、必要ないとの方々には返還する事をお勧めし〜」とあります。

 此処には、島本町議会議員が議員活動のあるべき姿を真摯に論議し、全員の合意に基づいて住民の皆さんに政務調査費の負担をお願いする、この視点が完全に欠落しています。政務調査費支給の条例は議員が住民の税金から間接的にお金を頂くことを「良し」と認める条例でもあるのです。領収証を見せる見せないの話しではありません。支給の是非と使途の判別とは異なる性格のものです。つまり「何に使ったか判るようにするから政務調査費をちょうだい」は整合性がないと言う事です。

 いずれにしても、私の会派「人びとの新しい歩み」は政務調査費について検討する事はやぶさかではありません。それは望ましい議員活動のあり方や、効果的な調査研究の方法等について考え、議論する事に繋がるからです。しかし今、この財政厳しき折にあえて第2の報酬と言われる政務調査費をお手盛りで認めることは、私にはできません。また「政務調査費ちょうだい」の議員たちが自らの議員活動をどのように分析して、何を根拠に支給が正当化できるのかが全く判りません。

 私の会派の頑張りで、結局本日も結論を見ず次回へ送る事となりました。もうひとつの案件は第二小学校旧校舎解体工事の入札に係り、議会が業者から糾されていることについての経過報告がありました。ことは拗れてきています。当事者が少々ナーバスになり過ぎでは?と思われるところもあって、なかなか難しい状況になっています。従って今、皆さんに途中経過の報告をするのは控えます。ただ、議会を代表する議長には迅速で丁寧な説明責任を果たしてもらいたいと思っています。

 午後からは議員研修がありました。消防職員から救命講習をうけ「救命の連鎖」の行動中、私たちが担える早い応急手当(心肺蘇生法)と救急処置(AEDを使った心臓への除細動)の講義と実技を3時間学びました。私は2年前に講習を終了しているので、今回は2回目です。2年おきくらいに受講するのが良いと聞いているので、丁度良かったです。実技のテストがあるので議長を初めみんな必死でやり、結果は全員合格で修了証をいただきました。

 この後若山台にある水道の中継ポンプ場に走って行きました。ポンプ室内の吹き付けアスベスト(らしい?)の状況を、浄水場場長の案内で見分しました。人の出入は職員でも稀ですが、天井から壁一面の吹き付けはなんとも不気味な感じがしました。場長には成分分析をしてもらいたいと要望しておきました。

 


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会派に対する9月議会の案件説明〜新駅の周辺交通環境改善計画策定懇話会傍聴〜中学校の弾力化に関する懇話会傍聴

(2005年8月11日 木曜日 晴)

 10時から会派「人びとの新しい歩み」に対し町長、助役、町長公室長、総務部長、公室理事出席のもと9月議会提出予定議案を中心にした説明がありました。川口町長になってから、私たちや共産党の会派にも事前の説明が行われるようになりました。行政の公平・透明性は先ずは役場内部からと、情報提供を議会全体に対して積極的に示すその姿勢は大いに評価するものです。まあ、今までが余りにも「与党だっけ」と言うのが多かったから、是正は当然ではありますが・・・。喫煙タイムもお茶もなく(職員の手を煩わせる湯茶は必要ありません。これでいいのです)たっぷり2時間の説明と質疑はなかなか実りある説明会だったと思いました。

 8月18日に議会運営委員会が開かれ正式に上程議案が決まるので、18日以降9月議会に係る案件は、この日記で随時お知らせしていきます。今日はその他の報告事項である「第二小学校新校舎新築工事に係る入札執行状況について」を簡単にお知らせいたします。

 二小の新校舎建設ですが、8月2日が入札執行の日でした。ところが前日に談合情報が読売新聞社に寄せられたため、町は公正取引委員会に通報するとともに、入札当日は執行前に入札参加業者全員に事情聴取を行い、誓約書の提出を求めるなど「談合マニュアル」に沿った事務を行いました。その上で入札を執行したのですが、現在まだ落札業者との仮契約が締結できない状況です。(8月15日現在でも都市環境部長によると、引き続き事情聴取を継続中とのことです)

 入札参加の8共同企業体のうち3共同企業体が入札を辞退しました。落札者は山本土木(茨木市)と三島建設(島本町)の特定建設工事共同企業体で、2億9千3百89万5千円(消費税込み)の落札金額でした。落札率は96.78%で高値の落札です。一説にはこの落札率だけを見ると談合の疑いの可能性もありとされています。

 町は入札制度の改善を今までにも何度も試みており、8月1日から新制度に移行したばかりのトラブルでした。(新制度とは言うものの、低入札調査基準価格の公表を撤廃し以前の最低入札価格に戻した制度改正です)私は、入札の前段に当る業者指名のあり方を変えなくてはならないと考えます。つまりは一般競争入札を避けて通っているようでは、何時までたっても“町内業者の育成”の呪縛から解き放たれる事はないと言いたいのです。

 午後2時からは「JR(仮称)島本駅周辺交通環境改善計画策定懇話会」を傍聴します。主に自転車駐車場(駐輪場)に関する問題点が出されました。計画では青空駐輪場ですが、効率的な整然とした駐輪の為には有料化の方向をとの意見や、西京高槻線を北進するバイクは一方通行により駐輪場に入るのに迂回を要するので改善を求める要望がありました。

 懇話会でひとつ気になったことがありました。会議の最中に携帯電話の着信音が鳴りました。町職員の携帯です。当の職員は電話を切るでもなく、退席するでもなく、なんと委員席に座ったまま二言三言話しているではありませんか!もうビックリしてしまいました。住民団体選出の委員や公募委員、大阪府、JR西日本、高槻警察署、タクシー・バス会社からと大勢の参画がある会議の席上、町職員のこんなマナーは許されません。委員のお一人が傍聴の私を見て顔をしかめていました。ホンマに!こんなんありですかー?

 夕方7時からはふれあいセンターで開かれる「中学校の弾力化に関する懇話会」を傍聴します。町内にある第一・第二中学校のいずれにでも通学が可能な「中学校の弾力化」制度が来年の春から始まります。ただし一定の条件が付くようです。両校のバランスを考えて、受け入れる定員の人数差は相手校に比して20人までとすること、オーバーした場合に抽選方法を取り入れること、調整区域の設定をどうするか、また選択の理由は通学の距離の長さのみに限定しない等々大体の意見が煮詰まってきたようです。この後教育委員会事務局で細部を詰め、9月の教育委員会議で計られ決定される予定です。

 


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学校と衛生化学処理場のアスベスト使用状況を見分しました

(2005年8月12日 金曜日 晴)

 昨日の会派説明会で提出された町施設のアスベスト使用状況調査表には、この日記(8月2日付)でお知らせした吹き付けアスベストの存在施設に加え3つの学校が増えていました。第一小・二小・ニ中の各校です。早速確認に行く事にしました。9時15分、教育次長と係長が一小に来てくれました。

 一小は報告書によるとブロワー室、ファン室、階段裏に吹き付けアスベストが存在しています。2室はガムテープでドアの周りを目張りしてありました。教頭先生はテープをはがして内部の確認をさせてくれましたが、壁と天井全面に吹付けされていました。両室とも人が立ち入る事はほとんどなく、子供たちに直接飛散する可能性は低いと思われます。しかし、教育施設に吹き付けアスベストが存在する事は避けなければなりません。しかるべき処置が必要です。

 一方、大問題なのは階段裏の吹き付けアスベストです。上の階段の裏側は下の階段を登って来る人の頭上にあるのです。大勢の子供たちが常時頻繁に利用する所に広範囲に存在している事にゾッとしました。さすがに2室に吹き付けられているような、如何にも石綿といったモコモコしたすぐに剥がれて飛散しそうという感じではなく、塗料等でコーティングしているようにも見えました。しかし私も教育委員会の職員も先生方もアスベストの事は殆ど判っていないのです。先ず直ちに学校施設を専門業者に徹底的に調査してもらい、アスベストの分析調査を行う事と同時に応急対策をとらなければなりません。

 次に訪れた三小も一小と同様階段裏に吹き付けアスベストが存在します。3番目は二中です。屋外にある独立した浄化槽機械室の壁と天井に明らかに石綿が吹き付けられています。校長先生が鍵を開けて案内してくれました。アスベスト含有成型板も一小において給食調理室を初め見分しましたが、二中においてもしかり、実にたくさんのところで使用されていることが報告書に記されています。

 午後3時からは衛生化学処理場に行きます。生活環境課の職員2人が来てくれました。吹き付けアスベストがあるのは脱臭室、機械室、放流ポンプ室、ブロワー室です。此処は全て剥き出しのモコモコの石綿です。施設自体が老朽化しているためアスベストも剥離している箇所も多く、常時人が居なくても飛散は起こっているはずです。処理場は管理運営を民間に委託していますが、町の施設で働く人々に変わりはありません。委託先の事業所と連携し、きちんとした対応をとってほしいものです。

 庁内で「島本町アスベスト対策会議」が立ち上げられたことは、昨日の会派説明でも示されました。各担当部局の次長級で構成されていますが、この会議の果たさなければならない使命は本当に重大です。漏れのない綿密さと時間との戦いをしいられる仕事が、学校でも庁舎の中でも既に山のように積み重なっているのです。会議の事務局は産業建設課に置かれています。住民からの相談や対応策に応えられるのかも心配です。

 


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島本高校のアスベスト使用状況を大阪府に聞きました

(2005年8月13日 土曜日 曇)

 お義母さんの初盆で、長男が帰ってきました。次男はお盆休みもなく働いています。夕方お坊さんが来て、親戚もやって来ました。バタバタと暑くて忙しい時が過ぎて、夜更けにクーラーの部屋で思い切りスイカを食べました。

 昨日の夕方、大阪府に島本高校のアスベストについて訊いてみましたので簡単にお知らせしたいと思います。府では府立学校について先行的にいくつかの学校を選びサンプリング調査を行っています。島校は調査の先行校に入っています。普通教室棟、特別教室棟、理科教室棟、管理棟の天井裏から吹き付けアスベストが見つかりました。分析の結果クリソタイル(白石綿)3〜14パーセントの含有率であることがわかりました。しかし気中濃度測定の結果では、アスベストは検出されず飛散の可能性はないということです。

 今後は全校全棟調査を行い、9月の中ごろ以降結果が出るそうです。大阪府は機構が複雑ですから、最初此処ならアスベストに関する全てがわかるのかと対策推進本部に問い合わせると「此処は相談窓口です。府立高校のアスベストなら教育委員会の施設課へ」と言います。教育委員会では「調査の中身に係ることは環境指導室で訊いてください」と教えられました。環境指導室へ辿りつくと、なんと此処が対策推進本部(事務局)だというのです。ほんと、ぐるぐる回されて疲れてしまいました。

 


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江川の府営住宅には吹付けアスベストは存在しません

(2005年8月14日 日曜日 曇)

 今日は日曜日で議員活動にかかわる用事は入っていません。夫と長男は外出し次男は仕事で誰も居ず、ノンビリムードの休日です。先週は炎天下、町施設におけるアスベストの存在確認に走り回っていたので、なんだか疲れが残っている気がします。読みかけの本を開いたり閉じたりしながら、ゴロゴロと寝っころがってボーッとしています。いつの間にか、降るように鳴いていた蝉の声も弱くなっています。夕方暗くなるのも随分早くなり、カナカナカナとつかの間のひぐらし登場です。陽が落ちると、はや秋の気配が忍び寄っていることに気付かされました。

 先週の続きですが江川府営住宅のアスベストも確認していますので、大した情報ではありませんがお知らせしておきます。府営住宅は1984年〜1990年に掛けて25棟(564戸)が建設されていますが、吹き付けアスベストは存在していません。ただアスベスト含有の成型板は台所等の水まわり、火のまわりには使用の可能性があります。9月一杯を掛けて調査し、結果は府が設置しているアスベスト対策推進本部に集約されます。問合せをした府の建築都市部住宅管理課の職員は、なんだか人ごとみたいに気にしていない様子でした。

 


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戦争が終わった日、私は1歳の誕生日を迎えていました

(2005年8月15日 月曜日 曇)

 私たちの国は「もう2度と戦争だけはしない」と歩んできたはずなのに、60年間を経た今再び戦争が出来る国、戦争をしたい国になってしまったのは一体何故なんでしょうか?私は8月15日に生まれたからか、物心つく頃から「戦争」への意識は強いものがありました。毎年誕生日の家族の会話は戦中戦後の怖い辛い体験から始まって、最後は庶民が生き抜く知恵や逞しさを示す話となって終っていました。

 母は「空襲警報が鳴るたびに、あんたを抱えて防空壕へ飛び込んだ。抱えやすいように何時も布でくるんでいたから、由美子はコタツ(アンカのこと)てあだ名がついていたんよ」と何時も言っていました。私の命を守ってくれた母も、父の出征中世話になっていた伯父や伯母もみんな亡くなってしまいました。私に繰り返し繰り返し戦争の話をしてくれた大人たちは決して声高に語るのでなく、本人も意識しないで子どもの私に“反戦”を伝えてくれていたんだと、随分後になって気付いたことでした。

 父や母に私が少し胸張れるのは、私は私の子どもたちに「戦争をしてはならない」としっかり伝えたよと言えることです。父母と違い私には戦争の実体験がないだけに、いささか観念的で声高な伝承ではあったとは思いますが・・・このことだけはきちんと次代への務めを果たしてきたと自負しています。問題は次の世代がそのまた次の世代にどのようにバトンを繋いでいってくれるかだと思います。

 私は1944年8月15日、その頃頻繁に空襲をうけていた大阪市内で生まれました。

 


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フロンティア教育推進協議会傍聴〜職員厚遇問題監査請求の結果出る〜JR騒音・振動対策回答書出る〜町長役場のアスベスト見分〜辻元さん社民党公認で出馬

(2005年8月16日 火曜日 曇)

 午後から島本町フロンティア教育推進協議会を傍聴する為、第一中学校の図書室を訪れます。我がマンションの目の前にある一中ですが、議員職を離れると訪れる機会も少なりました。また学校警備上校門は閉じられているので、フラッと玄関前の見事な花壇を覗いてみょうかなというのも困難になりました。“地域の学校”とは言うものの一般の住民にとっては、昔より学校は遠くなってしまったと思います。しかし一方では今日の協議会に参画されている方々のように、学校との密度の高い係りが出来ていく人びとも数多く現れてきつつあります。

 本協議会の3委員は、学校協議会から出てきています。学校協議会における「確かな学力向上」事業、「わが町の誇れる学校」事業、「拠点形成」事業の各代表者です。他の委員は幼・小・中学校長、教頭と教育委員会職員です。こんな事を言うとお叱りを受けるかもしれませんが、あっちでもこっちでも、なんだかやたら会議をしなければならないような「教育」になってきてはいませんか?と私は感じています。よかれと思って会議に励んでいる大人たちが目指すものと子どもたちが本当に求めているものとの間には、大きな溝があるのではないかしらとも思ってしまいましたが、私が間違っているのかなー?

 主な案件には学習状況調査結果の概要に基づく各校の学力づくりプランの素案等がありました。この調査に対しては民間業者に委託し予算を伴うものでもあり、議会では施行そのものについての意義を問う質疑や子どもの個人情報の保護の観点からも懸念が示されていたように思います。各校でも調査結果に基づく分析がされつつあり、一中の資料などは一見しただけで「立派!」と感心してしまいます。私たちは悲しいかな、ついつい目の前の数値やチャートに囚われてしまうものだとつくづく再認識しました。目の前の生身の子どもの姿を見落とすことのない調査結果の活用を願いたいと思います。

 役場へ行くと、1日のブランクだけでたくさんの書類が議員ボックスに入っていました。大事な文書が2つ、1つは職員厚遇問題に係り出された監査請求の結果が出ました。結論は、請求人の主張は全面的に退けられています。ただ監査委員としても余りに素っ気ないと思ったか、次の3点を要望として町長に出しています。(私が要約しています)

* 法に規定された職員厚生制度の実施基本計画を策定しなさい

* 府互助会への補給金支出明確化のための条例制定をしなさい(9月議会に上程)

* 町職員互助会と大阪府市町村職員互助会との違いをはっきりさせて、公費負担のあり方や事業の中身の検討をしなさい

 2つ目はJR軌道移設等工事に関する要望への回答書です。要望書は青葉ハイツとコーポ水無瀬の自治会・管理組合から町に出されていましたが、JR西日本との協議に時間がかかり2ヶ月を経てやっと回答されました。近隣住民は主に騒音・振動を初めとする環境悪化を心配され、様々な要望が出されています。対策には当然支出を伴い、測定調査費を含め約5千万円の費用がかかると言われています。JRとの協定書に基づき2分の1を町が負担をしなければならなくなりそうです。

 この支出に関しては事業主体であるJRに全額の支出を求めて当たり前ですが、住民の方々はJRが「うん」と言わないのなら、島本町が持つべきだと要望しています。私は、住民の思いや願いをJRのせいにして、町が知らぬ顔は出来ないと思います。つまり町の支出はJRに工事費等の積算根拠を明らかにさせた上で、致し方がないでしょうと判断しています。

 本日やっと、町長が助役、総務部長の同行で庁舎地下の機械室のアスベストを見分したそうです。私がこの日記で再三求めてきた事ですが、ようやくの感があります。後は1日でも早い対策、とりあえずは応急処置でも良いから早々の着手をすべきです。

 家に帰るとテレビが辻元さんの社民党公認を伝えていました。大阪10区の小選挙区と比例代表の掛け持ちで、当選の確実性を得るようです。辻元さんが出した結論を私は尊重したいと思います。マスコミの取材がすごいです。上手に活用しなければマスコミの波にさらわれそうに感じてしまうのは、辻元さんの支援者としては弱気でしょうか?

 今日も一日いろんなことがありました。

 


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すぐに対応すれば「今度からは気をつけてね」で済んだのに・・・他人宛の文書が入っていた

(2005年8月17日 水曜日 晴のち曇)

 昨日議員ボックスから持ち帰った封筒の中身を見て驚きました。情報公開の決定通知書が2通入っていたのですが、宛先には他人の名前が書かれているのです。封筒は確かに私宛になっています。封筒に入れ間違えただけの単純なミスなんでしょうが、まずいです。私に他の人のが入っているってことは、他の人のところに私のが入っているってことかもしれません。誰が役場のどんな情報を公開請求しているかというのは、個人の情報ですし知られたくない情報です。

 まあ見なかったことにして、朝一番に連絡してあげることにしました。9時5分に部長に電話しました。「すみません、すぐ差し替えに行きます」と部長は答えたものの、それから午後3時前まで何の音沙汰もありません。約5時間私は家で待っていました。2時51分に電話が鳴り、係長が「今から行きますが、いいですか」と全く悪びれずに言います。

 私は「いいことありません。私は怒っていますから、来てもらっても文書の差し替えには応じたくありません」と答えました。係長は冗談だと思って笑っている様子です。私が再度「すごく怒っています。明日役場に行きますから、この事態の説明をしてください。差し替えはそれから決めます」と言うと係長はやっと「そうですか、わかりました」と電話を切りました。

 他愛もない話と片づけるには、問題がありすぎます。私は封筒に文書を入れ間違えた職員に立腹しているのではありません。ミスは良いことではありませんが人間がする事です、誤りが生じても不思議ではありません。私が怖いなーと思ったのは個人情報を漏らしていながら、そのことに気付いていないこと、住民を何時間も待たせても平気なこと、謝らないこと、説明しないこと、そしてこれらのことをなんとも思っていないこと。あーぁ、ため息が出てきます。

 


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すごい!えらい!アスベスト状況調査に1千万円の補正予算計上

(2005年8月18日 木曜日 晴)

 9月議会の運営について協議する議会運営委員会が10時から始まります。理事者から提出される議案がほぼ確定して出てきます。先日の会派に対する説明と大きく変化した内容が2点ありました。

 1つは第二小学校新校舎新築工事関係です。工期的に言ってもこの9月議会に工事請負契約の締結を認めておかなければ来年の2学期に新校舎が使えないので、町長はなんとしても出してくる案件だと思いましたが、結局は上程されていませんでした。理由は8月11日の日記にも書きましたが、工事の入札に係り談合情報が寄せられ調査途上ですが、その結果が契約締結に到る判断とするに足ることができない状況なのでしょう。この件については、26日に開かれる全員協議会での理事者の説明を待ちたいと思います。

 もう1つは補正予算に「町有施設アスベスト使用状況調査業務」に1千万円の補正予算が付いた事です。調査ですから分析に係る費用や処置対策に係る工事費は含まれません。(分析については緊急を要するものは既に予備費で先行対応しているようです)1千万円でどれだけの調査が出来るのか、まだその積算根拠を確認していませんが相当の範囲での調査が可能ではないかと思います。これだけの社会問題になり、当町のアスベスト使用状況も大変憂慮すべき状況であることは、私が日記で繰り返し訴えてきた通りです。私が実地見分をしてクラクラめまいをしたほどの現況に対して、改善への第一歩が全町的に進みゆく、この予算に対する私の評価は5重の“花マル”を上げたいと思うくらい大きなものです。

 ほーっ、なかなかやるやんか!町長も助役もみんなええとこあるやん!と何時も辛口の私も今度ばかりは声を大にして誉めています。

 夕方は辻元清美さんの事務所開きに行きました。土井たか子さんが激励に駆けつけてきていました。辻元さんは結局社民党公認になりましたが、会場は政党には係りなく辻元さんを支援する人で溢れかえり息苦しいほど盛況でした。私も微力ながら、この島本で精一杯応援したいと思っています。8月4日の日記に書きましたが、辻元さんの本のサイン会が島本の本屋さんでも行われますので、みなさんのぞいてみてくださいね。

 さて昨日の文書入れ間違いによる担当部局のけしからぬ対応の顛末です。結論は文書の差し替えに応じました。それは遅まきながら関係した職員が全て謝罪をしたことで、許してあげるしかしょうがないからです。この件により実際の被害を生じていれば別ですが、自分の気持ちや感情のままに相手を攻めるのは私の好むところではありませんし「かっこ悪いやん」とも思います。まあ、この日記でしかるべき人たちには事の次第は解かってもらった訳ですし・・。「反省しています」と言っている職員達に「ホンマに反省してるのん?」としつこく確認の追い討ちを掛けても何の意味もありません。“許し”はゆとりを持たせた方が効果があると思いませんか?

 


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決算の議案書がドサッときました

(2005年8月19日 金曜日 晴)

 9月1日から始まる決算議会の資料は7〜8cmになります。これから目を通し課題を出して、その課題の情報を入手していきますが、議会までに間に合わないものもあります。此処で役に立つのが、情報公開制度により日々求めている文書類です。ただ2004年度私は議員ではなかったので、抜け落ちているものもあり理解不足な点はこれから大急ぎで埋めていかなければなりません。前職の議員たちに引けを取らないようにするためにも、頑張らなければと思います。

 今日は朝から水道関係で箱1個分の文書閲覧とコピー、それが終わって建設の業務委託の書類を1年間分目を通してコピーしてと、5時30分のチャイムが鳴るまで役場にいました。資料自体は議会として求める事は可能ですが、私は余りその方法を取りません。それは、資料を手にするのが委員会審査の当日であったりすると十分に読みこなしが出来ないし、活用不十分な資料請求は職員に労を費やさせるわりには、非効率で恥ずかしい気がします。毎日コツコツと情報公開請求を続けていて得るものは、やはり「棚ぼた」でドッと入ってくる情報とは一味違うような気がします。

 帰り道「重ーっ」とぼやきながら歩いていると、後ろから自転車の町長が声を掛けました。降りかけようとするので「町長もたまに早く帰られるのでしょうから、どうぞ先に行ってください」と促しました。ホンマはいつも何時まで役場にいてはるのかは、知りませんが・・・。私たち議員も大変ですが、川口町長も今回の決算の答弁は大変でしょうね。町長は議員であったし、おまけに監査委員でもあったから、オトボケは効きません。人のことをいっている場合ではありませんが、「お先に」と走り去る町長にも私自身に入れた気合“喝ー!”を進呈しました。

 


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辻元さんの本を買いました〜夜はかぐや姫の夕べを楽しみました

(2005年8月20日 土曜日 晴のち曇)

 4時にモール街の本屋さんに行きます。辻元清美さんが出版した本「へこたれへん。」の発売とサイン会があるので急ぎます。オーッたくさんの人だかりがしています。もっとも半分はテレビの取材陣でしたが。行列して私もサインと握手をしてもらいました。辻元さんの指は細くて、私は思わず「体大事にしてくださいね」と言っていました。暑い中、これからの20日間は想像を絶するハードな毎日が展開するのですから。仕事から帰ってきた次男も早速自分用の1冊を読み始めていました。

 夜は夏の終わりの風物詩としてすっかり定着した「かぐや姫の夕べ」に出かけます。島本竹工房の皆さんが今年も竹を生かした風情ある設えを、ふれあいセンターの水辺の広場に仕掛けてくれていました。日が落ちてもまだまだムシムシと暑さが残っていましたが、竹灯ろうのほのかな光の帯がいざなう野外ステージは、これまでにもまして竹の涼やかさを印象づける舞台になっていました。大竹に生けられた舞台袖の野の花も、池のあちこちにスパッと切った竹と笹の葉を組み合わせたオブジェも素敵でした。

 今回は新しい試みとして、恒例の雅楽に加えクラシックコンサートもありました。時折通り過ぎる涼風にケヤキの梢が揺れ、その合間を満ちた月が見え隠れしています。月に呼応するかのようにヴァイオリン、チェロ、フルート、ピアノの音が響きます。「雅楽」の圧巻は蘭陵王の舞でした。舞楽の前に豪華絢爛の装束をつける実演もあり、演目により親しみを覚えました。毎年来てくださっている「おとくに雅楽会」はみなさん女性で、しかも若い人が多く出演されています。次代への伝承を心強く感じましたが、それだけ雅楽に尽きぬ魅力があるからなのでしょう。雅楽については何も分らず、ただただゆった〜りと笙やヒチリキの調べに気持ちを委ねていた私です。

 来年の「かぐや姫」はどんな姿で登場するのでしょう?竹を使った新しい設えは?今度はどんな演奏家と出会えるの?1年先のお楽しみを与えてくれる催しは、そうそうありません。竹工房のみなさんへのお礼と早くも次回への期待を抱きつつ、頂いた竹灯ろうを手に帰りました。

 


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2週間も日記を溜めていました

(2005年8月21日 日曜日 曇)

 きっと、何度も何度もアクセスし続けて下さっていた皆様、本当に申し訳ありません。今までで最長記録のずる休みをしでかしてしまいました。(本日の日記、実は9月4日に打っています)

 「言い訳は聞きたくない!」と言ってくださるのはまだましで、黙って「もう訪問はやーめた」の方もいらっしゃるのではないかと、反省とともに小さな?胸を痛めております。

 実は「なんぶニュース」の発行とその配布に、大げさですが全精力を費やしておりました。B5番4ページ仕立てのピラリ1枚、目を通すのに1分も掛からないささやかなミニ新聞ですが、結構中身は濃いと自負しています。議員の誰も知らせてくれない掘り出し物の記事や、鮮度ピチピチのニュースを手書で一文字一文字、紙面に書き込んでいます。(久しぶりのニュースなのに、とてもたくさんの誤字脱字があって恥ずかしいやら、もうしわけないやら・・・)

 本当の勝負は印刷が上がってきてからです。1万1千世帯を私の手で配ります。今回9月1日からの議会開会もあって、昼間は議案調査の為役場に出かけ、夜間にニュース配布をしていました。3分の2ぐらい配った所で議会と衆議院選挙の応援です。寝不足と暑さでクラクラ目まいしそうな日々が続き、何時しかホームページの日記は真っ白なまま日を重ねておりました。

 こんな私がもう一度立ち返って日記を打ち始めるのは、やっぱり見放さずにホームページを訪れてくださる方々の声を聞いたからです。偶然にも町外の人たちでしたが「日記がお休みですが、どうかしましたか?何時も楽しみに見ていますよ」「島本のことがリアルタイムで、よくわかるので必ず毎日見ていました」等、もったいない言葉を掛けていただいたのです。ありがたくて胸がジーンとしました。ちょっとづつでも追いついて、また日記を書いていこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 


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「なんぶニュース101号」になったわけ

(2005年8月22日 月曜日 晴)

 私は4年前に町長選挙に敗れて後も、本当にポツポツですが“市民かわら版”と題して「なんぶニュース」を発行していました。介護ヘルパーとして働いている時は、ニュース発行の資金は何とか捻出できても、体がきつくて発行回数を重ねる事は容易ではありませんでした。反対にヘルパー職を退いた後は、時間はあってもお金がなくてニュースを再々出せる状況ではありませんでした。

 結局4年間で5回の“市民かわら版”を出せたに過ぎませんでした。けれども殆どの議員が4年間議員報酬をもらっていながら、ただの一住民である私にも劣る議会報告発行数であったことは、驚きとともに大いなる疑問です。一方4年の長きに渡り私を忘れないでいて下さった、その要因が細々出し続けていた「なんぶニュース」にあったと多くの人たちが語ってくださることには、うれしさと感謝を禁じえませんでした。

 さて、私が市民として出したのは「なんぶニュース99号」が最後です。今回4月の選挙で私はトップ当選を果たしましたので、続くニュースは当然「100号」となるはずでした。しかし、ニュースを出さない議員たちを批判していた私が、恥ずかしい事に5月、6月議会もお知らせすることなく、ズルズルと時をやり過ごしてきてしまいました。“当選ありがとう号”の「100号」を今更皆さんにお届けできるわけがありません。(当選直後、一部の皆さんには「100号の一歩手前号」をお届け致しておりますが)

 そこで、少しでも遅れを取戻し実質的な議会活動報告をお届けするため、このたびの「なんぶニュース101号」を先行することに致しました。「100号」は百という節目の号として少し時間をいただきながら、皆さんからのご意見やご感想も盛り込んだ「記念号」にしたいと考えています。どうか何なりとお気づきの点をお寄せいただきますようお願いいたします。(言い訳しながら、お願いもちゃっかりしているような気もしますが・・・)

 


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役場の職員を誉めてくださると、私もうれしくなります

(2005年8月23日 火曜日 晴)

 役場に対する要望・苦情の8月中ごろまで分を情報公開で入手しました。住民の方々の生の声を知ることは議員のイロハと、もう10年以上求め続けていますが、その大半は残念ながらお叱りや不満の念を述べておられるものが殆どです。しかし、今回は職員を大変誉めて下さっている文書が「私の声」の箱に投書されていました。

 少々誉めすぎかしらと思うほどですが、よほど感謝の気持ちをもたれたのでしょうか、次のような言葉を民生部の職員に下さっています。「人と人とのつながりを大切にされている島本町の役場の方は、島本町民の宝のようです」と。この方のご家庭の事情は皆さんにお伝えする事ではありませんが、分らない事ばかりで困った時に職員が、親身に相談に乗りいろいろ調べてくれてありがたかったことを書いておられます。

 私はここまでは仕事の範疇だと思いますが、次に職員達はこの方とその家族に「分らない事があれば聞いてきてくださいね」「また遊びに来てくださいね」等の”声掛け”をしているのです。私はこのような言葉で転出を見送ってあげた職員に対し本当に感心し、その場を想像すると私までも心暖かな気持ちになりました。窓口業務の接客はこうでなくちゃね!

 


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やれやれ、やっとニュースの原稿を印刷屋さんへ出しました

(2005年8月24日 水曜日 雨)

 印刷屋さんを玄関に待たせて、大急ぎで出した「なんぶニュース101号」の原稿です。読み返して校正したつもりが、慌てているととんでもない間違いを見落としています。また確信犯で間違っている誤字脱字もあり、恥ずかしいいことこの上もありません。後日、わざわざ一文字ずつ指摘のお便りを下さった方もありました。「あんまりやー」と注意を促してくださったものと、本当に感謝しております。しっかり読んでくださっている証とありがたく思う反面、申し訳ない思いでいっぱいです。

 さて記事自体は、何よりも分りやすく簡単に内容を知っていただく為に、できるだけ1つの記事のボリュームを小さくしています。つまり一口サイズで”召し上がっていただくように心がけました。

 選挙の前に開いたミニ集会で、珍しく若いご夫妻が参加されたのですが「長い記事だと読む気がしない。ちょっとずつに分けて欲しい」「今まで読まずに捨てていたのも多いです」と私にとってはショックな、けれど正直な発言がありました。確かに、我が家の子どもたちも他の議員のニュースを途中で「悪いけど、読むのんしんどいわ」と投げ出していることがあります。

 また、今回からは文字を少し大きくしたりもしましたが、どうでしょうか。まあいずれにしても狭い紙面の中でやりくりできる事は限られていますので、やっぱり後は記事の鮮度や中身の濃さで“勝負”でしょうか。私がとりあえずお願いしていることは「見出しだけでも目を通して見てください。大体それで分りますよ」です。だから見出しの言葉には、これでも気を使っています。「なんぶニュース、とにかく読んで!分りやすくて面白いよ、そしてちょっとはお役にも立ちますよ」と心の中では目一杯叫んでいますが・・・。

 


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藤原議員も議会活動報告を出しました

(2005年8月25日 木曜日 曇)

 オオッ!私の悪戦苦闘を尻目に一足お先で、藤原靖彦議員のニュースが出たではありませんか。「緑のハーモニー」との素敵な名前をつけた新聞ですが、名前に似合わず中身はお堅いです。全て議会であったことの報告ばかりで、藤原さんがどんな人なのかは紙面からはうかがえません。しかし、まあこれはこれで”正統派”の議員活動報告といえるでしょうか。

 ただ「2005年8月号」と銘打っていますが、多分これが今期初めての新聞のはずです。○月号と言うからには、これから毎月或は隔月ぐらいで出されるのかしら?もし、そうなら強力なライバルになっちゃいますね。私も頑張らなくちゃ!

 いずれにしても藤原議員のニュース発行おめでとうございます。隅から隅まで、しっかりと読ませてもらいました。でも正直言うと「ごめん、悪いけど読むのんしんどいわ」と我が家の息子と同じ台詞をつぶやきながらですが。

 夕方、無理を言って刷り上ったばかりの「なんぶニュース」を、私の居住マンション分だけ搬入してもらいました。早速できたてホヤホヤのニュースをメゾン水無瀬に配布しました。

 


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前代未聞!第二小学校新校舎新築工事の入札は無効

(2005年8月26日 金曜日 晴)

 議員全員協議会が開かれ、二小工事の入札は無効との理事者の説明がありました。8月11日の日記にも書きましたが、工事の入札前に新聞社経由で談合情報が寄せられていました。町は直ちに公正取引委員会に連絡を入れ、入札日には入札執行前に談合対応マニュアルに沿って事情聴取を行い、誓約書、工事費の内訳明細書提出を応札者に求めています(8共同事業体のうち3共同事業体は入札を辞退しました)。その後問題なしと認め、5共同事業体による入札が行われ落札者事業体が決定し公表もされました。

 町は入札日の翌日にも応札者全員に対し更なる事情聴取を行いました。例えもし談合していたとしても、業者が「した」なんて答えるはずはないのですから、形式的なものと言わざるを得ません。しかしこの後、事態は混乱していきます。

 この日の夕方、辞退業者と思われる1社が文書持参で総務部長と都市環境部長に会っています。業者は「談合があった」と伝え「指名JV(共同企業体)の構成員からの内部告発であり、その重みを理解してもらいたい」と述べています。さらには、入札当日の朝に町職員に「談合あり」との情報提供をしたとも言っています。(何故か?この文書に町長・助役の決裁印がありません。真偽の程はともかくとして、知らなかったで済まされない書類なのに・・・)

 誰が真実を語っているのかはわかりませんが、少なくとも当日の入札執行は見送リ、更なる調査を重ねるべきでした。私の問いかけに対し理事者の答えは「(このような)経験がなかったので」と返すにとどまりました。さらに「(入札)事後の聴取は信憑性が余りないと考える」とも答えています。

 「談合」は犯罪です。町が今回入札を無効にするのなら「談合あり」と判断したわけですから、警察に届出て徹底的に調べ真実を明らかにするべきだと思います。しかし、なんとなんと!町は「談合云々で無効にするのではない」と言いました。「第二小学校新校舎の設計変更に伴う入札無効だ」と、むちゃくちゃな理由をこじつけました。

 その結果、9月議会に予定されていた工事の請負契約締結を求める議案の上程は12月議会に延ばされ、工事の大幅な遅れが生じることは必至で、来年2学期からの新校舎使用は実現不可となりました。発言した全ての議員が温度差はあるものの、今回の町の談合に対する判断が及ぼす子供たちへの影響を心配しました。工事の騒音や振動や粉塵や、日々の不自由さに耐える子どもたちに更なる辛抱を強いる事になります。

 さてやり直しの入札をどのように行うのか、これもまた大きな課題です。町は指名業者登録をしている業者に限り参加できる制限付き一般競争入札の方法を取ると言いました。確かに今回のように登録業者から数社を指名して入札させる指名競争入札よりは、公平性・競争性は高められるはずです。しかしこれは当然、今回応札した談合ありやなしやの業者もすべて含まれることになります。

 私は今回の入札こそは、事務の大変さはあることを重々承知の上で、一切の制約を設けない一般競争入札をやってみるべきだと思うのです。それが住民不信を招き、何の罪もない児童たちに不自由さを強いることへの罪滅ぼしになるのではないですか?!それがダメなら今回の入札に参加した、辞退業者も含めた全ての業者をはずした指名競争入札で行くべきだと思います。

 島本町の入札制度のあり方が問われているのです。さらには島本町長の意思決定のあり方が問われているのです。業者からは、はっきり言って甘く見られているのです。理事者は襟を糾して毅然たる態度「談合は許さない、例え疑いであっても許さない!」を内外に示すべきです。

 


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新たな森づくりを始めよう・・・シンポジウムに参加

(2005年8月27日 土曜日 晴)

 住民ホールはほぼ満員でした。(600人くらいの参加者でしょうか)団体や組織の動員も掛かったと思いますが、やはり島本や大山崎には森や里山を良くしたいと思う人びとが多い証でしょうね。午後から開かれた天王山周辺森林整備推進シンポジウムに参加しました。

 今年3月に大阪・京都の府域を越えた地域住民、企業(サントリー)、島本・大山崎町による共同と連帯の森づくりを目指して天王山周辺森林整備推進協議会ができました。協議会は7月に天王山周辺森林整備構想も出しています。

 様々な社会的要因が重なり、日本の里山が見向きもされなくなって40年たちました。天王山においても手入れの行き届いた一部を除いて、竹が繁茂し森は荒れています。しかしやっと昨今、里山が再び注目を集めるようになってきたと、基調講演を行った京都大学地球環境学の柴田助教授は言います。柴田さんは、ややもすると悪者扱いされる竹について、もっと見直してみようと提唱しました。

 私は竹について何も知らないのですが、空気までうす緑に染まるかのような竹林の清々しさと、竹を渡る風の音は大好きです。ドイツ人の友人は以前私が訪れた時、自宅の庭で竹をメインにしたガーデニングを計画していると話してくれました。ヨーロッパでは竹の人気は高いと言っていました。あまりにも身近で,それ故何時しか蔑ろにしてきた竹をうまく利用していく事も、天王山の整備を考える時には欠かせないポイントだと、柴田助教授は伝えていました。

 また世界的にも地球温暖化防止の観点から竹林の効用が見直され、竹林が持つネット効果は防災力に優れているとの話もありました。いずれにしても竹林を含む里山の適切な維持管理があってこその効用ですから、ここからが私たちひとり一人が森づくりにどう係っていくのかが問われてくるのでしょう。その拠りどころとして今回立ち上げられた協議会の存在は大変意義深いものであると思いました。

 山に入って私に何が出来るのかと自問自答してみますが、なーんにも役に立ちそうもなく、せいぜいおにぎりを届けるぐらいならできそうかなと思います。いつか御用の際にはお申し付けくださいね。さて、島本町が本整備計画に関し行政として果たす役割はとてもたくさんあると思います。私も計画や予算の一つひとつについて、これからも“森づくり”の精神を大切にした議員チェックを怠りなくやっていきたいと思います。

 


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辻元清美さんのミニ集会に参加しました

(2005年8月28日 日曜日 晴)

 山崎地区の新しい住宅地で友人が自宅を開放し、辻元さんを囲んで話しを聞く集いを計画してくれました。参加者は定年退職後数年を経た方もいましたが、多くは小さな子どもを育てている若い人たちでした。皆さん子どもを連れて一家で参加というのは、とてもよい事だしとても大事な事だと思いました。

 本当の辻元さんのよさを解かってもらう為には、彼女の言葉に直接触れてもらうのが一番だと思っていますから、本日の盛況は私もうれしかったです。辻元さんはまさに「へこたれへん。」の印象を参加者に強く印象付けて、さらにもう一歩、政治への関心の導火線に火をつけてくれたように思います。ちなみに、辻元さんの著書「へこたれん。」は、今日の夕方町内書店で2回目のサイン会を兼ねた発売が予定されていましたが、卑怯な妨害が入り中止せざるを得なくなりました。

 夕方、なんぶニュースの青葉ハイツ配布を終えて帰る途中に、見知らぬ男性から声を掛けていただきました。「南部さんですか?ホームページ(8月20日の日記)見ました。『かぐや姫の夕べ』のことを誉めてもらってありがとうございます」とお礼を言われました。私も毎年楽しみにしている事をお伝えしました。

 


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住民福祉審議会を傍聴しました

(2005年8月29日 月曜日 晴)

 今日は審議会の中の部会の傍聴です。第3期保健福祉計画及び介護事業計画策定部会と言う長い名称の会議です。いずれの計画も今年度中に策定しなければなりません。途中に改訂や見直しを行うものの、おおむね10年先を見越した計画になります。10年先は団塊の世代が65歳に到達する同時期にあたり、社会的経済的に新しい枠組みの中で活動してきた“新しき高齢者”の出現を、計画がどのように受け止めることができるか怖いような気もします。

 しかも団塊世代の高齢者は、従来の「与えられる福祉サービス」には納まりきれないパワーのあるサービスを自ら求め作り出していくとも考えられます。サービス提供主体としての町が彼らの要求に応えられる技量と予算をどのように駆使していけるのか、考えるとこれもまた怖いような気がします。勿論、今目の前にいる高齢者へのサービスは、待ったなしです。

 町として全力を尽くす事は言うまでもありません。しかし、一方10年・20年先を見越したこの町の福祉のあるべき姿を捉えておく事も、非常に重要です。それはひとり一人が自らの“老の設計書”を描くに際し、なくてはならない柱の一つだからです。上手く言えませんが、審議会を傍聴していて何となく物足りなく思うのは、委員方の論議に、そのあたりの視点が明らかにされない事へのもどかしさを感じるからかもしれません。「これはなんですか」的な質疑で終始する審議会なら、ちょっと寂しいし心配でもあります。

 


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衆議院選挙が始まりました

(2005年8月30日 火曜日 晴)

 私は辻元清美さんを応援します。今回、辻元さんは社民党からの立候補です。また秘書給与詐欺事件の執行猶予中でもあります。ほかにも応援しない人の理由はあるかもしれませんが、これら諸々を勘案しても尚、私は辻元さんの政治家としての優れた資質を埋もれさせるわけにはいかないと思いました。貸し借り無しの私の自発的な応援です。私ができる事をこの島本町で、駒のひとつになり選対の言う通りにやると決めました。

 私が町議会議員を何年やっているとか、町長選に出たとか、トップ当選をしたとか、そんな事は関係なく、ひたすら辻元さんの選挙運動が上手くいきますように小選挙区での当選が叶いますようにと、そのためには惜しみない力を発揮したいと思っています。

 ただ、町議会の日程と選挙日程がぴたりと重なってしまい、「困ったなー」とカレンダーを見て嘆いています。議会の合間を縫っての応援にならざるを得ません。また今回の辻元選挙には、私の仲間であるHさんもSさんも係らないと聞いていますが、本当に残念です。

 出発式は土井たか子さん、佐高信さんが応援に駆けつけてきました。たくさんの人が集まり応援の気持ちを一つにした良いスタートでした。しかし辻元さん本人にとっては、非常に過酷な12日間の始まりです。暑さも大敵ですが、何とか元気に乗り切って欲しいと私は祈る気持ちでした。

 


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まだまだ暑いですが、夏は終わりです

(2005年8月31日 水曜日 晴)

 8月も今日でおしまいです。明日からは9月議会が始まります。猛暑のせいもあり季節は秋の気配を微塵も見せず、夏バテだけが正直に体にジンワリと現れてきています。辻元さんの選挙も気がかりですし、何時もながら議会の準備もせっぱつまった崖っぷちで、頭の中はもうグルグルと混乱状態に陥っています。

 「なんぶニュース」の配布も、選挙が始まったので一時中断です。私のニュースも政治活動にかかわる文書であり、記事中には「辻元」さんの文字が何ヶ所かあるため用心に用心をしておきます。辻元さんは執行猶予中です。どんな些細な事でも公職選挙法上、グレーゾーンには絶対に一歩たりとも踏み込む事は避けなければなりません。市民の目も他陣営の目も、通常よりは何倍も厳しい事を支援者は心しておかなくてはいけません。

 今日は役場に行っている場合ではないのですが、やっぱり出かけました。先ずは水道庁舎へ行き情報の公開を受けます。その後本庁に寄って、生活環境課と庶務課の情報も閲覧します。明日の本会議には必要ない情報ですが、委員会審査時には役に立つはずです。

 さて、夕食後はエンジン全開で議案書と向き合います。しかし、今回もまた夜が更けると「ケセラセラ・・・なるようになる」の気持ちがムクムクと湧いてきそうで怖いです。(でも本当に何時も議場では、それなりに「なんとかなっちゃう」力が湧いてきてしまうので、これまた怖いことです)

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