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建設水道常任委員会は私の出番です

(2005年7月1日 金曜日 雨)

 予定の質問数を切って切って少なくしたつもりなのに、すっごくたくさんの資料を持っていく羽目になりました。おまけに雨が降っていて、ヒイヒイ言いながら役場に到着です。委員会は理事者と至近距離に机がセットされているので、なんだか緊張してしまいます。私は町長の真向かいの席です。フーッ!深呼吸して私にとって4年ぶりの常任委員会が始まりました。建設水道常任委員会委員は私南部と富永議員、原野議員、実沢議員そして委員長の菅議員です。

 私は個別の質疑に入る前に、今委員会審査に臨む留意点を挙げました。先ず予算全体に「もったいない精神」が生かされているか、「入るを図って出を制す」の視点が定まっているかをみること。そして2番目に何故この事業が必要か、中身の精査は十分か。3番目に不要不急の事業ではないか。4番目に費用対効果は確かか、説明責任は果たせるか。5番目に将来に渡って求められる事業か。6番目に特定の圧力に屈した予算ではないか、またばら撒き予算ではないかとのチェックを心掛けます。

 私は委員会の前に、今回補正予算に計上された道路や水路等の工事箇所全てを見てきましたが、補修の必要性がさして認められないものが多いと思いました。また清掃工場の補修費は年間1億円近いお金をつぎ込んでいますが、イタチごっこの感があります。なんせ私たちは焼却炉の中を確かめる事が出来ません。後刻原野議員が質問の中で、NPO等のチェックをかける機関が必要と、参考になる提起をしていました。本当に第三者機関の導入ができればいいのにと、私も思いました。また尺代の緊急避難道路計画は再考を求めました。災害に備えるとの言い分で3億円近い巨額を費やすよりも、もっと尺代の人びとの日常に根ざした福祉的な事業にお金を使った方がいいと思います。

 今JR新駅事業において、近隣住民から騒音・振動等の問題で非常な心配が巻き起こっています。町はあくまでも住民の立場にたってJR西日本にもの申していくべきと要望しました。(この問題については、別途またお伝えします)

 採決は私と富永議員が反対、実沢議員が賛成そして原野議員が保留で退席し、委員会としては反対の結果となりました。

 


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委員会が終わって、ノンビリお菓子作りの土曜日です

(2005年7月2日 土曜日 雨のち曇)

 自己採点がなかなか難しい建設水道常任委員会でした。ああ言えばよかった、もう少し突っ込めばよかった、あれもこれも抜けていた・・・今日になっても反省点は山ほど出てきますが、終わったことにクヨクヨしても仕方が無いです。再スタートにしては、まあまあの出来でしょうか。と言うことにして、気分転換に久しぶりのお菓子作りです。ナッツ類がいろいろあるので、スパイスも種々合わせてパウンドケーキ仕立てにします。

 子どもがまだ手づくりのケーキを喜んでいた頃は、本当にいろんなお菓子に挑戦していました。イチゴのショートケーキ、シュークリーム、ザッハトルテやレモンスフレが得意でした。今は綺麗なお菓子より、見た目は地味でもナッツや干したフルーツやハーブを焼きこんだ深い味わいのあるケーキが好きになりました。しばらくするとオーブンからいい香り漂って、それだけで幸せな気分になります。

 福岡に出張していた長男が、勤務先の名張に帰る途中立ち寄りました。明太子の代わりに本を一冊「お土産」とくれました。「ジュエリーの歩み100年〜近代日本の装身具」という本です。明治、大正、昭和の百年間に作られた日本のジュエリーが実に豊かな造形表現をもっていたことが、私のような宝飾に縁の無い者にもよくわかる内容です。社会的な背景や時代様式を色濃く映した一点一点に思わず見入ってしまいました。 

 それにしてもジュエリーの本とは、なんで、あんたが?とちょっとつっこみを入れたい気もしました。長男は時々変わったおもしろい本、そう今日私が焼いたケーキのように、地味だけれど隠し味のスパイスが効いた”美味しい本”を選んできます。雨とお菓子と本と・・・またとない休息の仲間たちが揃って、幸せの午後を過ごしました。

 


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町内一斉清掃に参加しました

(2005年7月3日 日曜日 曇)

 町内4小学校区に分けての同時清掃です。私は四小校区なので、水無瀬駅前に7時集合です。今朝は雨が心配でしたが、曇りで絶好のお掃除日和になりました。いつもは暑さとの戦いで、しんどくて参っていました。関係団体から出てくださっている方々が殆どでしょうか、たくさんの人が集まっていました。第一中学校の生徒さんも多数、校長先生たちと共に参加してくれています。島本町生活環境美化推進連絡会の皆さんが本日のお世話役として頑張ってくださっています。

 今日は川口町長のお掃除姿を撮影する為か、ケーブルテレビも入っています。首にタオルを巻きつけティーシャツに作業ズボンの、何処のおっちやん?と呼びたい町長が挨拶して、掃除開始です。助役も来ていましたが、清掃に励むような格好ではなかったので、町長の”お目付け役”かな?いずれにしても、役場のトップ達が参加し住民と共に行動するのはいいことです。約1時間、私も一生懸命、楠公道路の街路樹周りの草を引きゴミを掻き出しました。お茶缶とタオルをもらって解散です。暑さ対策にはお茶の配布は有効かもしれませんが、タオルにお金を使うのはもったいないです。これからは止めたほうがいいと思いますがどうでしょうか?

 午後からは、あさってに迫った一般質問の通告書(質問の内容を予め提出しておく)の中身を、あれこれ考えます。一般質問は町政全般に係わる事柄が対象ですが、前半の本会議や委員会で出た内容はしない、ましてや自分の所管に係わる事項は出来ないような縛りがあります。私の質問の”宝箱”は、情報公開制度を使い請求している役場の文書類です。出来るだけ予想や予測で質問を組み立てるのではなく、地に足が付いた質問をしたいと思っていますから、日々の情報集めが欠かせません。

 


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お金を掛けないサービスはいくらでもあるよ

(2005年7月4日 月曜日 晴)

 今日はいろんなことを済まさなければならないので9時過ぎには役場に到着。役場で一番先に出会うのは玄関前の警備員さんです。お互い元気よく「おはようございます」「ムシムシしますね」「ご苦労様です」と一言二言挨拶を交わします。中に入るとフロアパーソンさんが笑顔で何時もきちんと「おはようございます」と挨拶してくれます。お茶を買いに寄った売店の方とも、元気の良い朝の挨拶をします。

 息子に印鑑証明のカードを作ってきてと頼まれたので住民課へ行きます。発行手続き用紙の選択に迷っていると、フロアパーソンさんが察してやってきてくれました。窓口の職員はそれぞれにお客さんへの対応をしていますから、私が待つのは当然です。私の後にも一人、二人と待つ人ができました。順番どうりに受付てくれていますので、別にトラブルはありません。けれどなんだか変!職員は自分が受け付けたお客さんのみしか見ていないし、言葉も発していないのです。目と鼻の先にいる別のお客にはまったく注意を払いません。

 笑顔で「申し訳ございません。今しばらくお待ちください」(もっと簡易な言い方だってかまわないです)ぐらいのことが言えないかなあ?そして待っていたお客の順番がきて、応対する最初の第一声が何故「お待たせいたしました」じゃないのかしらねー?島本町で最大のサービス産業は役場だよー!と私は思わず言いそうになりました。とんでもない接客をしているわけでは勿論ないけれど、なんか足りないのです。お客さんをより満足させようとする、あと一歩のサービスに気付いていないんじゃないかしら、また、気付かせる上司の指導や職員の研修もあってないがごとしなのではないでしょうか?

 物理的なサービスはおおむねお金の支出がともないます。住民の皆さんに我慢をしていただかなくてはならないことも多々あります。でも笑顔や挨拶は職員誰でもが、いつでもどなたにでもお金を掛けずに提供できる素晴らしいサービスなのです。勿論数は少ないけれど、感心する接客をしている職員もいることは私も認識してはいますが。「いらっしゃいませ」「おはようございます」「こんにちは」「どうぞおかけください」「はい、これで結構です」「大丈夫です。ご安心ください」「恐れ入ります。ご訂正をお願いいたします」「いつでもお問合せください」等々、これらの言葉のいくつを使っているか、一度自己チェックを試みてもいいのではないかしら。そして最後に「ありがとうございました」を忘れずに。この言葉を使っている職員に、私はいつも共感と感謝を覚えています。

 


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「駅前行政サービスコーナー事業」町自ら取り下げ

(2005年7月5日 火曜日 曇時々雨)

 前代未聞の出来事です。川口町長は施政方針の目玉事業である駅前行政サービスコーナーを今回の補正予算から削除するらしいです。先の総務文教常任委員会では厳しい意見がありましたが、すでに可決の結果が出ています。そして6日後の本会議では、委員会の意思を踏まえて補正予算の最終決定がされるというこの期に及んで、なんで?と思いました。

 この件で会派ごとに説明をさせてもらいたいと、町長側の申出がありました。町長、助役、町長公室長、総務部長がそれぞれ短く挨拶、説明を行いました。ようするに、サービスコーナーの予算272万円(人件費除く)を全部カットする修正議案を提出しますので、よろしくということです。理由は「議会でのこれまでの議論を十分に踏まえて、再度議会との十分な協議を行い、更なる精査をする」また「他団体の調査も行う」中身の再検討は「ファックス、コンピューターを設置し、その場で印鑑証明の発行も可能とする。業務時間、休業日の再検討。インフォメーション機能も備える」とのことです。(「  」の文言は理事者の言葉をメモし、そのまま記しています)

 私は過日の日記でも書きましたが、お互いもっと頭を冷やした方がいいと思っていました。町長側には公約の実現を焦った故の精査の粗さがありますし、反対している山吹民主クラブや公明党側には町長選挙での確執がありありで、一体住民にとってどんな中身がいいのかは見えてこない論議が重ねられてきました。

 なんか町のかっこ悪さが浮き彫りになったようですし、町長は早くも足元見られちゃった感があります。しかし考えようによっては反対される前に素直に精査不足を認め修正を図る、これって案外先手をうった賢いやり方かもしれません。「ごめんなさい」と開き直られれば、それ以上の責めはやりにくいものです。私は今までの町当局と議会との関係が変わる気配を少し感じています。これまでは♪一度決めた〜ら、二度とは〜変えぬ、これが男の生きーる道〜♪のごとく、町自からの修正なんて絶対ありえませんでした。またごり押しが可能な与党の一枚岩体制が町長を支えていました。今までに比べれば、かっこ悪くてもまだましやん!というのが私の感想でーす。

 お昼からの議会運営委員会はこの件ですったもんだして、思わぬ時間がかかりました。私はエジプトへ出発する夫の夕食に、しばらくご無沙汰になる純和風の食事を作ろうと思っていたので、ヤキモキして会議の終了を待ちました。

 


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都市計画審議会の説明を受けておく

(2005年7月6日 水曜日 晴)

 10時から企画課職員に都市計画審議会の案件等について説明を受けます。前回議員の時、随分前ですが一度委員になったことがあります。その後議員でなくなってからも当審議会の傍聴は欠かさず続けてきましたが、所詮は聞く側、中身はあんまり身についていなかったみたい。

 そこで、今回議会からの推薦委員として8日の審議会に臨むのですが、前もって届いた資料の中身の理解に少々自信がもてません。そこで担当課に説明をお願いしましたら、若い職員さんは「いいですよ」と気軽に受けてくれました。一応上司に伺いを立ててからと言うのが今までは多かったのですが、新町長の方針からかこの辺の風通しは随分よくなったように感じます。私も”エライ人”が出てきて1対1の説明はしんどいので、ホッとしました。

 一応は過去の資料に目を通してきましたが、多分私の的外れな質問もあったと思います。職員は仕事として専門にやっているのですから、よく知っていて当然ですが、相手に理解をしてもらう技量にはイマイチという場合は数多くありました。しかし今日は「ほおーっ!」と感心しました。約1時間丁寧でわかりやすい説明を受け、感謝です。午後からは後半議会の一般質問に係わる調べものをして、今日も役場で一日が暮れました。

 昨日締め切りの一般質問通告者は次の通りです。(通告をしておかないと質問できません)

 議長を除く15名のうち6名しか質問者がいないのは残念です。今任期初めての一般質問です。全員が行なうくらいの気概を見せなければ、新町長にグチャグチャ文句言うてるだけと、住民の皆さんにも役場の職員にもとられてしまいます。特に新人議員が冨永議員と杉本議員だけなのは、さびしいかぎりです。

本会議日程・・・7月11日(月曜日)〜12日(火曜日)10時から 役場3階議場

<一般質問>

*冨永議員・・島本町立大沢キャンプ場について問う

*河野議員・・

1.新町長に対し、改めてタケノコ山枯れ対策を問う

2.町内自営業の女性や女性起業家の実態調査と地位向上を

*杉本議員・・

1.若者の就業支援等について

2.「島本町生活環境美化に関する条例」について

*南部  ・・

1.収入役の廃止について

2.若山台団地調整池等移管に係わる問題について

3.固定資産税の過剰徴収について

4.住民基本台帳の閲覧に関する要綱について

*藤原議員・・島本町住民ホール整備計画について

*平野議員・・

1.4月17日執行島本町議会議員選挙における開票事務について

2.島本町において精神障害者の通院医療費公費負担制度の継続を

3.国勢調査について

 私の質問の通告内容は明日の日記に掲載しますので、見てくださいね。


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4年ぶりの一般質問、鋭く迫れるかしら?

(2005年7月7日 木曜日 晴)

 5日に提出した私の一般質問の概要をお知らせします。本番では質問の中身は変わりませんが、表現方法を変えたり少し肉付けをしたりして発言します。登壇しての1回目は原稿を読むわけですから、答えるほうもそれなりの原稿を読み上げるだけです。ですから2回目、3回目の再質問が”勝負”です。うまく答えを引き出し、時には責める、そんな自由自在の質問の展開が出来ればいいなと努力しながらも、大体が未消化で時間切れで終わってしまう事が多いです。

 さて、久しぶりの一般質問、うまく行ってよねと願いつつ、来週11日と12日を迎えます。(多分私の質問は12日になるでしょう)どうぞ傍聴にお越しください。

 一   般   質   問

南部 由美子

2005年7月5日

1 収入役の廃止について

 地方自治法第168条第2項ただし書によると、町村は条例制定により収入役を置かないことが出来るとされています。また総務省も地方自治体の行財政改革の一環として市町村の収入役を廃止する方針を提示しています。財政難による人件費削減、IT化に伴う出納事務の効率化、行政のスリム化等により収入役の廃止は当町としても可能だと思いますが、町長及び収入役の見解を示してください。現収入役の任期は後3年余ありますが、この間に廃止論議をタブー視することなく十分な検討をすべきと考えますがいかがでしょうか。

2 若山台団地調整池等移管に係わる問題について

 都市再生機構による若山台地区住宅用地分譲が計画されていますが、その経緯、内容を示してください。また当町の街づくりの観点から本開発にどのような見解を持っていますか。当該地は、町にとっても有効性のある土地でしたが、なぜ移管を受けることを断念したのでしょうか。

 調整池、保全緑地の移管については慎重に進めるべきとの請願も出しましたが、現在の進捗状況はどうなっていますか。移管に伴うメリット、デメリットは何でしょうか。

 また移管後の土地利用の計画を示してください。保全緑地の一部を民間事業者が占有しています。現在は都市再生機構の所有地ですが、町への移管時には、問題が生じる事にはならないでしょうか。

3 固定資産税の過剰徴収について

 島町自第957号「町税の徴収問題についてのお尋ね(質問)」および島町人第1‐28号「同(回答)」の内容について示してください。尚回答ははなはだ不備であると思いますが、なぜですか。

 何故このような事態に到ったのか、説明と今後の具体的な事務改善策を示してください。住民への周知はどうしますか。

4 住民基本台帳の閲覧に関する要綱について

 要領から要綱の策定に一歩前進ですが、条例制定はいつですか。担当課や助役の意見が付されていますが自ら「不十分な要綱」だと述べています。何処が不十分なのでしょうか。

 閲覧手数料はどのようにかわりましたか。

以  上


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都市計画審議会(都計審)に出席しました

(2005年7月8日 金曜日 晴)

 議会から出ている委員は伊集院、河野、杉本、平井議員そして南部の5名です。都計審だけでなく議会推薦で選出され委員になっている審議会等はほかにもありますが、法の定めがあるとはいえ、議員が議会以外の場で町に係わる重要事項を決定する立場にいるのは、おかしいと思っています。でも現状は出ているわけですから、それなら精一杯役目を果たすべく発言させてもらいました。

 本日の主な案件は、昨年から準備を進めてきた「線引き見直し」について町都計審として最終の意思を町長に伝える事です。「線引き見直し」とは市街化調整区域から市街化区域への編入の事で(逆もあります)、今回の見直しは桜井地区(4、5丁目と新駅西側の農地は除く)、高浜地区(中央部の農地は除く)にて行われます。もちろん各自治会単位、役員会等で町からの説明が行われました。

 本日の資料にも説明会の要点録が提出されていましたが「今さら市街化区域への編入は望まない」との意見が多く出されています。理由は「新たな税(都市計画税)が掛かる」「公共下水道敷設のためだけの線引き見直しは受け入れられない」「既に合併浄化槽を設置している」「下水道が整備されるといっても何時になるのか解からない」「次の見直しの5年先でよい」等々が述べられています。もとより「線引き見直し」は都市基盤の整備と言う大義名分があるわけですが、島本町の姿勢は兎にも角にも公共下水道を入れることのみを主張しているため、住民の皆さんから疑問の声があがっているのではないかと思います。

 私が重要だと思ったのは、自治会が独自でとった住民アンケートでは明らかに反対が上回っていたにも係わらず、町がその後住民理解を得る為の努力をしていないと言う事と本都計審にその事実を資料として提供していない点です。私は委員として大いなる疑義を感じました。従って明らかに「反対」の意思が多い地区については、今回の「線引き見直し」はしないほうがよいと、私は意見を述べて反対しました。しかし私と河野委員以外は賛成でしたので、計画案は島本町の意思として8月1日の大阪府の都市計画審議会に送られ、今秋決定の告示がされます。

 後、用途地域の指定等の案件がありましたが、上記線引きに係わる内容が殆どであり、いずれも賛意を表す事が出来ませんでした。

 私は傍聴している時から当都計審の会長は大変素晴らしい方だと思っていました。議事進行の巧みさや少数意見者への対応もさることながら、前回から「景観緑三法にかかわる島本町の方針」についての投げかけ等も行ってくださっています。シンポジュウムの開催にも協力を申出られています。「都計審の委員方、勉強しませんか」とお誘いをくださっているようで、私は大いに共感しています。賛同の発言をしそうになりましたが、周りの委員方の雰囲気や、何よりも行政の無関心さを感じてしまい(普通なら会長の発言に、職員は何らかの反応を示して当然なのですが)私としたことが、自己規制をしてしまいました。この事では反省を込めて未だにグジグジ思っています。


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便りの無いのは良い便り

(2005年7月9日 土曜日 曇時々雨)

 夫がエジプト旅行(といっても2週間だから小旅行)へ出かけて5日経ちますが、電話も無く次男が「大丈夫かな」と心配しています。世界中の何処でどんな事故が起こっても珍しくない状況下にあるのだから、遭遇すれば万が悪かったと思わなきゃしょうがないよと私は思っています。でもまあ、そんな事故事件ならニュースにはなるから知ることは出来ます。だから便りの無いのは良い便りなのです。

 ただ、もう2度は行かない(行けない)所だろうから、体調よく楽しんで過ごしていればいいのになとは思います。旅程表を見ると本日はアブシンベル神殿、アスワンです。やっぱりちょっとうらやましいな。次男がぽつりと言いました。「お父さん9月には、トルコへ行くつもりやで」ヒェーッ!いいです、いいです。ドンドン遊びに出て行って、人生元気に過ごさなくちゃ!シーズンを外せば驚くほど安いツアーが一杯ありますし、もともと贅沢できない世代だし、旅の出費は今まで働いたご褒美と、老後に向う自分自身への純粋な投資と思えば安いものではないでしょうか。

 私は議会を控えているので、家事に手抜き(いつもより一層の)が出来て、ちょっとラッキーと喜んでいます。でもその割りには仕事がはかどらないので不思議です。

 


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明日の議会に備えて今日は一日缶詰状態です

(2005年7月10日 日曜日 曇)

 6月21日から始まった6月議会も明日、あさってで閉会です。4月中旬川口新町長誕生で役場には激震が走り、同時に議会には“あの南部”がトップ当選で帰ってきた。いやーな気分の議員も職員も少なからずいたのではないでしょうか。しかし様々な場面でギクシャクを生じつつも、役場や議会が機能不全に陥ることなく、従って住民の皆さんに多大な迷惑を掛けるような事態には到らず3ヶ月が経ちました。

 これは裏を返せば、川口町長が(いまのところ?)突出したリーダーシップを発揮する首長ではないことと、前職村田町長を押した議員達の“徹底抗戦”しない弱さ(賢明さ?)が、はからずも効を奏していると言えます。そしてこの力関係を冷静にバランスをとりながら、現実的には乾助役らが上手に交通整理をしながら、大きなトラブルに発展せぬよう町政を進めていっている・・・この構図ってそんなに的外れでは無いと私は思っています。

 さて、こんな状況の中で、水無瀬駅前の行政サービスコーナー事業の取り下げ修正案が、明日の補正予算採決の前に理事者から出されます。私は不備な行政サービスコーナーの事業予算は、もう一度頭を冷やしたほうが良い、それには面子なんかに拘るな、「ごめんなさい」の先手必勝で取り下げたほうがいいと、7月5日の日記にも書きました。従って修正案には賛成します。この他にも、共産党からJR新駅事業費の4億4千50万円の計上をするなどの動議が出される予定です。しっかりと結論を出す為にも、今一度様々な記録を読み直してみます。

 明日の議会は普通なら10時前に行けばよいのですが、本修正案の取り扱いについて前もって議会運営委員会で話し合わなくてはなりません。従って委員である私は9時に家を出ることになります。保育サポートを終えて直ぐに出かけられるよう、準備をしておきましょう。

 


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川口町長の施政方針に基づく補正予算は可決しました

(2005年7月11日 月曜日 雨のち曇)

 議会開会に先立って議会運営委員会が開かれました。理事者提出の駅前行政サービスコーナー取り下げの修正案の取り扱いについて、各会派の意見を出し合いました。総務文教常任委員会で、本事業を含んだ予算が可決している事から話がややこしくなっています。私と河野議員は、もう一度総務文教常任委員会に付託して委員会の採決をやり直した後、本会議で最終の決を採るべきである、手続きをきちんと踏んでいくのが議会のあるべき姿と主張しました。これは後々に正しくわかりやすい議事録を残すためにも、ぜひとも必要なことです。

 しかし委員間では2対2になり、結局は平井議会運営委員長の裁決により議場で審議・採決ということになりました。本会議場ではサービスコーナー取り下げの修正案が可決し、次に修正された補正予算案についての採決に進む手前で、今度は共産党の河野議員から動議が提出されました。昨日の日記にも書きましたが、町がJR西日本に駅施設負担分として支払う4億4千50万円は、近隣住民の要求に結論が出ていない段階で予算計上すべきではないので削除し、その分を財政調整基金に積み立てるとの修正動議です。

 私は提出者の気持ちもわからないではないですが、この動議には反対しました。なぜならJR西日本との協定書に基づく負担金はすでに議会が認めたものであり、今回実際の金額を伴って計上されてきたわけです。従って現在近隣住民等から出ている騒音・振動等への不安解決とは基本的には性格の異なる支出です。ただ住民の不安について議会が無関心でよいわけはなく、住民の心情への共感で済むものでもありません。行政も議会も実効ある解決を探らなければならないことは言うまでもありません。そして実効ある解決とは予算を伴います。

 勿論鉄道事業者としてのJR西日本に全ての住民要求を飲ませる事が筋ではありますが、JRが調査とその対策に応じない場合、町は「知った事ではない」とはなりません。調査費については、委員会においても町は負担金の中からの支出をほのめかしたと、私は記憶しています。そうであるならば、今この負担金を削除してしまうのは、町自らがむしろ住民要求に背を向けてしまう事になりはしないかと私は判断しました。むしろ協定書にある「その他双方の協議によって・・・」を町は主張し、住民の要求を「その他」の条項に入れ込む努力をすべきです。そのためにも4億4千50万円の予算は削除しない方がよいと、私は反対の討論をしました。

 動議は河野・冨永・平野議員の賛成がありましたが否決されました。で、再び負担金を含む元の補正予算の採決になりました。ここで変なのは河野・冨永議員が当然反対(だって自分達の出した動議が通らなかったのに)すると思われましたが、賛成をしました。従って川口町長の施政方針に基づく初めての予算は、14対1(反対は平野議員)で可決しました。あーぁ、なんかゴチャゴチャありましたです。明日はいよいよ、一般質問です。ドキドキ・・・。

 


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僭越ながら、私から一般質問者への一口コメントです

(2005年7月12日 火曜日 晴)

 7月6日の日記で、一般質問を行う6名の質問項目をお知らせしました。翌日の7日の日記では私の質問の概要を載せました。昨日、共産党の冨永議員と河野議員が質問を行いました。冨永議員は青少年活動の経験から、町立キャンプ場の充実を訴える内容でした。質問を1項目に絞っているので、深い展開を期待していましたが、割合さらりと15分くらいで終了しました。1人1時間が持ち時間なので「もったいな」と思いましたが、冨永議員が納得していれば私があれこれ言う必要はありません。

 2番目の質問者は河野議員でしたが、2項目の質問を何時もながら言葉がよどみなく溢れ出る感じで「すごいなー」と思いながら聴いていると、たまに同じ内容が繰り返しでてくる事も発見。しかし言いよどむことが少ないので、そんなこんなも含めて立派に思えてしまいます。タケノコ山枯れ対策について何度か町長に答弁を求めましたが、町長はダンマリを決め込みました。残り時間があるのに、清水議長は明日への延会を告げたのです。河野議員は議長に抗議しましたが、無視されてしまいました。よくない議事進行だと私も憤慨しましたが、これは明日私の質問時に発言を行い、議事録に残る形での抗議をしょうと思いました。

 上記のことに対して、今日私は一般質問の冒頭に次のような発言を行いました。「一般質問は議員に権利として保障された発言権を具現化した大変大事なものです。昨日は本日への延会が宣言されたのみで、次の質問者の指名は行われていません。したがって河野議員の質問時間が残っている中、今一度議長は町長への答弁を求めるべきでしたが無視をされました。由々しきことであり、強く抗議するものです」。これは公式の記録となります。もしも今後何度もこんな事態が起こったなら、議事録を根拠に考える事も可能です。(賢明なる議長ですから、今回限りのことだと信じますが)

 前後しますが本日朝一番、私の前に3番目の質問者公明党の杉本議員が質問を行っています。杉本議員は大きな声で言葉のつながりもよく、新人ながら堂々とした質問態度でした。質問の中身はニートと称される若者への就労支援がうまく機能しているか、相談業務のあり方等杉本議員の経験を生かした質問と犬の糞害に対する条例化を問う質問でした。愛犬の糞の始末はマナーの問題で、法令で対応すべきことなのかな?とも思いますが・・・。

 私の後5番目は山吹民主クラブの藤原議員です。藤原議員は副議長ですが、一般質問を行うその姿勢は評価するものです。質問は藤原議員のオハコかな?ハコモノの住民ホール整備計画について、計画倒れを心配する内容です。財政難の折さすがに全面改修は言い出せないと、反響板の設置と(藤原議員は音楽家ですから)住民ホールの改名を求めた質問でした。理事者の答えは、当然のことながら弱々しかったと私は感じました。

 最後の質問者は私と同会派の平野議員です。私たちは「今度の質問はこんなん考えてんねんけど」とお互いが標題を出し合う程度で、中身については通告書提出時にお互い交換して、初めてその内容を知るという風です。それでいて、重なる事も無くそれぞれの持ち味を生かした質問になっていると思います。平野議員は3項目の質問でしたが、精神障害者の通院医療費公費負担制度と国勢調査については、島本町で自己完結できるものではないので「仕方がない」的答弁で終始しました。もう1つは過日の議員選挙での開票事務のあり方を問うものです。選挙管理委員会委員長の本会議出席を求めましたが叶わず、選管事務局が答弁しました。実際に疑義を訴えた住民の声が十分に代弁できるか、難しいことです。私達議員が最も苦労する質問です。平野議員も大変だったと思いますが、はてさて肝心の当事者の胸は晴れたのでしょうか?

私の一般質問については、明日の日記でご報告いたします。

 


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収入役の廃止は「今後検討します」と町長答弁あり

(2005年7月13日 水曜日 晴)

 私の一般質問は昨日4番目に行いました。質問は4項目ありましたが、メインは「収入役の廃止について」になると思います。このことが一般質問として出てきたのは今回が初めてのはずです。勿論現収入役の今津さんを初め今までの収入役も含めて、その仕事振りや資質を問うものではないことを私は質問の冒頭に明言しました。行政のスリム化を進める中、収入役とて聖域ではないとの認識は当然ではないでしょうか。はたして収入役はいるのか、いなくてもやっていけるのか、助役の兼掌は条例を制定すれば可能ですが、当町での実現はどうか、もう本気になって考える時が来ていると私は思っています。

 収入役は任期途中の解任は出来ません。従って今津収入役の任期3年がある間に、しっかりとした検討をすべきで、それにはむしろ今津収入役自らがリーダーシップをとってもらいたいと私は願っています。大事なことを何時も期限ぎりぎりで出してくるから、混乱したり、見切り発車したり、或は先送りしたりしてきた轍をもう踏まないで、落ちついた賢い町政を目指さなければなりません。収入役の廃止は大きな問題です。今からオープンにして論議し、そして成熟した答えを見つけ出さなくてはならないと思います。

 さて、最初の登壇時には7月7日の日記でお知らせしている通りの質問文、柱だけの内容を読み上げます。返ってくる答弁に私がきっちり反論することを通して、私の質問の意味を理解してもらい、「なるほど」と頷いてもらえればと考えた質問の組み立てをしました。1回目の答弁は当然のことながら、私の質問内容を殆ど全て否定するものでした。しかし以下の再質問における私の反論に、さらなる否定を重ねることを理事者側は出来ませんでした。

 答弁は先ず「南部議員は国が収入役廃止の方向性を持っていると示しているが、我々は承知していない」ときました。これに対しては昨年8月に総務省が出した「H17年度地方行財政重点施策中、真の分権型社会の実現に向けた地方行財政制度の改革・・(3)地方自治制度の弾力化の検討のなかで〜収入役についてもその制度の見直しを検討〜」と示していることと、さらには今年の「第28次地方制度調査会第9回専門小委員会にて、地方の自主性・自立性の拡大のあり方についての中で、長を補佐する機関及び出納機関についての収入役にかかわる論議」がされていることを伝えました。理事者の皆さん、これで「承知」してくれましたか?

 つぎに昨年の9月議会で現収入役選任の議案が上がり、前町長がその必要性等を述べている部分を引き合いに出してきました。私は「町長が変わったのだから、新町長の見解が必要です。だからこそ最初の質問で町長に答弁を求めているではありませんか」と返しました。

 また当町の財政規模、全ての会計合わせて約200億円近い公金の管理には、収入役が必要不可欠との答弁をしました。これに対しては、私は北摂3町で理事者自らが何かと比較の対象とする豊能町を例に出し反論しました。「豊能町は人口約2万6千人、会計規模約146億円ですが、昨年4月より収入役を廃止し助役が事務を兼掌しています。(私は不都合とは聞いていない)」さらには全国の収入役事務の兼掌状況調べを示し、一昨年4月時において約14%の自治体が収入役を置いていない実態を伝えました。

 その他の理事者への反論も踏まえて「収入役を今すぐ廃止しなさいとは言っていません。今後検討すべき課題だと言っているのです。町長、どうですか!」と町長に向い、最後の再々質問を締めくくりました。1日目の河野議員へのだんまり戦術もあったので、ダメモトで投げかけた質問ですが、川口町長は「今後検討していきます」と明確な答弁を返しました。検討の時期も、廃止するのかしないのかの方向性も一切具体的なものは示されませんでしたが、初回で「検討する」の町長答弁を引き出せたのは大成功だと、私はちょっとばかり頬がニーッと緩みました。後の3項目の質問も後日機会を見て順次お知らせいたします。いずれも言いっ放しの質問ではありませんので、状況の変化や行政の改善等も含めての報告になればと思っています。

 


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今日は暑いし忙しいし・・・でもなかなかの一日でした

(2005年7月14日 木曜日 晴)

 役場に行く前に、楠公道路の楠木の撤去作業を見に行きます。JR新駅のアクセス道路として阪急水無瀬駅から駅前広場に真っ直ぐ伸びる府道ですが、生協から新駅までの拡幅整備工事が大阪府の事業として始まりました。先ず狭い舗道上の楠木の巨木を撤去します。一部の木は水瀬川緑地公園に移植されます。

 30年前マンションを捜していて、初めて降り立ったこの町の第一印象は、なんといっても水無瀬駅から山に向って続く楠木のトンネルでした。「ここに住みたい」と即座に決めた緑の景観は、雑然とした駅前(その頃はまだ駅前整備がされていませんでした)に落ち着きと親しみを与えていました。

 だからそれらの木々が何十年もの命を終える時、ひとときだけでも見届けたいと思いました。重機の鉄のツメをくい込ませ、揺さぶりをかけ、さらに作業員がよじ登ってロープをかけて再び重機に引かせる・・・炎天下大勢の作業員が汗まみれで係りながらも、楠木はビクともしません。地面にしっかり根を張っているというより、大地を抱え込んで最後の踏ん張りを見せつけているように思えました。見物していて力が入ったのか、お年寄りの方が気分が悪くなり救急車の出動もあって騒然とした作業現場でした。私は10時に役場なので、楠木にも作業の人にも「ご苦労様」とつぶやいて、その場を離れました。

 6月14日の日記で書きました監査請求に係る意見陳述の傍聴をします。傍聴者は意外に少なく2人だけでした。8月12日あたりに監査委員からの報告が出ます。私もこれからの長い支援を心に決めています。ただ少し気になるのはあくまでも一般的にという意味ですが、公務員に係る訴えの根底には公務員に求められる当然の厳しさとはまたちょっと違う、ある種“揶揄”的な匂いを私はふと感じてしまうことがあります。これは私だけの思い過ごしであればいいですが・・・。

 「役場の職員なんて、いっつも楽してるねんから“元気回復”(法42条の文言)なんていらんやん」の類の弁は、残念ながら聞こえてくることもあります。しかし、それは法に照らして間違っています。私は地方公務員法42条に基づく厚生事項の実施は欠いてはならないし、揺らぐことがあってはならないと思っています。

 傍聴が終わって、ふれあいセンターで待っている朗読グループの集まりに急ぎます。視覚障害をもつ人への季刊テープ雑誌作りの内容を話し合います。私は新聞記事に小さく出ましたが、補正予算からの駅前行政サービスコーナー削除と元青年の家跡地の埋蔵文化財の件を「町内の情報」として吹き込みます。あと「会と催し」と終わりの文章の担当もすることになりました。

 夜は小沢府議会議員と住民の方と共に持ち寄りの懇親会をしました。情報交換とよもやま話が弾んで日付が変わる直前でお開きになりました。今日は忙しかったです。暑さもあってくたびれましたー。でもいろいろあって面白い一日だったかな?

 


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町長の資産等報告書を見ました

(2005年7月15日 金曜日 晴)

 川口町長の資産は誰でも見る事が出来ます。役場の文化情報コーナーにファイルが置いてあります。これは「政治倫理の確立の為の島本町長の資産等の公開に関する条例」及び「規則」に基づいて、私たちは閲覧、コピーすることが出来るのです。月額80万円の町長報酬に係るものはまだ記載されていません。

 土地は自宅のある東大寺三丁目の約140平方メートルと長野県木曽郡開田村に約1,080平方メートルがあります。建物は自宅の約119平方メートルだけですから、木曾に別荘?の建物は無いのかしら。預金は約330万円あります。後は何もありません。金銭信託、株券、美術工芸品、ゴルフの会員権等々、自動車も無いとしていますが、100万円以下なら記載しなくていいのであるのかないのかはわかりません。いずれにしても前町長よりも格段に資産は少ないです。でもお金持ちが全て政治倫理的に拙いのかと言う事では決して無いわけで、川口町長についてもこれからの経年変化を見ていかなくてはなりません。まあ「ああ、そうですか」程度の資産で一安心(ごめんなさい!)でした。

 夕方、島本センターの空き店舗を毎月15日だけ借りて、手づくり作品を販売している「一五市」(いちごいち)を覗いてみました。古い着物地をパッチワークした洋服、ビーズ、草木染め、バッグ、トゥールペイントの小物、そしてやまぶき園のさおり織、陶芸作品が商品として並べられていました。元気な女性たちが協力しあって開いているお店、素敵ですよ。

 


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サハラ砂漠の砂はすっごく細かくてサラサラだ

(2005年7月16日 土曜日 晴)

 夫がエジプト旅行から帰ってきました。体重が3キロ減ったとか・・・暑さはやはりきびしかったようです。大抵は旅行中の美食で体が重たくなるものなのですが?でもまあ、元気で帰ってきました。期待をしていないふりをしていたお土産ですが、やはり包装を開く時はワクワクします。本物なわけがない遺物のレプリカ類ですが、なかなかセンス良く出来ています。バザールで買った香辛料のいろいろ、象形文字で私の名前を刺繍したティーシャツ、本物のパピルスに描いた壁画の模写等々。そして数ヶ所の砂漠からこっそりいただいてきた砂。サハラの砂は色合い等微妙に違って見えますが、その感触はサラサラ、スベスベで指の間からまるで絹糸のように滑り落ちます。

 お土産の中で私が一番気に入ったのは食べ物ではなくて、でっかくて重くて、すっごい中身の古代エジプトの出土遺物を紹介した本でした。説明が英語なので皆目わからないのですが、ページを繰るたびに「すごーい」の声が出てしまいます。お馴染みのツタンカーメンのマスクや棺をはじめ、比類なき優れた文明の歴史に圧倒されながらページを繰りました。以前から気になっていたスカラベ(糞ころがし)が実は聖なる虫で、様々な宝飾品に使われている事も発見。夫は早くも、もう一度エジプトに行きたいと言っています。今回の旅行は大成功だったようです。

* 7月14日の日記に訂正が生じました。・・・「措置請求が通らない時は訴訟を行うとの請求人たちの意思は固いようですので、」を複数の監査請求人の申し出により削除しました。

 


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町政への関心度はいまひとつなのでしょうか

(2005年7月17日 日曜日 晴)

 2時から平野さんの議会報告会に参加します。私からの資料として7月分のホームページ掲載日記にカラーの表紙をつけたものを用意しました。選挙後初めての報告会なので、10部では心もとないかしらと思いましたが、結局3部しかはけず少々拍子抜けの感がありました。平野さんは前期から地道に議会報告会を続けてきたにも係わらず、殆ど私と澤嶋さんが“常連さん”で終始してきたのが現実です。

 最も私たちの生活に密着しているはずの島本町の政治にたくさんの住民が、関心を寄せていないのではないか?この予想の一端を改めて認知するのは怖いなーと思いますが、私も町議会議員の一人として深刻に受け止めています。私の住民の皆さんへの情宣は今のところこのホームページが主ですが、勿論こんなもので足りるわけは無く、これからの活動報告のあり方を早急に再構築しなければならないと考えています。従来の方法の踏襲では、もうほんの一握りの人にしか来ていただけないことは明らかです。「それでもええやんか」の考えと「いやいやなんとかせなあかん」との狭間でいまだに蠢いている私です。

 世の中3連休、私も「下手な考え休むに似たり」の思考ながら、ちょっとあれこれ考えた休日でした。皆さん、どうか良いお知恵をお貸しくださいませんでしょうか?

 


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アスベスト問題ますます深刻に・・・当町も人ごとではありません

(2005年7月18日 月曜日 晴)

 元青年の家除去工事に係るアスベスト成形版処理について、隣接する幼稚園の保護者や私たちの心配を、行政は本音の所煩く感じていたのではないかしらと思われるふしが多々あります。わずか3、4ヶ月前のことです。そして第二小学校旧校舎解体工事に着手の今、取り返しのつかないアスベスト被害の甚大さが次々と明らかになってきました。発生源の工場付近の住民、工場労働者の家族にも多数の被害が出ています。夫の作業着を洗濯前にパタパタとはたき、20年も30年もアスベスト粉塵を毎日吸い込んでいた妻の発症等々、その姿を思い浮かべると悲しくてなりません。(私たちだって洗濯の時、良かれと思って日常よくやる行為ですもの)

 なにも知らされず死んでいった人、死に怯えながら闘病中の人、発症の危機に怯える人びと・・・これらの人びとに取り返しのつかない過ちを犯してしまったのは、実は私たちを守るべき「国」であった・・・この事実が明らかになりつつあります。30年も前に国はアスベストの危険性を知りながら、全面禁止の措置をとらず被害を拡大させていったのです。今般ようやく厚生労働省は全面禁止の方針を出しましたが、何と実施は3年後との懲りない対応をとろうとしています。人の命を、生きる権利をなんと考えているのかと呆れるより、つくづく悲しい国だと思ってしまいます。

 視点を島本町に戻して、早急にアスベスト問題にきっちりと取り組む町行政の姿勢を求めていかねばなりません。学校等公共施設については国、府からの調査も行われますが、町独自の調査も必要ではないでしょうか。町内にマンションが多く建てられた時期はアスベスト使用可の時代と重なります。また今も吹き付けのアスベストが民間建造物には残っている可能性もあります。さらには目に見えないところにもアスベストは存在しています。

 7月2日早朝、東大寺二丁目で起こった水道管破裂による断水は、昭和36年(44年前)敷設の石綿(アスベスト)セメント配水管の亀裂によるものでした。管のアスベストは通常は管内部に溶け出す事はありませんが、今回は破損しています。また復旧工事後管の洗浄、水質検査を行っていますがアスベストの検査は含まれていませんでした。水道部からは「今となってはしょうがないですな」的な答えが返ってきますが、今人々を不安に陥れているアスベスト問題を考えると、その温度差に驚きました。尚、本件は議員にもファックスで知らされましたが、アスベスト含有の水道管とは一言も書かれていませんでした。(私は情報公開請求で知りました)

 ちなみに石綿セメント配水管は1,100メートルの延長で、旧滝谷・鈴谷町営住宅付近に残っています。当地は住宅地として売却が予定されている為、その整備計画と同時期にこの古い配水管の処置を考えているとの水道部の考えです。アスベスト水道管については、今後も第二小学校の除去工事をはじめ他のアスベスト問題と同様に調べていきます。

 


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なんでそんなに政務調査費欲しいのかしら?

(2005年7月19日 火曜日 曇)

 午後から会派代表者会議が開かれました。私の会派「人々の新しい歩み」からは平野さんが出ています。以前は議員であっても傍聴は出来なかったのですが、今期になって住民も含め次々と会議が傍聴可能になりました。当たり前のことながらよいことなので、私は評価しています。しかし今日は住民の方を傍聴させませんでした。なぜか?それは政務調査費をお手盛りで出すことの論議に後ろめたさがあるからに違いありません。

 確かに条例化をすれば法的には問題ないわけですが、町の予算つまりは皆さんの税金を使うことに変わりは無いのです。1円でも無駄遣いを減らしていかなければならない財政状況を、一番よく知りうる立場にある議員の大半が「政務調査費をちょうだい」は納得できません。今までの会議で出ている金額は一人年額8万円〜12万円らしいですが、現議員活動の何を何処をどうするためにその金額が必要なのかがサッパリ解かりません。私は反対です。

 今後政務調査費の検討を何処でやっていくのか特別委員会の設置案も出ましたが、7月末に議会運営等検討事項が出揃った以降、論議の場を決定するとの座長(議長)の発言で今日の会議は終了しました。

 


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どんな教科書を選んだのかはそんなに秘密なの?

(2005年7月20日 水曜日 晴)

 9時半からの教育委員会に間に合うように教育センターへ急ぎます。今日の傍聴の一番の目的は、教科書の選定結果を知るためです。来年、島本の中学校でどんな教科書を使うかは大きな問題です。どんな声も何処からの影響も受けないを建前に、一切の選考過程を明らかにせず(選定は非公開で行われてきた)今日の日を迎えたわけですが、この期に及んでも本件議案を教育委員会は非公開としました。秘密会となり傍聴人は退席です。

 まさか当町教育委員会が天皇賛美、戦争肯定、男女不平等是認等々を記述した“あの教科書”を選ぶはずが無いと信じていても、実際に採択した、或は採択の恐れがある各地の実態の情報を得ると不安感は募ります。選考の論議をひた隠しにしている所ほどその危険度が高いというのも、私たちの疑念を生む根拠となっています。傍聴を当然の事として、閲覧資料の持ち帰りも可としている自治体もあるのですから、当町の教育委員会の透明性を改めて問いたい気持ちで一杯です。

 選定結果は8月末公表されます。「まあそれまであなた方、いっぱい心配していなさい」ということでしょうが、これってホンマ“教育的”じゃない仕打ちだと思いませんか!?

 


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夏休みが始まりました

(2005年7月21日 木曜日 晴)

 降りしきるせみ時雨のもと、朝早くから元気な子ども達の声が聞こえます。ああ、今日から夏休みに入ったんやと実感します。そうそう今朝から保育サポートも学童保育室への送りが加わるのでした。集団登校の場へ遅れないように急ぐこれまでと違い、ノンビリと第四小学校までの道を通います。昨年1年生になりたての小さな女の子は、今随分大きくなって逞しくおしゃまさんにもなって、私のほうがたじたじの状況に陥る事がしょっちゅうです。

 大人ばかりの家族になると忘れてしまっていることや、端折っていることが子どもとの付き合いの中で気づかされます。2年目の夏を迎えた保育サポートは、そういった意味でも私自身への良い刺激になっているとありがたく思っています。メゾン水無瀬の住宅を出るまでは蝉の抜けガラを集めたり、オシロイバナの種を取って白い粉を鼻のてっぺんに塗ったりしながら行きます。昔も今も変わらぬ子どもたちの夏が此処にあるよと思わずつぶやきました。

 国道の歩道橋を渡ると、青々と広がる田畑の中の道です。大きく育ったなすびやトマト、かぼちゃ、とうもろこし、時にはスイカも見つけて二人ではしゃいでいます。校門には警備員さんが立っていて大きな声で子どもたちに「おはよう!」と挨拶してくれます。学童保育の指導員さんたちも何十人の子どもを見る暑い一日の始まりです。子どもたちのためにいろんな所でいろんな仕事をしている人がいる事のありがたさを実感します。さあ、私の夏も子どもの元気をもらいながら、いよいよ本番です。

 帰ってシャワーして、朗読の吹き込みにふれあいセンターへ出かけます。終わってお昼ご飯とおしゃべりを少しして、2時からの「社会を明るくする運動」の講演を1時間聴きます。高校生の息子さんを他校生徒の暴力で失った悲しい体験を、被害者の会発足の力とされたお話しに心が揺さぶられました。

 


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待たせ過ぎです情報公開運営審議会の傍聴決定

(2005年7月22日 金曜日 晴)

 2時からの審議会傍聴に出かけたのですが、何と入室できたのは1時間後の3時でした。途中15分経った頃に1度職員が出てきて説明をしましたが、その後45分間はなしのつぶてです。会議の傍聴要綱を定める為に論議していたようですが、もう今やどの会議も公開は当たり前のことになっていて、要綱を会議に諮るのは形式を踏んでいるに過ぎないのが事態です。何をチンタラしてたん?と私は久しぶりにプンプンしていました。(この頃私は本当にカッカしなくなったのですが)

 本来は傍聴要綱についての議論そのものを傍聴させるのが、会議を原則公開とする町の姿勢に沿うものです。そのようにしてきた会議も現実にあるのですから。私が怒っているのは、情報公開に先頭をきって進んでもらわなくてはならない当審議会のあまりの感度の鈍さにです。会議進行のありかたについても各委員方もの申されないのはなぜなんでしょうか?事務局の行政職員も遠慮しないでスムースな運営の為のリードをすべきだと思います。

 ああ、肝心の審議の中身は情報公開審査会に係る条例改正についてでした。審査会委員の秘密保持違反について現行3万円以下の罰金を、1年以下の懲役又は50万円以下の罰金に厳しく改正する事に関するものでした。9月議会に議案として出てくると思います。

 


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水無瀬川ウオッチング

(2005年7月23日 土曜日 晴)

 今日はハリーポッターの映画もあるので、子どもたちの参加が少ないかなと心配しましたが、名神高速道路下の水無瀬川はたくさんの人で賑っていました。小さな子連れの家族参加が多いと感じました。子どもたちは川の水から採取した小さな生き物をパットに入れ、一つひとつ自然観察員から名前を教えてもらいます。さらに綺麗な川から汚い川までの4段階に、それぞれの生物がどの段階に属しているのかをカウントしていきます。殆どが綺麗な水とちょっと汚い水にいる貝や魚や虫で、水無瀬川の水質は一応大丈夫ということがわかりました。

 観察会が終わり、いよいよ皆さんお目当ての魚のつかみ取りが始まります。虹鱒が放たれました。お父さん達が大奮闘です。クーラーボックスまで用意してきた家族もいましたが、収穫はどうだったのでしょうか。たくさん捕った人と全く捕れなかった人もいて、私の知り合いは孫と参加していましたがガッカリしていました。子供向けには何らかの工夫があってもいいのでは?と思いました。仕事とはいえ休日、暑い中頑張っていた職員の皆さんには本当にご苦労様と伝えたいです。

 夕方からは反核・平和・人権フェスティバルが開かれますが、残念ながら参加は取り止めです。同じふれあいセンターで開かれる図書館コンサートも行きたかったのですが、家族のメモリアルデーを優先します。今日は夫の誕生日と長男の第2の誕生日だからささやかにお祝いをします。34年前6月8日に未熟児で誕生した長男は、生存も危ぶまれ1ヶ月半の闘病後7月23日やっと我が家に帰ってきました。私たちはこの日を長男の「第2の誕生日」として忘れないでいようと思っています。

名神の橋脚に子供たちの絵が飾られています。(名神エコギャラリー)
 

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川口町長は町外でしか気炎あげられへんのかな?

(2005年7月24日 日曜日 晴)

 5月の臨時議会、6月の定例議会(実際は7月12日まで)と何とか無事乗り越えた今、川口町長もホット一息をついているかしらと思われます。私には町長選挙のしこりもねじれもないし、町長提案には是々非々で対応しているので、議会と行政、議員と理事者、町長と周りの職員とのそれぞれの関係が距離をおいて眺めることが出来ます。

 議会も何のかのと異議の姿勢をみせて、なかには説明のつかない苦言を呈したり大人げないなーと感じたこともありました。勿論町長側も目玉施策の駅前行政サービスコーナーの取り下げに伴う前代未聞の予算修正が生じて、かっこ悪さを露呈してしまいました。それでも結局は助役の人事も通ったし、町長の最初の勝負予算(施政方針に伴う施策予算)も、その他の議案も全て可決したわけです。表向きは「川口町長頑張った!」となるのでしょうが、あんまりそれらしき雰囲気が本人にも周りにも感じられません。

 町長のホームページ、ブログ「きまぐれ日記」を見ても町外の仲間との勉強会や“息抜き会”で快気炎の様子はわかりますが、庁舎内や地域、或は住民との接点はあまり感じられません。まあ、身近な人たちとの接触は町長ともなると、明らかにすることに差しさわりが生じるのもしれませんが・・・。

 今日は日曜日で、あちこちのホームページを開きながら川口町長の日記に接して、ふと思ったことです。他意はありません。ああもうひとつ、町長は府庁に行くのに電車を利用したことがブログでわかりました。この日たまたまだったのかもしれませんが、今までは公用車を出していたので、良いことだとちいさな花マルをあげました。

 前日23日の日記に水無瀬川ウォッチングの写真を3枚追加しています。当日の様子を少し感じていただけるのではないかしらと思います。

 


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生涯学習推進計画検討懇話会を傍聴しました

(2005年7月25日 月曜日 晴のち曇)

 町では生涯学習基本構想・基本計画が策定されていますが、次には実際に生涯学習をどのように進めていくのかの推進計画が求められます。このため本懇話会では年度末を目途に計画に反映させる意見を出し合います。また住民から意見徴集も行います。今日はそのアンケート作業を委託する大学の教育研究センターより講師さんの出席もあり「生涯学習とはなんぞや」の“ミニ講義”が初めにありました。

 懇話会のみなさんは各団体から所謂“あて職”で出て来ています。従って第1回目の今日はそれぞれご自身が拠って立つ範疇の意見に終始していたように私は感じました。生涯学習への希望とか理想とかを踏まえたのびやかさが感じられるような意見が、これから出てくるといいなと思います。まだ初回ですから注文をつけてはよくないですね。取り敢えずはシーンとせずたくさんの意見が出たのですから、それで良しとしましょう。ただ第二小学校の校長先生の意見は参考になるところ大でした。

 今後の会議の充実を期待したいと思いますが、惜しむらくは青年層の参画が無いことです。生涯学習は決して中高年のためだけにあるのではないですから。

 夕方は歯医者に行きます。昨日ピスタチオの殻を前歯で噛んで、歯が欠けちゃったのです。

 


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10年後わが町の高齢者は33パーセントに・・・大丈夫?介護保険制度

(2005年7月26日 火曜日 雨のち曇)

 台風の影響か風が少し強いですが雨は大したことなく、ふれあいセンターに出かけます。1時から介護者家族の会の「介護ひといきサロン」に参加します。町高齢福祉課の北河課長と峰森保健師を講師に「どうなるの?介護保険」と題したお話しを聴きました。過日の国会で介護保険法の改正が決まりました。保険者の島本町にとっても被保険者の私たちにとっても制度が大きくかわる大変な内容です。北河課長はとても解かりやすく説明してくれました。

 解かりやすかっただけに、被保険者にとっては随分な負担増(施設給付の見直しにより居住費と食費は早くもこの10月から自己負担になる)を強いる“改悪”だと思いましたし、一方町にとっても今後の島本町の方向性を定める大変重要な選択を迫られる事になると、議会議員としても身が引き締まる思いでした。H16年度末島本町の高齢化率は16.5%ですが10年後には33%になり、以降も上昇を続けます。私自身その数のうちに入っていながらも「ひぇーっ!」と思わず息を呑んでしまいました。

 そこで増え続ける高齢者への「新たなサービス体系」として、今回の改正によリ打ち出されてきたのが「地域包括支援センター」です。北河課長は「今後高齢者を支える最も重要な核になるのは当センターだ」と言います。正確には「当センターに配属されるベテランの職員と設置を義務づけられる専門職だ」と付け加えました。ここで前述した「町の方向性を定める大変重要な選択」が問われてきます。つまりセンターを直営でやるのか、委託してしまうのかの選択です。

 はっきり言って直営は茨の道です。何よりも専門職の新たな採用からやらなければなりません。いま町には社会福祉士はいません。ケアマネージャーはいますが、新たな資格として主任介護支援専門員になる必要があります。保健師は現状在職しています。これら設置義務以外の専門職で作業療法士、理学療法士等も必要とされてきます。「人」の問題は即ち「金」の問題です。

 島本町が肝を据えて飾り文句じゃなく、他事業の予算を削ってでも、これからの厳しい高齢社会に立ち向う決意をするのかしないのか、「地域包括支援センター」の準備期間である今年度中に答えを出さなくてはなりません。私は今の高齢福祉課の職員は優秀だと思います。彼らを核とすれば、町直営でやっていけるのではないでしょうか。島本町を「これからも住み続けたい街」にするのかしないのかは、新しい町長と議会の決断にかかっています。

 4時からは都市環境部の理事と次長から説明を受けます。JR新駅の近隣自治会等から出されていた要望に対する回答の内容について、町とJR西日本が合意したとみられる中身の説明がありました。いま少し詰めた後住民への回答説明会を開くとのことです。なんと言っても地元住民の了解を頂かなくては、工事は進められません。私はJR西日本との交渉、協議等町の職員は良く頑張ったのではないかしらと思いました。回答書の中身についてはみなさんにまだ公開できませんので、また後日にいたします。

 


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10月から幼稚園の預かり保育始まりますよ

(2005年7月27日 水曜日 晴)

 5月26日の日記に、町教育委員会が高槻市の預かり保育を視察したとの内容を書きましたが、今日園児の保護者の方からのお問合せがあって、私のわかる範囲でお知らせをしました。学校教育課が6月末に起案した文書に「町立幼稚園の預かり保育の施行実施について」という標題のものがあったので、その概要をお伝えしました。

 預かり保育は、先ず第二幼稚園で試しに行います。期間は10月1日〜来年の3月31日までです。(冬・春休みは除きます)5歳児クラスのみで、37人を受け入れます。保育時間は月曜日から金曜日の午後2時〜4時半まで、ただし水曜日は午前11時半〜午後4時半までです。施行期間中保育料は無料です。保護者へのお知らせは広報しまもと、幼稚園からの案内があります。

 私はこの件に関して教育委員会は、視察後割合早く事務を進めたと思っています。いずれにしても子どもの数が減少していく中、定員に満たない現状と保護者の保育時間延長要求から、急がれる事業であることは確かでしょう。ちなみに施行にかかわる人件費は10万円程度の補正予算でいけるそうです。

 昨日、来年の中学校教科書採択の結果が教育委員会のホームページに載りました。従って、7月20日付私の日記で「選考結果は8月末公表されます」は誤りです。ただし、採択にいたる選定過程の公開は8月末まではできないとのことです。

 


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国民健康保険運営協議会を傍聴しました

(2005年7月28日 木曜日 晴)

 会議では2004年度国保会計の決算概要が示されました。03年度を大幅に上回る1億4千7百万円の黒字です。また1億6千400万円の国保会計財政調整基金も積み立てられています。国保会計は安泰で、これやったらもうちょっと保険料を引き下げる事も可能?と思いますが、なかなかそうはいかないらしいです。確かに医療保険分は減少しているのですが、半面介護保険分の伸びが大きく、油断は禁物らしいです。また今後の医療保険改革の行方もあって、基金は激変緩和に対応する為、取り崩しは考えていないとの答弁でした。

 島本町の国保保険料は大阪府内で30位あたりにあり、相対的には高くありません。(高槻市は結構高いです)保険制度は相互扶助で成り立っていると思っても、自分が支払っている保険料と実際に治療に掛かった費用をくらべてみると、私の場合、年間歯医者に数回かかる程度ですから「う〜ん、もうちょっと安ければいいな」と正直思うこともあります。まあ、そんな時は自分がそれだけ健康で過ごせたのだと感謝し、私の保険料も誰かのお役に立っているのだと考えることにしています。

 しかしそうは思うけれど保険料が払えない、あるいは払わない人びとが増加しています。島本町の保険料徴収率は、03年度は92.46%でした。国は徴収率93%未満でペナルティーを科し、補助金の5%カットをします。04年度は93パーセントをクリアしたようですが、徴収率アップの掛け声はこんな所にも根拠があったのですね。いずれにしても、国保会計の仕組みは担当者自らが言うようにわかりにくい制度です。協議会の委員は、お医者さんや被保険者である住民や議員等で構成されていますが、今日の会議でも質問したのは河野議員一人だけでした。

 担当職員もどうわかりやすく答えようか説明しょうかと苦労していますが、協議会でもっと一般被保険者の素朴な疑問や気持ちが出てくればいいのになと傍聴していて感じます。数字のやり取りも勿論大事ですが、国保制度の根幹には制度を作る厚生労働省役人の生活観や想像力の及ばない、庶民の日々の暮しがあります。このことにいつも立ち返った、そんな言葉のキャッチボールが欲しいなと思います。なんか、お互い「こんなにたくさんのことを知っているよ」と知識の披瀝をし合っているように感じているのは、私一人だけでしょうか?

 本日の会議には、町長の出席がありました。最初の挨拶が済むと大抵「所用がありますので」と退席するのが普通ですが、今日は最後まで残っていました。いいことだと思います。

 夕方役場から帰る道、楠公道路には島本夏祭りの提灯が飾られていました。いつの間にかもうそんな時期がきたのですね。8月上旬もびっしりと予定が詰まっていますし、お盆明けの18日には早くも9月議会の議会運営委員会が開かれます。そして9月1日からは議会が始まります。体調を整えて、この暑さを乗りきらなければと思っています。

 


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図書館懇話会に“あの村上さん”が帰ってきた!

(2005年7月29日 金曜日 晴)

 議会運営等に係る検討事項を洗い出して整理し、議会事務局にメールで提出してから図書館懇話会の傍聴に出かけます。懇話会の委員さんも新しく変わりました。なんと懐かしい、あの元町立図書館館長の村上氏がメンバーに加わり、しかも懇話会の会長に就任されました。“あの村上さん”と称するのは、村上氏がいまある図書館の“生みの親”と言ってもいいほど頑張って、現ふれあいセンター4階の町立図書館を全国でも優秀なレベルに引き上げた人だからです。

 勿論現館長を初め正規職員、臨時職員が村上さんの指導助言を得て一生懸命働いたからこその成果でもあることは、村上さんが去っても図書館は益々充実度を上げてきたことで十分な証が存在しています。町長部局(教育予算を握っています)も教育委員会もない袖を振りながら図書館を応援してきたことには、大いなる評価をしますが、なんと言っても図書サービスの最も大きなポイントは図書館職員にあります。いま教育センターになっていますが「本の倉庫」と呼ばれていた旧図書館から引越し、IT化を果たしつつ、館内外に良質のサービスを展開してきた立役者の筆頭はやはり村上さんだと思います。

 ところで軌道に乗っている町図書館に係る懇話会に、何故村上さんが招かれたのか・・・ちょっと不思議な感じを抱いています。図書館の民営化が行革のメニューに上がってはいますが「うまくいっているのに、それはないんじゃない?」の声は圧倒的に多いです。それでも民営化を断行すべしの力に対し、直営の意義を説得・納得をさせるための村上さん登場か、それとも全く正反対の目的をもった村上さんの登場か・・・。今日の会議では、直営・民営に係らず一切話は出ませんでしたから、村上さん起用の理由は全く解かりません。今後の会議の行方を注視していかなければと思います。

 そんな話は別にして、今日の懇話会は全員発言で(会長の村上さんが上手に指名していきました)、それもそれぞれの経験に深く裏付けされた良い話が聴けました。図書館の子ども対象の事業範囲も乳幼児から中学生に広がり、それら事業にも素晴らしいボランティアたちが主体的に大きな関わりを持って活動している様子が良くわかりました。

 お話し会のボランティアをしている委員さんの言葉が印象的でした。「中学生に本の読み聞かせをし、お話しを届けに行くなんてどうかしらと心配でしたが、話のオチのところで生徒さんがクスリとこっそり笑っていたり、目と目が合ってニッコリしあったりすることがあります。こんな時にはお話しボランティアをやっていて、誇らしく思います」と発言され、私にもその場の様子が目に見えるようでうれしい気持ちになりました。

 7月30日から8月3日まで機器の不都合により日記をお届けする事が出来ません。8月4日にまとめて送信いたしますので、お許しください。

 


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名張市ってなかなか面白そうな町

(2005年7月30日 土曜日 曇)

 夕方私の姉と従兄のお嫁さんが、1月に亡くなったお義母さんのお参りに来てくれました。お盆になるとそれぞれ自分ちの仏さんたちのお世話で忙しいので、一足先にやって来ました。丁度久しぶりに家に帰っていた長男にも会え、ともに食卓を囲むことが出来て二人は喜んでいました。

 長男は転勤であちこちの町に住んできましたが、今は三重県の名張市に住んでいます。独身なので日常生活にかかわる市政のごく一部にしか接していないわけですが、私の影響もあってか市民サービスへのチェックはなかなか厳しいものがあります。広報紙が月4回発行されているとか、市長の交際費はいつでも見ることが出来て、相手先もそこそこ判るようになっているとか、情報の公開度は島本町より進んでいるらしいです。若い市長は市民に呼ばれれば気軽に出かけて行って「まちかどトーク」に参加し、職員も出前講座に応じているようです。

 今回、長男は名張市が6月に策定した「市民と行政の約束制度」と題したパンフレットを持ち帰ってきました。行政改革評価の取り組みの1つに「市民サービスの向上をめざす」とあります。ごく当たり前の、それこそ何処のお役所でも無意識に口にしているこの事を、さて改めて市民と約束するとしたならば・・・どうする?パンフには市民が役所から直接提供されるサービスの水準や標準的な処理期限が部門別に書かれています。

 ここには「市民の皆さまへの約束」として、事務処理に要する時間が記されています。つまり、書いてある時間以上は説明もなしにお待たせすることはありませんと約束しているのです。例えば、証明書発行の類は「受付から15分以内に発行いたします」、各種医療受給書なら10分以内、スポーツ施設の利用許可書なら5分以内とか、或は「道路等の維持補修の依頼があったときは、1週間以内に現場の調査を行います」とか「お住まいの地区の指定校以外への就学については1週間以内に決定します」とかいったぐあいです。

 多分何処の役所も、実際に事務に要する時間は似たり寄ったりでしょう。でも住民との“約束”として交わしている所はそう多くはありません。私は島本町でこれをそのまま真似なさいと言っているのではありません。ただ、市民に“時間の約束”が出来るような、仕事に対する底力を、町職員にもっと感じたいと思うことは、正直いって時々あります。長男がまた転勤してしまわない間に、一度名張市を訪れてみたいと思っています。

 


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「議会だより」の原稿って、意外にてこずります

(2005年7月31日 日曜日 曇時々雨)

 明日締め切りの議会だよりに掲載する原稿を書き始めましたが、これがなかなかうまく纏まらないのです。1時間を掛けての会派代表質問の質疑応答記録は10数ページありますが、これを僅か700文字にしなければならないのは苦行です。2ページ分の補正予算の討論はなんと!78文字、一般質問も勿論同様です。なんせ書く文字数が少ないんだからサラサラとすぐ完成と、たかをくくっていたのが甘かったです。結構時間を取られてしまいました。

 あっちこっちをひっくり返し文章を拾っていきますが、肝心な事はこの短い文章で、質疑応答の内容をいかに住民の皆さんへ正確でわかりやすく伝える事が出来るかにあります。さらには私の気持ちや個性をチラッとでも感じてもらえればいいなと思う欲張りな願いもあります。それにしても、こうして“極限”状態まで文章をカットする作業をしていると、私自身どれほど無駄な言葉や言い回しをしているかに、改めて気がつき随分と反省させられます。

 その点、答弁をする理事者(町長を初め議場に出席している職員達)には感心するところ大です。耳から直接受け取っている時には、解かりにくい聴きづらい答弁も議事録ではちゃんと立派に様になっているのですから。見習わなければならないと思う一方、議場でのライブも大切だと思うのです。特に個々の議員の持ち味や雰囲気はもっと“生”でストレートに出たほうが、面白く活発な議会になるのではないでしょうか。お行儀良くおさまって波風立てない議員は理事者にとっては都合のよい議員であっても、住民のほうから見ると必ずしも歓迎すべき議員ではないようにも思われます。

 午後からはJR新駅駅前広場予定地の発掘現場説明会に行きました。6月15日の日記でも書きましたが、発掘は2回に分けて行われ今日は後半の範囲にかかわる説明でした。時折雨が降る空模様でしたが、当日の朝刊に載ったこともあって大勢の人が参加されていました。鎌倉時代の前期、此処がかなりの規模で人々が暮らす居住区であることは、祭祀に使う土師器の皿が積み重なった“土器溜まり”や、柱跡、井戸の発見でもわかりました。説明会には町長も議長も参加していました。儀式的な場だけでなく、両トップが住民とともに参加するこの様な場に積極的に足を運ぶのは、とてもいいことだと思います。

大量の土師器が出土
後方の建物は歴史文化資料館、手前の楠は駅前広場のシンボルツリーとして残しました

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