平野さん、澤嶋さんと 「お疲れさん会」をしました
(2005年5月1日 日曜日 晴)
選挙中も選挙後も、3人でゆっくり話をする間がなくて日が経ちました。市民派女性議員として3人が議会活動をする夢は、澤嶋さんの登場が叶わず、本当に断腸の思いです。私はこの夢のために12年間の議員時代と、その後の厳しい介護職等を続けてきたと言っても過言ではありません。しかし現実は受け止めなければなりません。
平野さんからは私と会派を組むことと、会派内での拘束は一切しないことの提案がありました。もとより異論はありません。私の認識は「会派」とは議会内での事務的な運営をスムースに行うものであって、議員はあくまでも一議員として存在するとの意識が大切だと思っています。従って表決(賛否を表す事)に違いがあっても、当然ということです。緩やかな連帯のもと今後4年間、議会内会派「人びとの新しい歩み」は南部・平野のコンビで歩んでいきます。
16年前に私が名づけた「人びとの新しい歩み」の会派名は、ユニークで今でも気に入っています。議員12年の間には紆余曲折もありましたが、私は会派の名前に託した初心「いつも、皆さんと新しい一歩を踏み出す事が出来る議員でありたい」を貫いてきたと自負しています。そしてうれしいことに、この4年間は澤嶋さん、平野さんによって引き継がれてきました。再び私のもとに戻って来た「人びとの新しい歩み」を、島本町議会の新しい会派のあり方を示すお手本として存在していくよう努めていきたいと思います。
この後、会派内での役割分担等を大まかに決めて、おいしいお弁当を食べながら選挙での苦労話に花が咲きました。外から見ただけでは分らない、泣き笑いの日々であったことは、お互い「選挙戦」をくぐり抜けてきた者同士だから打ち明けられる“秘話”(!?)でした。平野さん、澤嶋さん本当にお疲れ様でした。明日からまた3人で、新しい歩みを始めましょう。
選挙運動費用収支報告書を出しました
(2005年5月2日 月曜日 晴)
昨夜、電卓片手に書き上げた報告書を選挙管理委員会に提出します。多少のやり取りはありましたが、一発でパスです。最も私の選挙はシンプル選挙ですから、分りやすいことこの上無しです。しかし今回は過去の議員選挙に比べて、大幅支出アップとなりました。この要因は、人件費を支払った事と選挙カーの看板代です。
過去3回の議員選挙は大体20万円台で推移し、いつも最下位の支出金額でした。お金を掛けない選挙は、公約のひとつでもありましたから。しかし今回、市民派議員として3人が当選するためには、今まで以上にみなさんに知っていただかなくてはならなし、私を知らない方々にも関心を持っていただかなければならないと思いました。そのためには従来お金を掛けなかった広告費(選挙カーの看板代)が嵩みました。
また人件費についてボランティアによる無償提供を受け、支出として計上してこなかったことには、本当は心痛む思いでいました。「お金で雇う」との気持ちは微塵もありません。しかし「選挙運動に係る」気持を、余りにも精神的なもの=無償として捉え過ぎてきたのではないかしらとの反省は毎回ありました。皆さん気持ちの上にさらに重ねて、物理的なやりくりをして係ってくださっているのです。実際に犠牲にしておられる事や物や時間に対して、私はもう対価をもって考えるべきだと判断しました。様々な考え方があって当然ですが、予め届け出を了承くださった方に対しては、公職選挙法に則った人件費を私は今回計上しました。
何れ選挙の収支報告書は公開閲覧が可能ですから、見ていただくとして簡単に私の報告を致します。
選挙運動費用収支報告書 | ||
収入 | 寄附 | 195,800円 |
自己資金 | 375,360円 | |
計
|
571,160円 | |
支出 | 人件費(11名報酬) | 240,000円 |
通信費 | 1,860円 | |
印刷費(ポスター、ハガキ) | 208,530円 | |
広告費(選挙カー看板) | 118,650円 | |
文具費 | 1,575円 | |
雑費 | 545円 | |
計
|
571,160円 |
今回の選挙には約57万円かかりました。そのうち約37万円は自分のお金を出しました。
夕方は、明日の憲法記念日を控えて水無瀬駅前でアピールをしました。ビラ配布とハンドマイクでの街宣に、応えてくださる方も少なからずいらして、選挙の余韻を感じました。
我が子との憲法談議
(2005年5月3日 火曜日 晴)
五月晴れが続き、これでもかと降り注ぐ透明で輝かしい陽光に体が「ちょっと待って」のシグナルを出し始めたようです。はやくも夏バテならぬ「初夏バテ」しているのかな?と感じます。選挙の疲れなんてとっくの昔に、綺麗サッパリ解消したと思っていましたのに・・・「年かなぁー」。
そんなこんなで、グズグズしている間に今日の憲法関係行動は不参加のまま終わってしまいました。選挙でお世話になった方々や久しぶりの近畿市民派議員の皆さんにもお会いできる機会でしたのに、ごめんなさい!
夜遅く仕事から帰ってきた次男は、ニュースを見ながら食事をしていましたが「お母さんは憲法を変えたらアカン、中でも9条は絶対変えたらアカンって言うけれど、ぼくは自衛隊の現実を見なアカンと思う。その存在を憲法に明記して、別に戦争をせえへん歯止めをしっかりと作ったらええと思うけど」と言いました。
「オー、マイゴッド!」です。私の息子が、自民党新憲法起草委員会の私案要綱や民主党の改憲案とおんなじことを言うてるなんて!でもこの考えってアンケート調査なんかを見ていると、過半数以上の声として出ているし、なにもアメリカと一緒になって武器を取り、世界中で戦争をしたいと思っている人ばっかりの声ではないのです。次男が無邪気に言っている事なのか、熟慮の上で言っている事なのか、それから延々日付が変わってからも母と子の憲法談議は続きました。
改憲派が目指す最大の目的は自衛隊を「自衛の為の“自衛軍”」として明記し、現9条の2項「陸海空軍その他の戦力を保持しない」を抹殺する事にあります。つまり現在は違憲とされている「集団的自衛権」の行使を、改憲する事で合憲にしちゃう目論見です。世界に冠たる“平和憲法”は決してノスタルジックに存在しているのではありません。先の戦争の深い反省のもと生まれた憲法9条の内容です。
私は「集団的自衛権」は、他国(アメリカ)のための武力行使、つまり自衛でなく“侵略”だと考えています。だから自衛隊を憲法に明文化する事は、私たちが「平和を希求しない」と声高らかに宣言する事に他ならないと思っています。
「あんた、それでええのん?」の私の問いかけに「もう遅いし、明日仕事やから・・・」と息子は退散してしまいました。でも考えてみると「憲法のこと考えてみいひん?」と外に向っての投げかけは不十分ながらやっていても、オット!肝心の足元、家族との話し合いも出来てへんなんだと改めて気づいたことでした。そう考えると今日一日ゴロゴロしていたけれど、ちょっとは有意義な我が家の「憲法記念日」だったと言えるかなと思いました。
お義母さんの残したもの
(2005年5月4日 水曜日 晴)
夫の実家は阪急京都線の淡路にあります。駅から10分くらいの家の周りは、30数年間殆ど変わっていません。私の実家も含めて大阪市内の古くからの住宅地は、見た目どこもそう変化はありません。島本町内のほうが、よほど町の景観は変わってきています。
しかし、お義母さんが亡くなって住む人が居なくなった実家と同様、お隣もそのまたお隣もというふうに主を欠いた家が、ぽつりぽつりと存在し始めています。私たちも夫の兄弟が結婚して、義母一人になっても同居は考えなかったし求められる事もなかったし、ごく当たり前に島本で暮らしてきました。それがどうだったのか答えを聴くこと無しに、義母は逝ってしまいました。
今日は義母の遺品と言うよりは、南部の家の暮らしの中で、それぞれ役目があり活用されてきた生活用具の整理を行う為出かけます。お義母さんが老人施設に入った時から、そのまんまの状態で時間が止まっている各部屋とそこに置かれた物の数々に、心がしんとしました。
感傷は抜きにして、どんどん大きなゴミ袋が増えていきます。私たちもどちらが先に死ぬのかはわかりませんが、子どもたちはいずれ今日のこの日、私たちがしていることと同じ事を繰り返すのでしょう。なんと言うか「これが人の営みの最後の最後に残された事なのかしら」とサッパリしたような物足りないような複雑な気持ちになりながら、また新たなゴミ袋に手を伸ばしていました。
本日完全休業中
(2005年5月5日 木曜日 晴)
子どもの日ですが、我が家ではもう遠い日の記憶の中に置いてきた祝日の一日に過ぎません。私の友人たちの多くは、子どもの子どもを祝うのに今日の一日はとっても大事だと、きっと張り切っていることでしょう。私にはまだ孫が居ないので、楽ちん楽ちんと思っていますが、実際に赤ちゃんのあのホワホワした存在に触れると、メロメロになるかもしれないし、どうなるかは自信がありません。
3連休の間にあれもこれも片づけてと立てていた計画も何ひとつものにならず、のーんびりしたなとの満足感を味わったのみのゴールデンウイークでした。でもこれが一番の贅沢かもしれませんね。要領が良くない上にトコトンやってみなくちゃ気がすまない私にとって、これからの日々はきっと時間との戦いの毎日になるでしょうから。
明日からはまた保育サポートが復活しますし、議会の仕事も5月20日あたりの臨時議会に向ってこれからドンドン詰まってくるはずです。さーっ!心身のヤル気モードにスイッチオンです。
新人議員説明会
(2005年5月6日 金曜日 晴)
今朝から2ヶ月ぶりに保育サポート再開です。選挙の前後ピンチヒッターを引き受けてくださったMさんに感謝です。しばらくの間にAちゃんはぐんと背が伸びて落ち着きも増し、頼もしい2年生になっていました。
午後からは新人議員説明会に出かけます。私も4年間のブランクがあるので一応“新人”ということになっています。私は12年間議員をしたからとか、4年間欠かさず町政チェックを行ってきたからとかで、議会や行政の「今」を全て解っているとは決して思っていません。ですから一新人として自覚をもち、積極的に勉強をやっていかなければならないと気持ちを引き締めています。(新人議員=南部、伊集院、杉本、富永、野村、山口)
残念ながら、本日の説明会は議会事務局による手続き的な説明だけで、少々期待はずれでした。私が初当選した頃は、役場の管理職が来て担当している事業等仕事の中身を話してくれていたのに・・・。理事者との関係において、新人議員に限らず議員が随分軽く扱われていると思われてなりません。これは何も、議員にヘコヘコしろと言っているわけでは決してありません。お互い対等の関係で必要な時に必要な事を説明する、このごく当たり前のことをちょーっと手抜きしてるんじゃない?と感じる場面が多々あります。
11日に開かれる議員全員が集まる議員総会の場で、問題提起をしなければと思っています。さし当って、5月の臨時議会に提出される案件についての事前の説明を求める意見を出します。
NPO法人フィフティ・ネットへの寄稿文をやっと送信
(2005年5月7日 土曜日 晴)
随分前に依頼されていた原稿でしたが、選挙後のドサクサと同じ所からのべつな依頼とを混同してしまい、送ったものと全くの勘違いをしていました。大慌てで「選挙報告」の内容で文章を書き上げ、メールで送信しました。締切日にかろうじてセーフでした。こんな時はメールに感謝です。郵送なら早くても1日費やさなければなりませんから。
「フィフティ・ネット」は「女性と政治・政策センター」のサブタイトルが示す通り、多くの女性議員を誕生させるネット活動等を活発に行っています。私は議員になってからでしたが「ネット」が主催した「女性を議会にバックアップスクール」を2クール受講しました。その中で議員を目指す女性たちに、私の経験を話す機会もありました。受講者たちが語る政治参画への熱い志や地道な活動に、私の方が多々触発されたことを、今も大事に思い出しています。私は、「馴れ合わない」この初心が曇らないよう、任期を重ねるごとに自らに言い聞かせてきました。その源となっているのが、スクールでのたくさんの素晴らしい女性たちとの出会いです。
「フィフティ」は「半分」のこと、政治に女性が参画するのは当然、しかも半分を占めて当然、との意があります。私の寄稿文も、その意に焦点を当てて書きました。拙文を添付いたします。
島本町議会選挙報告
南部 由美子
<4年前の町長選挙に出馬>
私は4年前に、3期12年間の町議の実績を踏まえて町長選挙に出馬しました。行政職で代々受け継がれてきた町長を住民の手で、そして女性の手でと決意したからです。同時に私の後を平野かおるさん、澤嶋真紀子さんに託し女性議員のフィフティ化を図りました。実現には後一歩で及びませんでしたが、それでも女性議員比率(44.4%)日本一の町として、当時のマスコミにも随分騒がれました。
私は町長選に次点で敗れましたが、見事当選した二人の議員と共に大きな評価をいただきました。全国津々浦々少なからぬ自治体で、いまだ唯一人の女性議員も存在しない議会に悶々としている人々に、私たちの挑戦は勇気を与えたと確信しています。
<市民の目線で女性サポート>
その後の4年間、私は認知症のお年よりの介護職等をしながら、一度も休まず議会を傍聴し続けました。一住民の目線で町政のチェックを行っていると、様々な“お役所”の不条理や一部住民の無理解によって苦しむ人々がたくさんいること、その中で特に女性へのサポートの必要性を肌で感じるようになりました。
例えば、役場職員のセクシャルハラスメントにあっていた委託先の女性労働者の支援には、全力で闘い島本町に勝訴する結果をもたらしました。また申請と入所日のはざまで、明日の保育に泣いていた親子への救済は、月2回の申請・入所日を設定する事で改善を図りました。私はこの4年間、介護の仕事と人びとへの実効あるサポート活動を通してたくさんのことを学びました。いや、学び直したと言った方が正確でしょうか。
<“女縁”でトップ当選>
そして再びの選挙が巡ってきました。私は、私が立候補することで南部・平野・澤嶋の3人が市民派女性議員として当選を果たし、今度こそフィフティの夢を実現したいと決意していました。4月17日の投票日、今だかってない得票数を頂き私はトップで当選をいたしました。4年間の間、皆さんが私を憶えていてくださった、本当にうれしかったです。ヘルパーの仕事の合間を縫って活動してきたことも、夜勤明けの議会傍聴もきつかったけれど、全てが私の力となってくれていたのです。
セクシャルハラスメントの被害を受けていた彼女が先頭に立って、選挙戦を勝利の道に導いてくれました。様々な係わりを紡いできたことが実感できた、なんとも“味わい深い女縁”がもたらす素晴らしい選挙だったとしみじみと感じています。
<フィフティ議会の実現遠のく>
しかし、今回の選挙を鳥瞰してみると、女性議員の比率増や市民派議員の勢力拡大の観点からは、全く思わぬ結果を招いた選挙であり、私の願が打ち砕かれた残念な状況になってしまいました。何よりも、予想もしなかった現職議員の澤嶋さんの落選です。また女性候補者数が過半数に達せず、告示の段階でフィフティの可能性はなくなりました。さらには男女2名の市民派議員が立候補を見送りましたが、共に後を託す人を立てられなかった現実があります。女性議員の比率は37.5%に下がってしまった当町議会ですが、実質フィフティの力を私と平野さんで維持していけるよう頑張っていかなければならないと、5月議会を目前にして気を引き締めております。
Kさんの告別式
(2005年5月8日 日曜日 晴)
Kさんが亡くなられたと聞いて、本当に驚きました。病気を克服されて、最近は以前のように活動されていると思い喜んでいましたのに。Kさんとは同じ号棟に住まいしていることから、つい最近、選挙の前でしたがエレベーターホールでお会いして、励まして頂いたばかりでした。
Kさんは私より20歳くらい年上だったと思いますが、気持ちが若々しい方で私にも友達のように話してくれていました。永年、島本町の様々な関係団体で活躍してこられ、メゾン水無瀬の集会所で行われた告別式には大勢の人々の参列がありました。役場の職員の顔も見られました。
私は20年以上も前に、女性団体や消費者団体でご一緒していました。同じ団地のグループ員同士、いろんな講習会への参加や食事会等のお楽しみにも出かけていました。お互い若いその頃の私たちが写真のなかで、今も笑っています。
息子さんのご挨拶の言葉に「今日は母の日です。これからは花を上げることはもう出来ないけれど、大好きなたくさんの花に包まれてまれて送られる母は幸せだと思います・・・」とありました。Kさんは「緑と花いっぱい」の運動にも熱心で、季節ごと町の花壇に花苗を植えておられました。地道な活動で私たちの気持ちをいつも花のように和ませてくれていたKさん、本当にありがとうございました。役場への行き帰り、花壇のそばを通るたびKさんを思い出しています。
全議員初めての顔合わせ
(2005年5月9日 月曜日 晴)
10時から議員総会が開かれました。選挙後初めて、議員全員が集まります。澤嶋さんが傍聴を申し出ています。前議会で私が粘って粘って勝ち取ったのは議員全員協議会の傍聴ですが、今総会は協議会の前段に当る会議である為、私自身もまさか傍聴人があるとは思いませんでした。しかし、現実に申し出があるのなら認めるべきだと思い、大きな声で 「異議なーし 」と発しました。私の迫力に出鼻をくじかれたか、反対はありませんでした。
特にこれと言った案件もなく、会派を構成するのなら会派届を提出することの伝達があったのみでした。私は平野さんと会派「ひとびとの新しい歩み」をやっていきます。会派代表は平野さんにお願いしました。20日の臨時議会が開かれるまで、会派代表者会議は議会運営委員会の役目を果たします。
会議の冒頭に川口新町長が挨拶にやってきましたが、そそくさと簡単な言葉を述べるにとどまりました。気のせいか皆、しらーっとしているように感じましたが、・・・。私はそれよりも、町長が一人でやってきた事に違和感がありました。町長は身軽さを“売り”にしているとはいえ、誰か職員がついてくるのが普通ではないかしらと思いました。
高いヒールの靴なんて履くんじゃなかった
(2005年5月10日 火曜日 晴)
昨日久しぶりに履いた7センチのヒールのせいで、普段使わない足の筋肉がつっています。おまけに靴擦れもひりひり痛い。 「いつものお母さんらしくない、ええかっこするからや」と子どもからは笑われています。
昨夜はホテルリッツ・カールトンで、私のホームページの“師匠Sさん”と私たち家族で当選を祝す会食をしたのです。夫と息子たちはSさんとは顔なじみなのですが、私は少々緊張の初対面です。一方Sさんはホームページで、私の顔も行動パターンも考え方も情報は前もって折込済みなので「ドキドキしながら来ました 」とはおっしゃるものの余裕です。ヴァーチャルな私とナマの私と、Sさんの中で果たしてどんな落差が生じたのか聞いてみたい気もしましたが、素のまま大いに食べて大いにしゃべった私でしたので、訊ねるのは止めにしました。
私のSさんへのイメージは「パソコンの前で頑張っている、ちょっとおっかない人」でしたが、お会いしてみるとぜんぜん違っていました。穏やかで気配りのある、スマートな人(日本の中年男性には欠落している人が多い?)でした。けれど所々キラリと観察力鋭い意見も伺えて、私たちお気楽家族の会話をニコニコしながら、どう聞いておられたのかしらと後で気がついたことでした。もしかして私がテーブルの下で窮屈なヒールを脱ぎ捨て、裸足でいたことも見破られていたかも・・・。
今日は半日議員用のファックス設置工事のため、自宅待機でした。無理やり細い靴に詰め込まれたかわいそうな足にとっては、またとない休養にはなりましたが・・・・。
朝から夕方迄詰まった一日でした
(2005年5月11日 水曜日 晴)
10時、歴史文化資料館懇話会の傍聴に行きます。今日は初めて資料館現地での会議です。
資料館は旧府立青年の家の体育館として使用されていました。昭和初期の日本建築物として価値もあることから、JR駅前広場新設のための除去を免れ、大阪府から島本町に寄付されました。町は歴史文化資料館として活用をするため条例規則の制定を行い、立ち上がりの為の予算をつけました。懇話会は建物の整備を初め、島本町にふさわしい館の運営等に対する意見を具申する機関として開かれています。委員の皆さんは無報酬、ボランティアの参加で有難い事です。(簡単に少しおさらいをしてみました)
駅前広場になるところでは埋蔵文化財の発掘調査が行われています。試掘では少々の遺物が出ましたので、 「何か発掘されると思いますが・・・ 」と教育委員会事務局次長の話しでした。
資料館内は事務所が綺麗になっていました。もとの土壁、木の柱や床、引き戸を残した改修がされていて、私は好ましく思いました。これから本格的に建物全体に手を入れる必要がありますが、可能な限り復元を図ることを望みます。
本日の会議では、他所への視察、三方壁ガラス窓と展示方法の関係、トイレの改修、開館までの盗難防止等の意見が出され、今後のスケジュールが事務局から図られた程度で終わりました。
私は会議の中身よりも、今日は次のことが非常に印象に残っています。
新年度始めての会議でもあり、教育委員会事務局職員の自己紹介が冒頭ありました。待ち望んでいた学芸員の資格をもつ嘱託職員が配置されました。大学院に在籍する若く優秀な新職員に誰もが期待しています。教育次長から順次起立して自己紹介していきます。彼の番になりました。驚いたのは私だけかもしれませんが、なんと彼は座ったまま挨拶しています。周りの人すべてが上司で、委員もすべて年長の方々である事は知っているにも係わらずです。彼自身ごく自然体で横着しているそぶりは微塵もありません。
本当にビックリしてしまいました。彼ら若者の仲間同士では、何も違和感がない事なのでしょう。しかし私は島本町職員として、とても拙いと思いました。また彼に注意を促さない職員たちも拙いと思いました。それとも私が常識としている「起立して自己紹介」は、もう古くておかしいことなのでしょうか?
午後からは議会関係の会議です。先ずは2回目の議員総会です。会派の構成が明らかになりました。へーっ!5人の“大会派”が2つも生まれるのか・・。自民勢力と民主勢力、5対5で張り合うのか、水面下で繋がって実質10人の“大大会派”で結束するのか・・・まあ好きにしてくださいの気分です。しかし、今後大会派の我がまま・ごり押しは益々強くなっていくでしょう。
会議の終わりに、私は新人議員に対し、職員から町の事務事業を説明させる事を求めました。特に20日に迫っている臨時会の案件である「第二小学校旧校舎建替え事業に伴う校舎解体工事」については、経年の流れを説明すべきであるとの主張を繰り返しました。事務局から理事者側に伝えることを約束させました。
2時30分から初の会派代表者会議がもたれました。任期前半は平野さんが代表に、後半は私がなることにしました。私は会議を傍聴します。住民の傍聴も初めて認められました。議席を決め、本会議の年間予定表(案)が配布されました。次に議会運営委員の数について、早速大会派のごり押しが始まりました。
議員の申し合わせ事項で「会派の数が委員の数」との意が明文化されているにも係わらず、大会派からは2名出させろと主張してきました。しかし申し合わせ事項を変えるには、それなりの手続きを踏まなければ成りません。この大鉄則の前には、2つの大会派も渋々要求を引っ込めざるを得ませんでした。アーア、これからこんな調子で“我がもの顔”を利かせていくのかしら・・・とため息が出ます。
次は役員選考委員会です。会派から私が出ます。ここでも傍聴の申し出がありました。私は「公職である議員が集まって行う会議は、原則公開すべきであることを前提とした上で、役員選考委員会については個人としてプライバシーに係わる事も出てくる可能性はある。その際は秘密会に切り替えるべき」との意見を述べました。異論はなく住民の傍聴が本委員会でも始めて認められました。
私たちの会派は3役(議長、副議長、監査委員)を狙うわけでもなく、淡々と公平性・透明性の観点から住民の皆さんに説明のつく選考のありかたで筋を通す、このことを基本スタンスとしています。したがってサッサと個人名を出していき、調整を図る論議に入ることを求めました。6時になっても、2つの大会派が煮えきらず、結局次回持ち越しに成りました。まあ、役選がイライラするものである事は、私も嫌と言うほど分っていますから、諦めて次回のスムースな展開を願いつつ散会に同意しました。はぁ〜今日は疲れました。
会派一覧
人びとの新しい歩み(平野かおる 南部由美子)
日 本 共 産 党(河野恵子 冨永千広)
公 明 党(岡田初恵 杉本敦義)
緑 風 純 政 会(清水照光 実沢正夫 千頭八重子 野村行良 伊集院春美)
山吹民主クラブ(菅俊勝 原野完二 藤原靖彦 平井均 山口博好)
第二小学校見学
(2005年5月12日 木曜日 晴)
20日の臨時議会で2小の旧校舎解体工事の議案が出ます。一足先に給食棟の建設も始まっているし、旧校舎の現況もあわせて見学に行くことにしました。
門扉は閉じられ警備員さんが立っています。悲惨な事件が続発して、学校が安全な空間を確保する為には仕方がないのでしょうが、平野さん、澤嶋さんを待っている間、複雑な思いで校門を眺めていました。
校長先生からお話をうかがった後、旧校舎を案内していただきました。一部の使用を除いて既に廃室となっている教室は、抜けた天井から雨漏りがしている状況に到っていました。築40年を経るとこうなるのも仕方がないのかしらと見学しつつも、鉄筋コンクリートの建物なら後20年くらいはもつはずとの思いもありました。
学校の校舎にマンション並みのメンテナンスを求めるのは無理だとしても、余りにも放置して、どうしょうもなくなってから補修する今のやり方では、建物の寿命は早く尽きます。メンテナンスの費用対効果を算出することは出来ないのでしょうか。駄目になったからぶっ壊して新しく作る今のやり方でいいのかなーと思います。来年完成する新校舎もまた40年後に壊されてしまうのですね。長持ちさせる良い方法を、今から考えておくべきだと思うのですがどうでしょうか?臨時議会で質疑してみます。
昨夜2小のホームページで情報は得てきたつもりですが、やはり現場に立って見ると視野が広がります。勉強になりました。
忙しい中、快く見学を受け入れてくださった校長先生と教育委員会事務局・産業建設課の職員に感謝です。
帰りは役場に寄りました。結局閉庁の時間まで居て、4月の文書処理簿を全部閲覧しました。お客さんも少なくて庁舎の中が落ち着いている雨の日は、仕事がはかどり私は好きです。
役員選考委員会まとまらず選挙に
(2005年5月13日 金曜日 晴)
今日は介護者家族の会の総会・講演会が午後からあるのですが、役員選考委員会とかち合ってしまいました。残念ながら欠席です。会費だけは支払っておきたいので、急いでふれあいセンターへ行きます。会での挨拶をするためにやってきた町長に出会いました。苦手の挨拶も回を重ねるうちに上手になりますよと思わず声を掛けたくなるほど、重ーい足取りに見えました。
委員会では本日中に結論を出す事を確認して始まりました。私は先ず3役については、同じ会派で複数のポストを取らないこと、議長は副議長経験者がなること、これが最低条件であることを示しました。結局5時までかかっても、緑風純政会の議長も監査も取るとの厚かましい要求と、副議長未経験のS議員を議長にするとの前代未聞の推薦は変わらず、役選は肝心の所で機能を果たせず、20日の議場での選挙となりました。
「選挙なら民主的やんか」・・・とんでもない!本当は選挙のほうがたちが悪い。私たち少数派の意見は全く無視され、水面下で工作して票集めが行われます。
いずれにしてもやりたい放題です。あきれるのと、そこまでして議長が欲しいのかと思っちゃいますよね。あーあ役選ほど不毛な委員会はありません。どっと疲れました。
リフレッシュ!京都で絵画の個展へ
(2005年5月14日 土曜日 晴)
案内をもらっていた個展にやっと行ける土曜日になりました。画廊は京の町屋をそのまま生かした風情ある設えです。うなぎの寝床状の建屋で中庭には井戸があり、水と控えめな草木と太い大黒柱と土壁に囲まれて、油絵の作品が違和感なく置かれていました。
私は絵画のことは何一つわからず、唯単に「すき」「きらい」の感覚でお気に入りを定めています。5年前と全く違った新しい画法の説明を受けつつ、新たな創造への厳しさと素晴らしさがこの作家の5年を育てたのだろうと感じました。日頃余り馴染みのない場所に居ながら、けれどしっくり落ち着いた居心地の良いひと時を過ごさせてもらいました。
帰り道は錦(市場)の店々で目移りしながら食材を求め、大丸のバーゲンで夏用のジャケットも買って、最後はイノダのコーヒーでゆっくりくつろぎ、京都の半日は終わりました。久しぶりにノビノビとすっごく楽しかった!
雨で中断ふれあいマーケット
(2005年5月15日 日曜日 晴後雨)
長い間澤嶋さん、平野さんと共に参加してきたフリーマーケットですが、今回は澤嶋さんが単独で出店します。私は気楽にお手伝い要員としての参加です。年々若いお母さんたちの参加が増えてきました。したがって小さい子どもたちの衣類がとても充実しています。反面、生活スタイルの変化からか、或は経済の低迷からか日用生活必需品(タオルや石鹸、調味料、お茶等)を不用品として出される人がぐんと少なくなりました。頂き物が少なくなり自家用にも足りない家庭が増えているのでしょうか。
従って、実用品がお目当ての中高年の方々からは「買いたいものが少ない」との声も出ていました。私も買い物の品数はいつもより少なく、キルギスの絵皿50円とジャンバースカート200円が今回の収穫でした。それとマリーゴールドの苗、えんどう豆、焼き鳥も買いました。
お昼近くになって雨が降ってきました。それも2度にわたったので、残念ながらマーケットはついに中止になりました。何時も閉口するくらいのカンカン照りの天気なのに、珍しいことです。みなさんとはまた来年お会いしたいですね!澤嶋さんとお手伝いの方々もお疲れ様でした。
監査委員の選挙で無効投票したわけ
(2005年5月16日 月曜日 晴)
今朝は保育サポートがお休みなので、10時からの議員総会までゆっくり時間があって助かります。
議員総会では役員選考委員会の結果「議長、副議長は議場で選挙すること。監査委員についてはこの場で選挙すること」が報告されました。監査委員は町長が議会に提案するのですが、予め議会の同意を得ておくために、議会が町長に推薦するという回りくどいやり方をします。
監査委員に議会はChi議員を推薦するとの投票結果がでました。私は無効票を投じました。これはChi議員について、どうこう言っているわけではありません。私は一貫してChi議員を議長に推していました。それは大会派から議長が出るのは容認しよう(2大会派のうち1会派は議長をとらないと宣言)。しかし、副議長経験者であること、そして議長を取れば他の2役は取らないこと、このことが条件でした。
ところが緑風純政会は、先ず今日は監査委員を取っておいて、20日の本会議場では再び自分の会派からS議員で議長を取るのです。そして3役のうち2役を独占します。このことが分っているから、私は監査委員の名前を書くことは出来ませんでした。抗議のコメントを投票用紙に書いて投票箱に入れました。
今回は緑風純政会が取ったけれど、話は出来ていて次は山吹民主クラブが2役を取るに違いないと私は思っています。こうして二つの大きな会派だけで議会をまわしていく、時々は公明党にも甘い誘いをかけながら・・・。「好きにしたら」と無視していてもいいけれど、このような体制のもと行われる議会運営は必ず住民の皆さんへの付けとなって現れます。
私が役員選考委員会で必死に食い下がったのは、皆さんを見ない、住民に視点を置かない議会にさせたくない、この想いからなのです。
1時半から会派代表者会議を傍聴します。議会運営委員会がまだ発足していないので、ここが臨時議会の運営について話し合い決定します。
4時から私と平野さんの会派「人びとの新しい歩み」に対して、職員から提出議案の説明があります。これは今回始めての出来事です。今までは与党議員のみに対しては行われてきていたと私は思っています。新町長になったからか、与党と野党の見分けがつかなくなったのか、或は私が新人議員に説明すべしと要求したことを受けて、南部の言うた通りにするのはケッタクソ悪いから全会派に拡大したのか、理事者側の考えは定かでありませんが、いずれにしても歓迎すべき事です。他市では当たり前に行われていることですから。馴れ合いに成らないような事前説明は、双方共にメリットがあるのではないでしょうか。
町長室横の部屋には、オーッ!なんと町長、助役以下、議案の所管部次長が居並び、公室長が進行に当ります。
課長、係長の実務担当者が説明するのかと思っていましたので、ちょっとあがってしまいました(小うるさい私たちを威圧、びびらせるのも作戦かしら?)。1時間で終了しましたが、4年間一住民だった私は、まじかでエライ人の顔に久しく接していなかったので、ホント緊張しました。こんな自分にブランクの一端を見た思いで、意外でもありました。
仕事はしているけれど、なんか落ち着きがありません
(2005年5月17日 火曜日 晴)
議員に当選して今日で早くも1ヶ月です。役場へはほぼ毎日通っている状況ですが、あれもセナアカン、これもセナアカンと追い立てられるような気持ちです。まだまだドッカと腰を据えての態勢には到っていません。20日の臨時議会が終われば、落ち着きを取戻して、選挙で中断していた課題にも取り掛からなければなりません。
なかでもJR新駅事業は大きな課題のひとつです。私たちが選挙でバタバタしている間にも、地元自治会や隣接の第一幼稚園保護者に対しても説明会が進んでいる様子です。
JR福知山線の大事故後、JR西日本に対する不信感、不安感は増幅しています。新駅予定地に隣接する住民の方々や、第一幼稚園の保護者の方からも心配のお声を頂いています。
午後から担当の都市整備課に問い合わせに行きました。工事の具体的な内容になると、町職員では答える事が出来ません。結局、課長の答えは「JR西日本の工事の技術力を信用せざるを得ませんから」の繰り返しに終始しました。「あのですね、今その“信用”が揺らいでいるのですよ!」と思わず言ってしまいました。
いずれにしても島本町もJR西日本も、もっと積極的な情報公開の姿勢を示すべきだと思います。安心・安全を保障する第一歩は情報の公開、共有から始まるのですから。
この後産業建設課で、第二小学校旧校舎改築に係わるもろもろの書類を長時間閲覧しました。勿論、情報公開請求をして15日間待って開示された資料です。こんなん、誰にでも手続き無しで見せてもかまへんのになあと思いました。
2度目の第二小学校見学
(2005年5月18日 水曜日 晴)
二小には先週行ったばかりなのですが、今回は議会からの見学ということなので再び参加します。眼科検診が行われているようで、子どもたちの集団が廊下を行き来しています。校長先生と子どもたちとの何気ない交流が、見ていて微笑ましく感じました。旧校舎の見学は先週済ませているので、特に新しく認識した事項はありませんが、今日は給食調理室の扉が開かれていて天井を見る事が出来ました。
旧校舎は1964年建設ですが、その当時の実施設計書が存在しておらずアスベスト(石綿)の使用状況が分りません。今回解体工事の事前調査では、目視による確認にて「無し」とされていますが、見えない部分で使用されている恐れがあるかもしれません。作業は慎重に行う必要がありますが、それらを私たちが確かめる事も出来ません。・・・不安です。
いまアスベストの使用が分っているのは、今日見た給食室の天井です。アスベスト含有約10%の珪酸カルシウム板が135平方メートルの広さで使われています。1976年の北校舎増築時の竣工図面からこのことが確認されました。天井板の撤去にあたっては、7月1日施行の「石綿障害予防規則」に則り、従来よりも厳しい対策が求められます。
給食室以外ではアスベストの不存在が、現在では目視調査でしか確認できていないわけですが、校舎解体時にその存在をどうして確かめることができるのか、やっぱり不安です。産業建設課の担当に訊いてみました。「建築リサイクル法に従って、分別解体を行わなければならないため、一挙に何もかも壊してしまう事は出来ません。したがってアスベストが使用されている可能性があるような、例えば天井をめくった時には使用材について、そのつど確認していきます。」との答えでした。少し安心しました。
解体工事の詳細なスケジュールはまだ詰められていませんが、アスベストの存在確認を行いつつ解体を進めるため、校舎上屋については夏休み中の終了を予定し、後は基礎杭の撤去を行い、予定では10月末までの工事です。解体工事は新校舎建設の前段の工事ですが、騒音、粉塵、工事車両の通行、作業員の出入等々平時の学校の状況と大きく変わりますし、危険度も増します。安全・安心対策は十分すぎるほどの態勢をとり、無事校舎建設に繋げていってもらわなくてはなりません。担当部局の奮闘を期待すると共に、私たちも継続したチェックをきちんとやって行かなければならないと、改めて思いました。
「なんぶニュース臨時議会のお知らせ号」を作る
(2005年5月19日 木曜日 晴)
明日の議会開会を今日ぎりぎりになってお知らせするなんて、申し訳ないことです。しかしメールとファックスで送信できる方は限られています。やっぱり簡単なニュースながら「なんぶニュース」ミニ版を大急ぎで作ります。私の決意をこめた表紙の文章にぺたぺた写真を貼り付けて、このホームページの週間日記から当選が決まった時の日記も引用し、カラーコピーで100枚刷りました。なかなかきれいなのが出来ました。(でも、結構なコピー代!)
自宅周辺を主に、ごく限られた方々にしかお届けできませんでしたが、お許しください。表紙の記事のみ、お送りいたします。
4年ぶりの議会登場です=5月20日 午前10時〜
みなさまお元気でいらっしゃいますか。選挙の際はお世話になったりお騒がせしたりで、本当にありがとうございました。
いよいよ明日は初議会です。4年ぶりの議場で、ちょっとあがりそうです。もっとも今議会は議長ほかを決めるための“役選議会”ですから、私も出番はそうありません。川口新町長の施政方針が示され、肉付け(3月の当初予算は骨格予算でした)の補正予算が出てくる6月議会が実質的な2005年度のスタートであり、議員も本格デビューとなります。
しかし、人びとの暮しは新町長や議会議員の構成や、そんなものには係りなく連綿と続いているわけですから、私たち議員のほうが皆さんの生活上の問題点を、いかに早く正確にキャッチできるかが問われるわけです。私は 「はいはい」と何でも安請け合いをして、後でさじを投げる議員ではありません。成るか成らないかは分りません。けれど皆さんのご相談にはトコトン付き合います。机上の論で話し合いはしません。スマートに「議員やっています」なんて出来ません。地べたも這います。泥臭いけど、頼りにしてもらってもいいと思います。何でも話に来てください。私からのお願いです。
さて、どの議員がどの役に就くかはほぼ決まっています。中でも議長職は選挙の形をとりますが、当たり前の理屈が全く通らない結果になるはずです。私は役員選考委員として、口角泡を飛ばし「おかしい」と言い続けてきたけれど駄目でした。同じ会派で議長と監査委員をとる(そんな厚かましい要求は今だかってなかった)。副議長を経験していないのにいきなり議長をとる(全く初めてのド厚かましさ)。今議会初めての“大会派”(5名)とやらが、僅かに残る役選の良識を蹴散らしてしまいました。私は明日の議長選挙はボイコットします。ゴマメの歯軋り、せめてもの抗議です。
議案の中で主なものに「工事請負契約の締結について」があります。第2小学校の旧校舎建替にともなう解体工事を約5千2百万円で(株)ツジイ住宅に請け負わせるというものです。この案件については少々質疑をしたいと思っています。
いずれにしても良い議会になるには、皆さんの傍聴や関心度にかかっている所が大です。
ぜひ議会を覗いてみてください。いつからでも何時まででも出入り自由です。
会派一覧
人びとの新しい歩み(平野かおる 南部由美子)
日 本 共 産 党(河野恵子 冨永千広)
公 明 党(岡田初恵 杉本敦義)
緑 風 純 政 会(清水照光 実沢正夫 千頭八重子 野村行良 伊集院春美)
山吹民主クラブ(菅俊勝 原野完二 藤原靖彦 平井均 山口博好)
4年ぶりの議席に、やっぱり感無量
(2005年5月20日 金曜日 晴)
保育サポートから帰って、大急ぎでお弁当を作ります。今日の臨時議会のお昼用です。お茶もコーヒーも全て自前で持っていきます。議案に関して集めた資料をあわせると結構な荷物ですが、本日は会期が1日だけなのでまだましです。
10時になりました。いよいよ最初の議会が始まります。私の議席は最前列。ああ、相変わらず座りごこちの悪い椅子だぁー。ほんと腰痛製造機みたいな椅子で、これから4年間座り続けると思うと、ちょっと憂鬱。以前に比べ、加齢を考慮すると腰への負担は増すばっかりやし・・・とブツブツ言いながらも、ん?なに?ふつふつ湧いてくるこのうれしい気持ち!そう、この席に着くまでに結構頑張ったよねえ、私。そしていろんな人に支えてもらって、今再び議場にある私。12年間慣れ親しんだ(?)議場に、当然のごとく帰ってきた私には、特別の感慨なんてあろうはずがないと自分自身思っていましたのに・・・。ところが私としたことが、ほんのひと時ではありましたが、なんと感無量になってしまったのでした。
議長選挙の投票が行われます。議場封鎖の直前に、私は抗議のボイコットをするため退場しました。先日の日記でも書きましたが、1会派から三役(議長、副議長、監査委員)を複数取らない、また議長は副議長経験者から選ぶ、この最低限のルールを破るS議長の誕生に係わることは出来ませんでした。S議員個人に対して「議長にふさわしくない人」との見解を持っているわけでは決してありません。私とは対極にある人だと思いますが、行政への影響力を初めとしてナンバーワンの“実力”を持っている議員であることは事実です。早晩堂々議長に就ける人なのですから、無理やり横車を通した今回のやり方は議会のあるべき姿として、まったく評価できないし、怒りよりもむしろ残念な思いで一杯です。
副議長も選挙します。議長選に協力し、F議員を副議長に押した山吹・民主クラブに抗議の意をこめて、白票を投じました。議長、副議長の紋きり形挨拶後、本日の案件に入っていきます。監査委員をChi議員にとの採決には、反対の表決をしました。その他の議会役員の選挙や推薦や選任もしますが、その度に休憩がとられます。傍聴の方々には休憩の意味も良く分らないし説明もない中で、待ちぼうけの時間が重なってしまい帰ってしまった人も多くいました。肝心の第二小学校改築議案の時には、傍聴人は1人になっていました。
さて、役員選挙等が終わり川口新町長の議場初の挨拶があります。議案書を手に登壇した町長に「今日は頑張っていい挨拶をしてや」と私は期待を込めましたが、気の利いた言葉ひとつ出てくるでなし、いつもと変わらずでがっかりでした。
それにしても初めての議会、町長であれ議員であれ送り出した我が新人に、どうして傍聴のエールを送らないのか不思議でなりません。
特に町長に限れば、傍聴席が溢れんばかりの様相を呈してもおかしくはない今回の選挙結果だったのです。町長の中身、手腕についてはこれからの事としても、本人も落ちるとは夢にも思わなかった現職を破って当選した事は本当にすごい、すごい事なのです。なんか傍聴を自粛するような力が働いたとしか思えないような、住民不参加の初議会でした。結局いつものように、私たち「人びとの新しい歩み」への傍聴者が、一番多かったのではないでしょうか。
この後、今議会のメイン議案「第二小学校旧校舎解体工事」の工事請負契約の締結が審議されました。私の質疑の内容については先の日記でもふれていますので、採決時に行った賛成討論を少し分りやすく整理して、明日の日記に掲載いたします。
第二小学校旧校舎解体工事に賛成しました
(2005年5月21日 土曜日 晴)
本工事請負に係っては、いくつかの問題点があります。1つは工事の入札に関する疑問です。町内の7業者で入札が行われましたが、内6業者が町が予め公表している低入札調査基準価格と同額の49,848,000円の札を入れました。これより低い金額で入札すると庁舎内の調査委員会にかけて、適正な工事が可能かどうかを調査します。残る1業者は基準価格より低い49,484,000円の札を入れ、委員会に掛けられましたが「問題なし」で落札となりました。
かっては町内建設業者は「組合」で結束していましたが、数年前に組合を離脱した業者が「協会」をつくり、2つに分かれた業者たちは当然仲が悪いらしいです。今回落札したのは 「協会 」業者で、駄目だったのは全て「組合」業者です。一般論で言うと建設業者には大なり小なり関係する議員がいると言われます。
この入札結果に多くの議員から「おかしいんと違うか」的な質疑がありました。しかし以前、水瀬川緑地公園の工事にかかわリ既に決定していた落札業者を議会が否決して“意中”?の業者に挿げ替えたようなことは、さすがに今回ようしなかったようです。
さて「おかしいんと違うか」の「おかしい」は「おかしい」事を証明することが出来ない入札執行の事のみではありません。むしろ以下の「おかしい」のほうがよほど深刻です。それは今回の落札業者は、なんと「青年の家」除却工事でノコギリやパネルを隣接の幼稚園に落し、さらには勝手に園庭にはいりこんだ、あの業者なのです。
住民感情からすると、こちらの「おかしい」のほうが許せないと思います。本来ならこの業者を指名しない方が良かったのです。役場から指名されなければ、入札には当然参加できない訳ですから。しかし役場の言い分は「ノコギリが降ろうとパネルが降ろうと、何も人身事故起こしたわけやない。あの程度で指名停止にはでけへんわ」なのです。そして入札に参加したら不正がない限り、1円でも安く札を入れた方に落ちるのはあたリまえです。
入札・契約にかかわる制度の改善は何度も行われているのに、なんかいつまでたってもすっきりしないのが現状です。「地元業者育成」を「地元業者保護」に書き換えた錦の御旗を掲げている限り、町と町内業者のしがらみは存続していくのではないでしょうか。新しい町長の誕生を機に、さらなる抜本的な改革を求めなければなりませんが、川口町長やれるでしょうか?
さて二小旧校舎解体工事のもう1つの問題点は、アスベスト(石綿)を含有した成形板の存在です。アスベストがもたらす障害は既に周知の事実です。石綿粉塵を少量吸い込んだだけでも、肺がん等の発症をはじめ非常に恐ろしい事態を引き起こす恐れがあります。7月1日より施行の「石綿障害予防規則」(従来は吹きつけアスベストのみを対象にしていた障害予防を含有材に広げた法令)をしっかりと遵守するとともに、慎重な作業が求められます。
本工事の請負契約締結に関する議案に対する私の討論は、上記の2つの問題点に焦点を当てて行いました。全員賛成で可決しましたが、付帯決議がつきました。私も決議の提出者になりましたから「つけました」が正しいのですが、入札結果にグズグズ言っていた議員たち主導で出されてきた決議です。まあ書いてある内容は至極当たり前のことなので、イチャモンつけることもありませんでした。私の知る限り、付帯決議がついたのは初めてだと思いますが、いろんな方法で議会の意思を示すのは、良いことではないでしょうか。
この議案に対して3人の新人議員が、アッ私を含めると4人が質疑しました。3議員とも簡単な一問一答形式でしたが、再々質問まで行いました。落ち着いていて、よく分る内容でした。私の質疑・討論の自己採点は、ハナマルを付けるまでにはいきませんが、マアマア合格点には達していたでしょうか?
JR西日本と島本町の近隣住民説明会が開かれています
(2005年5月22日 日曜日 晴)
H19年4月の開業を目指してJR新駅関係の工事が、いよいよ始まります。住民への説明会が2ヶ月も前から既にスタートしていたことが、情報公開請求でやっと手に入れた文書によって分りました。何か動きはあるだろうとは思っていましたが、選挙前の日々、情報収集までなかなか手が回りませんでした。最初は近隣3自治会等の役員対象で、続いて自治会住民、隣接の第一幼稚園保護者への説明会を行っていっています。
近隣住民への説明は当然ですが、同時に議会への説明が全くされていないのは疑問です。日程的には改選前の議員でも間に合いましたし、改選後の議員に対しても今までにその機会はあったはずです。説明会では工事にかかわる資料も多く出されていますし、工事を請け負う業者も出席しているなか、議会は何故置いてきぼりなのでしょうか?(後日、本当に遅まきながら6月10日の議員全員協議会での説明が決まりましたが)
説明会では、当然ながらたくさんの質問が出されています。住民の皆さんの心配を議会(議員)が共有出来なくてよいわけがありません。(仮称)島本駅はJR西日本にとっては数ある駅の1つにしかすぎないかもしれませんが、町と町民にとっては大切な事業です。街づくりの核となり、私たちの生活の基盤ともなる新駅設置です。新駅の近隣住民のみならず全住民対象の説明会があってもよいと私は思っています。
日記がドンドン溜まってきます
(2005年5月23日 月曜日 晴)
第4小学校が休業日で、保育サポートは学童室まで送ります。一緒に歩きながらAちゃんはいろいろと遊びを考え出します。学校横の貸農園で作業中のお年寄りに野菜の名前を教えてもらったりして、ノンビリと行きます。
午前中は、この間うまくいかなかった議会専用ファックスの取り付けにくるので待機します。日記が「週間」をこえて「旬間」になってしまうくらい滞ってしまいました。アクセスしてくださる皆様には、本当に申し訳ないことと思いつつもなかなか追いつくことが出来ません。今日は役場に出かけずに、少しでも日記を進めていくことにします。
昨日書きましたが、JR新駅に係わり開かれた説明会の日程が気になり、確認のためJR西日本に電話してみました。大きな組織だからか「島本町一住民」ではなかなか目指す部局にたどり着けず、ここは「議員」の肩書きを活用して、目的にかなった担当者から私に電話をくれるようにお願いをしておきました。直ちに電話がありました。町とJRが示す説明会の日にちにずれがある事がわかりました。今後、町の情報開示内容で確かめなければならないと思います。
結局いろいろ調べものをしたりして時間が経ち、日記はまたまた追いつくことが出来ないまま、明日へ日を重ねてしまうことになりました。ごめんなさい。
他者の住民基本台帳閲覧は不可でした
(2005年5月24日 火曜日 晴)
住基台帳の閲覧に起因する事件が多発する中、個人情報保護法の全面施行も伴い従来の「島本町閲覧要領」では、不当な目的や大量閲覧を防ぐ事は困難になりました。そこで町は公証の目的以外は実質閲覧が不可能な「島本町住民基本台帳の閲覧に関する要綱」を作って、5月1日から施行しています。本要綱は4月20日に決裁されていますが、4月17日に落選した村田前町長の決裁印が押されているのは、なんか変です。
私は要綱が出来た時点で入手していたのですが、今日は実際に他者の閲覧請求を試みてみました。閲覧の理由は「公益上の必要性」を記述して「町長が認める事由に係わる請求」に該当するようにしました。しかし、事実上の門前払いになりました。拒否された事を不服に思っているわけではありません。私の試みに対して担当者は丁寧に説明責任を果たしたし、要綱に沿って閲覧を防ぐ事が出来たのですから。私のお試し請求はチェック機能を果たしたわけです。
しかし、一方では本要綱の内容や、事実上の手数料値上げ(従来1件=10人を1件=1人とした)について条例改正の必要性云々や、料金表示のあり方等々不備な点があることは否めません。まあ、大前提として「何人にも」閲覧の請求を認めている住民基本台帳法の根本的改正をしなくちゃお話しにはなりませんですけれどね。
国土交通省近畿運輸局と府の情報センターへ行きました
(2005年5月25日 水曜日 晴)
私たちはJR西日本からの情報はダイレクトには入手できません。新駅の設計等に係わる認可は既に国より下りているので、近畿運輸局へ訊ねに行きました。本来なら選挙の前に行っておくべきでしたが、随分遅れてしまいました。「見ても分りませんで」「同じものが町にも行っているはずやけど」等々、親切心なのか煩がっているのか(多分後者だけれど)分りませんが、担当者は言います。軽く受け流して情報の請求をしておきました。
次に大阪府の情報センターへ行き、駅舎等の建築確認申請の手続きについて調べてもらいました。まだ該当事案はないとの事で、帰ります。無駄足であっても、情報は複数箇所から得ることを私は心がけています。久しぶりに出てきたので、政府刊行物センターにも寄ってみました。帰りは高槻で降りて、友人たちと旅行会社に行き夕ご飯も済ませて帰りました。
今日は議員の初報酬を頂いたうれしい日でもありました。1ヶ月の報酬額は33万円です。そこから共済掛金4万3千5百円と所得税3万8千円を差し引かれて、手取りは24万8千5百円です。(今回は4月30日一日分の1万450円も同時に振り込まれていました)今後も皆さんの税金から報酬を頂いている事を、常に心に留めながら議員活動をしていきます。
大きく形を変える?教育関係施策
(2005年5月26日 木曜日 晴)
朝の保育サポート終了後一通りの家事を済ませた後は、殆ど役場に出かけます。主には情報公開請求をしていた文書の閲覧が毎日のようにあリます。今日は3件の教育関係情報が開示されます。これらは教育施策のごく一部ですが、住民にとって割合大きな意味を持つものだと思います。
一つは幼稚園における「預かり保育」に係わり、既に試験的な実施をしている近隣の公立幼稚園を視察するとの情報です。今年4月、町立幼稚園の余裕数(空き)は第一幼稚園が64人、第二幼稚園が74人で、共にほぼ半分しか園児の確保がされていない状態です。そこで「預かり保育」で園児の充足率をアップさせようとの狙いがあるのではないかと思われます。ちなみに、視察先の幼稚園では月〜金の毎日、午後4時半まで預かり、1日300円の保育参加費(水曜日は600円)です。対象は5歳児で、勿論同園の園児です。
町の行政改革大綱では 「幼保一元化」が打ち出されている事もあり、その先駆けとなる可能性もありますが、何よりも子どもたちがのびのびと育ち、保護者が安心して子どもを預ける事が出来る環境づくり・子育て支援に視点をすえ、住民の声を良く聞いて検討をすべきです。単に園児の数が少ないとの経費面のみで拙速に判断すべきではありません。
2つ目の情報は、中学校区制度の弾力的運用を来年度から実施したいとの案です。本件については調査研究連絡会で検討されてきましたが、当初の「部活動」のみによる弾力化は断念し、理由に係わらず選択できる制度として(受け入れ枠各校20人)、改めて連絡会に意見を求めていくとしています。
3つ目は(仮称)島本スポーツクラブが総合型地域スポーツクラブとして委託事業を受ける為の事業計画書を(財)日本体育協会に提出した情報です。クラブの設立は体育館懇話会で審議されてきました。町の体育協会がNPO法人を取得していますが、町立体育館の運営を視野に入れた流れが具体化してきたと見ていいのでしょうか。
いずれの施策も今後の動きを注視していき、また皆さんへご報告したいと思います。
役場で私がいるところは文化情報コーナー
(2005年5月27日 金曜日 晴)
今日も役場です。議会事務局にある議員ボックスに入っているものをとった後は、1階の文化情報コーナーにいることが多いです。情報の閲覧等をするには、3階の議員控室にいるよりは便利です。それに住民の皆さんや職員の出入もあるので、役場の雰囲気が良くわかります。
向かいの税務課職員の接客態度なんぞ、手にとるように伝わってきますし、もちろん同室の自治推進課も同様です。1階出入り口や売店にも近いので、職員と顔を合わせることが頻繁です。私が挨拶をしても返さない厚顔者もたまにいます。こんな時にはマメに「ご挨拶チェック表」に記録しておきます。
珍しく川口町長が隣に座って話し掛けてきました。私のホームページを見ているとのことなので、お礼を言います。数日間かけた職員との面談がやっと終わるそうで、ひとつこなした安堵感からか、随分元気そうになっていて私に語る言葉も多かったです。まあ、いろいろあってもやっぱり明るい町長でいなくちゃね。
閉庁時間ぎりぎりまで、全候補者の選挙収支報告原本を閲覧しました。議員で百万円以上掛けた人が5人もいたことはちょっと驚きでした。1票あたりに掛けたお金が一番少ないのは、河野議員で次が平野議員、3番目に少なかったのが私でした。ちなみに総金額では17人中7番目に低い支出でした。(約57万円掛かりました)
どちらも行きたかった催し
(2005年5月28日 土曜日 晴)
2時から2つの会がかち合ってしまいました。ひとつは、小さい頃から知っているユキ・ロドリゲスさんのピアノ演奏会、今ひとつは友人のTさんの講演会です。どちらも親しみのある人、どちらも行きたい。仕方がありません。先に「参加するわね」と約束していた講演会のほうを選びました。幸い会場は住民ホールとふれあいセンターで近いため先にホールに行き、ゆきさんのお母さんに挨拶してCDを求めてからセンターに向かいました。
講演会は島本国際交流協会の主催です。Tさんは6年間暮らした香港の話をしてくれました。十分に準備をした話は聞きやすく、したたかで生き馬の目を抜く香港の魅力を余すことなく語ってくれました。また日本に対する世代を超えた苦い想いは様々な形で、Tさんにも突きつけられたそうです。メイドのフイリピン女性とのトラブルを通して学んだ苦い経験の話も興味深い内容でした。
夕食後楽しみにしていたユキさんのCDをゆっくりと聴きました。
居住マンションの管理組合総会に出席
(2005年5月29日 日曜日 晴)
総会はえてしてシャンシャンで終わる所が多いと聞きますが、我がマンションの総会はなんと4時間にも及びました。築30年、500世帯を超えるメゾン水無瀬は自主管理をしています。建物はすでに何回かの大規模改修も経ていますが、なんとかもっと長持ちさせるためにと役員になった人の苦労は毎年大変なものです。また日常の維持管理、清掃や植栽の手入れや、不法駐車対策や・・・管理組合は数え切れない仕事を抱えています。
みんな順番に役員を経験してきているのですから、その苦労はよくわかっているのです。だから言いたいことも控えようとか、疑問点を見ぬふりをしてやり過ごそうとか、そんな後ろ向きの気持ちにならない、いやなれない人がメゾンにはたくさんいるのだと改めて認識をした総会でした。
正直「もうええ加減で終わって欲しい」と途中で思いましたが、民主的な方法を取るほど時間は必要なのだと、皆さんの意見を聴きながら思い直しました。そして、議会の場でも全く同じなんだと納得したことでした。4時間の総会は決して無駄にはならないと思います。
住民福祉審議会傍聴
(2005年5月30日 月曜日 晴)
来年の4月から介護保険制度が大きく変わるはずです。施設入所費用については早、4ヵ月後の10月から利用者の負担が増大します。在宅なら食費と居住費は自己負担なのだから、施設にいる人も自分で持ちなさいということなのです。(ただし低所得者対策はするらしい)
制度改革の中身は、先駆けて行われる前述の内容を見ても分るように、大変な改悪になることが予想されます。例えばデイサービスで筋力トレーニングをやりなさいとか、ホームヘルプサービスでは食事を作らないとかというようになります。筋トレ?そのものは別に悪ではありません。またヘルパーが食事等を作らない事で、本人の生活機能が向上するって?そりゃーする人もいるかもしれない。
けれどこんな改革を当のお年寄りや家族の大多数が望んでいるとは、とても思えません。私の短い、つたないヘルパー経験からしても、こんなのはやっぱりエライ人たちが机上で考えたことなんじゃないかしらと思えてなりません。長く生きてきて、在宅であろうと施設入所であろうと介護度がいくらであろうと、もうこれからはホットする穏やかな暮しをしたい、そのためのサービスを受けたい・・・こんな願をもっている人々の方が当たり前だと思うのです。そして、そんな願に応えるのが真の介護保険制度改革ではないでしょうか?
島本町の介護保険制度の見直しに向けて、いよいよ今日から住民福祉審議会での審議が始まりました。私はこれまでも毎回傍聴してきましたが、今後も審議の行方を注視していかなければと思っています。会議は誰でも傍聴できます。次回の日程は、役場のホ‐ムページに掲載されますのでご確認ください。
バタバタと忙しい一日でした
(2005年5月31日 火曜日 晴)
保育サポートから帰って洗濯と掃除を済ませた後、私の子どもと同じ年くらいのご夫婦宅を訪問します。ミニチュアハウスをはじめ素敵な小物のインテリアグッズを見せてもらいます。お気に入りのがあれば譲ってもらう事もできます。若い彼女からは選挙の情宣のあり方について大きなヒントをもらいました。今まで私のニュースはズット読まずに捨てていたと言う彼女は「字が多いと読みたくない。記事はぱっと見て分るようにブロック分けにして欲しい」等々を率直に伝えてくれました。選挙リーフレットはそれらの意見を取り入れ、みなさんにも好評でした。
つづいて麻布の染色展を見に「花染」さんを訪ねます。今日が最終日なのですが、時間がなくてゆっくり見ることが出来ず残念でした。
お昼を食べて、情報の閲覧のため水道庁舎に出かけます。3月1日の日記にも書きましたが、永年に渡る下水道使用料金未徴収が発覚しました。私はその後の法的手段も含めて、町が取った改善点がわかる情報を請求していました。しかし出てきた情報は関係があるにはあるけれど、たいした情報ではありませんでした。結局、指定業者でない業者が下水道工事をしたと考えられる時効分17万円は法的処置もとられず、有耶無耶になってしまうということなのでしょう。
つぎに役場に行き、何件かの情報の閲覧をします。3時過ぎに町長に面談し、町内在住の原告数人で要望書を提出します。住基ネット訴訟において昨日、金沢地裁で住民側の勝訴判決がありました。要望書はこれを受けて、島本町も多額の予算を使っている百害あって一利無しのネットワークシステムから離脱しなさいと求めるものです。町長は外出先から帰ってきたばかりでしたが、気軽に面談してくれました。本日の答え「勉強します」は現時点での町長の精一杯の意思表示だったと思います。(ほんとに勉強してや)
3時半から町長以下理事者による会派への6月議会案件説明会があります。中身はどうってことはありませんが、自発的に説明するというその姿勢は大いに評価したいと思います。助役の再任が提案されるかどうか、大いに興味のあるところです。またもちろん新町長による施策予算にどんな事業が盛り込まれるか、或は省かれるかも注目したいと思います。6月8日の議会運営委員会で議案の中身が明らかになります。議運には私が出席します。
帰宅後は明日からの小さな旅に備えて、家事の段取りをつけ、保育サポートのピンチヒッターさんに確認を入れ、小さなバッグにちょこっと衣類を詰め、明朝4時起き出来るよう早々にベッドにもぐりこみました。あーぁ、今日はなんとバタバタした一日だったこと。明日から3日間は仕事の諸々はきれいさっぱり忘れまーす。すっごく楽しみ!おやすみなさいZzz・・・。