選挙前後あれこれ(2005年4月1日〜20日)
みなさま、大変ご無沙汰いたしておりました。すみません。12日から17日までは選挙期間中で、ホームページは閉じさせていただかなくてはならなかったのですが、その後が直ぐに再開できなくて本当に申し訳ありませんでした。
当選後、ドンドンとアクセス数がうなぎ上りに増えましたが、開いてくださった皆さんに空振りさせてしまいました。ごめんなさい。
言い訳になりますが、当選後私はパソコンに向うより、町に飛び出し街頭演説をした場所に立っていました。スポットをした所は無数にありましたので、2日間で全てを回り切る事はできませんでしたが、出来るだけ多くの方々に感謝の気持ちと私の決意を直接お伝えしたかったのです。選挙日程が2日間延びたようで、既にクタクタの体がもうボロボロになりそうでした。
知らない人が「おめでとう!トップ当選やね」と声を掛けてくださり、立ち止まって街宣を聞き拍手をしてくださる方もいました。たくさんの人びとが私の当選を喜んでくださっていると肌で感じることができました。このうれしさこの幸せを頂いた、そのお返しはしっかりと議員の仕事をすることで、みなさんのもとに戻していきます。
私には、この2日間で投票した人とされた人(私)との間でより確かな契約が交わされたような気がしました。「契約って”選挙”のあるべき基本の姿やんか、政治はここからスタートやで」と、ややもすると感激の大波に飲まれそうになっていた私の気持ちを引き締めました。(続きは週間日記にて)
(2005年4月12日 火曜日)
選挙告示日です。あいにくの雨、風も冷たく出発式に来てくださった方々は寒そうでお気の毒です。ポスター貼りの皆さんも集合。悪天候の中ありがとうございます。選挙カー到着。すっごく使い込んだ(?!)車に、すっごく立派な「なんぶ由美子」の看板がついていました。車の手配とポスター貼りは、小沢さんにお世話になり助かりました。今回は、4年間のブランクがあるのと澤嶋さん、平野さんと共に市民派3人の当選を果たす為、私はできるだけ多くの人に受け入れられる“普通”の選挙スタイルをとることにしました。今までなら「ダサー」と言っていた選挙カーも取り入れました。
(2005年4月15日 金曜日)
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各候補者別の得票数 | ![]() 選挙中お花が絶えることはありませんでした。酔ってしまいそうな立派な花束も、この写真のような庭の草花も、何れもが私を元気にしてくれました。ピューター(錫)の花瓶はドイツの友人の贈り物です |
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[氏名は得票順で敬称略、()内は当選回数] | |||||
◎ 町長選挙(有効投票:13,103票) | |||||
当 | 川口 裕 | 6,757票 | 無所属 | 新(1) | |
村田 匡 | 6,346票 | 無所属 | 現 | ||
◎ 町議会議員選挙(有効投票:13,278票) | |||||
当 | 南部由美子 | 1,407票 | 無所属 | 元(4) | |
当 | 河野 恵子 | 1,253票 | 日本共産党 | 現(2) | |
当 | 菅 俊勝 | 1,132票 | 無所属 | 現(3) | |
当 | 岡田 初惠 | 963票 | 公明党 | 現(2) | |
当 | 平井 均 | 925票 | 民主党 | 現(4) | |
当 | 杉本 敦義 | 859票 | 公明党 | 新(1) | |
当 | 清水 照光 | 830票 | 無所属 | 現(3) | |
当 | 富永 千廣 | 791票 | 日本共産党 | 新(1) | |
当 | 千頭八重子 | 742票 | 自由民主党 | 現(3) | |
当 | 伊集院春美 | 684票 | 無所属 | 新(1) | |
当 | 野村 行良 | 662票 | 無所属 | 新(1) | |
当 | 原野 完二 | 609票 | 民主党 | 現(4) | |
当 | 実沢 正夫 | 601票 | 無所属 | 現(7) | |
当 | 平野かおる | 565票 | 無所属 | 現(2) | |
当 | 藤原 靖彦 | 470票 | 民主党 | 現(2) | |
当 | 山口 博好 | 439票 | 無所属 | 新(1) | |
澤嶋真紀子 | 346票 | 無所属 | 現 |
(2005年4月17日 日曜日)
久しぶりに朝寝坊ができて、うれしかったなぁー。所狭しと貼ったり、置いたりしていた選挙グッズをサッサと綺麗に片付けました。悔いない選挙戦をやり遂げた気持ちの余韻もありましたが、やっぱりいつもの生活、いつもの自分に早く戻りたかったです。
夜の開票時に人が集まることを予想していなかったのですが、Hさんが「遊びに行ってもいい?」と聞いてきたので、「いいよ」と答えました。私は町長選挙を除いて今までの町議選では、一人で喜こびをかみしめてきました。それが私流でした。結果は動かしようのない現実として投票箱の中にあるのに、選挙が終わってまで疲れているみなさんを拘束するのは申し訳ないとも思っていたのです。けれどHさんのほかにも、声を掛けないのに数人の人が三々五々集まってくれました。
町長選の票が開きました。予想を覆して川口町長が誕生しました。私はどちらも応援していなかったのですが、8年間の川口さんの議員活動を知っているだけに「前途多難やなー」と思いました。まあ、でもこれが民意です。受け止めなければなりませんし、それだけに議会が益々しっかりしなければと、私たち市民派の好成績を祈る気持ちで待ちました。
町議選の開票が始まりました。なんと!私はダントツのトップ当選です。今までの最高順位は5位でした。地縁血縁、政党・組織に関係のない、しかも4年間のブランクがある私を良く見て聞いて選んでくださったと、1,407人の皆さんにただただ頭が下がりました。この得票数は私の知る限り今までで最も多い票数です。
町長選と町議選に現れた”民意”の中身は即、説明がつくものではありませんが、荒っぽく言うと町長戦は「川口さんの方がベター」の消極的選択で、町議選は多くの候補者の中から「南部がいい」と積極的に選択された、その違いはあるのではないかと思います。
しかし、喜びは半減でした。平野さんは当選しましたが、澤嶋さんは落選でした。ズット活動を共にしてきた私たちが、揃って市民派女性議員となり3人が議場に現れる、このことは私の最も大きな願いであり、今回の選挙はまさにこの夢の実現の為にありました。澤嶋さんの総括はおいおい示されると思いますが、希望は再挑戦に向って彼女の意思が固い事です。一住民に戻っても、彼女は活動を継続するだろうし、3人の連帯も変わる事はないと思っています。選挙後何度か訪ねてご飯を食べたり、お茶をしたりしていますが澤嶋さんは元気にしています。ご安心ください。
3人を応援してくださった皆様にとって、今回の選挙は本当に悩ましい選択であったと思います。でもこの事を乗り越えなければ、市民派議員は何時までたっても増えていくことはありません。議会は自己満足の世界ではありません。勝ち取っていかなければ何も変わりません。そのための地を這う努力がなければ、市民派議員は皆さんの信託にこたえることはできないのです。どうかこれからも“3人”を応援してください。お礼よりもお願いが先行してしまいました。お許しください。
日付が変わって、みんなが帰りました。祝杯のワインをもう一杯注ぎました。私を支持してくださったお名前もお顔も知らないたくさんの人々に、心からの感謝をこめて「乾杯!」です。あとしばらくで夜が明けます。朝7時、水無瀬駅にひとり颯爽と立ちましょう。「おはようございます。選挙ではお騒せしました。なんぶ由美子しっかり働きます」
長男がネットで特注した達磨さんの出番があって、それも最高の出番があってよかったです。今回の選挙で特筆すべきは、必要な時に必要な支援が過不足なくあったことが勝因の大きな源です。選挙運動を担ってくださった皆さんと同様に、家族のみんなもそれぞれが自分が出来る役割を果たしてくれたことは、私にとって深い喜びです。
川口新町長初登庁
(2005年4月21日 木曜日)
全くの野次馬気分で、川口町長と出迎える役場の職員の様子を見に行きました。9時少し前に庁舎前の道を、リュックを肩に自転車をこぐ川口さんの姿が見えました。助役以下大勢の職員が庁舎前のピロティーに集まっています。
私は「お出迎え派」の議員だと思われるのはいやなので、最後列で見物していました。私の見たところ議員の出迎えは誰もいなかったようです。いくら隠れ応援でも、当選したんだから正々堂々迎えてやる議員がいてもよさそうなものなのにと、該当するK党ほかの議員の顔を頭のなかで並べていました。
テレビカメラに撮影されながら川口町長到着です。今までなら公用車がお迎えに行って、新町長登場だったと思うので(出迎えた事がないので正確には分りませんが)“自力”でやって来たことは、パフォーマンスだとしてもマアマア良しとしましょう。女子職員から花束を受け取るのはつきなみです。熱烈とは程遠い拍手があって、いよいよ新町長の第一声です。
ところが期待された一声の拍子抜けなこと!「緊張しています」後は「モゴモゴ・・」であっと言う間に終わりました。後刻の幹部職員への訓示も、とっても短いものであったと聞いていますから、選挙運動期間中の川口さんの街頭演説と変わりなかったということが悲しくも確認されたと言えるでしょうか?上手下手の問題ではなく言葉に思いを込める、このことが正しく相手に伝わらなければ新町長のデビューは前途多難です。
10時半から朗読ボランティアの次号テープ作りの打ち合わせをします。「お天気がよいのでふれあいセンターの東屋で、遅咲きの八重桜を楽しみながら話しましょう」となりました。実は私のトップ当選を祝うお茶会のために、それぞれが準備をしてきてくれていたのです。Nさんは北海道で求めたお気に入りのティーマットに野の花を添えたテーブルセッティングとおいしそうなケーキを、Sさんはポットとティーサーバーを持参してフォションの薫り高い紅茶を入れてくれました。そしてIさんは私の好きな黄色いバラの花束を。選挙に係ってもらって、お礼を言わなくてはならないのは私のほうなのにと、思いがけずうれしい心遣いを頂いて胸が熱くなりました。桜の花びらが舞い込む緑の風の中、幸せをかみ締めたひと時でした。
朗読のメンバーと別れた後は、しばらく遠ざかっていた役場でボチボチ活動開始です。文化情報コーナーに行って、先ずはそれぞれの部局の会議の記録を見ます。続いて3月分の文書処理簿を閲覧して、詳しく知りたい文書を捜し出し、担当課に問合せをします。職員とのやり取りで理解できなかった文書は情報公開請求の手続きを取ります。一日では無理な作業なので、また明日来ることにします。
なんだか萎縮している?新町長
(2005年4月22日 金曜日)
昨日に引き続き、文書処理簿を閲覧します。閲覧場所は文化情報コーナーで、担当の自治推進課と同室です。川口町長が入ってきました。私を見つけて、なんと一礼しました。以前の川口さんなら私にも結構いろいろと話し掛けてきたものですが、終始無言でなんだか萎縮している感じを受けました。自治推進課の職員と2、3言「ホームページ」がどうとか言う言葉を交わした後直ぐに出て行きました。
すごく忙しい、と言うよりまだまだ何がなんだか分らない状況にあるのだろうなと思います。職員にいちから教えてもらわなければ、何も進まないだろうし、川口さん自身、正直「(町長選に)通っちゃった、どうする?」の気持ちで一杯だと思います。新町長のエンジン始動はひとえに職員の手引きと後押しいかんにかかわっているのかしらとも思います。
しかし、怖いのは「町政を変える」と主張し新町長になったのに、職員に頼りすぎちゃって手も足も出ずになってしまわないかと言う点です。だって川口さんは正真正銘“保守の人”ですもの。私は新町長の足を引っ張る気は全くありません。議員の立場で正々堂々勝負しますから、行政の長としてちゃんと受けて立つ力を持ってくださいねと言いたいだけなのです。
一方、議会の新町長に対する思いはどうなんでしょう?敗れた村田さんをもろ手をあげて応援していた与党議員も、いずれなだれを打って川口与党となるのではないかと思います。さて、今まで野党であった共産党議員はどうするのでしょう?共産党系町職員の組合は今選挙で川口さんを押したことを明言しています。いずれにしても権力の駆け引きに関係することなく揺るがないのは、私たち市民派議員しかいないと言えます。
義母の百か日法要
(2005年4月23日 土曜日)
選挙で一週間延ばしていた法事を2時から行いました。早いものでお義母さんが亡くなって百日が過ぎました。私たち家族と夫の兄弟と私の姉のごく内輪で、お経を上げてもらいました。会食も簡単に済ませましたが、それでもこまごました準備もあり、無事に終えてホッとしました。お盆までの一区切りがついた気持ちです。選挙の良い結果を報告できて、お義母さんに喜んでもらえたのではないかしらと思いました。
夜はふれあいセンターの夜桜見物に行きました。桜の木々を渡る提灯に灯がともり、足元には青竹の灯篭が散策道を照らしています。竹工房の皆さんの労作で、一層の風情を感じるお花見となりました。酒宴のグループも見られましたが、皆さん静かに、闇の中でほのかに浮かび上がる今年最後の桜を楽しんでいた様子でした。
YYワールド賑わっていました
(2005年4月24日 日曜日)
もう21回も続いているのですね。二人の息子たちも長い間、このお祭りにありったけの力を注いでいましたっけ。水瀬川緑地公園で開かれた今回のYYワールドでも、いろいろな工夫をこらした遊びやお店が子どもたちの手で繰り広げられていました。お客である同じ子どもを喜ばせるために、みんな真剣そのものです。ふと、ふた昔前の我が子をみつめているような懐かしい気持ちになりました。
今年は(も?)参加者が多いように感じましたが、どうだったのでしょうか?久しぶりに緑地公園が人で埋まる光景はうれしかったし、ホッと安堵もしました。当公園の活用をもっと活性化する必要は常々感じていますから・・・。
選挙後間がなかったので、たくさんの人たちから「おめでとう」「すごいね」と祝福の言葉を頂きました。私の選対で活躍してくださったYさん親子にも出会ってよかった、よかった!Yさんは、仕事を選ばずどんな事でも引き受けてくれて、なおかつ完璧にやり遂げる一人3役分の働きをした男性です。一番若い年齢ながら、みんなから尊敬を集めていました。本当に何度振り返っても、Yさん初めよき人びとに恵まれたうれしい選挙だったとしみじみ思います。
100円の一銭洋食を食べて、150円で木のおもちゃを買って、子どもたちの笑顔を一杯見て、満足しながらテクテク散歩を兼ねて帰りました。満足のおまけがありました。それは、会場のゴミをきちんと分別し、資源化を図る取り組みがされていた事でした。パネルの展示や優しく指導してくれる人たちが居て、皆さんもちゃんと協力していました。今回のテーマ「環境保護への挑戦」に沿っての実践だったのでしょうが、とてもよいことだと思いました。どんどん他の場面への発展を期待したいです。
夜は高槻で辻元清美さんの憲法を語る講演会に参加しました。ここでもたくさんの人に声を掛けていただきました。憲法問題は今、正念場です。最もホットなテーマですが、やはりこの会場の満席状況は辻元さんの力によるものでしょうと思いました。
模様替えをした部屋でJR事故を知りました
(2005年4月25日 月曜日)
明日は選対の「お疲れさん会」をするので、テーブルなどを動かします。ついでに気分転換に部屋の模様替えをします。大層な事はしません。モコモコのクッションカバーをブルーのシルクに替えました。絹の光沢はひんやり感があります。テーブルクロスもブルー系にします。二つの食卓をくっつけるので,並みのテーブル掛けでは小さすぎて、洗濯してある青いベッドカバーを活用することにしました。飾っていた置物の類もぜーんぶ撤去します。小さなマンションの部屋でもゴチャゴチャ感がなくなると、すっきり初夏のたたずまいになりました。
模様替えを終えて、やれやれ一息とつけたテレビが伝えていたのは、JR福知山線の脱線事故の惨状でした。最も安全で正確と認識していたJR列車運行への信頼が、一瞬にして吹っ飛んでしまった本当に罪深い事故報道を凍る想いで見ていました(でもこれはまだ始まりに過ぎなかったのです)。
選対「お疲れさん会」も楽しかったです
(2005年4月26日 火曜日)
皆さん一品持ち寄りで、なんぶ由美子の選挙反省会をしました。10日ぶりで顔を合わせる人もいましたが、一瞬のうちに選挙運動期間中の雰囲気に戻って、和気あいあい話が弾みました。20数年前からの知り合いも、お互い初対面同士の人たちも、年齢も職業も様々で、候補者の私に対する評価や想いもそれぞれに温度差があった、実に多様な人びとが係った一言で言えば「味のある」選対であったと思います。
私は、何が何でも選対に人を集めようとは思いませんでした。選挙が始まってからも「今日は候補者と運転手の二人だけでスタートやねー。誰か来てくれるのかしら?」「まっ、いいか!最低候補者の私が居ればええねんから」とメゾンの入り口で早朝のご挨拶に立ってもいました。でも最初の街宣から事務所に戻ってみると、ちゃんとしかるべき人が来ていて仕事が滞りなく回っている、誰も指図したりされたりの関係ではなく、いつもあったかい自然な空気が流れていました。
妙に張り切ってもいず、何かに駆られて浮き足立つこともない、キンキン声が飛び交うこともなく、ただ一点「やっぱり!議会になんぶが必要」このことにみんなが阿吽の呼吸で焦点を合わせてくれていた・・・今回の当選、トップ当選はここにあったんだと、私はしみじみと感謝の念を深めています。政党や労働組合等の組織に頼らない、しかも4年間のブランクがある私が、こんなにも皆さんに喜んでいただけたのは、実は皆さん自身がしっかりとした種をまいていたからなのです。選挙って、「草の根市民派」の選挙って、ほんと!奥が深い選挙なのですね。
そして、さらに奥の深さを示す究極の一言「私は、実は南部さんに投票してないねん。澤嶋さんに投票したんです」が飛び出しました。「・・・・・」(市民派にはこんなんもありですわね)
サントリー蒸留所の見学は視覚障害者にやさしいかしら?
(2005年4月27日 水曜日)
明日の朗読ボランティアで吹き込む記事を読んでおきます。私は約20年間、小さな朗読グループ「みなせ」のメンバーとして、テープ雑誌「そよかぜ」の吹込みをしてきました。今回で60号の発行となります。
60号での私の担当は「町内の話題・・サントリー山崎蒸留所で初の女性ブレンダーをめざすYさん」の記事です。ブレンダーは3ヶ所で100万本貯蔵しているウイスキー原酒の樽から、毎日ティスティングを行う品質管理と、原酒をブレンドして新しい商品を作り出す仕事をしています。Yさんは8人いる男性ブレンダーに続き、女性初のブレンダーとして修行中だとか。
私たちのテープ作りでは、ただ記事をそのまま朗読するのではなく、出来るだけ確認の取材を行うようにしています。今回面談は叶わなかったので、電話をしてみました。Yさんは不在で、上司のブレンダー室長と話が出来ました。室長は親切にいろいろ教えてくれました。「さすがサントリーの職員だ、ハナマル!」と感じました。室長は最後に蒸留所の見学をすすめてくれました。私が特に気にとめたのは「目に見える工程だけでなく、発酵、蒸留、貯蔵のそれぞれで異なる香りや空気の流れ、樽材のオークと原酒のマッチングに触れてください」の言葉でした。
視覚に障害をもつ人こそ、お越しくださいといわれたような気がしました。そこで、工場見学の案内係りの人に問合せをしました。結論は「一人で来たら見学は無理です 」と言う事です。手引きをする介助者(介助犬はオッケーです)が同行しなければなりません。 「目が見える人は一人でよくて、目が見えないとダメって言う理由はなんですか」と問うと、 「足元が暗いから」と頓珍漢な返事が返ってきました。 「あのー、目が見えないので暗い事は関係ないと思いますが」とチョット腹が立ってきました。 「点字ブロックでの誘導はありますか」には「ありません」。「とにかく、お連れ様とお越しください」と電話は切れました。
見学に対する企業の姿勢は、あくまでもサービスの範疇であって使命ではないかもしれませんが、“大”サントリーに抱いていたイメージがチョッピリ低下してしまいました。ましてや地元島本町の看板企業、よそで「島本町?」と首を傾げられた時も「あのサントリーの工場のある」と言えば、みんなが「ああ、知っています」と返すほどの全国、いや世界ブランドの企業ではありませんか。サントリーさん、「障害を持つ方、お一人さまでのご来場は可能です」は一考の価値があるとは思われませんか?(ちなみに、車椅子の場合も介助者が必要です)
議会議事録を読み返しています
(2005年4月28日 木曜日)
朗読の吹き込みに30分も遅刻してしまいました。 「アレー、もう早速吹き込みをしているの?」とのんきに扉を開けると、みんなが「ほらね、やっぱり」と笑いながら返します。そこで初めて時間を間違えている事に気づきました。先週の打ち合わせは10時半、今日の吹き込みは10時からなのに、すっかり忘れてしまっていました。ああ、ダメダメ、気をつけなければ。もうすぐ議員の仕事が始まると言うのに。今後、時間を勘違いする事なんて許されないですから。
私は昨日のサントリーへの電話インタビューの内容を織り込んで、吹込みを行いました。みんなも興味を持って聴いてくれました。録音終了後は、レストランやまぶきでお昼ごはんです。長いことおしゃべりした後、私は役場へ行きます。
文書処理簿の閲覧が終わったので、次は議会の議事録を同じく文化情報コーナーで読んでいます。目的があって1枚1枚分厚い議案書をめくっています。必要な箇所はコピーをとります。5時になったので、続きはまたの機会に。明日からはゴールデンウイークが始まるので、少し間があいてしまいますが。夕食は、夫が選挙後直ぐに海外に遊びに行ったので、次男と2人日本料理屋さんで少し贅沢しました。次男も、今回の選挙は初めてよく係ってくれたので、その労をねぎらいました。
つつじが真っ盛りです
(2005年4月29日 金曜日)
なんか体よりも気持ちに力が入らなくて、朝からゴロゴロしています。しなくてはいけない事は山ほどあるのに、目はつけっぱなしのテレビが流すJR事故のワイドショーを追っています。次々と明らかになる、考えられない事実に言葉を失ってしまいます。これは事故ではなくて、事件、犯罪です。
JR西日本の企業体質が背景にあることは明白です。島本町のJR新駅計画は着々と進んでいるようですが、このような精神構造をもつ企業とタイアップしていて大丈夫なのかしらとも思ってしまいます。新町長はどう考えているのだろうか、町長のホームページででも伝えてくれるのでしょうか?今、町長室は何時行っても挨拶回りで留守らしいですが、早く面談して聞いてみたいと思っています。
今日は「緑の日」、折角のお天気に家にこもっていたらもったいないと思い直し、散歩に出ます。役場前の関電のつつじが、おーっ!きれいです。おもわずシャッターを押しました。ふれあいセンター側の小野薬品のつつじのパノラマもまだ満開ではありませんが、綺麗です。燃えるようなピンクの花よりも、白や薄ピンクの花が多くて優しい感じがする光景です。私の好みはこっちかな。
今日から島本町議会議員です
(2005年4月30日 土曜日)
任期の第一日目です。いよいよ4年間の第一歩が始まります。1,407人のみなさんが私に信を託してくださった、この重みをしっかりと受け止めて、公約実現に向かって精一杯の努力をしていきます。また、皆さんが議会や行政を身近に感じていただけるよう、ありのままの情報をお知らせしていきたいと思います。
と言うものの今日は役場はお休みで、朝食のコーヒーを前にして、ちょっと気が抜けた決意表明になりました。力の入れ加減緩め加減、目の付け所等々12年間の議員の勘が鈍っていないか、体力・気力は十分か、私なりにゴーサインを確認していますが、何より大切なのはみなさんからの声なき声を受け止め、共有する事が出来る感性だと思っています。今日の一歩は、日々自らを磨いていくスタートでもあることを、心にとめて歩み始めます。