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K's Room Odds & Ends

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壮絶なる半月板除去手術の記録
~全然こわくないですよ

第二部 激情の入院編


 看護婦に案内されて病室に入る時、入口の脇のネームプレートに当たり前ながらも自分の名前が貼ってあった。

 今までは病室といえば人の見舞いにやってくるのが常で、入口のネームプレートに尋ねてきた相手の名前を見つけたりすると、「あったあった!」などとワクワクしながら病室に入って行ったものだが、自分の名前があるのにはなんとも不思議な感じがした。

 病室に入ると、すぐ手前の右のベッドに寝ていた痩せた青白い顔のおじさんがじろりと僕を見た。そして、「どっかで、見た顔だなあ〜」と、妙に力なく言った。もちろん会った事などなく、“変なおっさんだなあ”と思ったが、新入りの常として一応自己紹介の挨拶をした。おっさんは僕の名前を聞いても、もう既に興味もなさそうに、イヤホンを突っ込んだテレビに視線を向けていた。左の手前のベッドにはあぐらをかいた20歳くらいの青年がいて、そんな様子を見て何だかはにかんだようにぺこりと頭を下げた。

 部屋の奥右側、窓側のベッドが僕には割り当てられていた。ベッドボードにもすでに自分の名前が記入されている。部屋を見渡せば、壁や天井ベッドやテレビまですべて新しく、トイレも各病室に設けられていてなかなか悪くない。大部屋でということだったので、自分のいられるスペースはベッドの上だけというごちゃごちゃした感じの部屋を想像していたのだが、部屋の中に並べられたベッドは全部で4床だけで、全体がゆったりとした作りになっていた。高台にある建物の6階、西側に面した窓は大きく日当たりも良い。眺望も開けて都心のビル群が間近に立ち並び、遠くに東京タワーも見渡せた。最新式の空調機に制御されたこ綺麗な部屋に、特に違和感なく僕は入り込めていた

 ベッドの上に荷物を置くと、向かい合わせのベッドの40代後半といった感じの男性が、「どこが悪いんですか?」と話し掛けてきた。その人の名前は磯貝さんといい、右手の肘のあたりに何重にも包帯を巻いていた。ベッドの縁に腰掛け、窓際のテーブルの上の本を閉じながら、磯貝さんは僕の方を見た。

 「半月板をちょっと」と、僕は答えた。

 「何かスポーツでもやってるんですか」と聞いてきたので、何だか医者みたいな事を言う人だなあと思いながらも、「バドミントンを少し」と、僕は答えた。

 「バドミントンですか」すると磯貝さんは少し考えてから、「あれは激しいスポーツですからねえ」と言い、何度も一人で頷いた。



 中学生の頃、それは70年代の後半、バドミントンの試合で仲間と一緒にタクシーに乗った事があった。総合体育館の名前を運ちゃんに告げると、その運ちゃんが「何かの試合かい?」と、話し掛けてきた。「バドミントンの試合です」と、あまり乗ったことのないタクシーという空間の中、少々緊張しながらも元気よく答えた僕らに、その運ちゃんは「そんな試合があるのかい!?」と、目を真ん丸にして驚いたものだった。そのタクシーの運ちゃんにとって、バドミントンなどという“遊び”は、お下げ髪の女の子が原っぱでポンポンと羽根を突いてるくらいのイメージしかないのだ。その時の僕は中学生ながらもバドミントンという競技の認知度がその程度のものなのだと改めて知り、何だか恥ずかしくなったりしたのを覚えている。

 しかし、そんな第三者の応対も時代の変化と共に徐々に変わってきた。それは、「女性に対してこんな発言をすると“セクハラ”と言う罰を受けるんだよ」という事と一緒で、この磯貝さんの言った「激しいスポーツですからねえ」という台詞がよく表わしている。知らないのはなんとなく自分の無知を表わすようでもあり、でも結局のところは羽子板の延長くらいにしか考えていないのだが、良識ある大人として「激しいスポーツですからねえ」と言ってみるのはなんとも適当な台詞である。

 しかし、実際にバドミントンは異常に激しいスポーツである。単位時間あたりの消費カロリーは水球、ボート、バドミントン(シングルス)の順にハードらしい。

 

 「右足ですか?」と、磯貝さんは言った。

 「そうです」と僕は答えた。

 「じゃあ次ぎは左足ですね」そう言うと、磯貝さんはにっこりと笑った。

 優しそうな顔をして結構きつい事言う人だなあと思いつつも、確かにそれも言えてるなと思い、僕も情けなくはははと笑った。

 壁際に寄せてあるテーブルの上に、持ってきた時計やら、茶碗やら、文庫本やら、ウォークマンなどを並べて見た。冷蔵庫の上に括り付けの棚があり、そこに空になったバッグをしまった。ベッドの縁に腰掛け、クッションの具合を確認し、結構硬いんだなあなどと呟いて見る。テレビはプリペイド式で、病院内で売ってるカードを買ってそれで観る。ベッドの頭の上にはパソコンのマウスのようなケーブルの先にライトのスイッチとナースコールのブザー。目に入るものを一回り確認して、取り敢えず理解してしまうと、もう既に取り立ててやることがなくなってしまった。当然寝ている必要もないし、どこかを痛がるわけでもない。なにせ昨日まで普通に会社に出勤して、普通に遊んで日々を過ごしていたのだ。

 この時点での今回の入院で僕の分かっていることと言えば、入院期間が二週間、そして、手術日が明後日だという事だけだった。明後日の手術に、二日も前から入院する理由は何だろうかと考えずにはいられなかった。

 

 やがて窓の外が薄暗くなり帰巣本能が騒ぎ出した頃夕食の時間となった。通路から「食事の用意が出来ました」と、大きな声が聞こえてきた。辺りはにわかに慌ただしくなった。「取りに来れる方はお願いします」と言っているので、ちゃんと自分の分もあるのだろうかという疑問を抱きつつも、当然自分で取りに行った。

 通路の幅いっぱいに陣取っている保温コンテナには、トレーに乗った食事が整然と積まれていて、コンテナの周りには患者や付き添いの人達の人だかりが出来ていた。おそるおそる係りの配膳のおばさんに名前を言ってみると、ちゃんと自分の分が渡されたのでなんとなく驚いた。渡されたトレーは温かく、いくつかの小皿に盛られたメニューは、品数も多くなかなか悪くない。でもご飯の量が少ないのが気になり、病院の食事は量も計算してあるのかなあなどと考えつつも、「ご飯のお代わりは出来ますか?」と、おばさんに聞いてみた。すると白い頭巾を頭からかぶったおばさんは、少し驚いたような顔をして、「おかわりは出来ないですけど、次回から大盛りにする事は出来ますよ」と、言った。じゃあ、そうしてくださいと答えた僕は、なぜかこの後食事毎にこのおばさんから“大もり君”と、呼ばれるようなってしまった。

 

 夜になってぼーっと寝そべりながら、クロスワードをやったり、テレビを見たりしていると、何の前触れもなく突然に主治医の富山先生がやって来た。頬をテカテカと光らせたこの若い医者は、屈託のない笑顔を浮かべながら、いかがですか?などと聞いてきた。

 いかがですかと言われて、何と答えて言いのか本当に迷い、まあまあですと訳の分からない答えをしてしまった。

 「膝を見せてもらえますか」富山先生は言った。そして、僕の着ていたパジャマの裾を捲り上げると、いつも診察でそうしていた通り、脹脛のあたりを抱え、膝を折り曲げたり、捻ってみたり、伸ばしてみたりと、さまざまな形に足を動かし出しだした。そして、その「型」が決まる度に「これはどうですか?」と、僕に痛みを尋ねてくるのだった。しかし、診察の時からしてそうなのだが、この「実験」では、いつも歩いている時ふいに襲われる膝の内部が引っ張られるような鋭い感覚は一向に起こらず、何だか自分が怪我もしていないのに、嘘をついているような罪悪感に襲われながら「痛くないです」と、答え続けるだけなのだった。

「う〜ん」富山先生はそんな、僕の様子に腕を組んで首をかしげた。

「まあ、大丈夫でしょう、手術の段取りとかは、後で看護婦から伝えますから」富山先生はそう言いうと、安静にしていて下さいと付け足してその場を立ち去って行った。

 しばらくすると、再び富山先生が戻って来た。今度は、満面にひげを生やし、眼鏡を掛けているもう少し年かさの医者と一緒だった。そして、今度は二人掛かりで僕の膝を看ようというのだった。

 “そんなにまで、不審な怪我なのだろうか”僕はめちゃくちゃブルーな気持ちになっていた。

 ひげを生やした医者は、さっき富山先生がやったように、僕の足を抱えてさまざまな形に動かし出した。その扱い方は、富山先生よりも少し慣れているような感じがした。どうせならここで決定的な痛みが出て、“ああ、やっぱり半月板ですね、手術をしましょう、それで万事大丈夫。バッチグー!”とならないものかと願った。しかし、その願いも虚しく、結局のところは、肝心な痛みが一向に現われず、自分自身さえも「いつもの痛みは幻だったのではないだろうか?」などと思えて来てしまった。

 本当にその痛みは、日常での何気ない歩行中にしか現われない。自分でもどう捻ったのか分からないふとした瞬間に、膝の奥で何かが“捩れている”ような、“絡まっている”ような感覚。

 「う〜ん」ひげの先生と、富山先生は二人して首を捻り、じっと僕の膝を見詰めた。見下ろされている僕はなすすべなく、情けなく二人の医者の顔を交互に眺めていた。

 「まあ、痩せているし、見てみる価値はあるでしょう」ひげの先生が一言呟いた。

 この後に及んで“見てみる価値”と言い残された僕は、もう最悪の気分だった。あの日、半月板損傷と診断され、ベッドの空きを待ち、手術の予定が経つこの日までに、もう既に一ヶ月を要している。入院する、切られると分かっていながら、一ヶ月ほったらかしにされているのだ。当然ながらその間バドミントンはおろか運動らしい運動も出来ず、体を持て余したまま“まな板の上の鯉”状態が延々と続いている訳である。この上、切ってみなければ分からないというような進捗のない現状に、僕のストレスはもう既にピークに達していたのであった。

 

 病棟での一日というのは当然ながら規則正しく決められたスケジュールで動いている。超不規則生活の見本のような僕にも、当然ながらみんなと同じ夜9時半消灯、そして、朝は6時の起床というきまりが強要される。

 その日の夜、9時半になるや否や看護婦がやって来て、部屋の電気をパチンと消して行ってしまった。大の大人が「はい、寝なさい」と言われて、9時半になかなか寝付けるものではない。結局他の三人の様子を見ていても、ベッドを囲うカーテンの中、手元のライトを点けて本を読んでいたり、テレビを見ていたりと、思いのままに過ごしているようだった。もっともここは整形外科の病棟であり、程度の差こそあれ、皆切ったり、削ったりすることで、完治が見えている患者ばかりである。内科の病棟のように、寝たきりであるとか、死の縁をさ迷っている患者などがいる訳ではなく、そういう意味では非常に気楽な病室だったのだ。

 その日は、テレビを見たり、ポテトチップスを食べたりしながら、結局12時過ぎくらいまで起きていた。そして、そんなこんなでもやっと寝付いたと思った頃だった。

 突然自分のベッドを囲っているカーテンが開いた。

 誰かが中を覗き込む気配。僕はギョッとして目を覚ました。

 視線の先には白い服を着た人の姿が見え、ピカリと一筋の光が突如僕の顔面を照らした。それは看護婦が定時の見回りにやって来たのだった。そして、その看護婦は元気そうな僕の顔を確認すると、何も言わずに満足そうに帰って行ったのである。

 “もう、いい加減にしてくれい!!”僕は布団を頭から被って思いっきり叫んだ。

 隣のおっさんの「おおっ、びっくりしたあ〜」と、言う声がカーテン越しに聞こえた。

 

 真夏の夜、完全集中管理の最新式の空調設備は、病室の中をひんやりと快適な温度に保っていた。それは普通の人ならば確かに快適に違いない。しかし、僕は熱帯夜でも冷房を使わない超原始的人種なのである。風呂から出ても扇風機さえあたらずに服を着るような体質の体は、翌朝6時のチャイムで目覚めた時にもはや氷のように冷え切り、突然の環境の変化とあいまみれて一気に風邪を引いてしまった。良好な状態に体を保つための前々日からの入院のはずが、なぜか最悪の体調に変わろうとしていたのだった。

 朝6時、天井のスピーカーから、いったいどこでそんなCDを手に入れるのか、鳥のさえずり混じりの爽やかこの上ない音楽が流れ出した。取り敢えず起床時間である。眠くて死にそうながらものろのろと布団から起き出し、向かいの磯貝さんのやるように窓のカーテンを開け放った。しかし、結局のところは、看護婦が体温や血圧の測定をしに来たくらいで、取り立ててやる事もないことに気づいた。6時に起きたからといって、当然ながら掃除や、作業などといった日課がある分けではなく、寝たければ別に寝ていてもいいのだ。それが証拠に、隣のベッドの変なおっさんは、部屋のカーテンが開けられても一向のに起きる様子もなく、看護婦が検診の体温計を配りに来た時などは、「計ってくれよ〜」などと情けない声を出し、「初山さん、何言ってるのよ!」などと怒られていた。変なおっさんの名前は初山さんと言い、その向かいの若者は、山下君と言った。

 

 「どんな手順なのか、ぜんぜん分からないんですよ」

 朝食の後、自分の手術の事を何気なく向かいのベッドの磯貝さんに問い掛けてみた。僕らは二人ともベッドの縁に腰掛け、テーブルの上のお茶を啜りながら、窓からの眺望とそれぞれに向かい合っていた。その姿は、まるで日向ぼっこに公園にやって来た老人仲間のようだった。

 磯貝さんは一度咳払いをすると、窓の外を見たまま、「まずは、浣腸だな」とおもむろに言った。

 「ええ!浣腸ですか?!」僕は驚いて大声を上げた。

 「だって、下半身麻酔でしょう?」磯貝さんは当たり前だろう、という口調で言った。

 「いや、聞いてないですけど、下半身麻酔なんですか?」

 「ええ、聞いてないの?」磯貝さんは驚いた顔で僕を見た。

 「なんか、これから説明を受けるって事なんですけど、それにしてもどうして浣腸なんですか?」

 浣腸と言う言葉が、巨大な竜巻となって僕の頭をリフレインしだした。以前高熱にうなされ、やむなく座薬を自分で入れたことがあった。あの時感じた、「もう死んだ方がマシだ」という思いは、決して忘れることはない自分の人生の中の1ページである。本来排泄する器官から、何かを入れるなどとはとんでもない。浣腸だけは死んでも嫌だ、絶対にホモなど認めないと僕は心に決めていたのだった。

 「下半身麻酔だと、肛門の感覚がなくなってね」磯貝さんが言った。「漏らしちゃう人もいるらしいんだよ。」

 「ああ、そうなんですか」何だか、いよいよ浣腸が現実味を帯びてきた。僕は救いようもないほどブルーな気分に襲われながらも、「磯貝さんは、どうしてそんなにいろいろと詳しいんですか?」と、尋ねてみた。

 「手術は百戦錬磨だからね」そう言うとおもむろに、自分のパジャマの裾を捲った。

 剥き出しになった脹脛の辺りに大きな手術の傷跡があった。「これは、アキレス腱をやった時でしょう、それから、肩も一度切ってるし、一番大変だったのは、腰の手術かな」そう言うと、ニコニコと笑った。

 「ヘルニアをやってるんだよ。ヘルニアの手術って、どこを切るか知ってる?」

 僕は分けも分からず腰の辺りを触って、このあたりでしょうと言ってみた。

 「お腹から切るんだよ」

 「ええ!?」

 「 腸を全部掻き分けてね、背骨の軟骨が飛び出てる場所をちょん切るのさ」

 「ひえ〜」

 「ははは」磯貝さんは楽しそうに笑った。「その後に、その手術をする奴と同室なってね。その事を話したら、荷物をまとめて逃げ出してったよ」

 僕はどうしてこの人はそんなにあちこち手術をしているのかと不思議に思いながらも、 腰だけは死んでも大

事にしようと僕は思った。

 「下半身麻酔の後は」一度お茶を啜ると、磯貝さんは続けた。「次は止血だな」

 「止血ですか?」

 「うん、足の根元をね、こう、ぎゅうっと縛るんだよ」

 そう言うと片足を浮かせ、実際に紐で自分の足の付け根を縛るような動作をした。

 「でも、これがさあ、うまく麻酔が効いてないと、結構痛いんだぁ」

 もう、そこまでを聞くと、すっかりその先を聞く気がしなくなった。僕はトイレに行くふりで、適当に話しを切り上げることにした。

 

第三部へつづく)

K's Room

東京大田区バドミントンサークル



 

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