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K's Room Odds & Ends

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22才の夏は、終わりなき疾走の日々だった





 学生の頃「陸送」のアルバイトというのをやった事があった。

 「陸送」っていったい何なんだ?といえば、品物である「車」を、陸上の道を使って目的の場所まで運ぶ事を言うようである。簡単に言えば、大型のトレーラーに山のように積みこんだ新車をディーラーまで運ぶのも陸送だし、故障車輌を修理工場まで運ぶのも陸送である。

  ある日、「フロームA」の小さな枠の中に、「出勤日数、出勤時間自由」、「車を運転して目的の場所へ運ぶだけ」、「高額可能」なる、いかにも怪しいながらも、この上ない魅力的な求人広告があるのを見付けた。
 職種は「陸送」となっている。
 わけの分からない業種ながらも、免許証さえあれば特に考える事もないというようなこの条件に、当時の僕は東十条にあったこの陸送会社の事務所に、喜び勇んで電話を掛けたものであった。

 その当時は、バブル景気が沸き起こるほんの一、二年くらい前の時代で、自動車業界も、空前の好景気に沸きかえる予兆を見せていたような時だった。日本産業全体の貿易黒字が大きな問題となり初め、その大部分を乗用車の輸出が占めていた、そんな時でもあった。

 ちなみにこの頃というのは、当然ながら携帯電話もなければ、パソコンもない、すべてがアナログの時代のお話である。

 バックパックに道路地図、住宅地図、電車の路線図を突っ込み、僕は意気揚揚と「車を運転して目的の場所へ運ぶだけ」の、このバイトを始めた。求人誌に掲載されていたとおり、実際に始めた仕事の内容は、車を運ぶだけ以外の何物でもなかった。

 しかし、こんなにも何でもない仕事なのに、この時、このバイトをやっていたわずか数ヶ月間での体験は、余りにもエキセントリックで、衝撃的なエピソードの連続だった。 

 今思い返してみても、まるで扉を開ける度に次の試練が待っている、ブルース・ルーの「死亡の塔」のように、人が普通に体験する出来事の有に数年分、あるいは普通の人なら到底体験しないような出来事が、列挙して一度に訪れたような日々だった。


第一章 19のままさ


 
「JR東十条の駅を降りて、○×菓子店の二階に事務所はあるよ」と、電話で言われた。
 東十条という駅に降りたのは始めてであったが、駅前の商店街を教えられたとおりに歩き、程なくその中ほどに「○×菓子店」を見つけた。
 その店は、子供がジュースやお菓子を買いに来るような駄菓子屋で、店先にはペプシコーラやファンタジュースを並べた縦長の冷蔵庫が置かれ、なぜかその中に混じってトマトやニンジンといった野菜が冷やしてあった。菓子パンの並んでいるショーケースが前面に幅広く置かれ、ショーケースを隔てた店の中、一段高くなった座敷のような所には、おばあさんが一人座っていた。
 建物自体はかなり古びた物で、その三階建ての建物を見上げてみると、所々でモルタルが剥げかかっていた。 
 “本当にこの二階に事務所があるのだろうか”
 僕はそう思い、駄菓子屋の店先をあれこれと眺めて見た。しかし、辺りにそれらしい階段も見当たらない。
 店の中、冷蔵庫の裏に、人が一人通れるほどの薄暗い小さな階段があった。しかし、どう見てもこの階段が二階にあるという事務所に通じているとは思えず、一階の駄菓子屋の人が、住居か何かに使っている二階へ上がっていくための階段でしかなかった。
 
 そうなると違う店なのかもしれないと思い、念の為辺りをウロウロと歩いてみたが、それらしい店も見つからなかった。
 仕方なく元の店に戻って、低い軒をくぐり、店先に座っていたおばあさんに゙すいません”と声を掛けてみた。

 季節は春から夏へと変わる頃、暖かな陽射しが辺りには注ぎ、Tシャツ1枚でも充分に過ごせるような日だった。
 小さく丸まり鼻めがねを掛けたおばあさんは、僕の呼び掛けにはピクリとも動かなかった。
 死んでるのかな?などと思い、もう一歩店の中に足を踏み入れてみる。
 「すいません。」
 相変わらず身動き一つせず、おばあさんは頭を垂れていた。
 僕は、これはいよいよヤバイのではないかと思い、おばあさんと僕とを隔てている菓子パンの入ったショーケースから身を乗り出すようにしてばあさんに顔を近づけてみた。
 小さく肩が動いているのは分かった。
 “生きていた”と、思ったその瞬間、おばあさんがおもむろに顔を上げた。その拍子におばあさんの顔から鼻メガネがズルリと垂れ下がり、僕は驚きの余りに思わず後ろに落ちそうになった。
 
 気を取り直して、「○×陸送はどこでしょうか?」とおばあさんに聞いてみた。すると、何事もなかったかのようにそのおばあさんは、鼻にずり下がったメガネを直すと、「そこの階段ですよ」と、割としっかりとした口調で教えてくれた。

 おばあさんの指差した先には、先ほどの薄暗く狭い階段があった。僕は驚きながらも言われたとおりその階段に近付いて行った。階段の入口を型取る茶色い木の柱に、まるでその古さと同化したような薄汚れた小さな表札が付いているのを見付けた。そして、その表札には「手書き」で、「○×陸送」と僕の探していた会社の名前が平然と書かれていた。
 僕はおばあさんにお礼を言いつつも、何だかまだ騙されてるような気がしていた。
 
 踏み板が今にも抜けそうなくらい軋む階段を、恐る恐る二階まで上がった。
 人がすれ違うのもやっとな踊り場に立ち止まると、目の前にアルミ製の扉が現われた。扉の中の曇りガラスの真中には、やはり「手書き」で書かれた社名の表札がペタンと張ってあった。
 こんな階段でも立派に「社用」として使えるものなんだと知り、思いこみで物事を判断してはいけないものだなあと、つくづくその時の僕は思った。
 
 アルミの扉をノックしてみる。何だか、間の抜けたような音が辺りに響いたが、中からは何の応答もなかった。仕方がないので、取り敢えず勝手に事務所の扉を開け中に入ってみることにした。

 僕が足を踏み入れたその狭い空間には、予想に反して“普通の”事務所の風景が広がっていた。昼寝しているおばあさんのいる駄菓子屋の真上とは思えない、事務用机をキュウキュウとに並べ、受話器の相手に盛んに格闘する声の響く、どこにでもあるような職場の緊張感がそこにはあった。
 どんな場所であれ、会社というのは立派にやっていけるものなんだなあと、またしても僕は新たな驚きに包まれていた。
 
 事務所の中には、肩を擦り合うようにして並んでいる5、6人の中年男性の姿があった。扉を開けて中に入っては見たものの、僕に注意を払ってくれる人もいなかったので、取り敢えず「面接に来ましたあ」と、力なく僕は言ってみた。
 すると、こちらに机を向けていた初老の男性がその声に気付き、のっそりと顔を上げた。そして、かけていた黒縁のメガネを少しだけずり下げて、上目遣いに僕を一瞥した。僕は何をしていいかも分からず、取り敢えずペコリとお辞儀をした。

 机の傍らに立つ僕に、「履歴書は、持ってきたかい」とその男性は言った。髪の毛に白髪は混じるものの、油で後ろに撫で付けたその姿はなかなか精悍で、初老の“名高達郎”といった雰囲気があった。
 その初老の“名高達郎”の本名は、「大場」といった。
 大場さんは僕の差し出した履歴書を受け取ると、ゆっくりとした動作でそれを広げ、それから有に5分くらい、そんなにじっくりと読むほど何か書いたかなあと、僕が考え始めるほど時間を掛けて履歴書と向かい合っていた。
 余りにも時間が掛かったので、この人は眠ってしまったんではないだろうかと、僕が表情を覗き込んだ時、大場さんは黒目だけを上に向けて、「○×大学かあ」とおもむろに僕に言った。
 「何年生だ」という問いに、「1年生です」と僕が答えると、「同じ大学の3年生に、甥っ子がいるんだよ」と、急にうれしそうな声で言った。

 学部が違うので、実際その甥っ子の人とは校舎はぜんぜん離れていて、まったく接点はなかった。しかし、大場さんはそう説明する僕のことなどまるで眼中にない様子で、甥っ子はラグビーをやっていて1年生の頃からレギュラーなんだとか、将来の就職先もラグビー関係でもう決まっているが、怪我だけが心配だとかといったことを、トクトクと語り出した。その語り口は、不思議なくらいにゆっくりとしていて、縁側で煎餅でも食べながらお年寄りの話でも聞いているような気分になった。

 僕はしばらくの間、ぜんぜん訳が分からないながらも、取り敢えず大場さんの話に適当に相槌を打ちながら聞いていた。すると、話がやがて、高校生の姪っ子もいて、この子がいじめに遭っているとかいったシビアな話しにまで発展して行ってしまった。
 こりゃだめだと思った僕は、「仕事は僕でも出来るのでしょうか?」と、思い切って切り出してみた。
 話の腰をポッキリと折られた大場さんの表情に、困惑の色が浮かんだのが分かった。まるでゆっくりと今の事態を噛み締めているかのように、大場さんの視点は宙をさまよっていた。
 これはちょっとやばかったかなと僕は思った。
 しかし、次の瞬間大場さんも気を取り直したらしく、「仕事は〜」と切りだした。そして、やがて陸送についての説明を、一度咳払いをした後にのっそりと話し出した。

 大場さんの話す内容は、求人誌に掲載されていた通りで、事務所と電話で連絡を取りながら指定された場所まで電車などを使って赴き、指定された車を受け取ったらその車を「自分で運転して目的の場所へ納める」というだけの単純明快なものだった。細かい部分では、走行距離に比例した出来高が賃金になり、移動に掛かった交通費、ガソリン代は自分持ちという内容だった。
 2、3不明な点を質問して、色々考えてみても、特に問題もなさそうに思えた。どうやら大場さんも、僕を採用するかどうかよりも、僕がやるのかどうかだけを問題にしている様子でだったので、僕は「よろしくお願いします」と答え、取り敢えずこのアルバイトを始めてみることにした。

 

 

 

 仕事を始めてみると、実際に与えられた仕事の多くが、ある中古車の販売店から、違う中古車の販売店へと車を移動させるという内容だった。
 普通に店頭に出ている中古車を、例えば、都内から千葉の販売店へ、また、神奈川から都内の販売店へと、それこそ、同じ場所には二度と行く事がないほど、様々な場所から様々な場所へ車を移動し続けた。
 
 そのうち、なにも考えなくていいはずの僕も、どういった理由で中古車屋同士がそんなふうに車を移動させているのかを不思議に思い、その旨を事務所の人に聞いてみた。  
 ちなみに、事務所に僕が連絡を取る相手というのは、ほとんどの場合が大場さんで、どうやら僕の担当ということのようだった。大場さんは優しい口調で丁寧に行き先などを指示してくれて、道路事情に疎い僕にとっては大変にありがたかったが、何とも話が長くなり、余りにもその口調が遅いのには程々参った。
 
 大場さんが言うには、中古車屋にやって来たお客が、その場で車を即選んでいくなどといった事はまずないのだという。だから、再びお客が同じ店にやって来た時、その店が在庫の多い(売れない)車屋だと思われないように、店としては車の種類を変えておきたいというのだ。また、客の目先を変えてセールスしやすくするよう、中古車屋同士が連携を取って同じ車を裏でぐるぐると回しているといったシナリオがあるらしかった。
 言葉は悪いが、早い話が中古車屋同士がグルになって、客を抱きこんでいるというだけの話である。
 よくよく考えてみると、結局のところはそんな悪巧みに、知らず知らずの内に自分も荷担させられているらしいということに気付いた。そんな裏話を知ってしまい、何とも後ろめたい思いにも囚われたが、別に法律違反をやっているわけではないし、“まあ、いいかな”と思いながら日々淡々と車を運転し続けていた。もっとも、与えられた仕事の中で、その他に回ってくる“訳の分からない仕事”に比べたら、こんなことは至極まともな事のように思えたのも、事実であったのだ。

 ある日いつものように事務所に連絡を入れると、「埼玉県新座市の“アルート”という、人を尋ねて、車を受け取ってくれ」と大場さんに言われた。
 「アルート?」「人?」と、もう一度僕が尋ねると、「イラン人で、一人の人間だよ」と、大場さんは言った。        
 
 普段指定される行き先といえば、大抵が“何々自動車”とか、“何々オート”、“日産何とか”とか、“ホンダ何とか”という名称であり、個人の名前、しかもイラン人を直接尋ねていくというケースは初めてである。
 まあいいかと思いつつ、地図で新座市の指定された駅を探し、バスを乗り継ぎ、指定を受けた場所の近くまでやって来た。
 電車を乗り継いだり、バスに乗って知らない場所へ行ったりすることは、根本的に好きなので、この辺りは何の苦もなく、結構楽しみながら僕はやっていた。

 「○×工場の横に空き地があって、何台か車が駐車してあり、約束の時間、その場所に“アルート”さんはいる」と大場さんは言った。
 まるでゴルゴサーティーンとの密会の指示のようだった。僕は少し緊張しながら指定の場所へと向かった。

  その場所は舗装もしていないまったくの空き地で、中古車と呼ぶよりはスクラップ寸前と言った方がいいような車が、ざっと見まわしたところ20台くらい駐車してあった。生え放題になっている雑草に埋もれた車の群れには、そのまま見捨てられてしまいそうな雰囲気があった。

 「車の墓場」のようなその場所に足を踏み入れた僕の目の前に、どこからともなく突然、大柄なイラン人が姿を見せた。指定の場所で、イラン人に出会ったということは、まずこの人が“アルート”さんでいいのだろうと見当を付け、「○×陸送です」と僕はその人に言った。

 イラン人はなにも言わずに僕を一瞥すると、“付いて来い”と身振りで示し、空き地の更に奥のほうへと向かって歩き出した。浅黒い顔の何も語らないイラン人というシチュエーションは事の他迫力があり、これはちょっとやバイのではないかと僕は思い始めた。奥まった場所まで連れて行かれて、他の仲間に囲まれて・・・、いらぬ想像が盛んに頭の中を駆け巡り出した。金はいくらも持っていないが、いざとなったら有り金を投げ出して、自慢の逃げ足で全力で走ろうと、僕は考えていた。

 

 突然イラン人は僕の前で立ち止まった。僕は思わず体重を後ろに掛けて、すぐに逃げ出せる態勢を取った。と、そのイラン人は僕等の横にある、一台の車を指差した。それは、ずいぶん古い型の白のカローラだった。白とはいっても、元々はそうだったのだろうと想像が付くだけで、そのままの色を表現するとしたら、「グレー」だった。

 彼は車の運転席側に回り、ドアを開けると、おもむろに中に乗りこみ、キーを差込んで、何度かセルを空回りさせた。カローラのエンジンは、ババババババとヤケっぱちにでもなったような音を発して掛かり、バスバスとまるで蛙の悲鳴のような音でアイドリングを始めた。

 彼は執拗にアクセルを踏み込んでエンジンの動きを安定させると、車を降り、正面に回って、おもむろにボンネットを開けた。そして、エンジン音に負けないくらいの大声で、僕に何やら喋り出した。

 必至に聞き取ろうとしたが、その言葉が日本語なのか、イラン語なのかもさっぱり分からず、ただ言葉の端々に「ラジエター」という言葉が聞き取れるだけだった。どうもラジエターの調子が悪いと僕に言っているようだ。僕は車のメカのことなどさっぱり分からない。でも、取り敢えずエンジンも掛かっているし、動くことに間違いなさそうなので、適当に「オーケーオーケー」と答えていた。

 伝票にサインを貰い、僕が車を発車する段になっても、“アルート”さんはまだ不信そうな怒ったような顔をして、窓の外からラジエターがどうのこうのと繰り返している。僕はもうすっかり面倒臭くなって、適当に「オーケーオーケー」と繰り返して、そのまま構わず車を発信させた。

 

 どういう理由で、あのイラン人はこんなボロの車を移動させるのか。ちなみに車の納品先は川崎大黒埠頭の48番倉庫となっている。埠頭に運ぶのだから、船で国外に運び出すのだろう。そうなると、あのイラン人はブローカーか?
 何だか、またウサン臭い事に荷担しているような気分になったが、面倒くさい事は取り敢えず考えないことにした。

 外は春先の暖かな日だった。天気は快晴、窓を全開にして環状八号線をスイスイと車は走っていた。エンジンルームからはバスバスと相変わらず不安定な音がしてはいたが取り敢えず快調に車は走って行った。ガソリンも適当に入っているし、指示された川崎の大黒埠頭まで問題なく行けそうだと、この頃、まだまだ修羅場を知らなかった僕は、実に安易に物事を考えていた。

(第二章へ続く)

K's Room

東京大田区バドミントンサークル



 

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