マウイ島でも有数の部屋数の多さを誇るホテルのロビーは、なんとも落ち着かない雰囲気だった。そこは東西南北ありとあらゆる国の美術品を気まぐれで並べたような混沌ぶりで、間近に迫ったクリスマスを伝える巨大なクリスマスツリーが、いっそうその混乱を際立てていた。ロビーの突き当たりは池を囲んだパティオになっていて、その正面には滝が流れ込んでいた。滝のすぐ横には数羽のフラミンゴが並んで羽を休め、池の中を覗いてみると悠然と錦鯉が泳いでいる。少し前まで、この「ウエスティンマウイ」のオーナーだった千昌夫のやることを、誰かが止められなかったのだろうかと僕は思った。
一緒に到着した他のグループの人達と一緒になり、僕らは“チャーリー田中”に指示されるまま、パティオに向かって置かれたソファーに腰を下ろした。僕らから見てチャーリーの後ろの池の手前には、スタンド型の止まり木が置かれ、色鮮やかなオウムが盛んに毛繕いをしていた。
チャーリーと向き合い、不信そうな表情でいる僕らに、彼は、自分は「マウイ・クラブ」というオプショナルツアーの計画を立てている事務所の者だと言った。その職業の似合わなさに、僕は思わず笑ってしまった。
ホテルのレストラン、バーなどの施設の説明や、様々な設備の使用方法、館内での注意事項などを、チャーリーは僕らにとても丁寧に教えてくれた。肝心のオプショナルツアーの説明はやたらと長かったが、これから滞在するホテルの一通りの説明が聞けたので実際にとても助かった。時折一心に説明をするチャーリーの後ろで、オウムが思い付いたようにギャーッと奇声を上げていた。
オプションのツアーの中で、ホエールウォッチングのツアーを僕らは考えていた。特に奥様はクジラを見るのをとても楽しみにしている。チャーリーからもらったパンフレットには、モロキニ島でのシュノーケリングや、ハレアカラ火山での日の出ツアー、ナイトクルージングなどの案内が記載されていて、その中にキヘイ港から出航する、ホエールウォッチングのツアーの案内もあった。しかし、チャーリーの説明では、僕らの滞在中にホエールウォッチングの船が出るか否かは非常に微妙だということだった。
一通りの説明の後、チャーリーから部屋のカードキーと朝食用のクーポン券を受け取りその場を解散となった。僕らは、様々なテナントショップや、ツアーの案内所などが並ぶ長いロビーを抜け、その一番突き当たりにあるエレベーターで10階まで上った。
1058号室。これが今回の全日程を過ごすことになる僕らの部屋だ。渡されたカードキーで部屋に足を踏み入れたとき、本当の意味での安堵感が僕の中に一度で沸いてきた。帰りの飛行機があるかないかは別として、このとおりきちんと部屋が割り当てられていた事で、旅行会社との契約が実際に存在していたことがほぼ確実になったからだった(ワールドウイングツアーズさん、本当にごめんなさい!!)。
海の見える部屋指定で頼んでおいたその部屋は、正面視界いっぱいに海が見えるわけではなかったが、ベランダから隣の建物と半分半分に割り当てられた海の風景には、僕も奥様も充分に満足だった。ベランダの柵越しに下を見下ろすと、ホテルの中庭に生い茂る椰子の木などの南国の木々が目に入った。そして、その中に点在するこのホテルの売り物の五つのプールからは、僕らは長袖のシャツを着ているこの薄ら寒い中だというのに、元気にはしゃぎ回る様々な嬌声が聞こえてきていた。その向こうの海にはクルージングを楽しむヨットやボートが浮かび、パラセイリングの色鮮やかなパラシュートが僕らの目線の高さを走り、海を隔てた正面には、ラナイ島のごつごつとした島影がどっしりと構えていた。
12月13日(月)、翌日僕らが目を覚ましたのはもうお昼にも近い時刻だった。時差の関係で、35時間もあった初日の睡魔との戦いに疲れ果て、さすがに二人とも思うような時間には起きられず、爽快な朝というわけにはいかなかった。
カーテンを開けると窓の外は昨日とは打って変わった青空だった。ジリジリとした陽の感覚が伝わり、ウキウキとした夏の気分も沸き上がってくる。僕は2日目にして始めてハワイに来ていることを実感した。奥様は昨日一日の天気に幻滅し夜通し天に祈っていたらしく、よく晴れた空を見上げると自分の祈りが通じたんだと満足げだった。
明るい日差しの中、一階のテラスで巨大なハンバーガーを食べた。何を食べようかと考えメニューを覗いても、特にランチなどは結局この程度の食べ物しかない。一口で齧ることの出来ないハンバーガーに悪戦苦闘しながら、「世界で最低の料理は、アメリカで考え出されたハンバーガーだ」と、村上龍が何かに書いていたのを思い出した。
食事の後はいよいよ海へ向けての出陣となった。水着に着替えて、プールの受付の小屋で必要なバスタオルの枚数を告げる。係員がオンラインでルームナンバーを照合し、貸し出すタオルの枚数をチェックするシステムらしいが、数台の返却コンテナの中に山と積まれた使用済みタオルを見て、本当にそんなことが機能しているのかどうかかなり疑わしかった。
バスタオルを手にホテルの敷地を一歩外に出ると、もうそこにはハワイ諸島の海が広がっていた。目を細める程の日差しも照りつけ、よくパンフレットの表紙に見るような、青い海、青い空、真っ白な砂浜というシーンが僕らの目の前にあった。
右手の砂浜の遠く先には、“ブラックロック”と呼ばれるシュノーケリングのスポットが突きだし、反対側の左手は数百メートル先で砂浜が海へとせりだしその先が見えなくなっていた。砂浜が海へ突き出しているその辺りの海岸線では、白い波が大きく競り上がり、サーフィンをしている連中の姿も見えた。
ホテルの前の砂浜には、2人掛けの木製のリクライニングチェア―がずらりと並べられていた。昨日、ホテルと隣接しているショッピングセンター「ホエラーズビレッヂ」からホテルへ戻る遊歩道を歩いていた時、奥様が「あら、ずいぶん良いものがあるわね」とあらかじめ目をつけておいたものだ。
適当なチェア−を選び、持ってきたシュノーケルの道具を傍らに降ろした。すぐそばの砂浜の上に無造作に積まれているナイロン地のマットを、木枠がむき出しになっているチェアーの台座の上に起き、背もたれを調整して、幌をおろした。二人でその中にもぐりこみ、体を横たえて、海を眺めながらやっと一息吐いたところにその彼はやってきた。
白人男性にしては小柄な体つき、年の頃は40前後、麦藁帽子を目深にかぶり、良く日焼けした顔に目一杯の笑みを湛えていた。彼の名前は、仮称“ジャッキー・リー”。照りつける太陽の光を受けて、麦わらの下のサングラスがキラリと輝いた。
「ハロー、ハウアーユードゥーイン?」
言ってることは分かったので、僕は適応に英語らしい言葉で返事をした。すると彼はすかさず、ワンデイは15ドル、ヌーンだと10ドルだと僕らに言った。僕はてっきりジャッキーのことを、アイスキャンディー売りだと思っていたので、1日とか半日とか何を言っているんだろうかと不思議に思った。しかし、良く考えてみると、どうやら僕らが今腰掛けているチェア―が有料で、その料金を取りに来たらしいことが分かった。奥様が僕の横で、「あら、有料だったのね」と言った。
マスクを付け、シュノーケルをくわえ、海へ飛び込む。水温は思ったとおりに結構低く、体脂肪率が揃って10パーセント代の僕らの痩せっぽちの体にはちょっとつらかった。
水面を5メートルも沖へ進むと、海底が急激に落ち込み、あっという間に背が立たない深さに変わった。泳ぎ回っている魚の種類は、熱帯魚という感じでもなく、日本の海で見る魚よりも、一回り大きいくらいのものが多いようだった。人間に対する警戒心などは全然ないようで、バシャバシャと音をたてる僕らのすぐ横をすいすいと泳ぎ回り、ス−ッと伸ばした僕の手をまるで眼中にないといった様子でかわしていく。たしかに、ヤスを手に追い回すような輩もいないのだろう。
日本での話しだが、僕は毎年必ず夏に伊豆の海に行く。何をするのかといっても海水浴に毛が生えたようなもので、水中マスクを着け水面をぴちゃぴちゃと泳いでいるだけなのだが、それでも、ポイントさえ間違わなければ、色鮮やかな魚や、大きな魚影を見ることが出来る。嘘だと思う人もいるかもしれないが、伊豆辺りでも透明度だって十分にあり、時にはサザエやあわびを拾ったり、うつぼに出会ったりすることもある。ハワイの海も確かに凄いけれど、伊豆の海も全然負けてはいないなと思い、僕は一人感心していた。
マスク越しに水面から見下ろす海底は、茶色のごつごつと隆起のある岩が多く、この島々が火山活動によって生まれた島なんだと改めて納得させられた。毎年最初に海に入ったときに、水面から海底までの高さに慣れるまで、「ジョーズ症候群」の僕は少々時間が掛かる。
海のない土地に育ち、海を知らなかった幼少の僕に、始めてその正体を教えてくれたご丁寧な映画が「ジョーズ」だった。スピルバーグには本当に感謝している。足が着かないところをユラユラしていると、何者かが足を引っ張るんじゃないかという潜在的な恐怖感を植え付けられてしまった。この「ジョーズ症候群」(勝手に名付けました)の人、世界中に結構いると思っているのは、僕だけでしょうか?
そんなわけで、あまり深いところまで出ずに、バシャバシャしている僕のことなどお構いなしに、スキューバ暦も長く知る人ぞ知る超野生児の奥様は、あの魚が凄いとか、蟹がいたとか言っては、ガンガン沖の方へ進んでいく。それでも、時々思い出したように水面から顔を上げて辺りを窺うと、ちっとも沖に出て行かない僕を見つけて、“何やってるのよ”という顔をした。
海から上がりあっという間に冷えてしまった体を“有料の”チェアーに横たえた。真冬の日本に戻ってから、さすがに満面日焼けで会社に行く訳にもいかないので、今回日焼けはパスすることに決めている。奥様と二人で全身に真っ白な日焼け止めクリームを塗りたくる。常夏のハワイとはいっても、やはりこちらも季節は冬、寒がりの僕らにとっては今一つ気温がどうにも物足りなく、晴天の太陽の光がただただ体を温めてくれるのを、ガラパゴスイグアナのようにじっと待っていた。
それにしても、巨大な体の欧米人や、現地の人達の服装は本当に凄いなと思う。男性は特にTシャツと単パンという組み合わせ以外はまるで考えていないらしい。日本にいるときに、ハワイやカリフォルニアからそのままの格好で冬の日本に来てしまったような人達を時々見うけるが、それはそれで充分に対処出来ているようだ。
夕方になり、部屋に引き上げてから明日の計画を練る。モロキニ島でのシュノーケリングと、ホエールウォッチングは、はずすことが出来ない今回のオプショナルツアーの一つである。ただ、ホエールウォッチングは、チェックインの時の“チャーリー”の話で、船が出るのが微妙だということだったので、取り合えずモロキニ島でのシュノーケリングを明日の予定にしようと決めた。
モロキニ島と言うのは、マウイ島の沖に浮かんだ馬の蹄鉄型をした小島で、自然保護区となっていて人間の島への上陸ができない。手付かずの自然が残る辺りの海は、特に水質が良く、魚の種類が豊富で、貴重なシュノーケリングスポットとなっていた。ホテルに置かれたパンフレットや、飛行機の中で貰ったチラシなどにも、様々な会社が企画するモロキニ島のツアーが宣伝されていていた。
どこの会社のツアーでも良かったのだが、せっかくだから、船の大きさも一番大きいツアーを扱っているというチャーリーの所のツアーで頼むことにした。
さっそく、チェックインの時にチャーリーから渡されたパンフレットを手に取り、チャーリーのオフィスに電話を掛けてみる。掛けてから気づいたのだが、どうやらこの番号は内線電話らしい。とすると、チャーリーはこのどでかいホテルの中のどこかにオフィスを構えているのだろうか?
アメリカの電話特有の長く伸びる呼び出し音、その後切れてしまったのかと思うような長い間があき、再び呼び出し音。程なくチャーリーが電話に出た。モロキニ島ツアーの申込みをしたい旨を告げると、嬉しそうな声で、すぐにお部屋まで行きますとのことだった。これは相当暇そうだなと僕は思った。
ドアをノックする音に扉を開けると、初日に会った時と同じように、アロハシャツを着こみ小太りな体つきのチャーリーが扉の前に立っていた。おざなりの挨拶を交わした後、チャーリーは僕にチケットとパンフレットのようなものを差し出した。そして、ツアー当日の簡単な説明をすると、「2人で160$です」と言った。突然、支払いをする段になって、この男を信用して大丈夫だろうかなどという警戒心が僕の中に浮かんだ。しかし、受け取ったお金を嬉しそうにしまって返っていくチャーリーの後ろ姿を見て、何だか凄く良いことをしたような気がしてきた。
翌日はめちゃめちゃ朝が早かった。なぜ、旅行はこんなにも寝不足になるのだろうかと不思議に思った。6時半に到着予定のピックアップバスをホテルの前で待つ。辺りはまだ薄暗くて、トレーナーまで着込む肌寒さだった。僕らが今いるカアナパリ地区は、マウイ島の中でも最西に位置していて、東側を大きな山が隔てている。その高い山に阻まれているため、この辺りは日が出てくるのがだいぶ遅いのだ。
バスの到着場所に指定されているホテルの入口に、ちらほらと同じツアーに参加するらしい人影が集まってきた。薄暗闇の中でその面子を見てみると、思ったとおり日本人ばかりだった。
予定の時間より10分くらい遅れて銀色の車体の巨大なバスが到着した。運転手が手際良く参加者の名前を確認し、全員がどやどやとバスに乗りこむ。車内には他の場所から来ている人達がもう既に10人くらいいた。
巨大なホテル街を形成しているカアナパリ地区の中をバスは走っていった。途中、何度となく様々なホテルの前で停車しては、ツアーの参加者をピックアップし続け、いつしか車内は人で一杯になった。
すっかり日が昇った頃にバスはホテル街を離れ、ハイウェイを東へ向かった。今日も晴天のようだ。右手には海を眺め、左手は赤茶けた地肌の覗く土地が続く。やたらと広いスーパーマーケットのパーキングに停車している、巨大なピックアップカー、ガソリンスタンドに掲げられた、巨大なコカコーラの看板、朝日が当るそんな田舎町の風景を眺めながら、「ああ、アメリカだな」などと僕は一人で黄昏ていた。
キヘイの港、埠頭の一番先端から、僕らの乗る「プリンス・クヒオ号」は悠然と出向した。ラハイナから出るツアーの船の中では、一番デカイことが売りのこのクルーザーは、全長12フィート、2階建てのキャビンは最大200人もの乗客が乗れるというものだった。
朝昼の二食が付いているというツアーだったので、船に乗りこむとすぐにセルフサービス型の朝食となった。カウンターに並べられた、パンやベーグル、ベーコンや野菜などから、自分で好きに選んで勝手にサンドイッチを作って食べる。あれもこれもと、バイキング形式だとついつい欲張ってしまう貧乏性の性格が、この後強烈なあだになって帰ってくることに、このときの僕はまだ気付きもしなかった(ちゃんちゃん)。
快調なスピードで船は沖を疾走して行った。2階のデッキに乗客全員を集め、このツアーの見所や、注意事項などをクルーが説明する。集まった乗客をざっと眺めると全部で4、50人くらい、やはり日本人ばかりだ。船側も勝手知ったもので、アナウンスは日本語と英語の交互でおこなわれる。それにしても、2階のデッキでもろに風を受けていると、メチャ寒い。いったい何でこんなにハワイは寒いのだろう!
正面に構えるラナイ島へ向かって船が進んでいくと、大きく迫り出したマウイの島影に隠れていたハワイ島が左手遠くにその姿を見せた。
その時、突然、エンジンが停止し、船がガクンとスピードを落とした。アナウンスの女性が皆に静かにするように指示を送る。女性が手にしているマイクが、他のクルー達の緊迫した雰囲気で喋る英語の声を拾っている。
いったいなんだ?沿岸警備隊に間違って銃口でも向けられたのか、それともまさか、エンジントラブル?映画好きの僕はめまぐるしく楽しい想像を繰り返した。
「クジラがいるようです」アナウンスの女性が、囁くように言った。
乗客達の間で、驚きの声が静かに上がる。エンジン音が消え、波に任せて船体が大きくゆれる中、全員がきょろきょろと辺りに目を凝らす。
「右手の方向です」女性の声がした。
ここハワイでは、クジラに90メートル以上近付いてはならないという法律があるらしい。もっとも、クジラが勝手に近付いて来た場合にはこの限りではないようだ。
残念ながら、クジラは近付いてはこなかった。2頭の親子クジラは、数百メートル先を背ビレを何度となく見せながら、悠然と泳いでいた。デッキの乗客達が言葉もなく見守る中、二頭は最後に大きく尾を見せて海中に潜っていった。アナウンスの女性によると、尾を見せたということは、もうすぐには上がってこないとのことだった。わずかな時間ではあるが、ホエールウオッチングも出来たことで、一石二鳥、僕は充分に満足だったが、奥様は爛々と目を輝かせて、ホエールウオッチングは、絶対に行こうねと言った。
やがて前方にモロキニ島の島影が見えてきた。その時、すぐ僕らの隣の席に座っている女性の様子がおかしいことに僕は気付いた。突然その女性は突然前屈みになり、コンビニのビニール袋みたいなものに口をあてて、体を震わし始めた。
船酔いという現象があることを僕はその時思い出した。せっかく高いお金を払ったツアーなのに、可哀相にとその時の僕は思った。
モロキニ島の島影が目の前に迫り、船はゆっくりと蹄鉄型の湾の中へ潜り込んでいった。もう既に他のツアーのクルーザーが数台停泊し、たくさんの人達が海に出ている。
船で借りたウエットを着込み(本当に寒いの)、マスク、フィン、シュノーケルを着ける。海面と同じレベルに降ろされたステップに出て、海を見下ろす。クルーの1人がステップに立った僕らに、棒状の発泡スチロールのような物でできた浮き具を差し出した。奥様に、使うよね?と聞いたところ、笑いながら、冗談でしょうと言った。奥様は分かっていない、やはり見知らぬ海に入るときには、装備は怠ってはいけない。クルーから奥様の分ももらってしまったので、その浮き具は二つとも僕が持つことにした。
海の中に飛び込んだ瞬間、僕は思わず息を飲んだ。誰にも聞こえるわけはないのに、シュノーケルをくわえたまま、「なんじゃこらー」と、叫んでしまった。
海はものすごく深い。10メートル以上は裕にある。それなのに、海底がすぐ手の届くにあるように感じるほどの透明度なのだ。おまけにやたらと色鮮やかで、まるでテレビの画面のようなグラデーションでその風景は飛び込んできた。遥か下にある海底と、すぐ目の前にいる魚とのバランスが、まるで“3D”だった。魚の種類、数が異常に多く色鮮やかなのはもちろんだが、一つの岩を取ってみても地上で見るものと同じように、微妙なコントラストまでもが見て取れた。今まで自分が見てきた海の中と、今この場所のそれとは、全く異なるものだった。わざわざ船をチャーターしてまでこのポイントにやってくる訳が良く分かった。
それにしても、一向に海の深さに目が慣れない。「ジョーズ症候群」が容赦なく僕に襲いかかり、船から余り遠くに行く気になれない。奥様はそんな僕にはお構いなしで、ぐんぐんと気の向くままに船から離れて行き、挙げ句の果てには人の腕を取って、もっと島の近くへ行こうなどという。僕は水が冷たいことを理由に、一度船に戻ることにした。
元々は日本の海も、当たり前のようにこんなに綺麗だったのだろうか。東京湾や、湘南だって、大昔はここと同じように海の中にも色があったのだろうか。僕はデッキの上から、モロキニ島の湾の中にたくさんの人がプカプカと海面に浮かんでいる様を眺め、1人感慨に浸っていた。
と、その時だった。なんだか胸がムカムカとしてきているのに気付いた。さっき食べたベーコンの油がきつかったかなあ?などと食べ物のことを考えていたら、急激な吐き気が襲ってきた。さっきから頭痛がして、少し体調がおかしいなとは感じていた。一階の船室に駆け込みトイレに飛び込む。大自然放流式の便器にかがみこむや否や、朝食に食べたものがすべて海に流れていってしまった。
強烈な船酔いだった。しばらくはそのまま立ち上がれなかった。頭の中がぐるぐる回っている。海に流すことが出来ないために、便器の脇の篭の中にうずたかく積まれた使用済みのトイレットペーパーを眺めながら、僕は自分の運命を呪った。
やがて船は海亀が生息している別のポイントに向けて出発するという。集合の合図を聞いたときには、もうこれで帰れるのかと思ったが、そのアナウンスを聞いてガックリと来た。
モロキニ島を離れ、船がスピードを上げ始めてすぐ、ツアーの時間の関係でもう昼食だという。もちろん僕に食欲などあるはずもなかったが、奥様は濡れた髪も気にせず、元気一杯サンドイッチとコーヒーを下から持ってきて頬張りだした。なにも食べられないと言い、テーブルにひれ伏している僕を見て、だらしないわねえと横目で言った。
次のポイントで再び停泊した頃には、ラッキーなことに船酔が少しはましな状態になっていた。神はまだ僕を見捨ててはいない。再び、装備を着けて海に飛び込む、同じ深さ、同じ透明度の海。しかし、なぜか今回「ジョーズ症候群」の症状は襲ってこない。深さも全然気にならない。海亀が生息しているそのポイントで、僕は十分にシュノーケルを楽しむことが出来た。何匹もの海亀が海底にいる様子が見て取れ、1頭がたまたま息継ぎに海面すれすれまで上がってきたときに、手が触れる近さで見れたことは凄く運が良かった。船酔いも忘れ、心底エメラルドブルーの海を楽しめ始めたときには、無常にも今回のツアーはタイムアップとなってしまった。次回、船に乗るときには、酔い止めの薬を必ず持って来ようと、この時固く決心した僕であった。
(第三部へつづく)