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K's Room Odds & Ends

ストーリーズStories

南遊記 〜僕と奥様の珍道中

活動報告写真1999年、ミレニアム目前のハワイマウイ島旅行記

第三部 はじめてのゴルフ -完結-編


 モロキニ島からホテルへ戻り“チャーリー”の事務所に電話を入れる。ホエールウオッチングの船が出るのかどうかを確認する僕に、チャーリーは申し訳なさそうな声で船が出航しない旨を告げた。そして、代わりにハレアカラの火山のツアーなどはどうかと持ちかけてきたが、僕も奥様も山には余り興味がないので、その申し出は丁重にお断りした。

 ちなみに、ハレアカラ火山というのは、マウイ島の南東部、国立公園に指定されている地域内にある3000メートル級の山で、熱帯の環境の中にありながら、頂上付近は氷点下にもなり、日の出の見物や乗馬での散策、マウンテンバイクで一気に丘を駆け下りるなどといった様々な企画がそこで用意されていた。もっとも、いったいハワイまで来て、どういう理由でそんな寒いところへ行こうとする人がいるのか、僕にはまるで理解できなかった。

 ホエールウオッチングができないことで、奥様は凄く落ち込んでいるようだった。僕はそんな様子を少し可哀相にも思ったが、もう船に乗らなくてすむ事が分かって、内心はウキウキしていた。
 と、奥様が「ホエールウオッチングが出来ないのなら、ゴルフをやろう」と唐突に言い出した。
 “ゴルフ!?”そういえばハワイに来る前、あれやこれやと現地での遊びを模索していた時、奥様が、あっちのゴルフ場は安いし空いてるのよね〜、などと言っていたのを思い出した。
 本当に、あんなゲート−ボールに毛の生えたようなものをやろうというのか?
 僕は何とか他に気を逸らせようと、レンタカーを借りてショッピングなどはどうかと持ちかけた。しかし、予想通り奥様は頑としてゴルフがやりたいと言い張る。
 ジジイ達がひょっとすると自分達よりも年配かも知れない女性に道具を持たせて、ダラダラと歩いているだけのスポーツ。そんな光景が僕の頭の中に浮かんできた。犬を連れて公園を散歩してるのとちっとも変わらないではないかと僕は日頃から思っていた。

 まあ、でも、こんな事を言ってる僕だが、子供の頃「プロゴルファー猿」に憧れてゴルフをやってみたくなった事もあった。庭にある適当な木を切り落として、枝の曲がり具合をうまく利用して、“猿”が使っていたようなパターをつくり、どこからか拾ってきたボールで、庭に掘った穴めがけてパター遊びをしていたこともある。しかし、いつの頃からか、あのポロシャツをズボンに仕舞い込み、お腹を突き出しているスタイルに抵抗を感じ、日本のゴルフ事情、特に料金が異常に高いことを知ったときには、もう絶対自分はやらないスポーツのベストワンになっていた。
 奥様は言い出したら絶対に聞かないので、その場は適当にお茶を濁し、先々なにか障壁が生まれることを期待することにした。

 夕方となり、夕食がてら「ラハイナ」の町まで繰り出すこととなった。「ラハイナ」という町は、この島々がかつて独立した王国だった頃の、王朝が置かれていた由緒ある町らしい。僕は「エーちゃん」の歌のタイトルで何となく知っていた。
 
 ホテルのすぐ隣りにあるショッピングセンター「ホエラーズビレッヂ」の正面で、ラハイナ行きのバスを待つ。バス停には何種類ものバスが次々とやって来て、皆一様にラハイナ行きとなっているが、全てのバスに乗れるわけではないらしい。一台は日本の某大手旅行社の利用者専用バスであったり、一台は島内を観光するツアーのバスであったりと、どのバスも僕らの前で乗車口をばかっと開くが、いったいこれに乗って良いものなのかどうかが皆目分からない。仕方がないので扉が開くたびに僕はステップに上がって、運転手にこれに乗っても良いのかといちいち聞かなければならなかった。
 さんざん、仏頂面で「ノー」と乗車を拒否され、いい加減に歩いて行こうかなどと自棄になっていた頃、やっと一般人が乗ることの出来るバスがやってきた。

 オープンエアーで木製の車体を真っ赤に塗装したその姿は、まるで遊園地の園内をチンチン音を鳴らしながら走っている遊覧バスのようだった。料金が一人1ドルと安いこともあり、まあこれも南国の風情だななどと思いながら僕らはバスに乗り込んだ。しかし、このバス、昼間ならともかくあたりが薄暗くなってきたこの時間、ハイウエイを全速力で飛ばす窓から吹き込む風は余りにも冷たく、半袖に短パンの僕らの体はあっという間に冷え切っていった。僕も奥様も鼻水ずるずる状態で、これはサバイバルだと僕は思った。しかしいったい、何だってハワイはこんなにも寒いのだろう!


 

 ラハイナに到着すると、古めかしい作りの建造物がたくさん目に入り、かつて栄えた歴史のある町だという雰囲気が容易に感じ取れた。根に枝にやたら四方八方に触手を伸ばし続けているお化け大木、“バニヤン大樹”の中を通ったり、未だそのままの姿で保存されているかつての牢獄などを見て歩いた。ただ、その昔捕鯨で賑わっていたという港は、今ではすっかり釣りの客や、クルーズを楽しむ人達を乗せるツアー船の発着所と化し、海岸線と平行して走るメインストリートの両側には、びっしりと土産物屋や、レストランなどが軒を連ねていた。
 
 夕方のラハイナの町を僕と奥様はのんびりと散策した。そんな海風の吹く町の中の店で、僕はTシャツを選び、奥様は前々から探していたイメージ通りの水着を見つけて上機嫌だった。ただ、あれこれと良く世話をしてくれたこの水着売場のおばさんが、翌朝なぜかホテルの中のブティックにいて、澄ました顔で接客していたのが何とも不思議だった。

 辺りがすっかり夕闇に包まれた頃、僕と奥様は一件のシーフードレストランに入った。そして、僕らはここで、仮称“キャプテン・コナー”と出会う事となった。
 レストランは、海に向けて開放した作りとなっていて、遠く沖合いには大型のクルーザーの船影も見えた。涼しい海風が吹き込み、BGMにハワイアンが静かに流れ、それぞれのテーブルの上にキャンドルを灯している店の雰囲気はなかなか悪くはなかった。
 
 渡されたメニューを広げて、さっそく食事の内容を検討した。さすがにホテル街を離れると日本語の“補助メニュー”はなく、ひたすら英語で羅列された文字の中から、奥様はシーフードパスタを選び、僕は小振りなステーキを頼むことにした。そして、もう一品二人で手が出せるよう魚の料理を一つ頼もうと考えた。メニューには南洋の魚の種類がたくさん書かれているが、サーモン以外はさっぱり何の魚なのか分からない。取り合えず話の種に、その中にあった“マヒマヒ”という変な名前の魚をオーダーしてみることにした。
 
 ウエイターを掴まえようと辺りを見回す。すぐ近くの席のアメリカ人の家族らしい団体に接客をしている男性の後ろ姿が見えた。彼の名前は、仮称“キャプテン・コナー”。長く伸ばした髪をオールバックに撫で付けて後ろで一つに束ね、がっちりとした彼の体躯はまるでプロレスラーのようだった。
 彼はよく響く声で、オーダーは全部自分に決めさせてくれとばかりに、そのテーブルの家族に話しかけていた。おばあさんの椅子の背もたれに手を掛け、顔をすれすれの位置まで近づけ、私はあなた方のためならどんな事でもいたしますといった笑みを浮かべ、機関銃のように語りかけている彼の様子に、僕は彼にだけは注文をするのをやめようと思った。
 その時ちょうど通りかかったチャーミングなブロンドの女性がいたので、僕はその女性に小さく手を挙げた。めざとく僕のサインを見つけたその女性はにっこりと微笑むと、瞬間、こともあろうに大家族の注文を終えたばかりの“キャプテン・コナー”に振り向き、「こちらを、お願い」と囁いた。
 
 “キャプテン”は、すばやい視線で僕らを見とめた。そして、これ以上はない営業用の微笑を満面に浮かべ、前の家族に渡していたメニューを整えると、大きく息を吸い込み僕らの席に向かって大股でやってきた。
 肝心なところでスケベ根性をもたげてしまう、しょうもない自分の性格を僕は悔やんだ。  彼は微笑を絶やさずに僕らのテーブルに近づき、一度姿勢を整え、僕と奥様をまるで十年来の友にでも会ったかのよう交互に見やった。
 「ご機嫌はどう?」と、彼は話し掛けてきた。
 僕は、最悪!と言いたかったが、適当に相槌をうち、さっさと注文だけを済ませようと彼の前でメニューを開こうとした。しかし、その動きを見たキャプテンは、僕の手をそっと押さえ、突如、怒涛のようなスピーキンイングリッシュで僕らに話しかけてきたのだった。
 彼の言葉の端々に、スペシャルという言葉が聞き取れた。どうやら彼は本日の自分のお勧めのメニューがどれほどすばらしいかを、大きく見開いた目と、大げさな身振りで熱心に紹介しているようだった。
 当然僕らにはいったい彼が何を言っているのかは分かるはずもなく、僕と奥様はこちらに相槌を打つ暇も与えずにまくし立てる彼を、ただ呆然と見つめるだけだった。
 
 突然に何の前触れもなく彼の話は終わった。
 どうやら一通りの彼の説明は終了し、後はこちらのリアクションを待っている様子だ。
 「I can't speak English」僕は言った。
 しばしの静寂。
 一瞬蝋人形のように固まったキャプテンは、次の瞬間大きく表情を崩すと「オーケー、オーケー」を連発し、バシバシと僕の肩を叩きながら大きな口をあけて笑い出した。
 僕はそんな事には構わず、メニューの中から自分達の食べたいものを言おうとしたが、そんな様子が彼には更に面白かったらしく、本当に腹を抱えて笑い出した。
 僕はいったい何がおかしいのかと少しむっとしたが、笑顔が妙に悪気が無さそうに見えて、一緒になってはははと情けなく笑った。

 僕のステーキと奥様のパスタとを告げた後、“マヒマヒ”と僕が言葉を口にした瞬間、あれほど温和だった彼の表情が突然に凍り付いた。
 キャプテンは“マヒマヒ”と一言、まるで神のお告げのように呟くと、眉間にしわを寄せながら、英語は分からないんだと言っているのにもかかわらず、またしても機関銃のようなスピーキンイングリッシュでなにやら説明し出した。
 そんな彼に、時々僕の方から話を止めて慎重に話の内容を確認をしていくと、どうやら今までの注文の他の料理としては、“マヒマヒ”は大きすぎてあなた達には食べ切れないと言っているようだった。
 僕はなんだか体の小さい日本人が、子供のように見られているような気がして、またしても少しむっとして、絶対に食べられると言い張った。
 キャプテンは、「もう子供はすぐにムキになる」とでも言いたげに首を一度左右に振ってから顔をぐっと僕に近づけ、再びマシンガンのように喋り出した。
 彼の余りの勢いに、僕はもう面倒くさくなり、「ノー。ノー、サンキュー」と言った。
 やっと我が意を得たりとばかりに彼はにっこりと微笑み、メニューを綺麗にそろえると、「少し待っててね」と人差し指を一本立てて見せ、足早に店の奥へと消えていった。

 バスケットに入れられテーブルまで運ばれた暖かいパン、山盛りのサラダに、メインディッシュ、魚介類のたっぷりと入ったパスタには奥様も満足そうだった。僕は相いも変わらずビールを、奥様はグラスで白ワインをたのんで飲んだ。
 忙しそうに動き回っている“キャプテン”は、時々近くを通りかかると僕らのテーブルに立ち寄り、これはうまいかとか、“マヒマヒ”は頼まなくてよかったろうと、得意げに語りかけてくる。そして、大きな口をあけて高笑いをしては、頑張れよとばかりに僕の肩をバシバシと叩いてどこかへ消えていった。
 確かに日本での食事とは少々ボリュームが違う。今のテーブルの上のメニューだけでも精一杯なのに、これ以上大きな魚でも出て来られたらとても食べきれるものではない。くやしいながらもキャプテンの言ったとおりだったと思い、僕らはフーフー言いながらテーブルの料理を平らげていった。

 会計の時、キャプテンに少し多めにチップを渡した。彼は今にも抱きついて来るんじゃないかと思うほどの喜び様で、サンキューサンキューを繰り返して、また僕の肩をバシバシと叩いた。

 店を出る時、入る時には気が付かなかったが、魚の種類をイラストで説明しているポスターが張ってあった。その中には“マヒマヒ”のイラストもあり、まるでシーラカンスのおでこが突き出したようなその姿に、これは頼まなくて正解だったとほっと胸を撫で下ろした。

 再び寒風吹きすさぶバスに揺られてラハイナからホテルへ戻る。フロントの前を通る時、ゴルフの手続きを早くしてくれと奥様が僕に言った。本当にやるのと聞く僕に、奥様は一度頷いたきりじっと僕の目を睨み付けている。これはもう絶対に駄目だと僕は腹を括り、その場で翌日のコースの予約をした。
 こうして僕は生まれてはじめて、しかも遠くハワイの地で、あれほどやるまいと固く誓っていたスポーツを体験することとなった。

                       

 

 12月15日(水)快晴。1番ホールのティ−グランドに立ち、遥か彼方のグリーンでゆれている旗を見やった。ドライバーを片手に、僕は以前テレビで見たタイガーウッズのフォームを思い出していた。スポーツはイメージが大切である。体に“壁”を作り、まったくロスなく振り出す彼のフォームは、素人目にも完璧なのが分かる。僕は完璧にそのフォームを盗もうとコンセントレーションを高めていった。
 ティーグランドで集中する僕に何事かの気配を感じたのか、芝の手入れのおっさんがカートを止めじっとこちらを見つめている。
 僕は野球のバッティングには少々自信がある。ティーに乗せたボールを見据えて、体の柔軟性に任せ、振り上げたドライ-バーをボールめがけて振り下ろした。
 ビュッという風を切る音はした。しかし、手応えがない。当りがあまりにも会心で、ほとんど手応えらしいものを感じないのか。
 念の為、ボールの弾道をイメージして遥か前方に移していた視線を足元に戻す。するとそこには、まったく何事もなかったかのように、ボールがその場所に鎮座していた。僕の後ろで奥様があらあらと言い、芝刈のおっさんは遠慮なしにブッと吹いていた。

 空振りをもう1回の後、3打目に初めてクラブに当ったボールは、明後日の方角に向けてもの凄い勢いで飛び出していった。全然ピンとは関係ない方向へ飛んでいったボールではあったが、その打球のスピードの速さにはびっくりした。ゴルフボールというのはこんなスピードで飛んでいくものなのか?
 「力の入れすぎよ」と、奥様が何食わぬ顔で言った。
 まあ仕方がない、イメージが少し合わなかっただけだと、怒る気持ちを押さえた僕であったが、心のどこかでは冷静に、これはやばいぞと思い始めていた。

 クラブを振りかぶった奥様は、まったく無理のないフォームで振り下ろし、スコーンと乾いた音を残した白球は、フェアウエイのど真ん中に向けて猛然と飛び出していった。
 サンバイザー越しに、フェアウエイを転々と転がるボールを眺めながら、まあまあねと奥様はつぶやいた。僕は、いよいよこれはやばいと思い、自分の玉が飛び込んでいったコースの外れの瓦礫の山になっているような場所めがけて走り出した。

 7打目で、僕のボールは“順調に”グリーンに乗った。しかし、1打目(3打目?)に瓦礫の山に突っ込んでいったボールは結局見つからず、この時点で既にボールを一つなくしていた。ゴルフの前に奥様が、「ボールは1ダースくらい買っておいたほうがいいわ」と言った時、いったい何を言っているのかと思ったが、まあ確かにこんなふうにボールの行方がわからなくなることもあるのだと知り、取り敢えず買っておいてよかったと思った。
 奥様は3打目でグリーンにボールを乗せている。しかし、ここからが僕のもっとも得意とするショットだった。バドミントンで言えば、フォアのダウンザラインへのドライブみたいなものである(?)。何ぜプロゴルファー猿"のパットのイメージを僕は持っている。子供の頃に自然と体で養った感覚は強力な武器である。
 グリーン上僕が残した距離はおよそ7メートル。タイガ−ウッヅの攻めのパットを以前テレビで見たのをふと思い出す。芝を読み、慎重に構え、僕は丁寧にボールを送り出した。
 勢い、走り出したボールはとどまるところを知らない。あっという間にカップをオーバーすると、グリーンの向こう側に転がりだし、いったい誰が作ったのかこれ以上意地悪な場所には作りようもないバンカーの中に吸込まれていった。
 気を取り直して、いよいよこれから、バンカーショットの見せ場だと思っていたら、奥様が次の人が待っているから早く打ってよと言った。
 後ろを見てみると、僕らがもたもたしているために、自分のボールを打てずに待っている人がいるようだ。何だってこのゴルフ場はこんなに早く次の人をセッティングしているんだろうと、僕は少々頭に来たが、砂を巻き上げてピンに吸い込まれていくバンカーショトのイメージはあきらめて、そのホールはギブアップとした。とほほ・・・。

 1ホールにして、奥様とはもう7打の差を付けられてしまったわけだ。まあ、仕方がない、キャリア10年の差がこの辺に出てきているわけだ。しかし、まだまだ始まったばかりである、ここから先逆転のチャンスはいくらでもあると、この時一人思っていた僕であった。

 ゴルフが炎天下の中クラブを持って広大な芝の上を走り回る競技だったとは夢にも思わなかった。ジジイの散歩みたいなものだとは誰が言っていたのか(!)。狙いを定めて打ったつもりのボールが、まったく思った方向に行かない、たまにまっすぐに飛んだかと思えば、グリーンを大きくオーバーするような始末だった。数ホールをこなしてみて、何度もピンの手前を叩いてジンジンする腕が、やたらと重く感じるようになってきた。
 少しは時間を稼ごうと猛烈な勢いでカートを飛ばすが、あっという間に後ろの人が追いついてきてしまう。その度にお先にどうぞとティーグランドを譲り、後から来た人達のスイングを眺めては、「ナイスショ!!」と、おちゃらけてるのにはもううんざりだった。
 それでも、広大なコースの開放感や海を臨む眺望、たまたま「芯を食った」ドライバーの手応えなどは最高で、日本へ帰ったら少し打ちっ放しに通わなければと僕は決心した。
 
 ハーフが終わり、ポップコーン売り場のような売店でホットドッグとコーラを買い込む。ここで時間を稼いでおこうと片手でカートを運転しながらホットドッグに噛り付き次のホールに向かう。ゴルフというスポーツは、おちおち飯も食ってられないものらしい。

 ホールとホールの間を移動するのに、カートに乗った僕と奥様はまるでテーマパークのアドベンチャーランドの中を走っているようだった。突然踏切が現われ“さとうきび列車”が通過するのを待っていたり、民家の庭なんじゃないかと思うようなところをびくびくしながら通ったり、危うく公道に出そうになったりもした。コースとコースの移動距離があるのは海外の広いゴルフ場ならではのようだが、迷路のような道の作り方をするのは本当にやめて欲しいと僕は思った。

 最終ホールへ向かう頃には、もう既に奥様とはダブルスコアに近い差が開いていた。僕は最後まで勝敗にはこだわっていたが、奥様は最初からそんなことは眼中になかったようだ。    
 いよいよゴルフも終わる頃になってから、ようやくボールがコンスタントにクラブの芯に当るようになってきた。このスポーツはめちゃ面白い。徹底的に練習することで、確実にその成果が付いて来るようなストイックな競技だと感じた。取り敢えずジジイ達にやらせるのはもったいないと思った。

 クラブハウスからホテルまでの道を歩いて帰った。午後一番でスタートした僕らだったが、この頃には空はすっかり夕焼けで染まっていた。ゴルフ場の横を通るだけの道路なのに道幅はやたらと広く、日本ならば往復6車線くらいはゆうに取れそうだった。中央分離帯の植え込みには、たくさんのプレゼントを抱えてアロハシャツに素足といういでたちの巨大なサンタが大きな口をあけて笑っていた。
 ホテルでの仕事を終えて帰途に着く様子の人達が、巨大なホテルの裏口から出てくるのが見える。観光者らしい背の高い老夫婦が、すれ違いざまふと目の合った僕らに、小さく笑みを浮かべてきた。
 遠く訪れたこの土地で、当たり前の日常の中に含まれていることを感じて、くたくたに疲れ切った体を心地よい感覚が包んでいくようだった。
 旅の満足感を本当に味う事が出来るのは、あわただしく観光地に訪れたり、企画したスケジュールをこなす事よりも、わずかな時間でもその土地の日常を感じられるこんな時なんではないかと“浸り屋”の僕は考えていた。

 寝るまでの短い間など、ホテルの部屋で過ごしている時、何となく普段の習慣からかテレビを付けている事が多かった。10くらいあるチャンネルの中に映画の予告編やミュージックビデオだけを限もなく流している番組があった。英語のニュースや、ドラマなどを見ていてもチンプンカンプンなので、結局テレビのチャンネルはほとんどはその番組に合わせることになり、部屋の中にはなんとなく音楽がいつも流れていた。そのチャンネルの中で、「ユーリズミックス」のライブビデオや、007の新作「ワールドイズノットイナフ」の予告をやっていたのが印象に残っている。

 

 

 12月16日(木)、明日はもう早朝に出発となるため、実質的に残った日程はこの日1日だけである。遊んで過ごしている日々は、本当にメチャ速い。考えまいと思っていたのだが、ふと仕事に戻る事などを思い出すと、本当に自殺したくなった。
 残されたこの日は「ブラックロック」まで行く。ホテルから砂浜に出て、海沿いの遊歩道を右手の方向へずっと突き当りまで歩く。1キロくらい歩いた先を、砂浜を遮る形で海の中まで黒岩の岩壁が立ちはだかっていた。その辺りが「ブラックロック」と呼ばれる場所で、海亀などの様々な海の生き物が生息し、手軽に砂浜からエントリー出来る、有数のシュノーケリングスポットとなっていた。
 その日1日、その場所で日がな海に潜ったり、砂浜に寝そべったりして過ごした。砂浜に体を横たえていると、沖に突きだしている高さ10メートルくらいはある岩壁から、次々と海に飛び込む勇敢な人達の姿も見えた。左手には先程歩いてきた大きく海に向かって湾曲しているカアナパリ地区のホテル群の様子が見て取れ、後に日本に帰ってからJALのCMで、この風景の映像が流れていたのが印象的だった。

 ブラックロックを包み込むように構えている“シェラトンマウイ”のレストランやトイレが、水着のまま使えたのが便利だった。もっとも勝手に使っていただけで、ホテル側が宿泊者以外にも、その場所を提供していたのかどうかは定かではなかった。

 その日の夕方、「ホエラーズビレッヂ」でみやげ物などを買うことにした。「ホエラーズビレッヂ」の入口には、巨大な鯨の骨が吊るされていて、入口から海までは一直線に視界が開け、噴水を囲む中庭の一階と二階には、ブランド品から民芸品店、レストランからバーまでが、ズラリと軒を連ねていた。ざっと見渡してみても、やはり日本人の数がずいぶんと多く、シャネルからグッチ、ティファニー等の店が並ぶ風景は、まさに日本人目当てのショッピングセンターで、これには少し興ざめだった。
 
 ゆっくりと時間を掛けてホエラーズビレッヂの中を歩いた。中央の広場では、夕闇の中ハワイアンを演奏するバンドの周りに、たくさんの人達が集まっていた。みやげ物屋などを一つ一つ覗いていくと、店員も慣れた様子で、日本人と見るやにっこりとした表情で「アロハ」と呼びかけてくる。ちなみに、欧米人には、「Hi!How are you ?」、「Good」という会話がなされていた。

 結局は「ABCストア」でほとんどのみやげ物を買い込んだ。なんだかんだ言っても、このチェーン店はつくづく便利だと僕は思った。

 翌日の出発も、めちゃめちゃ朝が早かった。まだ世も明け切らぬうちに起きだし、本当にこんな時間に営業してるのかと疑いながら、空港までの道をホテルの車で向かった。しかし、どうして旅行の日々はこんなにも朝が早いのだろう。

 数日前この島に初めて降り立った掘っ建て小屋のような「ウエストマウイエアポート」に再び僕らはやってきた。早朝のロビーは仕事でホノルルへ向かう顔なじみの地元の人達と、僕達を含む旅行者の人達とが半々といった感じで賑わっていた。賑わっているとは言っても要はロビーが狭いだけの話で、プラスチックの椅子が並べられた室内はロープウエイの待合所ほどの広さしかなかった。
 
 やがて“肉声”によって伝えられる搭乗の合図とともに、乗客がいっせいに機内に乗りこむ。飛行機はこの島へ来た時と同じ双発のプロペラ機だった。機内に乗りこむと来たときと同様に満員の状態で、間違って乗ってしまった人がいたために座席がなくあぶれる人迄いる始末だった。笑ってしまう事に奥様はまたしても最後尾、五人掛け席の真中で、アテンダントの位置には、通路を挟んで奥様と正対する、ずんぐりむっくりの“スマイリージョージ”が、何事もなかったように微笑んでいた。    
           

(完)


あとがきとして


 こんなに長ったらしく、くだらない文章を最後まで読んで下さった奇特な方には、本当に感謝というか、申し訳ないなあという気持ちでいっぱいです。
 
 僕はどこか遠くに出掛けたりすると、何かとこんな風に紀行文みたいな物を書きます。
 それは、他の人が写真を撮ったり、ビデオを回したりするのときっと同じで、よくよく思い起こしてみると随分小さな頃からこんなことをやっていたような気がします。
 
 そもそも、今回のこの文章の書き始めは、読まれることを対象とする相手は「奥様」だけで、会話の乏しい夫婦生活の中(?)、一服の清涼剤の気持ち程度に書き始めた物でした。  しかし、こうしてHPを立ち上げたことで、かなり恥ずかしいながらも「エイ、ヤー」と、アップすることにしてまい、当初半分程度まで書き上げていた物に、急遽解説や注釈を書き足して、何とか一般の方々にも理解してもらえるようとまとめました。僕の文章力が乏しいことも当然ながら、継ぎ足し継ぎ足しの結果、一際読みにくい文章にしてしまったことを申し訳なく思っています。

 この文章は、フィクションであるということでご理解いただきたいと思いますが、これからマウイ島へ行かれる方には、手引きのような物として使っていただければ幸いです(なるのかな〜?)。
 そして、最後に何だか怪しい旅行会社のように書いてしまった「ワールドウイングツアーズ」さん、本当にごめんなさい。今更ながらと言われてしまうかも知れませんが、あのグレードのホテルを、あれだけリーズナブルな料金で提供する「ワールドウイングツアーズ」さんの企業努力、本当に素晴らしいものであると思っています。皆さんも、もしマウイ島へお出かけの機会があれば、僕からの一押しの旅行代理店であることを、ここにアナウンスさせていただきたいと思います(もう遅いか?!)。

K's Room

東京大田区バドミントンサークル



 

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