骨髄ドナー体験記 (その3 最終同意)

◆10 選定保留
day-87日。コーディネーターMさんより連絡がある。適合検査の結果、私は補欠になったそうだ。
患者さんは最大5人まで同時にドナー候補者とコーディネートを進めることができる。
確認検査では遺伝子レベルまで適合度を調べ、一番合致する方とさらにコーディネートを進める。
私のコーディネートは、上位ドナー候補が最終同意、検査終了するまで保留だそうだ。
自分の中で気持ちが盛り上がってきていた頃だったので、ちょっと水を注された形になったが、患者さんが元気になるならそれでもいい。
ただ献血の自粛だけは解除しようと思った。

◆11 最終候補者へ
day-81日。前回の保留連絡からわずか一週間。コーディネーターMさんより最終候補者になったとの連絡が入る。第一候補のドナーが辞退したらしい。
このとき「うれしい」とか「やったー」といった感情は無かった。第一候補者がいたということは、その人のほうが自分より白血球の型が近かったということだから。
ここで、私が不適になったら患者さんの適合条件がさらに悪くなってしまう。
最初、自己満足だったドナーになる動機が、ここで患者さんのほうへ向いた。

◆12最終同意前の打診
day-73日、採取日の問い合わせが来た。XX月XX日(金)。場所はK病院。day−1(木)から入院でday3日(月)退院らしい。4泊5日が標準的なパターンだそうだ。

採取の手術室の仮押さえだとか、患者さんの無菌室の手配で必要なのはわかったが、最終同意前のこの行為がドナーに不要なプレッシャーを与え、最終同意の判断に影響を与えないか。
一応コーディネーターさんに抗議しつつ日程を了承した。

◆13 最終同意に向けて
最終同意面談の日程が決まったのだが、この件に関して母は依然として納得していない。
「ドナーにならなければ医療事故にあうことは絶対にない。自ら危険を冒すことはない。」と言っている。
まあ、父は賛成してくれているので最終同意面談の家族の同意は問題ないのだが、やはり母にも納得の上同意してもらいたいので、いろいろな説得をしてみた。
たとえば、「ドライブが趣味で交通事故にあう人がいるんだから、ドナーになって事故にあってしまうのも同じだ。骨髄提供は趣味みたいなものだ。」と。
とうとう骨髄移植を趣味にしてしまった。
 それでも納得しきれていない様子なので、最終同意に母も連れて行き説明を聞かせることにした。

◆14 最終同意面談
day-58日。T大O病院にて最終同意面談を行う。
今日は、弁護士の立会いもある。(弁護士先生遅刻してきたが。)
そして、N先生の都合が悪いというので、上司のO先生が調整に当たる。前回と違い、研究棟のような別棟の一室で行われた。
確認検査時と同様に「骨髄提供者になられる方へのご説明書」を読み合わせる形で説明し、そのつど質問を受け付けた。母は何も質問をしなかったので、代わりに父が以前からウチで話していた医療事故について質問をした。
「骨髄移植は医療行為だから、事故は皆無にはならないけれど、そのために万全の体制を整えて臨んでいます」と。さすがO先生はベテランの医師である。言葉を選びながらも慎重に質問に答えてくれた。
しかし、母はそれでも納得いかない様子。最終的には、「来年生まれてくる初孫(ないのうの兄の子)が病気だとしても、移植を受けちゃだめだよ。自分はあげない、でも人からは頂戴じゃ虫が良すぎるよ。」との父の言葉で説得され、納得した母だった。
そして、同意文書に自分と親、調整医師が署名捺印をした。
これでもう、辞退はできない。移植までは自分ひとりの体ではないのだ。
事故や病気にも十分に気をつけなければ。

 でもこのとき立会いの弁護士は「ご両親で同意の意見が分かれたらどうなるんでしょうね〜」なんてのんきにコーディネーターに聞いていた。これでは何のための弁護士なんだかわからない。頼りなく感じた。
 そして、事前の打診のとおり、XX月XX日K病院での採取が確定した。