クモハ52形(1次車) 直流近郊形電車 「スカ色 飯田線」 (国鉄) |
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[4両所属](KATO社製)10-1764 | 「編 成」へ | |
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飯田線
(豊橋~辰野・上諏訪)
52系電車は、1936年(昭和11年)から1937年(昭和12年)にかけて、鉄道省が京阪神地区固有の急行電車に使用することを目的に製造した複数車種・形式の旧性能電車を便宜的に総称したものです。当時、多くの旧形国電が行き交う飯田線の中でもクモハ52形の人気は突出しており、「流電」の姿を求めて全国各地から鉄道ファンが数多く訪れました。
基本設計は京阪神地区電化時に設計された42系電車に準じますが、車体形状に当時世界的に流行していた流線形を取り入れるとともに、歯車比をより高速タイプとし、当初は「魚雷形電車」と形容され、後には「流電」の愛称で親しまれました。第二次世界大戦後は最初の転用先となった阪和線で特急電車に使用されました。1948年 (昭和23年) には高速試験の記録も残っています。
52系モハ52形(1次車)
1936年(昭和11年)3月31日付で4両1編成が川崎車輛兵庫工場で製造されました。使用開始は同年5月13日です。竣工直後の編成は以下の通りで、大阪寄りにモハ52形奇数車、神戸寄りにモハ52形偶数車を連結しました。(←大阪52001 - 48029 - 46018 –
52002神戸→)なお、46018の二等室は神戸寄り、つまり52002と隣接する配置です。
窓配置は42系の相当形式に準じ、形状・機能共に異なる部分が多いことから新形式のモハ52形とされました。一方、サロハ46形およびサハ48形は、42系サロハ46形および横須賀線用32系サハ48形の追番です。
当初は従来通りの葡萄色を主体として、扉と窓枠、スカートを明度の高いベージュに塗り分け、さらに屋根を灰色に塗装した、比較的地味な塗装でした。これは後に2次車に合わせて窓部をベージュに塗り分けた新塗装への変更が実施されました。なお、1次車の新塗装化への移行の過程で、新塗装となったモハ52形1次車(先頭車)と2次車の中間車を組み合わせた暫定編成も見られました。
32系サハ48形 48001~48028
1930年(昭和5年)から1931年(昭和6年)にかけて増備された横須賀線用のかつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した電車です。車体長20m級2扉クロスシートの鋼製三等付随車に与えられた形式で、オリジナルは32系に属しますが、後に52系に属する車両が新造、編入されました。
飯田線では都市圏の新性能化によって捻出された、バラエティに富んだ旧形国電が投入されました。これらの国電はトイレ増設改造を受け、1970年代以降には車体色が青地にクリームの「スカ色」に塗装されて長らく活躍を続けましたが、1983年(昭和58年)までに惜しまれながら全車引退しました。
カプラー:ボディマウント密連クロ付属 |
←辰野 | |
クモハ52002(M) | ![]() |
サハ 48024 | ![]() |
サハ 48021 | ![]() |
クモハ52001 | ![]() |
豊橋→ |