夏が去って、秋はもうすぐ

ばいばい、ばいばい、と手を振って
しばらく、名残りを惜しむ風情だった
けれど、結局、当然のこと
赤い車は行ってしまった。

はるかに遠い道のりを
暑い日盛りを
ただひたすらに、走りぬいて
旅立った場所に、戻るために。

とうとう そのときがきて
元のように一人になって
ああ、やっぱり、一人はひとり
気楽トンボの ひとりの部屋。

狭いところに 無理矢理の
なにもかも間に合わせの
仮の宿りに やりくりの
三人を詰め込んで十日間。

そんな無茶苦茶が面白いと
相も変らぬ思い付きを
いつものように実現して
ついに楽しさを総決算してしまった。

500キロをものともせず
赤い車はやってきて
中身の詰まった日々を経て
また、ばいばいと 行ってしまった。

一緒に、今年の夏も行ってしまった。
盛りだくさんに いろいろな
計画がいっぱいあって
つぎつぎに それを実行にうつした夏が。

成果が、思い出の厚みを
ぐんと高めた収穫が
こんなに残された今年の夏を
良かったなあと あらためて思い返す。

その第一は、なんといっても
羊蹄山を目指した あの日
この夏の いちばん長かった日
日の出から 日没まで全力を尽くした日。

清冽な大気に全身を包まれて
エゾフウロ ハクサンチドリ イワブクロ
チシマギキョウなどの 可憐な花が
迎えてくれる登路の一歩一歩の歩み。

もう足が動かなくなっても
決して弱音をはかなかった
かなちゃんの がんばりの
果ての 頂上到達の悦び。

夕暮れが迫り、
足下も定かでない林の中の
長い長い下降、先はまだ遠く
頼るは自分自身のみ。

翌朝、その雲上の頂きを、遥かに仰ぎ
こみ上げた胸の高まりの素因は
そこを踏んできた確かな記憶
密やかな自負、褒めてやりたい足の痛み。

神威岬の北の自然も 大沼の涼しいボートも
一転、京の町での蝉の声も、いもぼうも
甲子園の歓声も、お盆の合掌も
懐かしい鋤焼も コペンハーゲン皿での朝食も。

すべては ひと夏の ひとときの
思い出として、過ぎてゆき
心の中に積み重なり
ぼくやあなたの歴史となる。

赤い車は 去ってゆき
残暑は巡ってきても いわし雲
もう秋は近づいて また ぼくたちの
新しいページが開かれようとしている。

1993.8.25

94年に進む  玉手箱目次へ  TOPに戻る