薩肥の国の旅から

透き通る
ウスバカゲロウの羽根よりも
はかなく舞いて消え行くは
夏のひと日の思い出の
腕の日焼けの名残りなり。

肥後は火の国。
火を噴く山と、湯煙上がる
谷あいに、天地
(あめつち)創る
神の手の、大いなる業
(わざ)
しのばれり。

緑なす千里の浜の水の辺に
牛馬戯れ、その原に
四季の彩り想いつつ
陽の匂い満つ青空に
風きりわれら疾駆せり。

肥後の伴天連
そここに、キリシタンなる
苦しみと、歓喜を留める
古えの、数多
(あまた)の品を
伝えたり

遠いかなたの天草を
遥か想いし島々を
(うつつ)に訪う日のあるを
この夏の日に出会うまで
ついぞ予期せぬわが身なり。

橋を渡りて村を抜け
橋を渡りて入り江見ゆ。
はたまた渡る橋長く
隠れ宗徒の故郷を
訪ね廻りし面白さ。

外海の荒き磯辺の崖上に
白きシャレーの窓際に
寂びしチャペルの尖塔に
静かに掛かる十字架や
四郎の国の印しなり。

薩摩の国は隼人国
嵐呼ぶ国。南国の
海に生まれしタイフーン
荒れ狂えれど闇の内
一夜明くれば風去りぬ

その名も高き霧島の
韓国岳の頂きに、立つ喜びは
なおさらに、二人してある
嬉しさに、たち勝るなし
この旅の。

思えば遠き幾星霜
そのかみの日の学び舎の
修学の旅ありし折り
年を違え、日を違え
見知らぬ二人が訪れぬ

土地の姿はありしまま。
人は変りて、いま二人
共に過ごして今ここに
四半世紀を超えてある
その不思議さを何と呼ぶ。

肌えの上に焼付けし
雲表散歩の思い出は
秋の気配に薄れゆき
心に残す一筋の
熱き思いぞ、とこしえに。

1992.8.25

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