もしも

流れゆく時は
きょうもまたきのうのように
一日の終わりを告げる

幾年月·······
平凡に生きて
「明日もまた かくありなむ」と思う

しかし、あのアルバムの堆積はなんだ
あれはぼくたちの「幾年月」だ

アルバムを手にとれば
たちまちよみがえる
あの日、あのこと

そこに閉じ込められた記録は
それぞれに語る
過ぎた日が 日々新しかったのだと

「もしも」と誰もがいう
「もしも、クレオパトラの鼻が低かったら······」

そうだ。ぼくたちにも
決定的瞬間があった。

もしも、ぼくに弟がいなかったら
もしも、弟がある友人を持たなかったら
もしも、あなたがピアノを習わなかったら
もしも、あなたが好奇心あふれる少女でなかったら
··········ぼくたちは永遠に出会うことはなかったろう

もしも、ぼくが新聞を志望しなかったら
もしも、ぼくが大阪・中の島に職場をもたなかったら
もしも、あなたがマスコミに興味を示さなかったら
もしも、あなたが より深く学問を志向していたら
もしも、誰かが水をさしたら
·········ぼくたちは結婚しなかったろう

さらに、
もしも、転勤が無かったら
もしも、国道16号を車で北上しなかったら
もしも、文庫分譲地が発売中でなかったら
もしも、あのとき蓄えがなかったら
もしも、ぼくたちが、もっともっと慎重な性格だったら
·········ぼくたちは、いまここに住んでいなかっただろう

もしも、ここに住んでいなかったなら
あなたは算数教室を始めたろうか
岳彦はカブスカウトに入ったろうか
春菜は書道展で銅賞を得たろうか

また、明日から新しい日がはじまる
どんな瞬間が
どんな未来を
ぼくたちにもたらしてくれるだろうか

1976.8.25

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