山の便り

酒田では青空が見えていたのに
鳥海山は雨でした
山中のバス停にひとり残されて
様子を見ながら登ることにしました

覚えていますか、雨の山行を。
御岳の濡れた岩肌
砂礫斜面の水流
とざされた視界
雨具の下で汗に濡れたからだ
·····突然の土砂降り
ほうほうの態で逃げ込んだ
西吾妻小屋の よどんだ空気の匂い
屋根をうつ雨音
音も無く過ぎる時刻······

お浜小屋は
標高1700メートル
雨宿りの人で一杯でした。
パンを食べていると雨がやんで
腕時計は午後1時······
登らない方が不自然というものです。

外輪山の一角
九合目七五三掛け
(しめかけ)まで1時間。
ここから山頂部内陣へ下降します
下りきったところが
千蛇谷雪渓。

覚えていますか 夏の雪渓を。
スプーンカットの雪面
汚れが描くまだら模様
溶解の宿命に耐えて
谷底にしがみつく冬将軍の執念。
木曽駒の下りに味わった
舌上に溶ける再結晶氷片の粗い苦さ
ただよう冷気······

一度だけ「苦しい」という言葉を使うとしたら
それは荒神岳下からの最後の登りでした。
しかし······達成の喜びは、道程の厳しさに比例します。
努力は充分にむくわれました。
燃える夕陽と
銀河に翼をひたしつつ南へとぶ
巨大な白鳥の姿が
満ち足りた憩いに
錦上花を添えてくれたのです。

覚えていますか 山の日の出を。
ご来光と呼ばれる荘厳な一瞬を。
宝剣山頂の完璧なページェントを。
峨々たる火の山の
晩夏の一日も
目くるめく新生の光りとともに始まりました

日本海を足下に見つつ
広々とした湿原とお花畑の間を
軽やかに下るほてった全身に
冷え冷えと心地よく
爽風が吹き抜けてゆきました
なぜ登るかと問う人があれば
このひと時を心ゆくまで味わうためと
ぼくは答えたいのです。

覚えていますか 吹き抜けるさや風を。
安達太良の牧草をなびかせて
大空へ渡っていった水色の流れは
この日の鳥海にも続いていたのです。

雨も雪も光りも風も
すべては
あなたとの想い出に連なり
尾根の突端に敢然と咲き残るニッコウキスゲは
象潟湾に向かって翻る信号旗

「イッショニ クレバ ヨカッタネ」

1977.8.25

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