写真は嫌い

「写真は嫌い」
と、あなたは言う。
それは−
思いがけない自分の顔に出会うから。
歳を重ねて生きると
誰もが、写真の中に
見知らぬ自分を見出して
「こんなはずはない」と思う

心の中に育てている
自分自身のイメージ。
それはいつまでも変らないのに、
どうしたことか、突然
変ってしまった自分を突きつけられる
それが写真。

客観的に、非情なレンズが
写し出した、紛れも無い現実
とうてい受け入れがたい
自分でない自分
見たくもない自分

だから−
幼い頃には競って
嬉々として撮って欲しがった
誰もが、やがて
「写真は嫌い」になる

「これはあかんわ」
と あなたが言う写真。
折角撮ったポートレートだけれど
なるほど「あかんなあ」
と、ぼくも思う

毎日見ている
あなたと、この写真は
違うから。
ぼくの見ているあなたは
いつも いつまでも
変らない、あなた

「写真は嫌い」
「写真ではあかんなあ」

ぼくの目はレンズではない
客観的ではなく
ありのままでもなく
35年前からのひと繋がりで
見えている

見ているのは
ぼくの抱くイメージ
初めて会った顔に
経てきた星霜を重ねて
形成された菊枝のイメージ

本物のあなたは
ぼくの目に見えているあなた
あの時のままに
いきいきと輝く
あなた

やっぱり
「写真ではあかんなあ」

2000.8.25

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