きょうは演奏会に出かけた。演奏は最高の出来だったのだが、その後がいけない。
会場近くの食堂でいい気分で食事をとっていたら、いきなり雨が降り出して雷が鳴り止まない。
食べ終えた後で歩いて帰る予定だったが、
覚悟を決めて乗り換えの駅である武蔵浦和までタクシーで行った。
武蔵野線で南越谷までの電車に呪う乗ろうとしたら、
武蔵野線が落雷事故で動かないという。電車をあきらめタクシー乗り場に行ったが、
40分以上並ぶ羽目になった。やっと乗れたタクシーから武蔵野線を見ると、
南越谷行きの電車が動いていた。タクシーに一日に2回乗れたこと、
見知らぬ道を通れたこと、自分の携帯電話で電車情報を見ようとしたが見られなかったことをよしとしよう。
見知らぬ道を通って気がついたのは、「安楽亭」という焼肉屋が非常に多いこと、
両国駅にある「ちゃんこ江戸沢」が与野にもあること、
ガストに転換していない「すかいらーく」がまだ埼玉にあることであった。
今日は昼飯に鯖の塩焼を食べた。夕飯も鯖の塩焼だった。示し合わせたように、同じおかずとなった。 わたしは昼飯を選ぶとき、晩飯のことは感じなかった。
午前中から午後にかけて 八重洲室内アンサンブルの練習。 ひさしぶりに指揮の I 先生が来る。 夜は、合唱団の M さんが出演するコンサートに出かける。M さんの声はすばらしい。 疲れて帰る。
今日は朝から静岡県戸田村の井田というところに出かける。 合唱団の有志が毎年ここに来ているのだ。 M さんの釣った鮎を塩焼にして食べる。 うまい。そのあと泳ぐ。晩飯もうまい。ウイスキーの水割りを久しぶりに飲む。 ここちよい疲れを感じつつ、眠る。
注:その後戸田村は合併編入され、現在は沼津市である。(2008-05-05)
朝は井田の海で1 時間弱泳ぐ。これだけで疲れてしまったので、いったんあがってからは 海に入らずじまいだった。 昼は戸田で食べる。
今日は午後ひさしぶりに出張であった。自分の置かれている立場を考えて、 もっと勉強しなければと思う。 初めてインターネットの将棋に挑戦する。敗勢になったのは自分が弱いから仕方がないとして、 投了する方法がわからないのには参った。
きょうも暑い。暑いと何かいいことがあるのだろうか。 職場の近くにある、アイスクリームが有名な店があるのでそこへ行こうと思ったら、 シャッターが締まっていた。 明日は開いているだろうか。
きのう「ネットワークゲームは面白いのかもしれませんが」というメールを見て、 そういえば俺も一つだけできるネットワークゲームがある、と思い出した。 将棋倶楽部24 という無料のネットワーク道場である。見よう見まねでやってみたら、 Macintosh では Netscape でも Internet Explorer でもうまくいかない。 (Internet Explorer はバージョンを選ぶらしい)。 ひょっとしてと思い、iCab でやってみたら将棋盤まで表示された。 ところが、投了ボタンがない。既に詰んでいる局面を投げられないのはつらい。 2局目はWindowsでやってみた。こちらは投了のボタンもあり、しかも勝つことができた。 病み付きになりそうだ。実際、病み付きになった危険人物 O 氏は、奥方からにらまれているそうだ。
きょうも「将棋倶楽部24」をやってしまった。しかも3局。 iCab でも投了ボタンが表示できる方法を見つけた。 将棋盤ウィンドウを小さく設定するのがコツである。
今日は高校3年のクラス会が町田であったので埼玉くんだりから出かける。 重い荷物があったので町田駅のコインロッカーに預けることにした。鍵をしめたその瞬間、 クラス会の場所の地図が荷物の中にあることに気付いた。あきらめて、 うろ覚えの場所を目指して進んだ。10 分ぐらい歩いたが道に迷い見つからなかった。 仕方なくコインロッカーまで道を戻るとその途中で、同じクラス会に出席する U くんに会った。 なんという幸運、あとは U くんの後をついて目指す場所に着くことができた。 もっとも、道に迷ったことは悪いことだけではなかった。運動はできたし、 VOW に載っていた「喫茶プペ」を見つけることができたから。 既に店の前には10人ほどが待っていた。場所が開いていないためだった。 5 時になって店が開くのと同じぐらいに、当時の担任だった Y 先生がいらっしゃった。 全部で来たのは20人弱であろうか。クラスは総勢 43 名であったから、こんなものだろうか。 Y 先生の挨拶は長かったが、面白かった。締めには、有名な「我以外皆吾師也」を引用していた。 これは私も好きなことばでいつも身をもって感じている言葉である。この言葉が 吉川英治のものだとは知らなかった。 先生の話の前後であることないことを話していたのだが、 私は例によって男性とばかり話していた。 2次会に行こうとしたがはぐれてしまったので行けなかった。これはこれで、 酔っぱらわずにすんだので良かったと思っている。
午前中実家で昨日の酔いを醒ましつつ将棋を見る。午後は合唱団の先生のお宅へお邪魔する。 ベースのパート練習である。私の声はどうやらテナーに近いようだ。しかし、 演奏会が終わるまではこのままで行くことになる。
また将棋倶楽部24 をやってしまう。困った。最近ホームページの更新をしていないのも、 これが一因である。どうもすみません。
今日、行きの電車で冷房が故障したらしく、汗が吹き出てきた。正確にいうと、 妙に汗が吹き出てきたのでおかしいなと思ったら、車掌のアナウンスでそれと知った。 夏は暑いから汗が出た方がよいのだろう。
きょうは実家に行く。実家でコンピュータが欲しいというので、選定に付き合った。 既に機種は決めてあったようなので、こちらでは仕様を確認する程度ですんだ。 結果として、機種は自分が使っているのと同じ種類になった。 コンピュータはシャープ、プリンタはキヤノンでどちらも私のより性能が上である。悔しい。
今日は実家でピアノを練習する。実家のピアノはずっと調律も整調もしていないので、 音も唸るしタッチもひどい。しかし、ずっと使い続けてきたので愛着が強い。 シューベルトの即興曲は大変だ。どうしよう。
午前何時だろうか、強い雷が何度となく近辺に落ちた。生きた心地がしなかった。 電磁波のせいだろうか、リモコン式の部屋の照明が突然点灯した。また、朝起きて玄関を見ると、 タッチ式センサーの照明が光っていた。 今日は歌手の D さんからお誘いがあり、 彼の家におじゃました。 今度、私が所属している合唱団が 「カヴァレリア・ルスティカーナ」の中からの合唱を歌う。 これをD さんは既に知っていたので、いろいろと推薦の CD を聞かせてもらう。 その後で、「デュエットをしませんか」といわれて驚いた。私に何が歌えるのだろう。うろたえながら、 わずかに覚えているそのデュエットを歌った。中身は内緒。 そのあと、D さんがヴェルディやベッリーニやフォーレを歌った。 D さんは私のホームページをその日午前中から見ていて、「シューベルトを練習していいですよ」 と気を利かせてくれた。私はすぐそのおことばに甘えて練習をするのだった。 日が暮れてきた頃、D さんの友人の S さんの事務所に行く。S さんの事務所の調度類に目を見張った。 そのあと3人で鮨を食べに行く。
きょうは八重洲の練習である。多少は進歩しているのだろうか。
久しぶりに何の用事もない休みであった。しかし、空しい休みであった。 自分から進んでやったことは、すべてからまわりだった。 唯一の収穫は、D さんから借りた「カヴァレリア・ルスティカーナ」のビデオを見て 大いに感動したことだけだった。後もう一つ、少しシューベルトの練習をしたことも 収穫に入れていいだろう。 堕落した私が他にやったことはここには書かない。たまたま今日、毎日新聞の日曜版で 植木等が出ていて、「わかっちゃいるけどやめられない」の歌詞が取り上げられていた。 まさに、この言葉をそのままなぞった過ごし方をしてしまった。
今日は会社を休み、静養していた。以前からたまっていた宿題を一つだけ片付けた。 少しは部屋を整理したつもりだが、あまりできなかったなあ。
昼休み、公園でぼんやりしていると、ブランコの前で三歳ぐらいの男の子が遊びはじめた。 最初は普通に板の上に載ってこいでいたが、じきにつまらなくなったようだった。 そして始めたのが、ブランコの板を手でもって手前まで引っ張っていき、 自分の頭の後までもっていったあとで、手を板から離して自分が急いで前に行くという遊びだった。 ガキはいろいろなことを考えるものだと感心した。 次の遊びは何かなと期待していると、こんど男の子はブランコの板を支柱にぶつけて、 その衝撃音を楽しんでいた。遊び道具をぞんざいに扱うのはいけないが、 これぐらいのことで遊び道具はこわれないから、いいだろう。 そして私も別の遊び方を考えるのだった。 そしてその遊び方が男の子に乗り移ったのかのように適中した。 男の子は、自分のからだを板に預け、脚で鎖をねじって体を鎖に絡ませた。 そして十分ねじったあとで、脚を地面から離した。男の子の体は板の上でぐるぐる回った。 ここまではよかったが、私の予想を超えるできごとが起きた。 男の子はからだのねじりで遊んだ後、なんとねじる個所を首に変えた。 下手をしたら窒息するではないか。ハラハラしながら脇で見ていたが、 苦しくなるほどねじってはいなかった。 男の子はまた普通のこぐ遊びにもどった。隣のブランコには女の子二人が一つの板に乗って、 大きくこいでいた。女の子は「ひとりずつやりたい」と叫んだようで、 様々な遊びあ私を楽しませた男の子は、ブランコを去った。
合唱の練習に出かける。合唱団のある方から「今度の八重洲でシューベルトを弾くのですか、 珍しいですね」と声をかけられた。「はい、心ある方はみなそう言います」と妙な答をしてしまった。
帰り道、カラオケ屋の駐輪場に自転車を止めていた若造を見た。 若造の止め方が雑だったのでバランスが崩れ、数台の自転車がドミノ倒しのように倒れた。 しかし若造は見て見ぬ振りをしてカラオケ屋に入っていった。私も見て見ぬ振りをして、 家路を急いだ。
きょうは中小企業診断協会城東支会のビアパーティーに行く。 一次会で失礼する。あしたは八重洲の練習と合唱団の練習のダブルヘッダーだ。
きょうは八重洲室内アンサンブルのリハーサルと合唱団のダブルヘッダーである。 果たして、翌日の本番はうまくできるだろうか。心配だ。 帰ってきて、チョン・ミョンフンが出てくる「未来への教室」というテレビ番組をたまたま見た。 そこで読者の質問があった。「私は練習ではまあまあ弾けるのだけれど、 本番ではあがってしまってうまく弾けない。どうすればよいか。」 チョン・ミョンフンの答は「練習不足が問題である場合は練習をしっかりしなければいけない。 練習をしっかりやったのならば、本番のミスは恐れてはいけない。 おそるおそる弾くぐらいならば、自分を堂々と出して結果として失敗すべきだ」だった (本当に彼がいったこととは大分離れているようだが)。 このことばは信じるに足ると思うが、問題は私が十分練習したかどうかである。
この日は八重洲の本番であった。私のピアノソロでは、もうどうしようもないほどトチりまくった。 最悪の出来といっていいだろう。暗譜で演奏したことは何の褒め言葉にもならない。 はあ。
会社であまり身を入れて仕事することができなかったが、それでもお腹がすいた。 やはりお腹がすくだけの仕事はしたということなのだろう。 それだけの仕事ができるとは、まだまだ自分も捨てたものではないなと思った。 久しぶりに「近代将棋」を買う。小遣いが少ないのに、買っていいのだろうか。 それから、「 企業診断」を買う。こちらは買わないわけにはいかない。
昼飯を食べて勤務先へ戻る途中、トラックが多く路上駐車している個所を通った。 そのうちのトラックの一つは、「アイドリングストップ宣言」というシールを張っていたが、 実際にはアイドリングしていて、中で運転手が気持ち良さそうに眠っていた。 ここからどのような教訓を引き出すかは読者の御想像におまかせする。 このトラックは近鉄エクスプレスであったと思う。
きょうは合唱団の練習である。「3つの民謡」をそらで歌えるようになりたいと思いつつ、 まだできない。 歌の練習で疲れてしまい、練習後のビールを飲もうとしたが、 所持金が少なかったのでビールは飲まずに帰る。
会社には行かず、あるセミナーに出席する。セミナー終了後会社に帰るには中途半端であった。 スターバックスに入り、同僚の作った書類を見直し、朱を入れる。 考えてみれば同僚の育成には身を入れて取り組んではいなかったことを反省する。 書き込みに必要な個所を思い出しながらシコシコと書き込む。 スターバックスでは、セロニアス・モンクのピアノが流れていた。20 年前によく聞いていた。 だから、急に時間が20年前に戻ってしまい、仕事が身に入らなかった。 しばらくするとボーカルに変わっていてほっとしたら、 今度は「ジャイアント・ステップス」になった。また身が入らなくなった。 私の師匠は「ジャイアント・ババ・ステップス」という曲を作ったことを思い出した。 なお、スターバックスを選んだ理由は唯一点、店内禁煙であるからだ。
今日は D さんのお誘いで、 石川県主催のコンサートが紀尾井ホールであったので出かける。 ヴィヴァルディの4つのヴァイオリンのための協奏曲が若い衆の演奏であった。 その後、プロによるチャイコフスキーの「フィレンツェの思い出」、 休憩をはさんで、ブラームスの「ピアノ四重奏曲第三番」。 この曲の第三楽章のチェロは、 非常に美しい。以前聞いたときからもすばらしさは変わらない。
今日も汗がだくだくでる。本当に大丈夫だろうか。 あさっては防災の日である。以前買った転倒防止の台はまだ使っていない。
きょうはどこにも行かず、落ちついて過ごす。
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