日記(1989年12月)

作成日: 2008-01-06
最終更新日 :

文面はほぼ当時のままです。便宜上表題を付けた日もあります。

マッキントッシュ SE が届く

1989年12月22日 晴れ

きょう,このマッキントッシュが届いた. 日記をこれからこのファイルに書こうと思う. (註釈:マッキントッシュとは、 アップル社のコンピュータ。 「コンピュータについ て」参照。)

昨日はNさんの送別会があり,少し疲れ気味ではある. この送別会にはBさんも来ていた. なんでも氏は東北のなんとかいう研究所へ出向しているとのことで,色々な苦労話を聞いた. そこの研究所の建物はぼろくて,しかし安全に気を使っている暇があれば研究をしろということで, 内心喜んだ.

註釈:Nさんは、私が新入社員だったとき実験の手伝をかって出てくれた恩人。 Nさんの出身は新潟県で、私の両親も新潟であることを話した途端、 土曜日日曜日返上で一緒に実験装置を拵えてくれたり記録を取ってくれたりされた。 Bさんは、私が最初に配属された部門の課長。 直接の上司ではなかったが、私が勤務先で荒れた時期に相談に乗ってくださった、 やはり恩人である。

1989年12月23日 晴れ

朝からこの日記を書いている.今は7時55分. 隣の野郎のロックがうるさい. 2週間前に買った中野収の"メディアの快楽 " を斜読みする. 初めに表層的と いうことを唱っているだけあって, なかなかうつろいゆくものへの思い入 れが強い文章であった.饒舌ゆえのおもしろさを書いた下りなど, あのリストやショスタコービッチを思い出してしまった.

11時ころ原田さんから電話があった.忘年会を27日,18時からOAGハウス, クラブ・クライゼルでおこなうとのこと. さて,ここはどこにあるのか聞くのもはばかられたが,おそらくはドイツ文化センタ−ではないかと思う. (註釈:原田さんは「零の会」主宰者。)

本来,このようなコンピュータはずっと電源を入れたままにしておくのがよいと思うのだが, やはりモータの音が気になってしまい, そのたびごとに切ってしまう. これからは,やはり入れたままにしておこう.

11時20分ころ,今度はY1さんから電話があった. 今年の11月1日に統計数理研究所でばったりあったのが縁で,二人とも時系列に対する興味を持ったのだった. その関係のお誘いで, 金融財政情報という会社が主催する応用経済時系列研究会というものに参加しませんか, ということであった.今度の研究会は統計数理研の北川源四郎さんが講師となるそうである. 注:Y1さんは零の会会員。12月27日の項参照。

なぜこの漢字talkに参加という語の変換がないのだろう(じつはあった).

今年は特に酒の席が多いような気がする.

12/14(木) Y研忘年会(千駄木のなんとか)
12/15(金) U1さんとWで飲む
12/16(土) 八重洲忘年会(集)
12/17(日) 某サークル打ち上げ(竹の塚のなんとか)
12/18(月) なし
12/19(火) 所属部の締めくくり(研修所)
12/20(水) 所属部の忘年会(Lホテル)
12/21(木) Nさん送別会(前述)
12/22(金) なし

12月24日 曇りのち雨

昨日は午後から頭がいたくなってしまった.それでもN書店によって雑誌を2冊 買い,その足で会社に向かった. (注:N書店は最寄り駅近くにある普通の書店)

途中でU2さんにあう.(なんでもさっそく契約を1件上げたそうだ) (U2さんはかつての同僚。このときは勤務先を退職し、 不動産屋に勤めている)

会社へいって,シグモイド関数のグラフを書こうとしたのだった.しかし, ベーシックのプログラミングにいやに手間取ってしまい, しかも頭痛も治まらなかったので,2時間たらずで会社を引き上げた. 頭痛の原因はこの機械を使い始めたからだろうか.昼飯は,あの嫌いなしょうが焼きだったので夕飯は何も 取らず,7時半に寝た.それからHくんから披露宴のときの写真が3,4枚送られ てきた.あとおのろけの文章も. これは昨日のはなし.

今朝,'音楽する社会'(小川博司)をやはり斜読みする. 今の音楽の状況はやはり拡散している,という思いが残る. もっとも,ぼくの斜読みが拡散しているだけのことかもしれない. ついでに,ひさしぶりに数学セミナーの5年前の号を久しぶりに読む.

シャツを4枚洗濯する.懐中電灯に単二の電池を2つ入れる.ひさしぶりである.ついでに,マイクにも電池を1つ入れる.

そういえば,Nさんとやはり暮れにあわせものをしようということにしたの をおもいだした.そこで,この前買ったクープランの第二集から対旋律が入っ た数曲を抜き出して写譜をしようとしたが, コピーのほうが楽なので結局やめた.早くコピ−をしないといけない.それに,hypercardも. (注:Nさんは勤務先の名フルーティスト)

昼飯は混ぜご飯とラーメンであった.

腹ごなしにリストのドン・ジョバンニの回想を弾いてみた.何とかできそうではある,というのは嘘のようだ. 外は雨が降ってきた.出かけるのはよそう.

けっきょく夕飯も食ってしまった.なさけないことである.

これから特異値分解のプログラムを考えよう. ノルムがちょうど整数になるような行列を考えればよいことに気がついたのは風呂の中でであった.

ということで少し鉛筆と紙を手にして計算を進めたのだがとてもこの程度では先に進めないことが分かった. なんともなさけないことだ.ということで今日はおしまい.

12月25日,晴れ

今日は18時から村さ来で忘年会をした.U2さんも来た.だいぶ飲みすぎたようだ. Sさんと,こんな話をした.もっと身体障害者のようなひとのために役だつような仕事をしないといけない,と.

そのあとでいやしくも夕飯を食う.Y先生とクラシック音楽の話をしてしまった. なんでもあまりクラシックには興味がなかったとのこと. ところが何かのきっかけである曲が気にいってしまい,それからどんどん時代をさかのぼっていったら, 結局バッハとか,その周辺になってしまったそうだ.

注:Y 先生とは会社の同期入社の同僚。尊敬をこめて先生という敬称を用いている。

Sくんから手紙が届く. (註釈:Sくんは学生時代におつきあいしたのヴィオラの名手)

12月26日,曇り時々雨

会社では,コホーネンの文献を一生懸命訳した.しかし,悲しいことに,日本語にならない.

12月27日晴れ

今日は原田さんから招かれた零の会の忘年会に出かける.場所はOAGハウス であった.最初ここの場所がわからなかったが,たぶんドイツ文化会館のこ とだろうと検討をつけていったらそのとおりだった.ここは昔,サークルの 二年前の代の方々がコンサートを開いたことがあって覚えていたのだ. フレックスタイムを利用して三時半に会社を出て,ついたのが五時半であった. 定刻は六時であったので,その間周辺を散歩したところ,元来た道がわからな くなってしまった.たとえばいつのまにか風景が違っていて突き当たった大 通りが外苑東通りだった,という按配である.幸い途中で交番を見つけ,警 官に尋ねたところ,すぐに道はわかった.再度突いたのが六時二分であった. そのとき誰もいなかったのだから恐れ入る.そのあと,Sさん,Y1さん,Y2 さん,原田さん,Tさん,の順に来た.ここで六時半.渋谷で二次会をした ような気がする. (注:Sさんは恐るべき現代音楽評論家。Y1さんは保険数学の第1人者にし てアイヴズ研究家。Y2さんは気鋭の美術研究者。Tさんは若手現代音楽研究 者。)

12月28日 晴れ

午前中は部屋の整理.午後の四時半になって会社に向かう. Nさんと合わせものをするときからである. アルペジョーネソナタなどを2時間くらいかけてやった.そのあと, A店にて飯を食う. 注:A店はステーキ屋。元祖ファミリーレストランを自称している。

12月29日 晴れ

午前中は実家にかえるために電車に乗っている.午後は家で本を読む.

12月30日 晴れ

午前中は本を読む.午後は運動をするため,町田にいく. 町田では小田急の上の久美堂に寄り,本をいくつか買う.御教訓カレンダーや科学英語を磨く,という本, それにジーニアス英和辞典である.

12月31日 晴れ

午前中は本を読む.午後は運動をするため,町田にいく.町田ではジョルナの上の有隣堂に寄り,本を買う. ファジイ理論とその応用である.

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MARUYAMA Satosi