スカルラッティを弾いたピアノ弾き

作成日 : 2005-04-30
最終更新日 :

スカルラッティとピアニスト

スカルラッティの曲は今でもピアニストのレパートリーとして取り上げられることが多い。 CDを買ったので聞き比べてみた。 チェンバリストのスカルラッティは別ページで取り上げた。

私が聴いたスカルラッティ

今までに次のピアニストたちのスカルラッティを聴いたことがある。

2000年代の初め、20世紀のグレート・ピアニストという記念盤が一度に出ているのは御存知だろう。 上記には、それら記念盤で初めて聴いた演奏のピアニストも含まれている。

上記とは別に、NAXOS から出ているピアノソナタ全集が進行中である。

残念ながら、これらピアニストの生演奏によるスカルラッティは、 一度も聴いたことがない。

ラローチャおばさんのスカルラッティ

迂闊なことに、 ラローチャがスカルラッティを弾くとは予想だにしなかった。 しかし思えばスカルラッティはスペインで没したのだから接点は大あり、 もしかしたら面白いのが聴けるかもしれない、と期待して買った。 CDに収められているのは次の5曲であった。大文字は長調、小文字は短調である。

装飾音がわずかに野暮ったく聞こえるのを除けば、なかなか楽しめる。 私が気に入ったのは K.13 であった。こんなにもスカルラッティが楽しいとは。

グールドのスカルラッティ

私はグールドのピアノが好きである。それはどこかで書いた通りである。 さて、グールドのスカルラッティは、彼のバッハやモーツァルトほどには奇妙には聞こえない。

3曲のうち2曲がラローチャおばさんの選曲と同じである。 グールドは装飾音どころではなく、全体を通して野暮である。 グールドの作戦かどうかは、例によってわからない。 ピアノを習っているガキが取りあえず仕上げました、というようにも聞こえる。 それでもグールドの意図は多少は見える。 例えばK.13など、8小節め、トリルの経過音であるFisをあえてFにしたり、 和音のアルペジオの奏法を変えてみたり、いたずらしている。 このいたずらが許されるのも、スカルラッティだからであろう。

マイラ・ヘスのスカルラッティ

マイラ・ヘスといえば、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」の編曲で有名である。 グレート・ピアニストの CD にスカルラッティの曲がなければ演奏を聴く機会はなかっただろう。

さて、2曲(K.11K.14)を聴いてみた限り、 昔の解釈に基づいているようだ。 K.11はテンポの揺らし方が自由で、 レガート奏法主体である。微温的とでもいうのだろうか。 K.14はうって変わって生き生きとしている。 ところで、このK.14に出てくるフレーズの一部はどこかで聴いたような気がする。 なんと、メンデルスゾーンの 無言歌集にある「紡ぎ歌」だった。 愛して止まないスカルラッティの音楽と、金持ちのぼんぼんの趣味に過ぎない 音楽といって蔑んでいたメンデルスゾーンの音楽に共通なフレーズがあったとは驚いた。

ポゴレリチのスカルラッティ

だいさんのスカルラッティのページで紹介されているポゴレリチのソナタ集を買った。 (だいさん御推薦のケフェレックのはなかった。おいおい手に入れる予定)。 ショパンコンクールで物議をかもしたのも今は昔、 このアルバムを聞く限りはずいぶんとまるくなったものだ。

ここでも、K.13は重なっている。私はポゴレリチの解釈の仕方も好きである。 まあ、3人3様だからいいのでしょう。 この曲に限らず、ポゴレリチの解釈は万人受けしそうである。 最も有名なK.380は、セクションごとにテンポを変えている。 現代のピアニストはむしろこのような捉え方をするのかも しれない。私には不満である。

ワイセンベルクのスカルラッティ

ワイセンベルクのスカルラッティは甘く、切ない。ああ、いいな。

廻さんのスカルラッティ

聴き終わって(実際はあまりのすごさに最初は聴き通せなかった)よくもここまでやるものだと 感心してしまった。全然畏まっていないのだ。K.3 は最初の 16 分音符で勢いよく飛び込んでいるし、 K.6 の三連符の連続などほとんどカデンツァのようだ。つむじ風どころか、強風で荒れているかの ようだ。今、静かな環境で書いていると、ピアノそのものに驚いたというよりは、 ここまでピアノでやった人がいなかった、という事実に驚くべきなのだろう。 しかし、また聴いたらやはり演奏そのものに驚いてしまうのが明らかだ。

ペライアのスカルラッティ

K.491, K.27, K.247, K.29, K.537, K.206, K.212 を入れている。 素直な解釈で水準には達していると思う。 どちらかというと美音を活かすことに重点が置かれているようだ。 これが K.27 ではよい方向に作用しているが、K.491 ではわずかに表現の甘さにつながっている。

おもしろいことに、チェンバリストはカークパトリックの順序と組に従うのが一般的である。 一方、ピアニストはカークパトリックの順序も組も無視して任意の数曲を取り出して披露するのが 通例である。私がピアノ弾きの端くれだから言うのではないが、 特にカークパトリック指定の順序と指定にこだわる必要はないと考える。しかし、K.491 に関しては、 単独で弾くよりはカークパトリックの指定に従うのがよいと私は思う。 すなわち、K.490, K.491, K.492 の3曲をこの順番に一度に弾けば非常に効果のある表出が できる。

カルロ・グランテのスカルラッティ

このピアニストは、個人でスカルラッティの全集を完成させる企みをもっているらしい。 私がもっているのは第2巻と第3巻である。チェンバロではスコット・ロスに負けてしまったが、 ピアノではグランテが最初になるかもしれない。

どちらかというとロマンティックな弾き方が得意なようだ。ということは、私の苦手である。 しかし、それほど嫌味には聞こえない。きっとスカルラッティのもつ美質に救われているのだと 私は勝手に思っている。

ロベール・カサドシュのスカルラッティ

K.23 (ニ長調) は全体を抑えて弾いているが、ときどき激情が迸る個所があり、おもしろい。 短い装飾音の入れ方が軽く、うまい。最後のトリルが長過ぎて笑ってしまう。
K.14(ト長調)はいわゆる「走ってしまう」演奏だ。 スカルラッティならばむしろ感情の赴くままにテンポが揺れてもいいのではないか、 そう思わせるほどの爽快な流れが感じられる。 後半途中の音色の変化はソフトペダルによるものだろうか。効果を上げている。
K.27(ロ短調)では、極端な思い入れを排している。それでもテンポの取り方はつぼを心得ている。 強弱は唐突なところがあり、これは妙な甘さを絶つための仕業とも思える。
K.43 (二長調)は、トランペット風のファンファーレから始まる。 この曲もトリルを長くとっている。彼の得意技なのだろうか。 全体はペダルが濁りぎみの個所があるし、低音ではずすこともあるのだが、 気風のよさは彼独自の特徴だろう。
K. 380 は、この人ほど軽く、短く弾いた演奏を聴いたことがない。ただし、 過度の揺らしはしていないのは予想外だった。装飾音の入れ方も、他のピアニスト・ チェンバリストには類例がない。これが彼の粋なのだろうと勝手に思っている。
K.553 は私の好きな曲である。速い。手なりに動いているようで、わずかに転んでいるのが御愛嬌。 ベースがスタカート好みなのは K.380 と同様。

ショコライのスカルラッティ

廉価盤として有名な NAXOS レーベルで、 スカルラッティのピアノ曲を網羅する計画がある。 その一環として出されたのがこれ。以下の曲が収められている。 以下カークパトリック番号で表記する。

9, 146, 159, 481, 474, 11, 132, 466, 141, 208, 435, 87, 198, 380, 247, 135, 322, 96

収められているのは有名所が多い。ショコライの演奏のいいところは茶目っ気があるところだ。 たとえば、有名なハ長調のソナタ(K.159)、一度目と二度目で版の違いをわざわざ使い分けている。 最初の部分は右手の跳躍をすべて8度にして、二度目に8度-10度-12度と増やして効果を出している。 装飾音もひねりが効いている。

ベンジャミン・フリスのスカルラッティ

NAXOS のピアノソナタ全集の第5集。ピアノの柔らかさを活かしている。 それが逆にもの足りなく思うところもある。私が練習した曲では特に、 「うーん、ここの音がもっとバーンとなってほしい」という場所がいくつもあった。 特に、拍の頭の低音が抜けがちなのが気になった。 しかし、聞き進めていくうちに、このピアニストの意図するところがわかってきたようだ。 装飾の付け方はなかなか色っぽい。

なお、私のもっているラジカセで聞くと針飛びが頻発する。なぜだろう。

ザラフィアンツののスカルラッティ

NAXOS のピアノソナタ全集の第6集。以下の16曲が収められている(カークパトリック番号で表記)

135, 429, 478, 169, 259, 502, 419, 19, 112, 123, 274, 405, 318, 67, 247, 63

フリスに続き、ザラフィアンツも軟らかめのスカルラッティを弾く。 特に、K.318(嬰ヘ長調)がまろやかで感心する一方、 溶解してしまうほど耽美的に歌ってしまっていいのだろうか、という疑問をもった。 しかし、続くK.67 (嬰ヘ短調)では固めのしっかりした演奏なので、 対比をしてみればこのピアニストの狙いとするところが明らかになったような気がした。 その他、K.247もかなりゆっくり弾いていて、情感が溢れている(それが私には苦手だったりする)。 どの曲をどのように弾くかは、 スカルラッティのソナタであれば、かなりピアニストの裁量に委かされている。 だから、このようなアプローチもありなのだろう。

チッコリーニののスカルラッティ

曲数は13と少なめだが、有名どころが押さえられている。下記が収められている曲である(ロンゴ番号で表記)

L.5, 413, 14, 23, 33, 41, 58, 103, 104, 263, 281, 288, 366

通して聴くと、爽やかさと甘美さのバランスが取れている。個々の曲では、 この解釈はいただけないと思うこともあるが、それでも全体からはスカルラッティのいいところが立ち現れている。


メイエのスカルラッティ

マルセル・メイエはフランスの女性ピアニストらしい。経歴がわからないので、 http://www.koelnklavier.de/texte/interpreten/meyer.htmlなどを元に調べてみた。 左記ページはドイツ語で、誤訳は承知の上で書いてみる。 1897年生まれ、1958年歿。二度の世界大戦をはさむ時期、「パリ・アヴァンギャルドのミューズ(音楽の女神)」 と呼ばれていた。 リッカルド・ビニェス(スペインのピアニスト。 フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルらのピアノ曲を多く紹介)に師事。 フランス6人組やコクトー、ストラヴィンスキー、ラヴェルと親交を深める。 音楽史の「脇道」の探求に熱心で、古典音楽と同じくらい現代音楽にも精通していた。 その結果、ワンダ・ランドフスカ(著名なチェンバロ奏者)は弟子に、メイエのコンサートに行くことを固く禁じたほどである。 メイエの存在は謎に包まれていたが、その後、彼女の芸術的な解釈がわかる音源が手に入るようになった。

さて、この音盤について見てみよう。 古い録音(1954〜1955年、モノラル)であり、音質はよくない。 現代のピアニストの水準からすれば、テンポのとりかたやタッチの正確さにわずかに甘い点を残す。 また、少なくとも一部がロンゴ版に従っている(例えばK.175)ために、スカルラッティ本来の鋭さに欠けるところがある。

しかり、これを補って余りあるほどの、生気や瑞々しさに溢れている。 選曲も、スカルラッティの代表的なの明るいアレグロが中心である。 また、後半の繰り返しをすべて弾いていることもうれしい。 スカルラッティのソナタは短すぎてあっという間に過ぎてしまうのが難点だが、 後半の繰り返しがあればその点も多めにみることができる。 装飾音のセンスも特筆に価する。

最近多く見られる耽美系の演奏ではなく、爽やか系、運動会系のさわやかなスカルラッティである


付録:インターネット上のスカルラッティ

スマリヤンのスカルラッティ

レイモンド・スマリヤンは数学者(数理論理学)として有名であるが、ピアニストとしても知られていて、スカルラッティが好きということである。 スマリヤンが WEB にアップロードしているのは、K.27 (ロ短調)のほか、 K.380(ホ長調)K.466(ヘ短調)K.531(ホ長調)の 4 曲である。

バルトークのスカルラッティ

ハンガリーの作曲家であるバルトークもスカルラッティの録音を残している。腕達者であることがよくわかる。 K. 70K.212K.427K.537 の計4曲の録音が残されている。

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MARUYAMA Satosi