スカルラッティを弾いたチェンバロ弾き

作成日:2002-03-25
最終更新日:

1. チェンバロ弾きを独立させたのは

今までチェンバロ弾きの演奏をピアノ弾きと一緒にしていたのだけれど、 チェンバロとピアノは鍵盤楽器と言う点だけが同じであとはかなり違う。 やはり別物として扱うベきなのではないかと考えたのが独立させた理由である。

チェンバリストでは以下の皆さんの音盤を聞いたことがある。

2. レオンハルト

2.1 紹介1

私が聴いたレオンハルトのCD ( SONY Records SRCR 2434 )には、次の9曲が収められている。

  1. ソナタ イ短調 K.3
  2. ソナタ ヘ短調 K.185/184
  3. ソナタ ロ短調 K.227
  4. ソナタ ヘ短調 K.238/239
  5. ソナタ ニ短調 K.52
  6. ソナタ 変ホ長調 K.192/193
  7. ソナタ イ長調 K.208/209
  8. ソナタ 変ホ長調 K.252/253
  9. ソナタ ニ短調 K.191

全9トラックで所要時間 48:35 は少しもったいない気がする。しかし、内容は濃い。 流れのよどみがほとんどなく、テンポの揺れもさほど気にならない。 レオンハルトは古典の曲をがっしり弾くというイメージがあったので、 詩情豊かで奔放なスカルラッティの曲には合っているのだろうかという不安があったが、 その思い込みははずれてよかった。


2.2 紹介2

K.208 は、数多いソナタのうちで唯一 Adagio の標語がつけられている。 チェンバロのような撥弦楽器で歌うことができるのだと再認識する。 K.209 では、皆が想像するスカルラッティの世界が蘇る。

K.252 を初めとする多くの曲を聴くと、スカルラッティの現代性に思い至る。 どうでもよい冒頭部と、耳にしたら忘れられないサビの存在が現代のポピュラーにつながっている のではないかと思う。少なくとも私には、 どういうわけかスカルラッティの冒頭部の印象が残らないことがほとんどである。しかし、 サビの部分は前半と後半の二回は登場し、それぞれでまたしつこいほどくり返されるのだから すぐに覚えてしまう。 K.253 も上の意味で典型だと思う。特に後半、手癖だけで展開を進めるだらしなさは私好みである。 そして、手癖に飽きたらサビを出してはい終わりなのだ。

K.191 は、2声の掛け合いの精緻さと質感溢れる和音の割込みが聴く者に緊張をしいる。 レオンハルトのアーティキュレーションも曲の推進力をつかんでいる。


3. ピーター=ヤン・ベルダーのスカルラッティ

いくつかピアノとチェンバロのスカルラッティを聞き比べて感じたことがある。 チェンバロの演奏が私には苦手だということだ。 チェンバロの音が苦手なのではない。チェンバロ奏法に特徴的な、音の伸縮に耐えられないのだ。 チェンバロはピアノと異なって、個々の音の強弱はほとんど出ない。そのため、 音の揺れや時間差をつけて強弱に代わる表情付けを出すことが多い。 この伸縮による表情付けを、ノーテ・イネガル、(フランス語では notes inégales)または単にイネガル(イネーガル)と呼ぶ。 ベルダーの演奏は、この、ノーテ・イネガルの典型的な例に聞こえる。

これは極端な例かもしれない。また、単に私の慣れのせいなのかもしれない。しかし、 疲れる。スコット・ロスのスカルラッティとは対極的に思える。ロスのスカルラッティの演奏は、 ひたすら爽やかであった。逡巡もみられなかった。ベルダーは、あちこちを彷徨い歩いている。

ベルダーもまた、単独でスカルラッティの全曲演奏を狙っているようだ。 これはめでたいことだ。ロスという先達はいるが、それでも立派なことには変わりない。 ベルダーは近いうちに全曲を仕上げるのではないかという予感がする。またそうでなければ いつまでたっても全曲演奏など不可能であろう (スカルラッティの曲には生きのよさが不可欠であると思う)。 ベルダーによるソナタ全曲を聞けば、また私の感想は変わるだろう。

追記:(2005-05-01)今日、第VI巻(K.230-269)を買ってきて聞いた。 だいぶ、ヤン・ベルダーのリズム感に慣れた。先に述べた音の伸縮(イネガルというらしい)の世界を、 だんだん楽しめるようになったということだろう。

追記:(2012-07-15)ベルダーは全集を完成させている。


4. ワンダ・ランドフスカのスカルラッティ

たまには歴史的な録音を聞いてみるのもいいだろうと思い、買ってみた。 昔の人はここまで奔放に弾いていたのかと驚く(廻由美子さんのとは違った意味で)。 ミスも現代のプロとは比べ物にならないほど多い。また、当然のことながら音質も悪い。 (悪すぎてまるでエフェクターがかかっているように聞こえる曲もあり、 思わず笑ってしまった)。毎日聞くようなものではないけれど、 月に1度聞くとその新鮮さに驚くだろう。


5. 水永牧子

全部で14曲である。変化の付け方は中庸であるが、 ときどき意表を突くほどの長い伸ばしがある。これもまたよい。 また、有名なK.380 の曲では、他の演奏では聞けない不協和音を用いている。 きっと譜読みを綿密に行った故であろう。これに驚くか感心するかは、 聞く人の態度に問われている。

付録:インターネット上のスカルラッティ

カークパトリックのスカルラッティ

スカルラッティの作品カタログを作り、また研究書を残したカークパトリックは、 もともとチェンバロ奏者であった。カークパトリックの演奏によるレコードが残され、 YouTube で聴くことができる。

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MARUYAMA Satosi