スカルラッティの音楽の特徴

作成日:2000-05-01
最終更新日:

1. 資料と体験

1.1 音楽書から

スコット・ロスの全曲録音の解説から抜粋して、スカルラッティの音楽の特徴を記す。

8つの観点から、計20種類の特徴があるということだ。 この中から、あるいは別の観点から、いくつかの話題を記す。

1.2 体験

実際にスカルラッティのソナタを見て今更ながら感じたのは、 終止がほとんどオクターブであることだ。つまり、その曲が長調で終わったのか短調で終わったのかは、 終止の前の和声やアルペジオを見ないとわからない、ということである。 ソナタ練習記録には、その例外、つまり長調や短調を決めている和声音が同時になっている場合は、 それを記すようにする。(2020-07-04)

2 鍵盤空間

2.1 手の交差

スカルラッティの曲で難しいものには、たいてい手の交差が入っていることが多い。 カークパトリック番号の若い曲に多くみられる。なかには交差を必要としない音の位置のこともある。 しかし、そういう場合でも、緊張感の保持と客席への妙技の披露のために交差が必要だ、とどこかの本に 書いてあった。わたしも同意見である。唯一、スカルラッティの指示をはね除けなければならないのは、 K.29 だけだろう。

2.2 手の素早い移動

手の素早い移動もピアニスト泣かせである。この移動も含めてソナタ中の最難度を誇るのが K.299 だ。 スコット・ロスは入りこそ遅いがだんだん加速していくように聞こえてさすがと思わせる。

カークパトリックは、 この K.299 についてショパンの練習曲(おそらくOp.25-4)を思わせるといっているが、 これは甘い。もっときびきびしたジャズ、特にストライドピアノの名人ぐらいの腕でないと無理だろう。 クラシックのピアノ弾きでは無理なのではないかと思う。 というのは、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番の最後を聞くとわかる。 レコーディングしたピアニストすべてが、最後のオクターブのストライドにびびって テンポを落としているからだ。 私の聞いたかぎり、 ここをインテンポで弾き切ったのは、医者として現在活躍中のアマチュアピアニスト O くんだけである。

3. 転調

3.1 長調と短調の交替

転調という技法がいつのころから本格的に試みられたのか、私は知らない。 カークパトリックの本にスカルラッティの転調について言及した部分がある。 この部分では、ソレルというスカルラッティの弟子が「転調法の手引き」という本を出版したこと、 この本では扱われている転調はごく限られた範囲でしかないこと、特にスカルラッティの 転調を説明するには不十分であることが述べられている。

カークパトリックは演奏家でもあり、学者でもあるから、いっしょうけんめいスカルラッティの 転調を説明しようとしている。これはよくわかる。しかし、実際の音楽を聞くと、 その驚きは文章による説明を遥かに超える。

長調と短調の交替の典型例は、 K.444 であろう。

3.2 遠隔調への転調

ロスの全集にある《遠隔調への転調》の典型例で挙げられているのは、 最も有名な K.380 (L.23) であったり、 胸キュンの K.448 (L.485) だったり、 スカルラッティの魅力がてんこ盛りの K.96(L.465) であるのだが、 これらの転調はスカルラッティ的にはごく自然である。 K.494 (既出)は、地層のずれが露になったような驚くべき転調である。

わたしが聞く度に驚くのは、K.494 (L.287) である。 開始部はなんでもない。 長調の 3 度で上行と下行を繰り返す左手にのって右手が合いの手を打つだけの曲である。 暫くすると今度は短調の 3 度に成り変わって同じことを繰り返す。だから、スコット・ロスの 全集解説では、この曲は《長調と短調の交替》の範疇に入れられている。しかし、 この曲の真骨頂は、後半であらわれるただ1回だけの《遠隔調への転調》である。 (カークパトリック本p.259参照)

なお、この曲は片手のみで取る 3 度や 6 度が多い。もう一方の手が入るときには その手を高々と挙げる、えげつないポーズを取るのがいいだろう。

3.3 突然の全音上昇/下降

あまりピンと来ないのだが、転調というよりは、同じフレーズが二度上か下で繰り返されることを いうようだ。音の高さがずれるので当然転調するが、さほどこれ自体が面白いわけではない。 事例も前2者の転調より少ない。 K.259 (L.103) がその例として挙げられている。 怪しいスカルラッティの本によれば、 この曲には無数の改変がなされているそうだ (ハンス・フォン・ビューローの編曲は 出色であるとの認識でわざわざ彼の編曲も一緒に載せられている)。 私が思うに、 この曲はスカルラッティの個性で弾くというよりは、ピアニストなりチェンバリストの資質で 弾く曲ではないか。 ともあれ、この特性はあまりスカルラッティの特質として考えなくてもよさそうだ。

7. 変型拍子:ヘミオラ

変型拍子とは、2拍子の中に3拍子が混ざったり、 3拍子の中に2拍子がまざったりするリズムをいう。 スカルラッティのソナタにもある。

カークパトリックが指摘しているのは、K.521, K.532, K.537 などがある。 そのほか、私が調べたところでは、K.87 (L.33) にもある。 譜や音の例は時間ができたときに掲げる。 なお、他の作曲家も合せて紹介したヘミオラの例も参照。

カークパトリックは、このヘミオラの例を含むリズムの柔軟さの源泉を、 スカルラッティが修行時代に作った無伴奏(アカペラ)のミサに求めている。 太古の音楽は、拍子線などなく自由にリズムを作ることができた。そのなごりが ヘミオラという表現形態で出てきたのだろう。

楽譜の風景=補足

楽譜の風景というホームページを公開している不破友芝さんが、 スカルラッティ555曲のソナタ(iberia.music.coonan.jp) というページでスカルラッティのページを作っているが、 残念ながら一部準備中のままとなっている。私から補足する。

最長

K.240 も候補にあげられるだろう。後半の繰り返しなしで、スコット・ロスの演奏では 6 分ちょうどだ。

K1、K555

K.1 はニ短調。4/4 拍子。通常の楽譜表記では2ページに収まる。前半、後半で1ページずつである。 右手のメロディーを左手で追いかけるところから始まり、スカルラッティ風の(左手と右手で交互にとる)同音連打や、 左手の素早い跳躍がある。

K.555 はヘ短調。6/8 拍子。ポリフォニー書法、無窮動、 主調からの遠隔調への発展などにスカルラッティの書法が見られる。

クラスター

K.119 が典型的であろう。ハンス・フォン・ビューローは「音楽の火事場騒ぎ」と評したほどである。下記は 162 小節からである。

最も理不尽な跳躍のある作品

K.299 がAllegro の 16音符で2オクターブ近くのストライドを強いている点で理不尽と思う。

もう一つ理不尽と思われる K.484 は、左手に3オクターブの跳躍が8分音符で( 3/8 拍子)現れる。 理不尽たるゆえんは、右手で跳躍の一部をとればまったく簡単だからである。

前後半で速さが異なる作品

前半と後半で分けられる曲は数多くある。また一つの曲のなかで多楽章形式のものもある。 前半と後半で分けられるのは、 K.227 (ロ短調)、K.170 (ハ長調)、K.77(ニ短調)、K.78(ニ短調) また、三部に分かれているのは K.73 (ハ短調―ハ長調―ハ短調)などがある。

最難曲

さきにあげた理不尽な跳躍のある K.299 が最右翼と思われる。この曲には3度や6度の重音の音階も出てくる。 スコット・ロスの全曲演奏での解説ではこの曲を、最大の難曲と言える、と言っている。 そして、ショパンやリストの作品を引き合いに出している。 私が思うに、たとえば手の跳躍ということでいえば、 ショパンの練習曲 Op.25-4 やリストの「ラ・カンパネラ」を想像すればいいだろう。

別の有力候補には K.175 (イ短調)がある。こちらは跳躍に加えクラスターも見ものである。

独自用語

解説をするときに独自用語やあまり使われない用語をまとめた。

ズンズン進行

その名の通り、「ズンズン」というリズムでの進行。これでは何をいっているかわからないと思うが、 左手が複数音の同時連打を繰り返しながらメロディーの進行を担う形をいっている。有名な K.380 の、 12 小節から 15 小節を掲げる。左手はアルペジオでも、アルベルティバスの形でもないことに注意。

バッテリー
バッテリーとは、複数の高さの音を交互に小刻みに演奏する技法である。トレモロともいうが、 ここではバッテリーということばにした。スカルラッティの場合は、 バッテリーが上昇進行や下降進行を伴うことが多い。下記は K348 の冒頭で、 上昇進行を伴う 3 度のバッテリーから始まる。

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MARUYAMA Satosi