年賀状を書くのは年に一回だけのことだ。しかし、それでも「たいぎい」。
ふとした思い付きを今度実行してみることにした。 私達家族は、2002 年から、毎年 3 月に挨拶状を出すことにする。 なお、今年(2001年)は年賀状として出す。
正月の年賀状を来年から止めるのは、郵便局職員への負担が大きいからという理由だ。 私達家族がやめたからといって、正月に減るのはたかがしれている。 それでも楽になる方はいるだろう。
毎年 3 月にした理由は、家族の二人とも 3 月生まれであること、 3 月には「さくらめーる」が発売されるのでくじつきのはがきで出せることだ。 私達の結婚した 11 月にすることも考えたが、 くじつきはがきがないので諦めた。
元旦に到着するはがきを出さないことで「仁義を知らない」とか「礼儀がなっていない」とか いわれるのは覚悟の上だ。
なお、年賀状の代わりに自分の誕生月にあいさつのはがきを出すというアイディアは、 数学者・教育者の故遠山啓さんによるものであることを付記する (2001-03-14)。
2002 年にさくらめーるを出そうとして気が付いたのは、 さくらめーるにはくじが付いていないことだった。 自分達ばかり年賀状のあたりくじをもらうことになってしまうので、 心苦しい限りだ。
追い討ちをかけるように、2003年からはさくらめーるが発行されなくなった。 約束してしまったからには、2003 年は3月に挨拶状を出す。 しかし、やはりただの官製はがきで出すのは、侘しい。 2004 年からは、かもめーる(暑中見舞い用はがき)で出す。 郵政公社になった勢いで、かもめーるまでやめることのないよう、祈るだけだ (2003-03-10)。
毎年来る年賀状を見ていて、今年こそ実行しようと思ったことがある。 自分で年賀状を出すことではなくて、年賀状の特徴を類別することである。 いろいろな観点があるだろう。住所が間違っているもの、写真があるもの、などなど。 今回は2点に絞った。
私が考えた仮説は、「宛名をコンピュータで印字する人は、何も手書きの部分がないのに堪えかねて、 手書きの一言を寄せるのではないか」ということである。さて、 1月1日から1月3日までに小生宛に来た年賀状を上記の基準で分類した結果は次の通りだった。
宛名\一言 | あり | なし | 計 |
---|---|---|---|
コンピュータ | 10 | 12 | 22 |
手書き | 6 | 3 | 9 |
計 | 16 | 15 | 31 |
これを見るとむしろ逆である。宛名をコンピュータで印字する人は、宛名を手書きする人より、 手書きの一言を寄せない率が高い。しかし、これが有意かどうかを確かめなければならない。
ここでは、独立性の判定により、 仮説「宛名コンピュータ印字派は、宛名手書き派より、 一言を寄せない率が高い」の確からしさを判定する。 判定の仕方は、仮説を表すモデル(従属モデル)と、 仮説に対抗するモデル(独立モデル)について、 それぞれAICと呼ばれるモデルへの適合度を表す数値を求める。 AICの小さいモデルが、より適合度が高いモデルである。 実際に数値を求めると、次のようになった。
両者の値を比べると、独立モデルの値が従属モデルの値より約 0.8 低い。しかし、 モデルのAIC の差が 1から2程度では、一方がもう一方より確実に適合度が高いとはいえない。 そこで、私の立てた仮説は、正しいとも誤っているともいえないことがわかった。
なお、私自身は、宛名のコンピュータ/手書きの是非とか、一言の有無の価値判断については、 特に意見を持っていない。仮にあったとしても、時代の推移で変わってしまうものであるから、 あまりこだわっていても仕方がなかろう。(2004-01-04)
その後は年賀状を出さず、新年にいただいた年賀状の差出人にのみ暑中見舞を出すことを長年続けていた。 その流れを断ち切ったのは 2020 年である。新型コロナウイルスやら何やらで、 何もかもが面倒になってしまい、2020 年の暑中見舞いを一人を除いて出さなかった。 こうなったら、2021 年に受け取る年賀状は大幅に減るだろう、と思った。ところが、 2021 年に受け取った年賀状は思ったよりあった。そこで、2021 年の夏は、 暑中見舞を再開した。ただし、「かもめーる」の名称は消え、そしてクジもなくなった。 (2021-08-03)
まりんきょ学問所 > 部屋の中身と管理人 > 自己紹介 > 年賀状について