自転車について

作成日:2000-08-18
最終更新日:

かつて好きだった自転車

今は乗らなくなってしまった自転車だが、昔は好きだった。 好きといっても、スポルティーフを乗り回したり、 マウンテンバイクで駆け巡ったりするほどではない。 ランドナーであちこちをぶらぶらするのが私の趣味だった。

最初の自転車

最初の自転車は、20 インチの補助輪のついた子供用のものだった。補助輪を最初は2つはめ、次に1つに減らし、最後にすべてを取り外す。 補助輪なしで走れたときの感激は、今も残っている。

自分の自転車

補助輪をはずしたあとは、子供用の自転車は卒業し、ママチャリに移行した。 当時の小学生や中学生向けにはウィンカーがちかちかする自転車が流行していたが、私はそのようなものには興味がなかった。 親から自転車を譲ってもらい、自分用に使った。

相模原から江の島まで

中学生のときだったか、友達が「チャリンコで江の島まで行こう」と言い出した。江の島は電車では何度も行っているが、それでも相模原から1時間近くかかる。 自転車だったら大丈夫か、と心配したのだが、大丈夫だといって私を含めた3人で向かった。なんとか江の島と往復できたのは運がよかった。

酔っぱらって自転車を壊す

もう時効だろうが、自転車で酔っ払い運転をしたことがある。怪我はしなかったが、電信柱にぶつかり、前輪のフレームがゆがみ、 走れなくなってしまった。

オンボロ自転車を使う

大学4年生となり、学生寮に住むことになった。代々いらなくなった所有者なしの自転車を希望者に引き渡す抽選会が開かれ、 これに参加した。申込者十数人と同数の自転車が割り当てられ、くじ引きで順にほしい自転車を引き取る仕組みだった。 私はビリから2番目で、選べるのはライトがなく錆びてチェーンの脱落した古いサイクリング車と、酒屋の配達で使いそうな荷台ががっしりした鉄製の自転車しかなかった。 ないよりましということえ私はサイクリング車を選んだ。 さて、手に入れた自転車はチェーンを見様見真似で調整したらうまくはまった。 夜ライトが必要なときは懐中電灯を前にくくりつけることにした。 念のため、近くの自転車屋で防犯登録をしてもらった。 これで寮と大学2か所(キャンパスが2か所あった)をだいぶ自由に往復できたのはありがたかった。

なさけない話

社会人になって千葉に住むことになった。自転車なしでもやっていけたが、20歳代の後半、やっと自分だけの自転車の新品を手に入れた。 日米富士自転車(単に富士自転車とも)のランドナータイプで結構重い自転車(14kg)だったが、 一応輪行もできた。過去に3回だけ分解・組み立てて遊びに入った。

最初は那須高原へ行った。平地だったので苦労はなかった。多少尿道が痛んだくらいだった。

これに味をしめて、次は伊豆高原へ行った。 零の会の合宿がこの高原の上の保養所であったからだ。 函南駅で降りて保養所を目指したが、道に迷ったうえ、やっと探し当てた道も上りが続き苦しい。 山のわき水で口をすすぎながら上を目指したが、高原の入り口でついに疲れ果てて動けなくなった。 かろうじて自動販売機に近付き、 のどをうるおした。このときの光景は今でも忘れられない。

そしてまだ苦しみが抜けないので、公衆電話をやっとのことで探し、 既に着いている先発隊に助けを求めた。 10 分ほどして零の会の主宰者である原田さんが車でかけつけてくれた。

このときのあまりのへたり様を見て、 音楽学者の戸口先生が「軍隊の鍛えられ方はこんなものじゃないよ」と私をおどすのだった。

これに懲りずに翌年も、同じ場所で行われた零の会の合宿に自転車で出かけた。 この年はきちんと準備していったし、休みもゆっくりとりながら行ったので、 無事に合宿所に着くことができた。

ちなみに、その後結婚したあとは自転車には乗っていない。汚いまま、放置してしまっている。 これが本当になさけない話なのかもしれない。

ついに処分を決める

汚いまま放置してしまっている自転車をどうするか、ついに決断を迫られた。 私の住んでいるコンクリート長屋で、駐輪場を有料化するという議題が出た。 保管できる自転車には限りがあるので増加を抑制する、という目的である。 お金を払うのなら、錆びてしまった自転車を再生する必要があろうが、それだけの気力がない。 泣く泣く処分をすることに決めた。

ちなみに、自転車ツーキニストとして有名な疋田智さんは、今回の私と同じような機会に遭遇して、 自分の自転車を再生させ、しかも通勤に使うようになったという。私には、リキがなかった。 (2005-07-03)

罪滅ぼしに、疋田さんのサイトを紹介する。

自転車通勤で行こう(tourkinist.jp)

なお、職場が東京になったあとでは、自転車通勤は私も過去3回やったことがある。

まりんきょ学問所部屋の中身と管理人自己紹介> 自転車について


MARUYAMA Satosi