理想のピアニスト(第3回):G-CLEF の思い出

作成日:2003-03-27
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前回の項を書いた後、 つれあいから批評を受けた。理想のピアニストというが、 誰にとっての理想かという視点がはっきりしていない。 そこをあいまいにしているので、読んでいて落ち着かない。そのような感想だった。

この意見はもっともである。私が意図しているのは、「自分にとっての理想のピアニスト」である。 当初から、そのように書くことはできた。しかし、あいまいな要素も残しておこうと考えた。 あいまいさが考えの幅を広げることになるかと思ったからである。 とはいえ、文章のあいまいさが読み手を混乱させるのであれば、それはいけない。 これからは気をつける。

前回は、芸達者としての中村紘子を描いてみた。今回は、別の芸を紹介する。 秋晴れのある日、ピアノの Y 師匠とピアノ友だちの S くんと私の3人で、 東京藝術大学の大学祭を見(聞き)に行った。

美術のほうでは、いろいろな展示があったが、二つ覚えていることがある。 一つは、教室の中に(マルセル・デュシャンがやったように)いろいろな展示物が置かれていた。 それぞれの展示物は何らかの意図をもっているようだったが、 一つだけ意味のよくわからない物体があった。それは湯沸かし器で、 実際に教室で使われているものだった。確か、その湯沸かし器には目鼻が書かれていたように思う。 もう一つ、こちらは油絵だったが、ところどころにマンガのような吹き出しがあった。

さて音楽はどうだったか。適当な教室に入って出し物を見ていたら、 バイオリンとピアノの二人が出てきて(もう一人いたかもしれない)、チューニングを始めた。 そのチューニングが終わらないうちに二人はジプシー風の音楽を奏で始めた。腕は確かで度胸もある。 芸人に厳しい Y 師匠も「こいつら面白いな」と呟くほどだった。 さて、音楽が終わったあと、芸人達はいきなり土下座して客席へにじり寄ってきた。 客席は爆笑した。 私は、土下座を意気に感じ財布から1円玉を数枚出して芸人達に投げ与えた。 Y 師匠やSくんも多少は投げ与えた。芸人達はありがたく押し頂いていた。

この出来事の後、 この二人を含むグループが「G-CLEF」として活躍したことは、 みなさんは知らないだろう。私も知らなかったが、たぶんそうに違いない。

芸人に金を恵んだのは後にも先にもこのときしかない。 芸人の価値を決めるのは、 そのときの芸のできばえであるという当たり前のことを、 改めて私に知らせてくれた。 そういうわけで、G-CLEFのみなさんも私にとっての理想の芸人である。 (2003-03-27)

追記:G-clef とはト音記号の意味。初出の原稿を書いた時点で G-CLEF は解散していた。 その後、S くんは 2012 年に亡くなった。 S くんもパフォーマーとして優れたピアニストであった。合掌。 また本文とは関係ないが、蓼科でお世話になったペンション G-CLEF も2012年営業を終了した。 私にとっての理想の芸人はだれか、問は続く。 (2013-07-15)

追記2:この駄文を書く以前から、ピアニストだけでなく、ピアノ芸人がたくさん出てくればいいのに、と思っていた。 1980 年ころ、フランソワ・グロリューというピアニストが、ビートルズの曲をクラシックの大作曲家のスタイルでアレンジして録音した。 この LP レコードを買った覚えがある。 日本でも、ピアニスターHIROSHI が活躍している。もっといろいろな芸人が出てほしい。 (2016-03-26)

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MARUYAMA Satosi