理想のピアニスト(第2回):中村紘子の思い出

作成日:2003-03-26
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前回、私は理想のピアニストとしてクリスティナ・オルティスを推した。 彼女は、私にとっての理想である。今、オルティスはどうひいきめに見ても有名とはいいがたい。 しかし、私にとっての理想であり、これで満足である。

私にとってよかったのは、 オルティスが相模原という地方都市に来てくれたということだ。 これは、貧乏な私の家にとっては都合がよかった。 とにかく、プロが来てくれるだけでありがたかった。 地方都市に来なくても、理想のピアニストとなることはできる。 これは私も認める。 しかし、 地方都市で安上がりなコンサートを開いてくれる無名のピアニストは、 くり返すようだが私にはありがたい存在だった。だから、理想のピアニストはまず、私にとって、 「安上がり」であるピアニストである。

この表現はずいぶん誤解を招きそうだ。なんといっても自分でさえよくわかっていない。 ただ言いたいのは、この世の中、金を無視して理想を語ることはできない、ということだ。

さて、オルティスが相模原市民会館に来てしばらくして、 この会館にスタインウェイが入ることになった。 このときのこけら落としに中村紘子が呼ばれた。 私も聴きにいった。客席は満員だった。 プログラムにはバッハのパルティータ第1番と、プロコフィエフのソナタ第7番があった。 もっとも、プロコフィエフは当初第6番の予定だった。第6番はリキがないと弾きこなせないので、 第6番よりは短く、中村紘子にとって比較的経験のある第7番にしたのだろう。

さて、演奏はどうだったか。バッハはペダルを濁るぐらいにまで使った演奏だったので驚いた。 私はたまたまこの時期このパルティータの前奏曲を練習していたので、 よく覚えている。 自分の練習ではペダルは使っていなかった。 バロック時代の曲にペダルを使うのは邪道だという説をどこからか仕入れて、 それを鵜呑みにしていたのだった。

私はこの演奏を聴いて、中村紘子が嫌いになった。今思えば、 自分の練習と比較して好悪を決めるのはあまりにも短絡的だった。 しかし、小さな頃に根付いた感情は、なかなか変えることができない。

では、中村紘子は理想のピアニストとはいえないかというと、そうは言い切れない。 中村紘子に対しては、どんな曲にもペダルをふんだんに使うというイメージが私にはある。 ペダルを使ってはいけない曲は、中村紘子は弾かないだろう。そのように私は思い込んでいる。 なぜ思い込んでいるか、自分でもわからない。しかし、 そのようなイメージを確立させたのはほかでもない中村紘子である。 強烈なイメージで存在感に有無をいわせないのもまた、 理想のピアニストの典型像といえるのではないか。そう愚考する。

なお、そのイメージを確立させるにいたっては、ピアノ以外の要素も大きい。 特に、左手で料理をしながら(たとえばフライパンをひっくり返しながら) 右手で有名なピアノ曲(たとえば小犬のワルツ)を弾くという芸をテレビで見たことがある。 ゴドフスキーだってそんなピアノ練習曲は書かなかったし、ヒロシだってそんな芸はしない。 私がピアニストの理想像を中村紘子に見出しているのは、その芸の売り込み方ともいえる。 (2003-03-26)

追記:中村紘子を嫌っている知人がいる。この知人は高知県出身で、 高知に中村紘子が来たときに聞きに行ったそうだ。中村は手を抜いていたという。 その証拠に中村が弾いたショパンの練習曲 Op.25-1 の末尾は、 変イ長調のアルペジオの繰り返しが1回少なかった、 というのだ。(2013-07-15)

追記2:パルティータ第1番前奏曲を練習していた理由は、当時、NHK テレビの「ピアノのおけいこ」のテキストにこれが載っていたからである。 この番組とテキストもまた「安上がり」な教材であった。「ピアノのおけいこ」については、いつかこのシリーズで書いてみたい(2016-03-26)。

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MARUYAMA Satosi