●ミスを防ぐためのαからωまで
著者いわく「本書の全体を通じて著者が強調したかったことは,いやしくも金を貰って翻訳するからには,読者の身になって, 正確で読みやすい訳文を提供すべきだ,ということである。」
根津の古本屋で手に入れた。 この手の本を読んでいつも「自分の日本語はなってないな」ということを思う。
この本の特色は、英語だけでなく、ドイツ語、フランス語、ロシア語の例もあることだ。 さらによいことは、日本語の書き方も学べる。
著者略歴に、「現在,英,独,仏,露,羅,端の各語がほぼ実用に耐えるほか,さらに数ヵ国語を解する」 とある。端は何語だろう?
インターネットで調べてみたが、「端」が表す国や言語はわからなかった。ひょっとしたら正しくは「瑞」ではないか。 それならば、スウェーデン語だと見当がつく。というのも「スウェーデン語」という単語が索引に入っているからだ。 これは「ほぼ実用に耐える」と著者が自負していることばだからこそ、ではないだろうか。
p.264 のラテン語 Error communis facit jus.
の訳が面白い。
(万人の過つところ,法となる)と訳している。これが偶然俳句(読みが 5 7 5)となっている。
厳しい指摘が並ぶこの本で、次のような、いかにも誤植らしい誤植があると安心する。
p.29 7 行め 誤 文学部の生先が徹底的に直したということだったが,
正 文学部の先生が徹底的に直したということだったが,
pp.93-97 で、著者は厳しい調子で辞書の説明を非難している。
最初に出た時点の説明が間違っていると,それ以後に出る辞典はみな「右へならえ」である。
ここでは「おかめ八目」の説明をしている。著者の言を引用する。
ほとんどの辞典*が「局外者のほうが,当事者よりもことの是非・得失がよくわかる,ということ。他人の以後をはたから見ていると, 八目の先の手までわかる,というところから来た」という趣旨の説明をしている。前半の部分はこれでよい。しかし,「八目も先の手」とは何だろうか。 (中略)それはさておき、「目(もく)」は目(め)の数または石の数を言うのであって,何手という手の数を指すのではないとすれば(中略)、 私の考えでは,この句は,(中略)はたから見ていると、8目分得をするような手が思い浮かぶ,という意味であろう。
私もこの語釈に賛成である。ちなみに、手元の辞書での語釈を調べた。古い辞書が多いのは勘弁してもらいたい。
辞書名 | 語釈 |
---|---|
新明解国語辞典第5版 | 〔碁を、冷静にわきで見ていると、対局者と比べて、八目分の得をする手が見えたりすることから〕 局外者の方が、かえって事柄のよしあしがよく分かること。〔「八手先まで見える」とするのが通説であるが、 「目(モク)」は「地(ジ)」を算(かぞ)える時の語で、手を数える時には用いない〕 |
三省堂国語辞典第7版広島東洋カープ仕様(2019年3月12日) | 〔囲碁を、わきの見物人の目(おか目)で見ると、八手先まで わかる〕直接関係のないひとが見ると、 かえって よしあしが よくわかること。 |
ベネッセ表現読解国語辞典 (2004年3月 初版第四刷) | 当事者よりも傍観者のほうが物事の是非や真偽などについて、客観的かつ正確に判断できること。 由来▶囲碁の対局を見ている者は、対局者より冷静な分、八目も先がよめるという意から出た語。 |
明鏡国語第2版 2016年4月1日第7刷 | 当事者よりも第三者のほうが物事の是非をよく見極められること。 ▷そばで囲碁を見ている者は、対局者より八目先の手を読める意からという。 |
これらを見る限り、正しいのは新明解だけではないか。恐ろしいことだ (2019-06-13) 。
先に述べられた国語辞典への不満をもとに、pp.97-99 では国語辞典への要望を著者は列挙している。
そのなかで、著者は、自身が法曹関係の仕事をよく扱うことから、次のように要望している。「事案」という語だけは,ぜひあがってほしい。
これは、事実を中心として見た場合の事件の内容を指す語であって,非常に重要な語である
この用語は、この十数年、私もよく聞くようになった。だから辞書に掲載されていてよいはずだ。 調べてみたら、上記のうち「三省堂」「明鏡」には掲載されていた。 ただ、どちらの語釈にも「事実を中心として見た場合」という観点がかけていた (2019-06-13) 。
pp.38-40 にかけて、著者は法律文の悪訳について述べている。そして、p.40 で次のように主張している:
このように,占領時代に作られた法律の中には,ところどころ首をかしげたくなるような表現が見受けられる。 ことに憲法については,改憲論者に利用されるおそれさえなければ, 私は,純粋に文章表現上の改正案を提出したいと思っているほどである。
この「改憲論者に利用されるおそれさえなければ」というのがミソである。 なお、週刊金曜日 2018-04-27 号も参照。(2019-11-11)
書 名 | 誤訳悪訳の病理 |
著 者 | 横井 忠夫 |
発行日 | 1974 年 6 月 5 日 第2版第4刷 |
発行元 | 現代ジャーナリズム出版会 |
定 価 | 円(本体) |
サイズ | ??版 |
その他 | 根津の古本屋で買う。新装第1版は東洋書店から出ているが評者は未見。 |
NDC | 801.7 |
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