副題は「日本語、ウラル・アルタイ語、ツラン主義」
田中克彦の別の著書で、トルコ語と日本語が似ていることを知った。今回は朝鮮語(韓国語)と日本語が似ていることが、 たった一つの例だが p.83 で示されている。おもしろい。
p.89 では、ラ行で始まる単語は、日本人は自分では作れず、ほとんどが外国語からの借用である。
という記載がある。
そのあと「令和」という新しい元号についての見解を紹介している。私は元号廃止論者であるが、表立って元号廃止というより、
本書の記載にある見解を出すほうがサマになっていると思う。ただそれをここで公開するのは控える。それはそれとして、
本書と同時並行で読んでいた「モンゴル語のしくみ」では、
モンゴル語の辞書の見出し語で少ないのは p であると書かれている。モンゴル語の р はキリル文字であり、音は r を表す。
気になる箇所があった。p.138 から引用する。
フンボルトは屈折型の言語は、一つの単語の中で実質部門と、関係を表す文法部門がとが有機的に融合している点で、すぐれている。 それを分離して、別々に表示する膠着型は、屈折語と孤立型との、「どっちつかずの混血児(Zwitterwesen)」だと言っているのは、 日本の研究者の気持をずいぶん傷つけたにちがいない。
この 2 文は主語と動詞の照応がうまくいっていないようだ。言いたいことはこうだろう。
フンボルトはこう言っている:《屈折型の言語は、一つの単語の中で実質部門と、関係を表す文法部門がとが有機的に融合している点で、すぐれている。 それを分離して、別々に表示する膠着型は、屈折語と孤立型との、「どっちつかずの混血児(Zwitterwesen)だ》。 このことばは、日本の研究者の気持をずいぶん傷つけたにちがいない。
書名 | ことばは国家を超える |
著者 | 田中克彦 |
発行日 | 2021 年 4 月 10 日(初版) |
発行元 | 筑摩書房 |
定価 | 840 円(本体) |
サイズ | 判 |
ISBN | 978-4-480-07388-4 |
その他 | ちくま新書、越谷市立図書館で借りて読む |
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