文庫本裏表紙より引用する。
ロシアの小説の主人公オブローモフのように, 怠け者として生きることが理想という, マンモス団地に住む四十歳の小説家・本間宗介の, 可もなく不可もない平凡な日常をユーモラスに描いた長編小説。
目次は次の通り。
私がまず最初に目を引いたのは、小説ではなく、イラストだった。この表紙の絵も、 文中のイラストも、この特徴はどこかで見たことがある。目次の後ろの情報を見ると、挿絵 山野辺進、とあった。 文中のイラストには、確かに s. yamanobe と見えるサインがある。表紙の絵(カバー画)も、 サインこそないものの、やはり山野辺進だった。 当時の雑誌や本で、よく目にした特徴のイラストは、 山野辺氏であったのだ。最近は氏のイラストを見る機会がない。ちょっと寂しい。
後藤明生の小説は、ほとんどが自分のことを書いている、と言われているようだ。 しかし、どこかで自分のことを、ちょっと消している。前期から中期にかけて、 後藤の作品群の多くは後藤が住んでいた松原団地を背景にしている。これらの小説を団地小説、と呼ぶ人もいる。 しかし、 団地の描き方は後藤が描くそのときどきの小説によって違っている。たとえば、この小説では、pp.20-21 で、 主人公が住む団地は鉄筋コンクリート五階建てであることが明かされる。しかし、実際の松原団地は四階建てだった (私が確認できる写真ではそうなっている)。 これはあくまで一例である。主人公は、どこまで自分で、どこまで自分でないのだろう。 そんなことを詮索しても、小説には何の関係もないのだろうが。
あと、この主人公、本間宗介は、どうみてもオブローモフではない。給与生活者はオブローモフより働いているが、 本間宗介は一般的な給与生活者より、波乱万丈な人生を送っている。いや、実際はそうでないのかもしれないが、 後藤明生の筆にかかると波乱万丈の人生のように生き生きとしているようんだ。
本間宗介は、自身、父、祖母、曾祖父の四代にわたる年代記を一大長編に書き残したいものだと考えている。 本間宗介自身はこの小説ではこれ以上のことは語られないが、後藤明生は、『夢かたり』、 『行き返り』、『嘘のような日常』などで北朝鮮の小さな町にいた四代の話を書き続けた。これらの三編は、 現在「引揚小説」三部作という名前で合本となり、刊行されている。私は、 夢かたりのみを読んだ。
本間宗介は、フランツ・カフカを尊敬していた、ということが文中で語られる。その主要作は『変身』であるが、 それが 1970 年代の日本における《変身》ブームに飛んでいることがおかしい。 今の藤岡弘、が仮面ライダーに変身したテレビは、私もよく見ていた。
前厄についてさんざ考えた本間宗介は、大酒を飲んで、厄除けのお守りを買う、と言っている。
夏目漱石の「吾輩は猫である」から大飯を喰らふ、そしてヂヤスターゼを飲む……
からの連想からだったようだ。
人間はそうだよな、と私も思う。
知人の勧めで、私は数え年だか満年齢だかの42 歳で厄除けをしてきた。その年は何ともなかったが、 その翌年か翌々年に人生のちっちゃかめっちゃかな時がきた。まあ、厄除けをしていなかったら、 もっとしっちゃかめっちゃかになったかもしれないと思って慰めている。
この章で、捨て犬の話は後半に出てくる。前半は、主人公が仲人役を頼まれて、 披露宴で挨拶をしようとしたとき見舞われたハプニングについて書かれている。 このハプニングと捨て犬の章を合わせたのはなぜだろうか。そして、この捨て犬の章の、 そしてこの小説全体の章の末尾が、こんなにあっけらかんとした終わり方でいいのだろうか。 あっけらかんというより、謎を残した終わり方というべきものだろうか。 それが今の時代の小説の終わり方なのだろう、とひとまずは自分を納得させている。
書名 | 四十歳のオブローモフ |
著者 | 後藤明生 |
発行日 | 年 月 日 |
発行元 | 旺文社 |
定価 | 380円(本体) |
サイズ | |
その他 | 旺文社文庫, 草加市立図書館で借りて読む |
まりんきょ学問所 > 読んだ本の記録> 後藤 明生:四十歳のオブローモフ