帯の文句は「アポは入れない、手も動かさない。」
わたしはめったにビジネス書を買わない。では、なぜこの本を買ったかというと、 なまけたい、サボりたい、という一心だったからだ。 読んでみて、私はサボるだけの才覚がないということがわかった。悲しい。
なぜサボるだけの才覚がないかというと、この本に書いてあることが起こらないからだ。 たとえば、思考時間を確保するための手段を列挙したあとで、 p.123で「思考をジャマする人々の攻撃にどう対処したらいいのだろうか」という表題のもと、 次の質問が記されている。
ここまで読んでいただいて、違和感を持たれた読者の方もかなりいらっしゃると思う。 「外資系企業や個人事業種にはあてはまるかもしれないが、 自分に与えられているのは、こなす仕事ばかりで、 時間の使い方についても自由裁量を与えられていない。 スケジュールなど自分の思い通りにならない。 どうすればいいのか」
回答はおよそ次のとおりである。 まず若手のうちは「こなす仕事」で工夫の余地がある仕事を高いレベルで仕上げること。 これを維持すれば評価が高まり上の職位に行く。そうすれば部下に仕事を割り振れるなど、 時間を自分で差配できる余地も広がっていく。
なるほど。ごもっともである。 しかし、私は職位が上になることはなかった。したがって部下に仕事を割り振れることもなく、 時間を自分で差配できる余地もなかった。たぶん、若手のうちに、 工夫の余地がある仕事を高いレベルで仕上げてこなかったからだろう。
本書に戻ると、pp.126-127 では、 <上司からの「念押し」と時間の支配を最小限にする技術>という表題のもと、 その技術を説明している。いわく、<上司に言いつけられた仕事の締め切りを「いつまでに、やればいいか」 と聞いて明確にしてもらう。すると、よほどの人でもない限り、 ある程度は余裕のあるスケジュールを言うはずだ。>
これも道理だ。しかし、 私の場合、その技術は適用できなかった。自分の力不足が9割であるが、1割は自分の責任ではない。 まず、私に仕事を言いつけるのは、私の上司だけではなく、私の上司の上司だったり、別の部の部員だったりする。 そして、全く余裕のないスケジュールを言う人が、多くいたのだった。 定時の仕事が終わって帰ろうすると慌てて用事を持ち込んで来て今から1時間後に結果を出せだとか、 まあむちゃくちゃだった。仕事の内容はどうだとか、 仕事量はどの程度だとかということはここでは明かせないのでがっくりするが、 私の力不足故、私という人間を見下す、<よほどの人>がいたのだと思っている。
この本でおもしろいのは、名古屋的な感覚だ。
書名 | サボる時間術 |
著者 | 理央 周 |
発行日 | 2011 年 10 月 4 日 3刷 |
発行所 | 日本経済新聞出版社 |
定価 | 850 円(本体) |
サイズ | 新書版 |
ISBN | 978-4-532-26135-1 |
その他 | 日経プレミアシリーズ |
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