正木 晃:マンダラとは何か |
作成日: 2015-02-21 最終更新日: |
マンダラとは何か。マンダラは現代にどのようにかかわるか。問題意識は広範囲に及ぶ。
正木氏と面識があったので買った本である。マンダラは仏教、特に密教の奥義と関係していることはわかった。 ただ、仏教は苦手だ。なぜかというと、漢字がこれでもかというほど出てくるからだ。例えば、足利には鑁阿寺があるが、これが読めない。 ばんなじ、と読めばいいことはわかったが、この金へんの画数の多い字に出会うと目がくらくらする。
この本では、鑁と阿についての説明があり、対照的な概念だということがわかった。具体的には同書を読んでいただきたいが、 マンダラの本を読んでいてこんなことがわかるとうれしい。
同書ではマンダラを分類している。垂迹マンダラという種類の紹介で、垂迹というのは本地垂迹説のそれである、と解説されていた。 本地垂迹説とは、日本の八百万の神々は、実は様々な仏が日本の地に現れたときの化身(権現)である、という考えである。 私は日本史を高校で学ばなかったためこのような用語には弱いのだが、本地垂迹説、ときいて強烈な印象がよみがえった。 この印象は何であったかはあとで述べるとして 本地垂迹説の本地は、地元土着の神々を仏教が取り込んでいくことを表すということだ。こんなこともマンダラから学べるとは思わなかった。
さて、「本地垂迹説」がなぜ強烈な印象をもって残っていたか。 きっと何かの本を読んだ印象なのだろう、と予想をつけたまでいいが、なかなか出てこない。 小一時間呻吟し、やっと思い出したのが、松本 修氏の全国アホ・バカ分布考だった。 松本氏の本では、全国各地の「アホ・バカ」に相当することばを集めた結果と導き出される結果が手際よく述べられている。 同書で「ホズナス」や「ホ[ン]ジナシ」の意味について考える場面がある。 この「ホズ」や「ホジ」は実は本地垂迹説の「本地」と推論する。本地とは本来の境地やあり方のことで、それがなくなった状態が「ホンジナシ」、 つまり、アホやバカに相当するというのだ。酒に酔って我を忘れた状態などによく使うらしい。
書 名 | マンダラとは何か |
著 者 | 正木 晃 |
発行日 | |
発行元 | NHK出版 |
定 価 | 円(本体) |
サイズ | 版 |
ISBN |
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