どうせ私はプロジェクトリーダーに向いていない

作成日:2000-07-15
最終更新日:

リーダーは資質ではない

ある場所で、リーダーとマネージャの違いについての説明を見た。 マネージャは正しいことをしなければいけないが、 リーダーはことを正しくしなければいけない。 原文は英語だから、言葉の対比の妙が生きているに違いない。

さて、私はいいかげんなリーダーだった。 その証拠は後で続々とあげるつもりだ。 どうしてかくもいいかげんだったかというと、根がいいかげんだからだ。 これで済めばことは簡単だが、そうはいかない。 私のような者でも、いいかげんなことをしない分野がある。 それは(特に自分が主役となる)音楽だ。これに関してはまじめに取り組む。

では、なぜそのプロジェクトに関しては、否、 私が手がけるソフトウェアのプロジェクトがいいかげんとなったのか。 今回とりあげるプロジェクトの内容が 客観的にみて興味のないものだったのか。

そんなことはない。世のため人のためになるソフトウェア、 システム開発であることは間違いないし、 技術的に見ても数々の(世間でも、また自分たちの中でも) 注目すべき技術を多く取り入れていた。

そんなプロジェクトであったのに、なぜ失敗したのか。 この場合の失敗とは、納期、コストとも予定を大幅に超過し、 なおかつ品質も想定水準を大きく下回っていたということだ。

これは、自分の責任感のなさだろう。しかるべき責任感があれば、 それに従って内部・外部の関係調整を進んでやっただろうし、 自分がすべきところと他者・他者に頼むべきところとの切り分けも きちんと行えただろう。各種のイベントの優先順位付けも 妥当な線で引けただろう。これらが責任感のなさからすべて混乱していた。

責任感はどこから来るか

では、責任感はどこから来るのだろう。

筒井康隆がよく使うことばを思い出した。「感情移入」だ。 筒井は、読み手の感情が作品に乗り移り、観劇者の情感が舞台に乗り移ることを よく感情移入ということばで表現する。 私は「熱い」ということばが嫌いなのでここでは使わない。 これこそがリーダーたる資質から遠ざけている原因なのだろう。 リーダーは熱いものだ。熱くなくてもプロジェクトに感情を移入しないと いけない。

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MARUYAMA Satosi