スケジュールの確実性

作成日:2010-05-15
最終更新日:

情報の一人歩き

この間新聞で興味深い記事を見た。ある記者が、不特定の人を 6 人あげて、それぞれを A さん、B さん、C さん、D さん、E さん、F さんと称して、 A さんはこれをした、B さんはあれをした、という流れで F さんまであれこれを述べていった。 あるとき、この文脈が切り取られ 「F さんがした行為がこうだった」という記事だけが一人歩きした。 それに加え、F さんの実名を探す動きまで出始めたというのだ。そして、F さんはイニシャルと考えられてしまったという。 日本では、F であらわされる人たちは「ふ」で始まる人に限られる(そもそも訓令式では F は使わないはずだが)。そんなありもしないことが起こった。

情報の不確実さ

情報には確実さ(不確実さ)が伴う。そのなかで判断しなければならないことがあるとき、 選択肢が与えられているなかで、ありうる可能性が最も高いものを選ぶものは素直でありまた合理的であるといえるだろう。 もっともらしさが一番高い場面を選ぶという、ある意味で当たり前の方法を最尤法という。もっともらしさ(尤もらしさ)を likelihood と英語ではよぶ。

こんな事例を考えよう。あるシステムをリリースが予定されている。この責任者は、 リスクも不確実性もあるのでリリース時期には複数の選択肢があることまでわかっている。たとえば次のようなことだったとする。 <リリースできるのが3か月先である可能性が 20 % 、 4か月先が 30 % 、5か月先が 20 % 、6か月先が 10 % 、7か月以上先が20% >。この場合、尤もらしいのは4か月先である。 さて、この責任者が上層部から「いったいいつリリースできるのか」と聞かれたとしよう。 <>内のことばをそのまま出せば「説明が長い!いったいいつになったらできるんだ、一言で言え!」と責めるだろう。 責任者が恐れをなして最尤法に基づいて<4か月先です>といったとする。 しかしこのシステムリリースは5か月先になる可能性が 50 % ある。そしてこの可能性はすべて聞かなかったことにされるのだ。 そして4か月後、リリースできなかったらどうなるか。責任者は責められるだけだ。<おまえは4か月先にリリースできるといったではないか。 なぜできないんだ!>。責任者は、4か月先にリリースできるといってはいない。経営者に言わされただけである。 経営者は自分の無能を隠して、あるいは気付かずに責任者に転嫁しているだけである。

ことばの問題

こんなときに論理学の話を出すのはおかしいだろうが、ことばの真偽を判断する筋道に論理学がある。初歩的な論理は命題論理であり、 その先にあって多少難しいが役に立つのは述語論理である。そして世の中への適用として実務に近いのが様相論理であったり時制論理であったりする。 しかし、私たちの世界は述語論理どころか、命題論理でさえ使いこなせず、誤解したり無理難題をひっかけたりするのである。 まあ、こんなことは論理のせいだけではない。というより論理以外のところで決まっていることが多い。

なぐさめのことば

論理が通用しない相手にどうするか。私はピーターの法則を思い出す。日本語で書くとはばかられるので、エスペラントで記す。ちなみに私は、 ヒラ社員である。

Popoloj en hierakio inklinas promociiĝi al sia "nivelo de malkapablo".

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MARUYAMA Satosi