属人的で悪いのか |
作成日:2000-07-01 最終更新日: |
こんな話を聞いた。 ある企業が第三者の品質監査を受けることになった。 経営者以下幹部が審査員を待っているが、所定の時刻になっても審査員は現れない。 幹部の一人が職場に戻ると書き置きがあり、 電車の事故により20分ほど遅れる、ということだった。 これを聞いて、経営者がまくしたてた。
「事故があったあとの処置が最近まずい。だいたい今の運転士は技量が落ちている。 マニュアル通りにしか運転できず、自らの判断ができなくなった。 マニュアルなんて要らない。 信号だけを頼りに運転すればいいんだ。」
その後無事審査員が到着した、監査が行われた。 経営者に対して審査員がインタビューをしている。 審査員は経営者に 「では、経営者が部門に対してレビューしている証拠を見せて下さい」と言った。 経営者は自慢げに一枚の紙を示した。
「これは、ある個人しか保有していない知識やノウハウを、 開発者全員に共有化するための計画です。 担当者がマニュアル化が計画通りに進んでいない、 というので、もっとマニュアル化を進める手段をいろいろ考えよ、 と担当者に私から指示しました。」
私は最初、この話を皮肉っぽく紹介しようと思った。 事実、そのように受け取られる向きがあるかもしれない。 しかし、この下書きを自分で見直してみて、皮肉でも何でもないことが分かった。
この話は次の2点にまとめられる。
この2点は何ら矛盾しない。 少なくとも、工業化社会にとっては、両者は必然の進展だった。
ソフトウェアの世界は、家内手工業の世界に未だ留まっているという。 またプログラマの底辺のレベルは著しく低い。 コンピュータ業界に詳しい藤原博文さんは、次のように言っている。
(前略) 私が驚いたのは、そんな会社に、どうして仕事を出さなければならないか、ということであった。 もっとレベルの高い会社、もっと正確には、 その会社の技術者より有能な技術者はどこにでも存在する筈なのだ。 町を歩いている女の子をつかまえて、ちょっと教育しただけでも、 もっと良いプログラムができると思われる程である。(後略)
私は、この一文を読んで唸った。この私はどうだろうか。
さて、この表題の答は、下層プログラマを念頭におけば、属人的などとんでもない、というだろう。 トルストイのことばをもじれば、「上手なプログラマは皆一様に上手であるが、 下手なプログラマは皆それぞれに下手である」。 しかし、上手なプログラマの上手さも、本当のことをいえば、それぞれに上手なのだ。 そのような上手さの芽を伸ばしつつ、下手な芽をつみとる、そのような属人性が理想である。
その後、このページがあるサイトの記事で紹介されていた(2007-05-13)
その後、紹介の記事は削除された。そのため、その記事に対するリンクも削除した(2021-05-17)