リーダーの資質論

作成日:2000-08-05
最終更新日:

リーダーと経営者は違う、ということをどこかに書いた。どこに書いたか忘れたのでくり返せない。 これからつらつら考えるのは、リーダーは年上の人がなるべきものか、ということである。

アメリカでは、 若干十何歳の CEO (Chief Executive Officer, 最高執行責任者)がいるのだそうだ。 彼の事業は順調らしい。まあこれらはたまたまそのへんのテレビで聞いただけの話だから、 あまりよくわからない。 一つ気になるのは、彼は年上の部下をもっているのかどうか、ということだ。 もし部下が年上だとすると、その部下は年下の CEO に対して、 何のわだかまりももっていないのだろうか。

能力の分野が異なる系統では、統率は年の上下など関係ない。 わたしがいる合奏団では、指揮者が一番 年下である。その指揮者は系統だった音楽教育、指揮教育を受けてきており、 事実その能力は高いと皆が思っている。 だから当然のごとく指揮者の命令にしたがう。団員の中には社会的に偉い人もいるが、 偉くない人を含め、 合奏を行うという場面では社会的な偉さなど関係がないことをみな承知している。

プロジェクトではどうか。ソフトウェアの場合、 音楽とは違って直接に質の善し悪しを知覚するのは難しい。 しかし、才能のある人、教育を受けた人は質を判断できる。 また、その判断に基づいて正しい方針を出せば、 プロジェクトのメンバーは納得するはずだ。ならば、年下でもまったくかまわないではないか。

年は資質ではない。ぼんやりしていても、一生懸命集中しても年はとる。 それを承知で、あえて年で判断するのも場合によってはいい戦略だろう。 判断基準が目に見えているからだ。 もっとも、年という基準に関連して有用な基準が導き出せるだろうか。 例えば、年齢を重ねたことと、的確な指示を出せる能力との相関はどうか。 あるいは事態を冷静に判断できる能力との関連はあるか。 その相関や関連が年齢と有意であるとは私には思えない。

ではあとの資質に何が来るのだろう。私にはできないことがある。「明るさ」だ。明るいこと、 明るくふるまうことはできない。ごめんである。おまけに、私は明るい人には馴染めない。 暗い人、陰気な人に心がひかれる。 それでいてユーモアがある人なら最高だ。私にとっては、過去に二三人、職場にそういう人がいた。 重要な役職にはついているが、たぶん出世は望めそうにない人たちだ。

リーダーは明るい人がいいのだろうか。 私はそう思う。私は先の理由で失格である。 明るくふるまうことならできるかもしれないが、 三日も持たない。ただし、明るくなることは訓練で可能だとは思う。 明るくなりたいか。 うーん、人格改造セミナーを受けたこともあるが、それでも変わらなかった。 たぶん明るくなりたくないのだろう。

今(2000年7月以降)、本務とは別に、あるプロジェクトに参加している。 とりまとめをしているのは、 明るく、タフな方だ。この方に私は従っている。 私より年下だ。レビューで私がある資料を出す。 意見を出すのは、この方や別の年下のその道のプロである人だ。 私は彼等に教えを乞うている。 わだかまりもある。しかし、技術の前ではわだかまりも霞む。

さらに年を経て(2001年 11 月以降)、 今度は別のプロジェクトに足を半分突っ込んでいる。 こちらもプロジェクトリーダーは私より若い人で、優秀である。

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MARUYAMA Satosi