以前「電車について」という表題だったが、改題した。
鉄道が好きな強い理由は思いつかない。 自動車が憎くなったからその反動が鉄道に向かったからかもしれないし、 鉄道が走るあの独特のリズム感が私を誘惑したのかもしれない。 ここでいう鉄道には、電車もちろん、電気を使わないディーゼル車も含んでいる(なお、SLには乗ったことはない)。 また、鉄道だけではなく、軌道―路面電車―なども含む。 すなわち、鉄道を走る列車が好きだ。
つれあいに尋ねると、広島で電車といえば路面電車のことを指すそうである。
宮脇俊三さんはおろか、全国にゴマンといる鉄ちゃんの足下にも及ばないけれど、 少しだけ廃線は見てきたし、既に廃線となった路線に乗ったこともある。
今まで廃線を見たなかで覚えているのは、出雲市駅から出ていた大社線と、 志布志駅から分かれている2本の路線(志布志線と大隅線)であった。
今となっては廃線になった路線で、 私が乗った当時現役だったのは、倉吉から出ていた倉吉線だけであった。 終点の山守駅近辺で覚えているのは、見知らぬおばあさんから「こんにちは」と挨拶されたこと、 柿がなっているのでもいで食べたら渋かったこと(ごめんなさい)、 駅で汽車を待つ人たちの会話がロシア語に聞こえたこと、 関金駅から山守駅の間の木々がすごく濃く、長く感じたことである。
広島の可部線のうち、可部から三段峡の区間が廃線になるとの噂がある (後記 既に廃線になってしまった)。 乗るなら今のうちだろうが、ちょっと遠い。 (後記 2003年の夏、つれあいの実家を訪れたその足で、乗ってきた)。
さらにまた後記。ほかに現在廃線になった路線は倉吉線のほか次のものがある。
2002年4月3日、多少酔った帰りのこと、 合唱の練習をした場所から近い営団地下鉄のK駅でA駅までの160円切符を買い、 最寄りの東武鉄道のG駅に着いた。私はA駅からG駅までの定期券を持っているので、 2枚投入の改札機に近付き、切符と定期券を入れた。 改札機の扉は開き素直に通過した。その後、定期券を取り忘れたことに気付き、 慌てて改札を見ると、定期が出ていた。取ろうと思って改札機に戻って近付いたところ、 あろうことか定期券は改札機に吸収されてしまっていた。 駅員に定期券を返してくれと頼みに行くと、駅員が調べていうには、 「そのような切符や定期券が入った記録がありません。」なんということだ。 4次元に切符と定期券が吸い込まれたのか。そんなばかな。 結局定期は出てこない。
私が乗ってきた列車が、ダイヤ改正でなくなった。寂しいが、これも世の流れとして受け止めよう。 といっても、これから挙げる列車が引退した時期はまちまちである。時期の特定は他のWEBページを見られたい。 ちなみに私はそんなに「乗り鉄」ではない。(以下は 2010-03-13 記載)
私が乗った、唯一のブルートレインである。1990年より少し前だと思う。 私が学生時代、卒業研究を一緒に行った相棒から、結婚するという知らせを受けた。 場所は富山県の高岡市という。どうやって行こうか考えて、寝台車がある「北陸」にしようと決めた。 寝台車のベッドは覚悟したよりは広かったが、くつろげるほどではなかった。 入善駅あたりでぼんやりと外を眺めた記憶がある。
夜行だから朝は早く着く。高岡駅から氷見線の始発に乗り、氷見駅でぶらぶらした。 そのあと高岡駅に戻り、路面電車に乗って(ひょっとして歩いたかもしれない)式場に到着した。
式は厳かな中にも和気藹々とした雰囲気で進められた。列席者の中には私の恩師もいらっしゃり、 新郎を称えるスピーチをしていた。俺も何かしゃべったような気がするが、覚えていない。
披露宴が終わり、恩師とともに高岡駅に向かった。恩師は、長岡経由で新幹線で帰るとのことだった。 まだ北越急行ほくほく線がない時代であった。 私はしばらく高岡に残り、夜行の「能登」で東京に戻った。
ところで、今考えてみると、寝台車があったのは「北陸」だけでなく、「能登」にもあった。 どちらに乗ったのか、実ははっきり思い出せない。ブルートレインである「北陸」に乗ったことにしよう。
北陸ワイド周遊券で何度も使った夜行急行であった。石川県の金沢に行ったり、珠洲に行ったりしたのはこの急行だった。 金沢の二つの川の佇まいとこの急行は今でもたまに思い出す。残念ながら、碓氷峠経由でなくなったあとのは乗っていない。
東北ワイド周遊券でお世話になった夜行急行。八甲田より遠回りで、本当に時間がかかった。
こちらもよく使った夜行急行。東北ワイド周遊券や、道南ワイド周遊券で使った。
信州ワイド周遊券とともに活用した夜行急行。信州ワイドは、長野県のほとんどに加えて、山梨県の小淵沢や清里(小海線)、 新潟県の妙高高原(信越本線)まで使えて、本当にお得だった。
こちらも信州ワイド周遊券で活用した。また、ルート周遊券があったころ、立山・黒部アルペンルートの行きにも使った。 この場合は、信濃大町駅で降りる。
九州ワイド周遊券を使い、ホテル代わりに使った。たまたま隣に座った人懐こいお兄さんから話しかけられた覚えがある。 日南のときは、門司港駅から乗った。門司港駅の玄関の落ち着き方は気品がある。
同じく九州ワイド周遊券で、ホテル代わりに使った。ちなみに、東京から九州に渡るとき、あるいはその逆は、 ほとんどは大垣夜行と鈍行列車の組み合わせだった。大垣夜行を使わず、朝一番の東京発東海道本線に乗って行ったこともあるが、 門司駅での「かいもん」か「日南」に到達するのはぎりぎりだったような覚えがある。
これら「日南」と「かいもん」を思い出す過程で、WEB で両者を調べていると、 急行列車日南は日南駅を通らないし、急行列車かいもんは開聞駅を通らない、 ということがわかり、愉快だった。
山陰の周遊券を使って鳥取や島根を旅行しようと考えていた。そのときのったがこれ。 夜行の鈍行(急行ですらない)、寝台列車がある(もちろん普通列車もある)、 路線名そのものがついている、など諸々の意味で驚きの列車。 私は京都から出雲市まで乗ったが、それより西に行けなかったのが残念だった。 なお、乗ったのは私が20歳前後のころと思われる。
上記「山陰」と同時期に乗った。急行の「白兎」である。乗り遅れそうになったので急いで走っていき、 車掌に助けられてかろうじて間に合ったことだけを覚えている。
周遊券や青春18切符で東京から西に行くときに使ったのがこれ。ほとんど唯一の手段だった。 いろいろな友達とのったが、いつも混んでいた。 「ムーンライトながら」の名称になってからは乗っていない。 「ムーンライトえちご」は乗っている。ただし、えちごの名前がまだ付いていない「ムーンライト」の時代だったかもしれない。
東京から西に行くのはほとんどが大垣夜行だったが、周遊券で急行が使えるときには稀に「東海」を使った。 その後廃止されたのは時代の流れとして淡々と受け止めたが、さらにその後特急として復活したのは驚きだった。 今、特急の「東海」も廃止されたことを知った。
まりんきょ学問所 > 部屋の中身と管理人 > 自己紹介 > 鉄道について