フォーレ:ヴェネツィアの5つの歌曲

作成日:2000-10-16
最終更新日:

1. ヴェネツィアという名について

フォーレはよく旅に出かけていたようだ。 しかし、いわゆる御当地ソングや異国趣味の曲はほとんど作っていない。 あえて挙げるとすれば前者には「バイロイトの思い出」がある。しかし、これは他愛のない曲である。 後者には「幸福のヴェール」という劇音楽がある。楽譜を見てみる限り、 かなり生の五音音階を使っている曲であり、打楽器の繊細が扱いが優れていると書いてある文献もあるのだが、 私は聞いたことがない。

ともあれ、このような行き方は好敵手のドビュッシーや弟子のラヴェルとは異なっている。 土地を意識しなかったのがフォーレの頑固さなのだろう。

ところが、フォーレの作品にしては珍しく土地の名前が付いている 「ヴェネツィアの5つの歌」(Op.58) というのがある。 彼はこの5曲を連作歌曲集として作曲した。これは初めてのことである。 以前に同じ作品番号の3曲をまとめて「ある日の詩」と名付けているが、 これをフォーレは連作歌曲集とはみなしていない。

さて、連作歌曲集というからには、その名前の由来を探らなければならないところだ。 どうやら、フォーレがヴェネツィアに滞在した時に思い付いた計画だから、ということにすぎない。 選んだ詩はヴェルレーヌのものからである。「華やかな宴」から3曲、 「無言の恋歌」から2曲が選ばれている。 それでも、この5曲を通して聞くと一まとまりの芯が通っているように聞こえるから不思議だ。 なぜそう聞こえるかというと、共通動機が使われているから、というのが答となる。 詳しくは「評伝フォーレ」の p.261 を参照されたい。 なお、このページで譜例 15 のページが 166 ページとなっているが、 正しくは 168 ページである。

2. それぞれの曲について

全曲のうち第 4 曲「クリメーヌに」は高声用で、他は中声用である。 中声用は高声用に移調された楽譜もある。ここで、中声用と高声用の調性を比較する。

曲名 中声用 高声用
マンドリン ト長調 変イ長調
ひそやかに 変ホ長調 嬰ヘ長調
グリーン 変ト長調 変イ長調
ひそやかに ホ短調
そはやるせなき 変ニ長調 変ホ長調

2-1 マンドリン

フォーレにはあまりない軽い曲。 飛び跳ねるピアノの上を、 歌が優しく滑っていく(上の譜例参照)。 冒頭2小節はピアノの序奏で、右手の高音部が歌の旋律を予告している (赤印に注意)。 コードネームを併記しているが、この4小節はごく普通の進行である。 1小節の中では拍ごとに、I-I-VI-I (T-T-S-T) の繰り返しだからだ。 もっとも、このような古典音楽にジャズ・フォーク系のコードネームを使うことはほとんどないから、 異様には見えるだろう。

その後2小節を経て、歌の部分がヴォカリーズになるところ、つまり、同じ母音のまま、 演歌のように旋律のみを歌うところでいきなりロ長調に転調する。 そのすぐあとにピアノは歌を模倣するようでいて、 10 小節の第2拍裏の重嬰ハ音という全音音階を思わせる動きに変えているが、 11 小節は、すぐにまた G に解決する 10 小節の第4拍は B のコードだが、 次が G に解決するからといって D7 の代理コードかというとそうではない。 フォーレのよくわからないところだ。ただ、この松葉のデクレッシェンドはきちんと守って、 音楽的に解決することを示唆すべきだろう。

まだまだ分析すべきところは多くあるが、まずはここまでとする。 さて、ドビュッシーに同名曲がある。こちらもいいのだが (実際アルルカンの雰囲気が感じられるのはドビュッシーのほう)、 心の襞を綿棒でいじられて、こちらがこそばゆくなってしまうのはやはりフォーレの曲である。

2-2 ひそやかに

前の曲とは打って変わって静かで、おだやかで柔らかなアルペジオが心地よい。 このアルペジオは、後のピアノ五重奏曲第1番 Op.89 の冒頭と似ている。 低音はすべて変ホ音で和声は「ひそやかに」変わっている。

第2節の、詠嘆調のメロディーに参ってしまう。ここは第5曲の 32 小節からも回想される。

2-3 グリーン

Voici des fluits, des fleurs, (ここに果実、花)と始まると、 なぜかフランス語講座みたいだな、 と思いつつ、歌に引き込まれていってしまう。

伴奏の dolce の部分で一息つく。ここも第5曲で回想される。

終わり近く、27小節第3拍でピアノが転調し、 28小節で歌が3連符となる。この、 和声の転調とリズムの割り付けの転換があいまって、 いいんだなあ。

2-4 クリメーヌに

舟歌のように軽く流れるこの第4曲は、 今までの暖かく熱の籠った曲想を醒ます役割を帯びている。

2-5 そはやるせなき

原調が変ニ長調で下降4度の冒頭部があること、途中のアルペジオの上行形があること、 こんなことから、 同じ調のピアノ曲である夜想曲第6番を思い出す人が多いのではないか。

途中で、あの「ひそやかに」の詠嘆が、

そして「グリーン」の断片旋律が回想される。 (2004-04-15)

なお、高声用の楽譜には誤植があるので注意してほしい。 アメル版、全音版とも、30 小節、右手第 3 拍の最後は G ではなく Ges である。 これは、 歌の第3拍裏が Ges であること、原調の楽譜で対応する箇所が Fes になっていることから妥当であると思われる。

3. 演奏について

マリリン・シュミーゲの歌を聴く。声の高さゆえか、質のゆえか、色気があまり感じられない。 特に第2曲「ひそやかに」、第3曲「グリーン」で頂点に達する官能性が薄い。 私はいつもこの2曲の頂点で身悶えするほどなのだけれど、残念ながらこの演奏では 身悶えできなかった。ピアノ伴奏も、第3曲ではただ単に音を置いているだけに聞こえる。 声質そのものは私もいいと思うのだけれど、いくつかの部分で発声までに時間がかかる。 これが私が慣れない原因なのだろうかと考える。また、稀に音が多少ずれているところがあったり、 定まり切らない前に次の節に行ってしまうしまうところがあるので残念だ。

ジェラール・スゼーの若き日の歌唱を聴く。壮年時に比べて、 わりあい表に出てくる声である。声自身の美しさも何よりだが、 感情の起伏がよくわかり、安心して聞ける(2004-04-15)。

足立さつき(ソプラノ)、斎藤雅広(ピアノ)は、「マンドリン」の録音がある。 声は多少ずり上げぎみのところがあるが、軽く、美しい。なお、ドビュッシーの「マンドリン」も同じ音盤に録音がある(2009-06-05)。

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MARUYAMA Satosi