フォーレ:ピアノと弦のための四重奏曲第2番 ト短調 Op.45

作成日 : 1998-11-04
最終更新日 :

1. ピアノと弦のための四重奏曲第2番ト短調 Op.45

以下ここではピアノと弦のための四重奏曲第2番ト短調 Op.45を解説する。 第1番の解説はリンク先をどうぞ。また両者共通の話題については、 ピアノと弦のための四重奏曲参照のこと。

第1楽章

第2番の第1楽章も第1番と同様、実に堂々としている。第1番と違うのはピアノのアルペジオが前面に出ていることだ。 譜例は冒頭である。

「アルペジオ、それはフォーレの顔である」ということばが正しいとするなら、まぎれもなくこの出だしは一方の、険しい相貌をしたフォーレの顔だろう。 そしてもう一方には、柔和な顔つきのピアノ五重奏曲第1番の第1楽章の開始部が来るに違いない。

構成はそれほど第1番のそれと変わりない。はにかんだような終結部が印象的である。

第2楽章

第2楽章には強烈な推進力がみなぎっている。この推進力は主にピアノによって生み出される。 弦はあるときは独立してうたい、あるときはピアノにからみ、休まる暇がない。 譜例は11小節から、上段は弦のピチカート、中段と下段がピアノである。

第3楽章

第3楽章はゆったりしている。フォーレにしては珍しく、曲の背景にあるものを自分から明らかにしている。 それは、幼年時代に聞こえてきた教会の鐘の音だそうである。

私にとって、フォーレの全作品の中で最もわからない音楽が、 ピアノ四重奏曲第2番の第3楽章だった。 それがなぜなのか、ずっと疑問に思ってきた。 後に、第3楽章を初めて楽譜と突き合わせて聴いてみた。 昔から感じていた違和感の原因がわかった。 この第3楽章はピアノの独奏で始まる。 三声からなり、上下の二声は半拍ずれながらEsとGを繰り返す。中声は B-C-D-C の繰り返しで、 これはどう聞いても2拍子系の音楽である。しかし、フォーレの楽譜には 9/8 拍子と書いてあるのだ。 もう一つ、耳で聞いただけでは三声には聞こえず、二声に聞こえてしまう。

以上述べたことを楽譜を交えて考えてみる。次がその楽譜である。 この楽譜を、楽譜もどきの代替表に書き直してみよう。 -は左の音と同じ(左の音が伸ばされた)音を、|は休符を、太字はオクターブ低い音を表す。

|Es-G-Es-G-
BCDCBCDC
Es-G-Es-G-

次が私が聞こえる2拍子の譜面である。

GEsDGGEsDG
EsCGCEsCGC

私が聞こえるほうの高声でGと書いたのは間違いではない。 出ているB音を3度低いG音と思い込んでいたのだ。

この楽章の後のほうに、中声部を弦楽器で弾く個所がある。 ここを気にしたあとで再度第三楽章の冒頭に戻って聞いてみる、 ということを繰り返せば、多少は違和感が解消されるかもしれない。

このフレーズは曖昧模糊としていて、どこがメロディーでどこが和声なのだかわからない。 このような、メロディーと和声とリズムが不即不離であるような対象を、 とりあえずテクスチャーとよぶことにしよう。日本語だと布の織目に相当する単語で、 「綾」とよぶのがいいのかもしれない。この綾の正体のうち、リズムについては先に書いた。 メロディーについても、3声で書いてあるところが2声に聞こえるトリックがおもしろい。 フォーレ自身の記した鐘の話を敷衍していいかげんな話を作ると、 下の音が鐘の本体で、上の音がこだま、中声部は鐘のなかのうなりとなるだろう。 和声についてもいいかげんなことを書く。ト短調がこの楽章の主調であることを前提とすれば、 第2小節の最後8拍目で解決している。 それまでは、2拍単位で下属調と主調をくり返すが、 途中の主調は中声部の C の音のために完全には解決できず、和声として宙に浮いているように聞こえる。 この不安定感がフォーレの意図したところだろう。

この解決のあとピアノはト短調のわかりやすいアルペジオで終わるとともに、 ヴィオラが何の変哲もないメロディーを歌う。ヴィオラが歌うメロディーには " dolce, expressivo, senza rigor " という指図がある。 rigor は英語にもあることばで、「かたい」とか「厳密な」、「正確な」という意味がある。 senza は「…なしに」だから、dolce と同じ意味にもなるだろう。 もう少し踏み込めば、茫漠としたさまを暗示しているともとれる。 なんといってもこの部分は他の伴奏がない、ヴィオラの裸の部分である。 そんなふうに考えると、この楽章がよくわからないのはフォーレ自身の意図なのであろう。

さて、この楽章に出てくるこの節はどのようにくり返し出てくるのだろうか。

小節数形態備考
1ピアノ9/8 拍子
6ピアノ9/8 拍子
16ピアノ
18ピアノ
40
42
44逆行形
46逆行形
74ピアノ16 分音符
76ピアノ16 分音符
96ピアノ逆行形
98ピアノ逆行形

註:弦で奏されるメロディーのうち、 ヴァイオリンは arco (弓)で、ヴィオラとチェロはピチカートで弾かれる

これからわかることは、この綾は2回単位であらわれること、 少しずつ変化が付け加わっていることである。その変化の方向性に意味付けができればいいのだが、 まだそれはわからない。

第4楽章

終楽章には勢いがあり、力が横溢している。譜例は冒頭の10小節である。

フォーレにはこういう性格の曲はけっこうあり、 とくに大規模室内楽の終楽章に集中しているようだ。

2. 極私的感想

ピアノ四重奏曲の第2番はかなり以前から聞いていた。 しかしこの曲がいいのかわるいのか、何度聞いてもわからなかった。 実は今でもわからない。 特に第3楽章がもやもやしていて、感触がつかめない。疑問に思っていたことは、 先に書いた通りである。

この曲の実演を聞いたのはただ一度、それも第1楽章だけである。 学生時代、学部の腕達者が集まって弾いたのを聞いたのである。 特にピアノの人は鬼のようにうまく、びっくりしてしまった。

3. 演奏について

ドーマス

ドーマスの演奏(第1番、第2番、hyperion)は奔放ではなく、まとまりを重視している。 また、ピアノは前に出ず、 弦の厚みで勝負している。テンポも正確でかつ味がある。ポルタメントがところどころ顔を出すが、 嫌みではない。 気になるのは、第2番のスケルツォでピアノがかなりの個所オクターブを省略しているところである。 この省略によってピアノの厚みや迫力が削がれているのではないだろうか。

ロンドン・シューベルトアンサンブル

ロンドン・シューベルトアンサンブルの演奏(第1番、第2番、ASV )は、極端に走ることがない。 少なくとも急ぐことはなく、必要なところで息を少し長くとるのが特徴だ。 多少ヴァイオリンの高音部が細い気がするが、問題にはならない。 音の濁りを少なくしている工夫がなされ(第2番第1楽章冒頭および再現のピアノのペダリングなど)、 さわやかに、あるいは乾いて聞こえる。これがときとして淡白さ、 ひいては音楽の表現のつまらなさにつながってしまわないかと、 聞きながら私は一瞬思った。しかし、そんなことはフォーレの音楽にはあっては困る。 楽譜にあるものを出していること、楽譜にあるものを超える解釈や音づくりを抑えていること、 このような音楽もまたいいものだとしみじみ思う。

パスカル・ロジェ、イザイ四重奏団

パスカル・ロジェ+イザイ四重奏団(第1番 LONDON、第2番 DECCA )の演奏は、ピアノが主体だ。 第1番では、終楽章が冴えている。叙情的な節回しより、力強い表現に特徴がある。 第2番に関していえば、 響きが十分表現されているのはいいが、多少残響が勝ち過ぎているかもしれない。 また、ピアノも低音の必要な一撃が抜けていたり弱くなったりしているのは惜しい。 全体に色気のある謡回しに溢れた現代的演奏といえる。(2005-03-08,第1番を聞いたのでこの項追加)

ジャン・フィリップ=コラール

ジャン・フィリップ=コラールのピアノを中心とする全集(EMI)は、 第2番の弦はパレナン四重奏団団員による演奏である。

第1楽章は、緊張力が高いがそれほど速くはない。速いばかりが 能ではないということだろう。第2楽章はしめり具合と乾き具合がほどよくまざりあっていて、 気持ちがいい。第3楽章は楽曲そのものがよくわからないのでなんとも言えない。 私にわかることは、わからないということは謎めいていることであること、 この演奏は謎を明かそうなどと向きになっていないことぐらいである。 第4楽章は、第3楽章同様私にはわからない。いろいろな素材が出てくるようで、 その実それぞれの主題の変奏ではないかと思っていいのかわからないからだ。 そして、そのようなモザイクの断片をいろいろと組み合わせた万華鏡のような曲であると思えば、 ひょっとしたらこの終楽章の面白さもわかるのではないかと思う。 この演奏を聴くと、それぞれの動機の表情の付け方がうまいことがわかる。

エイムズ ( Ames ) ピアノ四重奏団

エイムズピアノ四重奏団の演奏(第1番、第2番、BRILIANT)は、端正な中にもしっとりとした情感が漂っていて、 フォーレの魅力を余すところなく伝えている。常設のピアノ四重奏団は珍しいが、 それだけにバランスのとれた音づくりが完成の域に達しているということなのかもしれない。

ジャン・ユボー(p)、ヴィア・ノヴァ四重奏団

ジャン・ユボーのピアノとヴィア・ノヴァ四重奏団による演奏(ERATO)は、昔からの演奏として親しまれている。 第2番も第1番と同じく、最近の録音を聞いた耳には一本調子に聞こえる個所もある。 しかし別の意味では、色づけをしない清潔さが際立つ演奏であるともいえる。 そして、フォーレの室内楽は、無色透明に近い解釈による演奏であっても立派な音楽として通用する。 ユボーらの演奏は、そう思わせてくれる力がある。(この項2004-10-29)

エマニュエル・アックス/ アイザック・スターン/ ジェーム・ラレード/ ヨーヨー・マ

レーベルはSony Classicalである。第1番、第2番とも、乾いて透き通った部分と、潤いのあるなめらかな部分が際立った対比を示してすばらしい (2014-03-18) 。

クングスバッカ・ピアノ三重奏団、フィリップス・デュークス (Va)

NAXOS 。第 2 番の冒頭のピアノの硬質な響きは聞きごたえがある (2018-09-23)。

ル・サージュ(p)、樫本大進(vn)、ベルトー(va)、サルク(vc)

ALPHA_CLASSICS。 現代的な響きがする。自然な音楽の流れの中にもメリハリがついている(2019-07-21)。

ルノー・カプソン(Vn)、ジェラール・コセ(Va)、ゴーティエ・カプソ第4楽章ン(Vc)、ミシェル・ダルベルト(Pf)

第 1 番と同じで、落ち着いたテンポで音を大事にする姿勢がわかる。第3楽章の余韻はなかなかだ。ただ、第4楽章は力みが見られる。

ジャック・ティボー(Vn)、モーリス・ヴュー(Va)、ピエール・フルニエ(Vc)、マルグリット・ロン(Pf)

いかんせん録音が古く、どうも暴走気味でなかなかいつも聴けるものではない。ティボーの懐かしいヴァイオリンを聴くためのものだろう。

未所持でまだ聞いていない盤

まりんきょ学問所フォーレの部屋 > ピアノと弦のための四重奏曲第2番


MARUYAMA Satosi