フォーレの弟子たち

作成日:2000-05-22
最終更新日:

1. 教育者フォーレ

フォーレは教育者としても優れていた。 なかでもラヴェルはフォーレの弟子のなかで最も有名な作曲家だろう。 その他にも、多くの作曲家、演奏家が彼のもとで学んでいる。 かいつまんで紹介することにしよう。

2. モーリス・ラヴェル

前に紹介したように、ラヴェルはフォーレの弟子のなかで飛び抜けて有名である。 ある本によれば、フォーレと彼の師匠であるサン・サーンスの関係は、ラヴェルとフォーレの関係と似ている、 ということだ。

若い才能は、多くの場合年老いた芸術家を狼狽させる。ラヴェルの若い才能はその例にぴったりあてはまる。 ラヴェルはローマ大賞という(今でもある)作曲コンクールに何度も応募したが、ついに優勝できなかった。 最後の応募時には、本選にさえ漏れたという。フォーレは弟子のラヴェルの肩をもって、選考委員会に抗議した。

ラヴェルの出世作「水の戯れ」を献呈されたフォーレは、この曲が大のお気に入りの作品となったのだった。 一方で、ラヴェルの歌曲「博物誌」を聞いたフォーレは、 「こういうものを音楽にするのは好まないね」と言った。寛大なフォーレでも新しい書法に戸惑ったのだろう。

そういえば、似たことがあった。フォーレの代表作「優しい歌」を聞いたサン・サーンスは 「ついにフォーレも気が違ったか」と言ったと伝えられる。

閑話休題、ラヴェルには二人の師匠がいる。一人はフォーレ、もう一人はアンドレ・ジュダルジュという作曲家である。 ラヴェル自身がいうことには、ジュダルジュからは技術を、フォーレから人間的なものについて学んだという。 ラヴェルの最初のオーケストレーションは、 上から下までの声部を単純に高音楽器から低音楽器に割り付けるというものであったらしい。 それからすると、魔術のごときオーケストレーションを生み出すもとになったのは、 フォーレの教育ではなくジュダルジュの教育によるものだろう。 しかし、それだけでは大作曲家ラヴェルが誕生しただろうか。 安直な結論だが、どちらの師も彼にとって必要だった、ということだろう。

なお、師フォーレの記念に「フォーレの名による子守唄」というのをラヴェルは書いているが、実はわたしは これよりも「ハイドンの名によるメヌエット」のほうが好きだ。

3. ジョルジュ・エネスコ

ヴァイオリニストのイメージが濃いエネスコ(ジョルジェ・エネスクという発音が近い)だが、 実際は作曲家としての活動が主で、演奏活動が従だったらしい。 そこが他のヴァイオリニスト兼作曲家と違うところだろう。 作品としてよく演奏されるのはオーケストラのための「ルーマニア狂詩曲」である。 彼の後期の作である「ヴァイオリンソナタ第3番」では、 超絶技巧とは一線を画した、ヴァイオリンのさまざまな表現の可能性を見せてくれる。

4. アルテュール・オネゲル

ベートーヴェン的なにおいの濃い作曲家だ。 フォーレの数多い弟子のうち、 年下でもっとも買っていたのがこのオネゲルだという。 オネゲルの作品は「機関車パシフィック231」があまりにも有名。 ピアノ曲では「トッカータと変奏」がある。

5. フローラン・シュミット

名前からわかる通り、ドイツ系である。 彼のピアノ曲のうち、「幻影」(op. 70)の2曲を聴いたことがある。非常に骨太で、フォーレの影響を垣間見ることはできなかった。

6. シャルル・ケクラン

シャルル・ケクランは、作曲家としてよりむしろ現在はフォーレの伝記作者として有名である。 彼のピアノのための前奏曲集をいくつか聴いた限りでは、細い糸を組合わせて作ったモビールのような趣がある。

7. ルイ・オーベール

いくつかの分野にすぐれた作品を残した、と辞典には書いてある。 私が聴いた歌曲は、佳品ではあるがさらに突き抜ける力が足りない、という印象をもった。

8. ナディア・ブーランジェ

ナディア・ブーランジェは、音楽教師として有名。妹のリリ・ブーランジェとともに、 パリ音楽院でフォーレに師事した。(2009-01-17 追記)

9. ジャン・ロジェ=デュカス

作曲家のジャン・ロジェ=デュカス(ポール・デュカスとの縁戚関係はない)は、 ラヴェルと同じくフォーレとジェダルジュに師事した。

10. エミール・ヴュイエルモーズ

エミール・ヴュイエルモーズは、作曲者としてより伝記作者、音楽評論として有名である。 ヴュイエルモーズは、 ブザンソン国際青年指揮者コンクールの創設者でもある。

11. ジャン・ユレ

ジャン・ユレ(Jean Huré)はフランスの作曲家。教会のオルガニストも歴任した。室内楽、ピアノ作品がある。 (2012-05-27)

12. ポール・ラドミロー

フォーレの高弟として有名であったが、生涯をつつましく過ごした。 (2012-05-27)

13. アルフレッド・カゼッラ

アルフレッド・カゼッラ(Alfred Casella)はイタリアの作曲家。 パリ音楽院に入学し、作曲をフォーレに師事した。明快な作風で知られる。 カゼッラが偉いのは、私の好きなもう一人の作曲家、ドメニコ・スカルラッティを敬愛したことだ。 スカルラッティアーナという、 スカルラッティのソナタを編曲したオーケストラ曲(Op.44)を残している。 (2012-05-27)

14. ラウル・ラパラ

スペインの作曲家。パリ音楽院でフォーレのほか、マスネ、ジェダルジュに師事した。 (2012-05-27)

15. アンリ・フェブリエ

フランスの作曲家。ピアニストのジャック・フェブリエの実父。歌曲、室内楽、ピアノ曲を残したが、 計6作のオペラがよく知られている。 ヴュイエルモーズは、温かい抒情味ということばで彼の作品を評している。 (2012-05-27)

16. ジュール・マズリエ

ジュール・マズリエ(Jules Mazellier)はフランスの作曲家。 1909 年にローマ大賞を受ける。劇音楽、室内楽、歌曲、ピアノ独奏曲がある。 指揮者としても活躍した。 (2012-05-27)

17. その他

彼に師事してはいなかったが、ダリウス・ミヨーは、フォーレの音楽を高く買っていたという。 また、アメリカの作曲家、アーロン・コープランドは、若いころフォーレに関する論文を出している。

18. そして孫弟子たち

後進への指導という面で最も影響力が大きかったのは、今まで挙げた中ではナディア・ブーランジェであろう。 アメリカの音楽活動が盛んになったのはひとえにナディアのおかげといってよい。 アーロン・コープランドは有名な門人である。そのほか、ラルフ・カークパトリック(音楽学者、チェンバリスト)、 クリフォード・カーゾン(ピアニスト)、ケネス・ギルバート(音楽学者)、フィリップ・グラス(作曲家)、 ヘンリク・シェリング(ヴァイオリニスト)、レナード・バーンスタイン(指揮者、ピアニスト)、 キース・ジャレット(ピアニスト)、アストル・ピアソラ(作曲家、バンドネオン奏者)、矢代秋雄(作曲家)、 ほかにも数えきれないほどだ。

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MARUYAMA Satosi