ハルプライヒ論文-ヴァイオリンソナタ第1番イ長調 Op.13

作成日 : 2011-05-03
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フォーレの息子のフィリップ・フォーレ= フレミエによって出版された私的書簡集は, 私たちに<五重奏曲第1番>以降の主要作品の成立について きわめて微細な点にわたって教えてくれるが, それ以前の作品の生れた状況については, かなり暖昧な憶測を余儀なくされる。 1874年の2月にコロンヌ劇場で最初の, そして唯一の演奏が行われたあとで撤回され, おそらくは破棄された<管弦楽組曲>を除けば, 30才の音楽家が純粋音楽の領域に初めてふみこんだ成果であり, かつ歌曲の魅惑的な領域の外への最初の脱出である <イ長調ソナタ>についても,事情は同様である。 このソナタは,その大部分が1875年の夏に作られた。 そのときフォーレは, サント・アドレスにある友人のクレール夫妻の家に滞在していた。 曲の完成したのは1876年の初めである。 もっとも幸せな時代, フォーレが近い将来結婚できるものと期待していたマリアンヌ・ ヴイアルドとの牧歌的な恋愛の時期であるが, 結局結婚できなかったことは周知の通りである。 この作品は幸福感を反映している。そして, フォーレの10曲の室内楽作品のなかで,主調が長調なのは この曲だけであるが,これは注目するに足る事実である。

 今日,非常に愛好されているこのソナタが,無視され, あるいは否定的に扱われたということは,いささか信じがたい。 ヴィエルモーズの言葉を引用すれば, 「1876 年の音楽愛好者が,これほどの新鮮さ,軽やかさ,しみじみとした情熱, 躍動する生命,聴覚の悦楽に心を奪われなかったということは, これほど魅力的な傑作の価値を理解しえなかったということは,こんにち解しがたいことである。」 当初はカミーユ・サン=サーンスがこの曲を弁謹したほとんど唯一の人だった。 彼は1877年5月22日の<ジュルナル・ドゥ・ラ・ミュジーク>紙に次のように書いている, 「これは新しい,そしておそらくはもっとも怖るべきチャンピオンの作品である。 なぜなら,彼は,深い音楽的な知識に非常に豊かな旋律, そしてもっとも抵抗しがたい力ともいうべき一種無意識の素朴さとを結びつけているからだ。 このソナタのなかには,形式の新しさ,転調の探究,興味ある響き, 思いがけないリズム使用といった,あらゆる魅力的な要素が見出される。 それらすべてにもまして, 作品全体を包みこむ魅力があり, 思いがけぬ大胆さを,まるで自然なことのように, 一般の聴衆に受け入れさせてしまうのだ。」

これは非常に洞察力に富んだ評価であり, 短い言菜でフォーレの才能の核心をついているが, 「一般の聴衆」はおろか, 楽譜出版者にも通用しなかった。このソナタを出版しようとする者が誰もいなかったので, フォーレは結局ドイツのプライトコップフ・ウント・ヘルテル社からそれを出版したが, 経済的にはなんの利益にもならなかった。公けの初演は, 1878年7月5日, 万国博覧会の催物のひとつとして, トロカデロの室内楽演奏会で行われた。ヴァイオリンはモーラン, ピアノは作曲者自身だったが, 大きな反響は呼びおこさなかった。ポール・ヴィアルド(ポリーヌの息子, マリアンヌの兄弟)に献呈されたこのソナタは, そののち, 周知のように輝かしい名声を獲得した。 セザール・フランクの有名なソナタ(同じ調で書かれている) より10年前に響かれたこの曲は, この時代のフランスの音楽生活の水準からみれば, あきらかに現れるのがあまりにも早すぎたのである。

 この輝かしい情熱的な曲のなかに, すでにフォーレのすべてがある。奇妙な対照を示す影響があきらかに見うけられはするが- シューマンとそのロマンティックな情熱がサン=サーンスと共存しているのである。 フォーレはサン=サーンスの形式の幻惑的な優雅さを, 頬笑みによって柔げ, 明るさを加えている。

〔第1楽章〕アレグロ・モルト(イ長調)

たぎるような激しい情熱と熱烈で直截的な表現をもった,フォーレのなかでは,もっともシューマン的な曲である。 ピアノ独奏による,特徴的なシンコペーションを伴った第1主題(譜例1)の呈示からその特徴が現れている。 曲は次第に嬰ハ短調へと向うが,旋律的な対主題によってヴァイオリンが登場すると主調が恢復する。 非常に歌謡的な第2主題(譜例2)は,典型的にフォーレ的な上昇する和声的反復進行によって転調し, 第1主題とのコントラストは意図されていない。 非常に簡潔な提示部の後に,ずっと大きな展開部がつづく。 それは二つの楽器のカノンによって始まり,主として第1主題を展開させている。 ヴァイオリンのスタッカートによる8分音符の速い捉えがたいリズムをもった, 素晴しい転調を見せる経過部が,フォーレのハーモニストとしての才能をすでにあきらかに示し, ついで変形された第2楽想が喜々として姿を現す。 一時の静けさののちに再現部が始まり(二つの楽器が最初の主題をオクターヴで奏する), 第1主題にもとづいた短いコーダがつづく。

譜例 1

譜例 2

 形式的シェマ=呈示部,1-99.展開部,100-267.再現部,268-384.コーダ,385-409.(数字は小節数,以下も同じ)

〔第2楽章〕アンダンテ(8分の9拍子,ニ短調)

おだやかで純粋な,優しい夢想ともいうべきこの楽章は,バルカロール(舟歌)風の揺れるようなリズムを用いている。 一部の人びとがいうように,五つの部分からなる歌謡形式というよりは, むしろソナタ形式の完全なモデルをそこに見ることが出来る。 第1主題(譜例3)が二つの楽器で対話を交す。 二つの楽器は8小節を経過したあとで,それぞれの役割を交替させる。 悲痛というよりはむしろ哀切な表情をたたえながら,第1主題は関係調ヘ長調の第2楽想(譜例4)を導く。 第2楽想の上昇する反復進行にもとづく構造とそれに由来する情感の緊張は,前の楽章の第2主題を想起させる。 最初の主題の旋律的拡大ともいえる展開部はイ短調で始まり,大胆で豊かな転調によって, 次第次第に激しさと苦悩を増して行く,情熱の動きを見せながら高まって行くが,速度の変化がそれをいっそう強調する。 再現部は第1主題(わずかに変形されている)を変ロ長調で, そしてロマンティックな情熱をたたえた第2主題をニ長調で提示する。 おだやかで瞑想的なコーダが,アリエージュ生まれのフォーレの広い地平を初めて示し出す。

譜例 3


形式的シェマ=呈示部,1-49.展開部,50-83.再現部.81‐115.コーダ.116-125.

〔第3楽章〕アレグロ・ヴイーヴォ(8分の2拍子,イ長調)

いたずらっぽい気まぐれと捉えがたいほどの敏捷さをもった,このまばゆいまでにヴィルトゥオーソ的な楽章は, エミール・ヴィエルモーズによって,「陽光の溢れる草原の上を, 追いつ追われつしながら飛び回る二匹の蝶の陶酔的なたわむれ」に比されている。 ヴァイオリンのスピッカートとピアノの飛翔するような楽句が,軽く渦巻きながら対話を交す(譜例5)。 その渦の周期の異常さが気まぐれな気分を増大させる。 これはいわゆるスケルツォであるが,三部形式を用いており, アンテルメード的な役割を果すニ長調の情熱的で抒情的な楽想を伴っている。 トリオは嬰へ短調のシューマン風の旋律(譜例6)を呈示するが, そのしなやかな4分の3拍子のリズムは,ピアノの16 分音符の連続的な動きの上に重ね合わされている。 豊かに転調されるスタッカートとピッツィカートによる軽妙な経過部が,〔譜例5〕(おそめられた)をほのめかしながら, スケルツォの再現を用意する。

譜例 5


 形式的シェマ=スケルツォ,1-132 トリオ,133-206.スケルツォ, 207-363.

〔第4楽章〕アレグロ・クワジ・ブレスト(8分の6拍子,イ長調)。

譜面上の形とテンポの指示は相反しているようにみえる。 というのも.第1主題(譜例7)は,くつろいだ,おだやかな,ほとんど無関心とでもいうべき性質をもっているからだ。 だが音楽は,著しくシンコペートされたクレッシェンドの楽句によって生気づけられ,せきとめがたい流れとなり, 嬰へ短調の第2楽想の登場を導く。 第2楽想は情熱的で,ややブラームス風の表情をもち,ヴァイオリンによってオクターヴで提示される(譜例8)。 旋律的でけだるさをたたえた,シューマン的な官能性をもった第三の楽想も聞かれる。 冒頭の主題が回帰して展開部を用意する。 展開部が第1主題から遠ざかることはない。 4分の2拍子のエピソードがリズム的な対照をみせながらヴァイオリンで(ナポリ6度の調,変ロ調で), 次いでピアノで導入される。 再現部では第1主題はハ長調で,第2主題はイ短調で呈示されるが, まったく自然にすんなりと導入されるコーダにおいて第1 主題を最後に明確に呈示するために主題を残しておくこの調性プランは,感嘆すべきものである。 この結末は,輝かしいものではあるが,街いはなく,激しさはあるが,しつこい情熱はない。 そして,それはフォーレのなかの純粋な芸術家,真の古典的なものをはっきりと示し出している。 成熟期の作品の深さや強さにはいまだ及ばないが,この<イ長調ソナタ>は, なにものに置き換ええぬ価値-若さ-によってつねに人をひきつけるだろう。 30才の芸術家によって書かれたこのソナタは,恋多き青春の息吹きで息づいているのである。

譜例 7


形式的シェマ:呈示部,1-124.展開部,125-208.再現部, 209-328.コーダ,329-377.

まりんきょ学問所フォーレの部屋ハルプライヒ論文-ヴァイオリンソナタ第1番イ長調 Op.13


MARUYAMA Satosi