ハルプライヒ論文-エピローグ

作成日:2011-05-03
最終更新日:

エピローグ

 1924年10月18日,フィリップ・フォーレ=フレミエは父親をパリに連れ帰った。 前の月から収縮性の肺炎から次第次第に恢復しているようにみえた。 しかし,恢復状態は長つづきしなかった。 この暗い日々,親しい人たちは彼の枕もとで《 四重奏曲 》を演奏し, 少なくとも一度だけでもそれを聞かせようとした。 しかしフォーレは,こう叫んで断った「駄目だ,駄目だ。 なにも聞こえないだろう,なんと怖ろしいことだ。」11月4日,午前2時,彼はおだやかに息を引き取った。 その前夜,彼は息子たちにいったのだった。

「私がこの世を去ったときに,私の作品についてこんな風にいうのを聞くだろう―結局,こんなものだったのさ! ……たぶん人びとは私の作品から離れて行くだろう。 悩む必要もないし,悲しむ必要もない。 それは宿命なのだ。 サン=サーンスの場合も,ほかの人の場合もそうだった……。 忘れられるときがあるのだ……。 そんなことは大したことではない。 出来るかぎりのことをしたのだ……。 そして, 神よ裁き給え……。」

神は,その生涯の間,美を,純粋を,調和をひたすら求め,その手で「善意の精華」を作り出した人を裁いた。
 いま,人びとが判断すべき時だ。

 ブリュッセル 1970年6月
 Harry Halbreich
●-浅沼圭司・訳

まりんきょ学問所フォーレの部屋ハルプライヒ論文-エピローグ


MARUYAMA Satosi