3.ナッシュビルへ

 起床は…何時だっただろう?生憎、とんと覚えていない。

 荷物をまとめて部屋を出たあと、朝食を取った。モーテル
というやつはまず素泊まりだが、コーヒーと朝食はサービス
してくれる所が多い。初日に泊ったモーテルも、簡単な朝食
を用意してくれていた。もっとも、部屋の人数分の食事が
用意されているわけではない。朝…多分、6時〜10時とかの
時間限定だと思うが、その時間帯だけ開いている食堂があり、
そこにセルフサービスの朝食が用意されているのだ。内容は、
ベーグルだのカップケーキだのドーナツだのコーンフレーク
だのが「持ってけ」とばかりに置いてあり、飲み物はコーヒ
ー、オレンジジュース等が自由に取ってこられるようになっ
ている。バイキング方式、といえば解り易いだろうか。初日
に何を食ったかは覚えていない…が、面倒なので焼いたりと
かしなくてもいいものにしたのは確かだ。

 朝食を済ませた後、チェックアウトして宿を出た。最初の
目的地は、刀舟のリクエスト、「ナッシュビル」だ。

マークさん「で、何を観たいですか?」
刀舟「え?えーと。そうですね。…えー。」
マークさん「…」
S吉「俺はギター買いたいんやけどな。」
マークさん「刀舟さんは?」
刀舟「え、えーと。レコード屋を見てみたいんですけど…。」

前にも言ったが、もう一度言おう。僕は何も考えちゃあいな
かったのだ。いい人のマークさん、あきれた素振りは極力
見せず、ナッシュビルの観光スポットについて紹介したサイト
をプリントアウトした紙を見せてくれた。本来、自分がやって
おくべきことなだけに、さらに肩身の狭くなる思いだった。

 とにかく。そのとき、ナッシュビルにいくらかの憧憬に似た
感情を持っているS吉(持ってるよな?)と刀舟、両者の希望
に沿った場所というとミュージック・ロウとか言うところか
ねえ?という話になり、ひとまずそこへ…ということになった
のではないかと思う。今にして思えば、せっかくナッシュビル
に1日割いたのだからもっときちんと調べておけば良かったな、
と思うと同時に、でもまあ別にぶらぶらしてるだけでも十分楽
しいしな、などと思ったりもする。…結局、自分には忙しい
旅行はムリなのだ。だらだらしないといけない。

 まあそれでも、カントリー・ミュージックの殿堂とスタジオ
Bには是非行きたい、と思った。もちろん、あらかじめ知って
いたわけではない。途中、休憩所等で漁ったパンフを読んだり
してそう考えたのだ。

 地図を見てみればわかるが、ワシントンからナッシュビルまで
には結構な距離がある。ナッシュビルに到着したのは、もう午後
の2時とか、そんな時間だったのではないだろうか。路上の
パーキングに車を停め、まずはカントリー・ミュージックの殿堂
へ。すると、何やら野外演奏場のようなものが用意され、人が
わさわさと動いている。おや、何かあるのだろうか?とにかく、
スタジオBへは何としても行かねば、などと思いながら建物の中へ。
チケットを購入して、中を見学しようと思ったのだが…。

案内のおねえさん「ごめんなさい、今日は特別な式典があって、
そのチケットがないと入られないのよ。」
刀舟一行「え?えーと、そのチケット、どこで買えますか?」
おねえさん「残念だけど、もう売切れてしまったのよ。

Please come again in future.」

この時ほど、フューチャーという言葉を遠くに感じたことは無かった。

 さて。

 しょうがないので、一旦車に戻り、宿を探すことにする。この日
の宿は…名前は忘れたが、オレンジ色の看板のモーテル。全国展開
されているホテルのチェーンだったことは間違いない。チェックイン
した後、部屋へ入ってから予備ベッド(なんと言ったかまだ思い出せ
ない)を借りる。初日はS吉だったので、この日は刀舟かマークさん
のいずれかがこれを使うことになる。

「じゃ、ジャンケンで。」

正直、どうでも良かったので見せ掛けだけの気合を入れてジャンケン
に望む。…が、数回に渡り決着がつかない。

「マークさん、ジャンケン強いのと違う?」軽く驚くS吉。学生時代、
刀舟がジャンケン自由自在だったことを思い出しての発言だろう。

勝ちたいときに勝ち、負けたいときに負ける。

一時、それが自分には可能だったのだ。不思議なことだが。

しまいには集中力のとぎれた刀舟、マークさんに敗北を喫することに
なる。とりあえず、残念がっておく。まあ、別に折りたたみベッドと
いうだけだ。床に寝るというわけではない。そう考えたのだが、部屋
に持ち込まれた予備ベッド見てから、ちょっとだけ後悔した。初日と
は比べ物にならないくらいボロだったからだ。

「初日に負けるべきであった…。」

しかし、こればかりはどんな賢者にもわからないことだ。次には良い
予備ベッドに当たるかもしれない。我慢しなければならない。

 宿が決まって一段落した後、再び街へと繰り出した。ミュージック・
ロウとかを探したはずだが、自分たちの歩き回った賑やかな通りが
それだったかどうかはよく覚えていない。無料配布のパンフを頼りに
レコード屋を探したものの、一件しか見つからなかったのは覚えている。
そして、レコードに興味のない他の面子に遠慮して、そこへ入るのは
後回しにした。

 次に、賑やかな通りからはちょっと離れたところにある…なにやら、
物々しい建物を発見。Veteran、という文字があったので、軍人関係の
何か(って何や、という問いはどうか勘弁して下さい)なのだろう。
門を潜り抜けた広場には、兵士たちの銅像がいくつかある。そして、
そのひとつにはこう刻まれていた。

朝鮮戦争:共産主義者を打ち破った戦い(控えめに訳してあります)

「…。」

ここにいてはいけない。そんな気がして、よそへ移動。

 次に訪れたのは、わけのわからない路地。そして、そこには場末の
ような雰囲気漂うライブハウスと、何かの小屋(お水なおねえさんが
沢山いそうな所。具体的に何だったかは覚えていない)があった。何
でも写真に撮るS吉がその小屋をカメラに収めていたところ、中から
お水っぽいおねえさん出現。写真を撮っていることに気づき、「きゃ、
ごめんなさい!」と明るくかつ大袈裟に慌て、小走りでどこかへ行って
しまった。いい感じだ。

 夜になってからライブが行われることを知った刀舟達、では飯でも
食って、宿で一休みしてからまた来ますか、ということにして食事を
取ることにした。このとき、何を食ったかは忘れたが、安い方から
3番目くらいの食事(5段階表示)とジンジャーエールだったのでは
ないかと思う。一番安いものは、どこも大抵ハンバーガー。そして、
これならどこも大抵美味いのだが、いつもそれではつまらない、と
思ったから別の物にしたのだ。

S吉「なに高いもの食ってんねん。俺なんか毎回安いもの探してるで。」

…五月蝿いなあ。

 何故メニューごときでからんでくるのかわからないS吉は放っておいて、
食事を取る。ジンジャーを半分くらい飲んだところで、ウェイトレスの
おねえさんがジンジャーを注ぎ足してくれた。おお、なんて気前が良い
のだろう、と思いながら、笑顔で礼を言う。おねえさんもにっこり。そし
て、コップ一杯になったジンジャーに口をつける。

「…。」
「ん?どしたん?」
「…水注がれてしもうた。」

おねえさん、このジンジャー持ってきてくれたんあんたやで!!間違わん
といてや!!

…まあ、稀にあることではある。かつて、透明無色の酒を水と間違われて
持っていかれたこともあるしなあ…。そのとき、持っていく現場は見て
いなかったので「多分そうだな」とふんだのだが、その場でその話をした
奴に「ちゃんと持っていくなってその時に言えよ」と言われて不愉快な
気持ちに…

いかん、愚痴になる。話を変えよう。

 ちょっとしたアクシデントはあったものの、食事を終えた刀舟、宿へ
一旦帰るというS吉らと別れ、先に見つけておいたレコード屋へと足を
運ぶ。店はわりと小奇麗で、通りから中がざっと見えるようになっていた。
さて、中へ入るとしよう。

「…?」

ドアが開かない。ふ、とドアに記された営業時間を見る。

「…午後6時閉店、だと…。」

早すぎるで。そう思ったが、営業時間を確認していなかったのはわが
浅慮…千慮の一失。そう自分に言い聞かせることにする。

 どうしようもないので、街の風景をカメラに収めながら、宿へと戻る
ことにする。途中、裏通りはなんだかヤバげな雰囲気が少しあったが、
特にからまれもせず無事モーテルに到着。意外に早かったと不思議そう
な二人に事の仔細を説明、ツイてないねえと身の不運を笑い飛ばす。
不注意もちょっとあるけれど。

 ライブが始まる時間まではまだあったので、部屋でテレビを見ながら
時間をつぶす一行。たまたまみていたチャンネルで、昼間入ることの
できなかった式典の模様が流れていた。僕にはカントリー音楽のことなど
何もわからないので、有名人、芸能人らしき人々が続々とその建物に
入っている様子を見ても、誰が誰なのかよくわからない。ただ、マーク
さんが「へえ、見てみたかったな」と急に興味を示したのはちょっと意外
だった。

 テレビは適当に流していたので、これ以上のことは何も覚えていない。
やがて時間が近づいてきたので、カメラのフィルムを入れ替えようと
考えた。まだ数枚残っていたので、パシャパシャと適当な写真を撮るうち、
ふと様子がおかしいことに気づいた。

「…あれ?枚数越えてるのに、止まらない…。」

もしや。不審に思って、フルムを巻き戻したところ…

スルっ!

わずか一巻きで、手ごたえが無くなった。なんと!このフィルム、ツメ
がちゃんとひっかからず、ずっと空回りをしていただけだったのだ!!

S吉「…あーあ。勿体無いことしたなあ。でもまあ、一遍はそういう
失敗もするで。」

刀舟「…いや。そのー。こう言ったら悪いけどな?」

S吉「?」

刀舟「このフィルムを入れたんは、君やで。」

S吉「?! え、うそ、俺? え?」

いや、本当

S吉「…悪いことしたなぁ。」

刀舟「いや、まあしゃあない。」

立場は逆転した。

と、いうわけで、ここ数回の記録に写真が掲載されていなかったのは別に
手抜きだったわけではないことをお解りいただけたのではないかと思う。
写真がないのだ。

 そして、夜。何時だったかはよく覚えていないが、午後に見つけておいた
ライブハウスへと向かった。ライブハウスは、なんというかいかにも…と
いう、木でできた小屋。入り口で料金を払うと、それぞれにビーズ玉でできた
首飾りのようなものを渡してくれた。お持ち帰り可だったようだが、何故か
手元には残していない。既に演奏が始まっていたかどうかはよく覚えていない
のだが、出てきたバンドは…男女混成、6〜7人のバンドだったように思う。
陽気なジャグバンド、とでも言えば想像がつくだろうか。もう楽器もどんな
だったか覚えていないのだが、適当なバケツのようなものを叩きながら客席の
合間をバンドが行進したり、演奏の合間に客席に向かって紙テープを投げ
たり小さなお手玉のようなボールを投げたりと、和気あいあいとしたステージ
だった。投げられた方はというと、笑いながらそれをまた投げ返して…いた
と思う。自分の手元にも、お手玉もどきがぽーんと放られてきた。それは
後で投げ返したと思う。なにせ、「投げて盛り上げて頂戴!」といった雰囲気
だったのだ。

 そのライブが何時に終わったのか、そもそもどのくらいの時間やったのか…
残念ながら、まるで覚えていない。しかし、ライブハウスをでたあとの夜空が
やけに澄んでいて、気持ちも軽やかだったのは覚えている。他の二人も楽しかっ
たようだ。ナッシュビルに寄ってよかった。そう思える、実に楽しい一時だった。

続く