Denali--夢幻-- その3
22Apl.〜23May.1993


ウェストリブよりカシンリッジを望む
5月5日(水) 曇り時々雪
8時半起床。
常駐しているレンジャーに天気の情報を聞きに行く。
日曜日から天候が崩れるとのこと。
ウェストバットレスですら、ブルーアイスが出ていたし、おまけに天気が続かないかもしれないということでカシンリッジへの変更を検討する。
内心は、東フォークからアプローチすれば、南壁の偵察もでき、状態が悪ければノッチを越えてカシンに向かえばいいと安易に考えた。Nジマさんは食料の整理と食事の準備を、僕は登攀具の整理をして、あとはゴロゴロしてすごす。
夜中に息苦しくて目を覚まし、外に小便にでると星がとても美しく瞬いていた。
そろそろ白夜か。オーロラは、もう無理だろうなあ。
5月6日(木) 晴
8時40分起床。
本日も休養。
コンロの整備をし、荷物をまとめてすごす。
となりのテントの住人は、オートカイトとでも言うのか、プロペラのエンジン付ハングライダーでデナリを越えるとのことでテストフライトをしていた。
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オートカイト? |
登攀具一式 |
明日カシンに向かうことにする。ガイドらしきアメリカ人からは、北東フォークからのアプローチを薦められたが、予定とおり東フォーク氷河に向かうことにする。この目でもう一度見ないとあきらめきれないから。
夕方、ハンターのケネディ・ロウルートを目指すというパーティが出発していった。がんばれよお。
5月7日(金) 晴
8時起床。
夜中に少し雪が降ったが、今日は晴れ。
11時50分に出発する。
13時45分、東フォーク氷河の出合に到着。
スキーをデポし、つぼ足で、東フォーク氷河に入るが、結構もぐる。
つぼ足では、スピードがあがらず、ヒドンクレバスも怖いので、2時間ほど登ったところで出合まで引き返す。
今日は、出合泊にして明日スキーでアプローチすることにする。
残っていた酒と重い食料を食べる。
夜中に、Nジマさんが嘔吐していた。
5月8日(土) 晴
8時半起床。
11時40分発
スキーでも全装備を担いでいくと結構もぐる。
途中ビシッという音とともに少し沈んだ。
途中、ストックのリングもなくなったりして、結局出合までもどることにする。
17時半 東フォーク氷河出合
スキーをはいてタイトロープで進んでいるのだが、ヒドンクレバスにびびってしまった。
北東フォークからアプローチするか、ウェストバットレスに転進するか・・・。
情けないけど、とりあえず北東フォーク出合を目指す。
19時10分、北東フォーク出合付近で幕営。
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幕営地よりデナリ |
幕営地よりハンター |
その夜は、いろいろ話したが、明らかに氷河を登る技術にかけていることは、確かだ。
Nジマさんは、ウェストバットレスへの転進を唱える。
今夜一晩考えることにする。
22時半ごろ就寝。
5月9日(日) 晴れ後曇り
8時30分起床
トイレに出て北東フォーク氷河の向こうにカシンリッジを眺める。
もともとアメリカンダイレクトを登るために、それなりにトレーニングをしてきたつもりである。
そんなことを考えながら、何分くらい眺めていただろう。
Nジマさんも出てきて、「カシンに言ってもいいよ」といってくれる。
10時半、登れたらスキーは捨てるつもりで、スキーで北東フォーク氷河に入る。
決めてしまえば、迷いはない。
ウェストリブに向かったパーティのトレースに助けられ、どんどん進む。
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北東フォーク氷河から出合を振り返る |
北東フォーク氷河のクレバス帯 |
15時40分クレバス帯の下にスキーをデポし、タイトロープにつぼ足で先を急ぐ。
19時15分、ウエストリブのクーロワールの取り付き手前に幕営。
Nジマさんが、軽いチェーンストーク呼吸になり、少しあせるが、暖かい紅茶をゆっくり飲ませると、落ち着く。
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ウェストリブ取り付きからカシンを望む |
ウェストリブ取り付きから北東フォーク下流方面 |
22時ごろ就寝。
5月10日(月) 晴れのちガス
8時30分起床
登山を開始してから、初めてバロメータが下がった。天気予報は、やはりあたるのか。
少し不安になる。Nジマさんが不調だったこともあり、今日は休養とカシン取り付きまでのトレースをつけることにする。
残りの食料は、5泊分+α、燃料は、6〜7日分はある。ウェストバットレスのハイキャンプまで降りればデポもある。
ウェストリブに向かうパーティのガイドのBobがNジマさんのタバコをせびりにくる。お返しとして?ごみのようなビスケットの袋をもらう。彼がラジオで得た情報によると3日ほど、天気はぐづつき、25Mileの風が吹くそうだ。
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ビスケットを大量にもらって喜ぶ私・・・ |
ウェストリブに向かう3人組 |
ともかく、明日バロメータがあがればカシンに向かい、下がれば、ウェストリブに転進することにする。
夕方より、カシンリッジ下の台地までトレースをつけにいく。
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ウェストリブ取り付き付近 |
カシンをバックに |
19時45分、帰幕。
5月11日(火) 小雪後、風雪
8時起床。
残念ながらバロメータはあがらず、行動は十分できるが、天気もいまひとつ。
もう1日待つわけには、いかないのでウェストリブに転進することにする。
11時30分発。
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クーロワールを登るNシマさん |
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鹿島の北壁程度のクーロワールを登るが、氷の上に薄く固い雪がのり、見た目よりいやらしい。
結局、スタカットで稜線まであがる。
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スノーバーは使えない・・・ |
リッジに抜け出す |
稜線の一部は、見事に蒼氷かしており、専攻パーティのFIXがある。
稜線をしばらくいくが、風雪が強くなってきたので、台地上になったところでツエルトを張る。
17時ごろ、4000m付近。
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この日の幕営地には、アメリカ国旗が・・・ |
Nジマさんが、ナイフで指を深く切ってしまう。
幸い血はすぐに止まったが、風雪に気が滅入ってくる。
夜中は、何度も雪かきにでる。
5月12日(水) 風雪
7時に起きるが、風雪のため、少し様子を見る。
9時45分起床。
まだ、風はあるが、バロメータは上がってきた。
好天の兆しか?
とにかくいけるところまで、と12時すぎに出発準備をするが、相変わらず風とガスで結局停滞することにする。
少し風の弱まった16時すぎ、隣のガイドのBobがフィックスロープを張りにいくというので、それを手伝う。
クライアントは、テントで停滞しているが・・・。
19時半、帰幕。
Bobの話では、明日が天気の変わり目で、よくなるだろうとのこと。
彼らは、3週間程度の予定で随時FIXロープを使いながら登るということで、余裕が見える。
5月13日(木) 風
8時起床。
バロメータはあがっているのだが、一晩弱い雪が続いたようだ。
相変わらず、風は強い。
Bobたちは、停滞のようだが、僕らは、10時55分出発する。
途中、ロックバットレス下のクレバスで大休止する。
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クレバスの中で、一休み |
風がさけれるのが、ありがたい。
そして、右のクーロワール上を登り、少し早いが、16時ごろシュルントでビバークする。
4400mくらいだろうか。
食料はあと2泊分+α。
明日天気がよければ、頂上を越えてハイキャンプへ。悪ければ、下降することにする。
5月14日(金) 風雪後晴れ
7時起床。
天気は、味方してくれなかった。バロメータは下がり、やはり一晩中、小雪が降り続いた。
僕らに残された選択肢は、下山しかなかった。
外は、ホワイトアウトだが、雪はやんでいた。
10時出発。
13時ごろBobたちのテントをとおりすぎ、クーロワールを懸垂とスタカットのクライムダウンで降りる。
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懸垂とスタカットを交えて下る |
ロシア製のチタンスクリューは半分程度しか入らず、側壁のピナクル、リス、半分しかはいらないスクリュー1本にタイオフしての懸垂と神経をすり減らしながらの下降となる。
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最後の懸垂でシュルントを越える |
20時すぎ、ようやくクーロワールをくだりきり、4日前のテントサイトにツエルトを張る。
途中から、無風快晴となったが、残念というより、助かった。
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何とか降りれたね。 |
コーヒー、これっきゃねえよ |
クーロワールの下降が、風雪だったなら、もっと苦労しただろうから。
5月15日(土) 晴れ
8時10分起床。見事に晴れあがった・・・。
このときばかりは、少し失敗したかなと思ったが、頂上付近は見る見るうちにレンズ雲で覆われたから、上部は、相当な風が吹いていることだろう。
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腹減った〜。 |
とっとと下りますか |
それより、トレースのなくなったクレバス帯の下降が心配だ。
11時下山開始。
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怪しい雲が |
降りて正解かな? |
苦労して、クレバス帯を突破し、14時スキーを回収する。あとは、スキーで時折転倒しつつ18時北東フォーク出合にたどりついた。
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ウエストリブ下部 |
上部には、レンズ雲が |
一泊したいところだが、今夜の食料はないので、そのままランディングポイントを目指す。
21時40分、ヘロヘロになりながら、BC到着。
ポケットに残された食料は、アメ玉数個のみだった。
とても疲れた。
デポしていた、肉とビールでお互いの無事を祝う。
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ランディングポイントからデナリ |
生きて帰れることに感謝しつつ、多くのことを語りあった。
3時ごろ就寝。
反省点の多い山行ではあったが、得るものも多くあったと思う。
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