Denali--夢幻-- 番外編
22Apl.〜23May.1993
昔なつかしいレンジャーステーション
5月16日(日) 晴れ
9時すぎ起床。
常駐しているレンジャーのエイミーにフィニッシュを伝える。
僕らの行動は、すでにしっていたようだ。ガイドチームが無線連絡していたのだろう。
今来ているセスナに乗るために、すぐにテントを撤収するように言われる。
今回の山行は、最初から最後まで慌しかった。
名残を惜しむ間もなく10時40分、フライアウト。
レンジャーのエイミーと ランディングポイントを見下ろす
入山時、凍っていた川もすでに溶けて、雪原も木々が見えている。
どんどん飛んでくるセスナを見ながら、これから本格シーズン到来のようだ。
すっかり雪も溶けて タルキートナ空港に着陸
K2のバンクハウスで久しぶりのシャワーを浴び、荷物の整理をしてすごす。
5月17日(月) 晴
9時Latitude62集合。
今日は、MACというおっさんに連れられて、釣体験ツアーだ。
引いてる引いてる 釣もまた良し?
2人とも3匹GETし、夕食に出してもらうことにする。
いったんバンクハウスに帰ると、カシンとハンターのケネディロウに向かうという、富山パーティが準備をしていた。
これから入山する彼らを少しうらやましく思う。
5月18日(火) 晴
7時起床。
マッキンレーデリで最後の朝食をとり昨日予約しておいた車でアンカレッジに向かう。
11時ごろアンカレッジの空港着。
早速、ハーツでレンタカーを借りて南は、ホーマーを目指す。
目的は、シーカヤック・・・。
国際免許は、Nシマさんしか取っていなかったので、運転はお任せだ。
1時間ほどで郊外のストレートな道になる。
前方の車が左折するようだ・・・。
70マイルは出ていたろうか。と・・・突然ハンドルを切ったものだから、タイヤを軋ませながら蛇行運転となる。
不思議と落ち着いていたように思う。対向車がなかったこととスピンしなかったことが幸いだった。
もう少しで止まれるか・・・というところで、残念ながら路肩に横転。ゴロンゴロンと転がりおちる。
路肩から少し落ちたところでようやく停止した。
幸いお互いケガは、なかったのだが、こういうときのNシマさんは、自分のことより、まず相手のことを気遣うことができる人物である。人間の本質っていうのは、きびしい状況になった時に出るものです。
山の中でも、それは変わらず僕にとっては、最も信頼の置けるパートナーの一人でした。
まあ、今回の事故は、先にブレーキを踏んでたら全然問題なかったとは、思うのだが。
普通に停車しているように見えるけれど・・・ アラスカ版JAF?と事故車を見下ろすNシマさん
さあ、どうするか。
向かいがちょうど、ドライブインだったのでそこに相談に行くことにする。
偶然コーヒーを飲んでいた警官に相談し、ついでにハーツに連絡してもらう。
アンカレッジの警察署に出頭するように言われ?警官は行ってしまった。
2時間ほど、待っただろうか。色違いの代車を牽引したレッカー車が現れた。
あっという間に事故車を引っ張り上げ、「NoProblrem!!」という言葉を残して去ってしまった。
さすがは、プロ 大していたんでない?かな?
取り合えずは、アンカレッジに戻り、ハーツに事務所に向かう。
保険でまかなえるようだ。よかった〜。
警察にいくのは、明日にして、適当なモーテルに泊まる。
疲れた〜。
5月19日(水) 晴
朝市で警察に出頭し、簡単な調書を取られる。
すぐに開放され、ショッピングセンターでサンダルを購入し、再びホーマーへ。
警察署駐車場?にて 記念写真
まだ、オフシーズンということで、残念ながらシーカヤックは叶わず・・・。
家の引越し? アラスカってやはりアメリカなんですね
5月20日(木) 晴れ後曇り
クルージングでもしようかと港に行くが、出たあとだった・・・。
車に戻ると、なんとロックアウト。
今回はよほど、ついていないらしい。
業者?を呼んで鍵を開けてもらう。$40なり。
シーカヤックがダメならラフティングでも・・・とすっかり観光客になっている。
キーナイへ。
キーナイ川 ビールはやっぱ、マウントレーニアだよね
5月21日(木) 小雨
8時起床
朝起きるとなんと雨が降っていた。
とりあえず、船着場に向かう。
おのぼりさんですねえ。 ガイドのフィル
3時間ほどのボートトリップを楽しみ、アンカレッジに向かう。
REIでお買い物をし、SeaGalleyでたらふく夕食を食べ、空港へ。
レンタカーを返し、あとは搭乗を待つばかり。
2年に1度のささやかな冒険は、こうして幕を下ろしたのでした。
また、登れなかったけどね。
キーナイのモーテルのシャワールームの曇った鏡に指で書いた文字が残っていました。
"Return to DENALI"
そう、また来ればいいさ。
帰国して留守本部をお願いしていたSさんに帰国した旨電話をした時、ひどく怒られたことを懐かしく思います。
Sさんは、ちょうど夏にラカポシ北稜を計画していたのですが、日本に帰るまで電話をしなかった僕らに「お前らがデナリの南壁登っている夢を見たんや。帰ってこんかったらラカポシ中止して探しにいくつもりやってんぞ。降りたらすぐに電話してこんかい」と。
当時の僕らは、”山で遭難しても自力で下りれなければ救助を求めない。ましてや、海外において万が一の時は、探す必要はない。”という意識で登ってはいたのですが、留守本部を引き受けた者が心配するのは、当たり前ですね。
タルキートナに降りたとき連絡しなかった私が悪いだけなのですが、当時Sさんのこの心意気に、クラブの良さ、山仲間の良さを実感し、その後も自分なりに良い登山が実践できたのではないかと思います。
自分にとっていい登山とは、必ずしも成功した山行では、ないですね。
良い山、良いパートナー、無事生還、力を出し切れる、etc。
その意味、93年のデナリは、僕にとってベストな山行の1つだったと思っています。
後年、飯田でNシマさんと飲んだおり、デナリの話が出ましたが、氏にとってはFの旦那やS氏と登ったアコンカグア南壁に次ぐいい登山だったということです。
きびしい登山は無理でも、いつの日かまた行きたいですね。
2005年1月23日 記