9. 新百合ヶ丘ラプソディ
(2002.2.15.)
働いていない期間が長くなり、お金もかなり心もとなくなった。電車代も同じ沿線でないと出すのがはばかられ、田園都市線でたまプラーザまで行くことにした。前回道をそれ玉川学園前に行ってしまったこともあり、今回は予定通り新百合ヶ丘まで歩くのだ。これで東横線から小田急線まで、一直線に繋げることにする。 駅前の東急SCに少し寄る。デパート業界は不況だが、このショッピングセンターにはまずまず人がいた。綺麗な商店街を抜け、よく整備された道を歩いて球場とログハウスの横を進む。神戸屋があり、柿生行きのバスが走る。道が分らない時は、バスを見る。バス停には、これからの行き先が書いてある。 ふと、通りの横に階段が続いていくのを見つけ、上まで行ってみる。振り返るとたまプラーザが一望でき、団地群が見えた。かなりの数の団地だ。ここは団地の街でもあったのだ。さらに行くと丘の上から、なんと新宿の高層ビルまで見渡せた。 青葉区と宮前区の境界線は、やがて公園になった。境界線は木々で出来たアームの道のようだった。公園はなかなか広い。周りを木々が覆い、中心には芝生が広がっている。キャッチボールをしている少年たちはどこから来たのだろうか。鷺沼の近くのはずだがこんな所があるとは知らなかった。 アップダウンの住宅地を過ぎると、いきなりポーンと視界が開けた。家が少なくなり、丘の中腹から遠く山々まで見渡せる。砂利を採取している横に道は延びていた。ここにあるのは土と空、そして停めた車の中で笛の練習をしている老人、もう誰も入らなくなった焼き肉屋の名残り。 やがて道は尻手黒川道へと繋がった。処理場などあって雰囲気も暗く、ひと気もない。直線で道も広いので車が飛ばしていく。前に通行人が二人いるのを見つけたが、二人とも同じ道に曲っていった。あまり大きな道ではないが、そちらの坂道に行ってみることにする。日陰で体が冷えたからか、急に腹痛になってきた。 やがて緩やかな登り坂が終わると、全面はまたポーンと開けた。眼下には運動場があり、サッカーの練習をしている子供たちがいる。その向こうに住宅地が広がり、なだらかに続く丘に家々は広がっている。陽も当たっていて調子も直り、サッカーチームを横目で見ながら坂を下り、貼ってあったプレートで東百合ヶ丘だと分った。もう新百合ヶ丘まですぐなはずだ。 掲示板に「名探偵カッレとギャング団」と書かれたポスターがあった。魅惑的な英国風の絵とタイトルに魅かれ、ポスターをまじまじと見る。演劇のお知らせだ。子供の頃こういう劇が大好きだった。学校にも時々来たし、市街にある音楽センターで観たりもした。夢のような時間だった。またこういう劇を見たいものだ。 坂を上がり切り、その向こうの眼下に街並みが広がっていた。どうもあの辺らしい。夕闇が覆い始めていた。住宅地を下っていくうちにどんどん暗くなっていき、道の両側に明りが増え始め、やがてまた尻手黒川道へ出た。この辺りでは雰囲気も暗くなかった。また道沿いに進んでいく。 角を曲がると新百合へと続く路だった。ここは見覚えがあった。街は光で包まれていた。綺麗で無機的な、人工的な光。でもその周りには、人々の確かな生活がある。 ビブロスにて「ダイヤモンド・ダスト」を買い、小田急線の急行で帰った。
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