4. コバルトアワー

 

         5. 伝説の緑区は

              (2002.1.25.

     
 

 もともと相鉄線のいずみ野がきっかけで始まった今回の沿線縦断だったが、その相鉄線自体はここ数日の道筋から分断されていた。一連の旅と結びつけようと二俣川へ行く。ここから田園都市線まで出て繋ぎあわせれば、これまでの歩行距離はけっこうな長さになるはずだ。

 二俣川は、川崎に住んでいた頃、交通違反で初めて交通センターに来て以来、免停の時には講習に来たところだ。懐かしいと言えばまあ懐かしく、切ないと言えば切なくもある。北上していけば多分青葉台くらいに着くだろう、とあまり考えもせず思う。

 歩き始め、坂を上り下りしていると高速道路があり、高架橋で道の上を越えると公園に入った。辺りを見回してみるが、おぼろげに青葉台のはずだと思う方向にはまたなだらかな丘が続いていて、大きな街は見えない。とりあえずこれ以上坂の登り下りはいやなので、丘の間の平地に見えた道を目指すことにした。

 着いてみると、そこは国道16号だった。以前車で通ったことがある。会社の同僚とだ。営業所で皆若く、仕事量も多くて大変だった頃、ドライブに行こうと盛り上がって横浜まで行ったのだ。

 懐かしいものだ。新規開拓を担わされていた部署で、毎日帰りが遅かった。でも少人数でまとまっていて、不思議と充実していた。横浜へのドライブも楽しかった。過ぎてみればそんなものだろうか。あの頃は仕事がきつくて、楽しいなんて思いもしなかったけれど。

 しばらく歩くと中原街道と交差し、そちらに折れて坂を上がる。すると、なんとズーラシアがあった。こんな所にあったのか、と思う。テレビで開園を見た。珍獣オカピーがいるところだ。なぜ今動物園を、と番組で言っていた。そんなこといいじゃないか、珍獣を見せろ、と心の中で叫ぶ。だが、当然入る金などなかった。

 そのうち、立派だった中原街道がみすぼらしくなり始め、しかも道路標識で、この向こうは長津田から港北ニュータウンへの抜け道方面らしいと分った。仕事でしょっちゅう通っていた道だったので、興味が半減した。道の両側も味気なく、どこにでもあるような寂れた地方道みたいで、体が重くなってきたような気がした。

 だらだら歩いていくと、突如「四季の森公園」という看板が出現した。ついでだからと入ってみる。すると、思わず小躍りしたくなった。

 丘というよりは、谷ひとつがすべて公園になっていて、殆ど自然そのままの大森林が残されていた。一応進んで行くための細い歩道はあるものの、それも自然に見えるよう配慮され、あとはそのままの林のみなのだ。

 まさに森の中の小道、というところを進んで行くと、周りにはもう木々と土と枝の合間の空しか見えない。これはもう、まるで子供の頃よく遊んでいた山の中だ。暗くなり始めると、遊びの終わりと共に自然の本当の闇がすぐにでもやって来そうで、名残り惜しいながら振り返らずに家に帰った時の、親しいような怖いような記憶。

 そうだ、ぼくはこんな中で小さい頃を過ごしたんだ、と思った。今では住宅地になってしまった所は、昔はぼくらの秘密基地があった。木々と笹と竹やぶばかりの、でもぼくたちの小さな秘密の共有される場所。それはとても好奇心を刺激してくれたし、冒険心を養ってくれもした。

 人の家の畑が通り道で、夕焼けの向こうは本当の闇だった。人さらいが来てもおかしくなかった、あの森の誘惑。いつからか、闇はどこか遠くへ行ってしまった。けれど、ここにはまだそんな遠い記憶が残っている。

 なんだか嬉しくなってしまって、満足して出て歩いた。少ししてJR中山駅に着いた。ふと目をやると、近くに緑区庁舎と書かれた建物があるのを発見した。

 ここが緑区で、しかも中心地だったのか、と目から鱗が落ちる気がした。駅前の道は国道246号線の抜け道としてしょっちゅう通っていたのに、庁舎があるとは気づかなかった。ただのひなびた郊外の街だと思っていた。

 緑区には思い出があった。一人暮らしを始めた部屋にテレビがなく、どうしても欲しいと願っていた大学1年の時、使わなくなったテレビをくれると言ってくれた友人宅まで取りに行ったことがあった。大学からの帰り、友人について彼の家の団地まで行った。

 家の場所もどの駅で降りたのかも忘れてしまったが、横浜市緑区だったことだけは覚えている。当時電話もなかったので、あまり共通の授業のない彼とはその後連絡が取れなくなってしまった。たまにあれはどの辺だったんだろうと思う時もあったが、まさかこの辺だったとは。いや、ここはあくまで庁舎がある所であり、緑区も広いはずだ。あれはとても品のいい団地群だった。

 駅の反対側に行くと、こちらはそれなりの開け具合だった。しかし、そう思ったのは駅前だけで、すぐまた自然に近い、川と木々と草の中の道になってしまった。ここまで来れば近いだろうと思った青葉台にもなかなか着かない。青葉台行き、と書かれたバスだけが虚しく通り過ぎていく。

 しかし交通量は特別多いわけでもないのに、なぜかバスの数は多い。道は向こうまで何もなく続いていく。遠いし暗いし、対岸には時折横浜線が走って行くが、こちら側に街らしきものは見えない。

 やがて東名高速道が出現した。高速道路を眺めるのは好きなのだが、さすがに今は疲れ過ぎていた。よろよろとその向きに合わせ、横に坂を上がる。

 すると、丘を越えた反対側に青葉台の街があった。何という事だ、ずっと平行していたのか。しかも対の向こうとは大違いに大都会だった。いや、そう思えてしまうくらい青葉区に入ると違っていた。道の両側にはたくさんの店や明りや、歩いている人たちがいる。この違いとはいったい・・。

 もちろん、人が多いからいいという訳でもない。新しいから良いとも限らない。そう、あの時もらった、チャンネルをガチャガチャ回す旧式のテレビは、未だに少しも壊れず存在している。それと同じだ。

 恐るべし緑区。奥が深い。まだまだ全貌は計り知れない。

 

06. As 10 Years Go By