1. いずみ中央ハードボイルド

 

         2. 港北ニュータウン・ブルース

              (2002.1.20.

     
 

 カーテンを開けると、天気が良く陽射しがまぶしかった。

 今日はどこに出かけようと思い、あれこれ考える。お金もないので、また学芸大学駅から東横線に乗ってどこか行こうと思い、日吉へ行くことにする。そこから田園都市線まで歩けば、その分の電車代だけで済む。

 日吉にしたのは、沿線では少しだけゆかりがあって懐かしかったのと、港北ニュータウンを歩いてみたかったからだ。先日いずみ野を歩いてすごく良かったので、またある程度の距離を走いてもみたかった。

 電車に乗りながら、幻想の90年代、と呟いてみる。会社に勤めていた90年代、日吉にはよく行った。正確に言えば、お客さんが近くにあったので車でよく通った。会社の寮も割と近くにあったし、その時仲の良かった女性が住んでいた街でもあった。

 実際に駅に着いたときは少し緊張した。あのひとに会えるかもしれない、という幾ばくかの期待と、会ったらどうしようという不安。でも、そんな会うはずはないのだ。人生のドラマなんて、殆どの日常では何事もなく流れていく。

 初めて北口を見るが、なるほど学生街という感じだった。休日の3時半くらいで、普通部通りは少し寂しく、店もあまりない。

 そう思っている内に辺りは住宅地になり、道も細くなってこの先行けるのか、と思った途端、木々の向こうに谷が見えた。さらに進むと、反対側の眼下に団地群が広がった。桜ケ丘みたいだ、と思った。大学時代、友人が京王線の聖蹟桜ヶ丘駅近くに住んでいて、その近所の丘からの眺めに似ていた。

 階段を降り街並みを歩いてみる。人がけっこうたくさん歩いていた。駅前の通りより確かな生活の匂いがする。

 その内、3年ばかり住んでいた会社の寮方面へ繋がるいつもの道に出て、どの場所だか確認した。道幅が広くなる所から、別の大きな道が新しく出来ていて、これが綱島街道へと繋がるらしい。いつの間に出来たんだろう。しかも、かつて来たことのある沿線の1つ目のビデオ屋はコンクリート跡だけ残り、2つ目は違う店に変わっていた。

 しばらく歩いていくと、第三京浜の高架を過ぎたあたりから徐々に建物が少なくなっていき、なんとなくその何もなさが、先日のいずみ野を彷彿とさせた。街と街を結ぶ中間は、電車や車では気づかないけれど、どこもこんな感じなのかもしれない。ちょうどどちらの街にも入っていけない、ふっと取り残されたような空間。

 疲れて足取りも重くなってきたところで、ついに港北ニュータウンの入り口へ到着した。突然街並みが急変する。ここに来るたび、いつもウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」を思いだす。別に内容がどうということではなく、近未来が見る気怠い憂鬱は、ぼくにとってはニュータウンの人工的で綺麗な光なのだ。

 少し行ったところにある文教堂へ入り、ロッキン・オンを久々に読んだ。「息子の部屋」のレビューがあって、ラスト近くでブライアン・イーノの曲がかかって鳥肌がたった、とあった。その一節だけでも、映画を観たくなった。文庫本のところでふと「窓ぎわのトットちゃん」を読むと、高校時代作っていた雑誌仲間の作品「楽しい帰り道」がこの雰囲気に近かったことを思いだし、懐かしくなって買ってしまう。

 外に出ると、6時前で暗い中、ニュータウンにはたくさんの光があった。

 ここは、どのくらい計画通りの街になっているのだろう。でもぼくは、ニュータウンの光が好きなのだ。

 巨大な国際プール場が出来ていて、丘の上に異彩を放っていた。それさえも溶け込ませてしまうのが、郊外のニュータウンなのだ。そこには、眩い未来と破れた現実の夢がある。よく行っていたビデオ屋のWestはクリーニングのしろやになっていた。

 静かな住宅街を抜け、丘を上っていく。品のいい通りを歩いて行き、川崎市宮前区に入って有馬を歩く。なかなか上品なマンションが多かった。寮の近くなのに、初めて通った道だ。

 会社に入って初めの3年は、この街で暮らした。駅から離れていたが住みやすいところだった。毎日バスに乗って駅まで行った。寮は出来てまだ2年くらいの新しいものだったし、広い部屋を月5000円で暮らせたからよかった。4年目を迎えたとき、同じ沿線の三軒茶屋へ引っ越した。それ以来貯金は出来なくなった。寮に来ることもなくなった。

 懐かしい寮だが、近くに行くことはやめた。もう関係もないし、今の自分には振り返らない方がいいと思ったからだ。7年も勤めたところだが、最後には社員に給料を払わなくなった。

 国道246号線を越えると、横浜市青葉区と川崎市宮前区が交差する。丘の上に割と広い公園があり、入ってみると鷺沼公園だという。近くにこんなところがあったんだ、と驚いた。空はもう真っ暗で、風も冷たかった。ふと、この街に暮らしていた間はなんとなく平和で、まだいろいろなことが可能であったような気がした。

 向こうに電車の音が聞こえた。東名自動車道を越えると、そこはもう見慣れたところで、たまプラーザ駅まで近かった。いつ見てもこの通りは綺麗だ。やがて駅に到着し、田園都市線に乗って帰った。今ぼくは違う街で暮らしていて、違う毎日がある。仕事ばかりしていた日々は終わったんだ、と思った。

 仲の良かったあの人はどうしているだろう。他の同期と寮に遊びに来てくれたこともあったけれど、あの時そこにいた仲間たちはもう誰も残っていない。いつか外国、それもアジアやアフリカに行って、そこで暮らして近所の子供たちにテディベア作りを教えるんだ、といつか仲の良かった人は言っていた。その夢は叶ったのだろうか。

 幻想の90年代は、どこまでも幻想なのだった。

 

03. 玉川学園にて