1. いずみ中央ハードボイルド
(2002.1.17.)
12時半頃家を出て、学芸大学駅まで歩いて東横線に乗った。今住んでいるところは三軒茶屋から祐天寺への間くらいにあって、東横線の駅にも歩いて出れる。わざわざ渋谷まで出なくてよいのは良かった。あの人込みは身体と心を疲れさせる。そのまま横浜まで電車に乗って出た。 広い駅構内を横切り相鉄線の急行に乗り換え、座席から構内の他の列車を見てみると、みな銀色の車体だった。何年か前初めて乗った時にあった、あのお気に入りのエメラルドグリーンの車体がない。どうしたんだ、まさか廃止されてしまったのだろうか。 列車は出発し、飛ばした窓から横浜の裏町のようなすこし寂れた倉庫が見える。途中の通過駅で、あの特異な存在感を放つエメラルドグリーンの車体が停まっているのを見つけた。ほっと胸をなでおろす。あの形式の車両は、色もすごいが中身も座席の端にある支柱がなかったりして、懐かしい旧式バスみたいな雰囲気なのだ。 二俣川で降り、いよいよいずみ野線へ乗り換え。期待とともに列車は走り出す。乗客も少なくなり、のんびりした感じだ。いずみ中央駅まで行く予定だったが、窓から見えた緑園都市が思いのほか綺麗で大きな街だったので、予定を変更して次の弥生台で降りてみる。 掲示板を見ると、この辺は横浜市泉区らしい。郊外の駅らしいこじんまりさと、沿線の郊外特有のそれなりの発展の中に、空の大きな様子の風が吹いてくる。産業道路のような通りを歩いて団地を横に見つつ、この辺もそれなりに悪くないな、と思う。初めて来た街はいつも住むにはどうか探ってしまうのだ。そういう意味ではそんなに悪い点ではない。 やがて道の向こうに畑が広がった。大学に入るまでずっと地方都市で過ごしたから、こういう所は落ち着く。都市部に畑ばかりあっても戸惑うが、この辺では調和もいい。そのまま畑の真中を突っ切って行くと、いずみ台に到着した。こちらはまさに、通勤者の多そうな駅だった。 どことなく横浜らしい品のよい住宅地を通り抜ける。門構えもしっかりしている。しかしそこを通り抜けると、また畑地帯へ入ってしまった。郊外はやはり古くからある土地の上に、発展の名の皮を被せたものなんだな、と思う。 いずみ野線の高架を目印に雑木林を抜け、農道を下って農薬を散布するおじさんの横を通り抜ける。農薬が口の中に入らないように息をつめる。こんなことは横浜では初めてだ。港町か、もしくは港北ニュータウンのようなところが横浜だと思っていた。だが、横浜だって広い。それに、どこもが先端を走っている街なんてあり得ないし、あっても疲れそうだ。 国道まで出ると、やがて大きな通りにぶつかった。ダイクマがあり、少し歩き疲れたのも手伝って中へ入ってみる。学生時代、近所のダイクマにはよく行っていた。東京の郊外で、ここよりももっと山あいの所だった。何でも揃っていて、気分が落ち着いたものだ。 ひとしきり見て回った後、外に出てその隣にあった大きなディスカウントショップにも寄った。テクニクスのスピーカーが安値で売っていた。ふと、アルバイトをしていろいろなオーディオショップを回って、コンポを買うことを夢見ていた高校生みたいな気分になった。多少ではあるが、お金の価値も変わったものだ。あの頃はこのディスカウント価格だって、高値の花だった。 いずみ中央駅に着いた。人が増え、高校生たちが大勢いた。来る途中あまり人に会わなかったから新鮮だった。川沿いに進むと臨済宗のお寺があり、寄ってみることにした。 門の中はしんとしていて、庭にある石はさびの世界を構築しているようだった。お参りをしてから庭の端にあった説明書きを見た。鎌倉時代にいずみという武士がいて政変に失敗し、逃亡し出家してこの辺に修業道場を開いた、よくは分っていないが川越まで行った記述がある、とのことだった。それで泉区なのだろうか。不思議とその内容を伝える掲示板さえ、おごそかな道場のごとき厳しさを持っているような気がした。 歴史情緒ある林を抜け丘を越えると、また畑しかなかった。殆ど車の走っていない広い道路が土色の畑に延び、閑散としたどこまでも続く平地に相鉄線の高架だけが続いていく。それはまるで近未来のハードボイルドのようだった。都市の大部分が土に帰した大地と半歩発展した科学、そこで人類は・・、といった感じだ。ビニールハウスのような駅があった。まさにSFのようだ。 この次が終点の湘南台のはずだ。畑を抜け、整備されてはいるが人気のない河川敷に出て、どんどん進んでいく。その内向こうに街並みが見え始めた。緑が勢い良く茂る川沿いに進んで行くと、不意に綺麗な住宅街に出た。そこは藤沢市湘南台だった。 急に開けたなと思いつつ、歩いた爽快感もあって、広い路地にあった電話ボックスから実家に電話した。今の失業状態では、こういう時でないと家に電話できないのだ。母親が出て少し話した。久し振りだったので母の声は弾んでいたが、やはり心配そうだった。早く就職して安心させないと、と心から思う。 市街を歩くとなかなか大きな街だった。やはり小田急沿線の方が整備されているのだろうか。横浜より藤沢の方が開けているなんて。それとも、あの近未来への大地に、これから先端都市でも出来るのだろうか。勝手なイメージは、今後当たってしまうのだろうか。 仕事帰りの人が出てくる前に帰ろうと思い、小田急線に乗り込んで中央林間まで出た。そこから田園都市線に乗り換え、急行はあっという間に三軒茶屋へと走った。座席に座りながら、近未来の大地では人はどうやって暮らすのだろう、と思った。
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