161kg 29ps
今乗っている大型バイクをとりあえず置いて、もっと軽いバイクに乗りたいな〜となると、必然的に、排気量は縮小の方向となる。中でも250ccクラスは、車体の値段はもとより、とにかく維持費が安いので(車検が無いから)、そのパワー感の大きな落差にもかかわらず、選択肢に上がりがちだ。
今は大型バイクを乗り回しているベテランの中にも、昔、250ccに乗っていたという人は多いと思う。(車種としては、在りし日の2サイクル・レプリカである可能性は小さくなかろう。)だから、パワーの落差感も想像はつきそうなものなのだが、今の250ccは、かなり様子が違っていて、簡単には比較は難しそうだ。
この何十年で、エンジンは、もっぱら環境関連の規制のせいで、パワーを大きく減らしている。(代わりに燃費は良くなっている。)対して、車体関係は大きく進歩していて、タイヤやフレームの荷重容量の向上は目覚しい。
普段、大型バイクの重い車体を、エンジンの大きなパワーでコントロールするのを、ライディングの醍醐味の一つと感じている「体感」からすれば、今の250ccは、パワーは下がって車体なりに走る傾向が強まっているから、そのテイストは、より小排気量側にシフトしていて、予想からは遠ざかっているはずなのだ。
その差は、果たして「許容範囲」か。
こればっかりは、乗ってみないと分からない。
ご近所の、WING店に赴いてみる。
(
いつぞや書いたWING店
とは別の店だ。あの店は、やはりと言うか、その後、無くなった。)
2階建ての店舗に、現車を多数並べている、大きめの店だ。
(店の様子は、フロアは母ちゃん、メカは兄ちゃん、父ちゃんは外回りって感じの、ちゃんちゃん商売のようだったが。)
フロアの奥さんに、軽いバイクを探している旨を告げて、出物があるか訊いてみた。
オススメは、NC750ですね。
ちょうど、型遅れの700の安い中古がありますので、こちらもオススメです。
どうしても車重が200kg以下ということでしたら、エンジンだけ小さい400が196kgです・・・
よく知らないのだが、CBR400、でもエンジンはツイン、てのがあった。
400では、別に4気筒のCBもあるようだ。
でも、CBRの1000は、4気筒なんだよね?
相変わらず、ホンダのラインナップは複雑だし、意味も目的もよくわからない・・・。
試乗車だが、CBR250Rのレプソルカラーがあったので、早速、乗らせてもらった。
キーを借りて、車体を路上まで押して出す。
小さくて軽い。
カウルなんかの造り、見た目のカッチリ感は、昔の2ストレプリカの時代よりは、ずいぶん良くなったように見える。(外観だけかも知れないが。)
エンジンは、セルボタン一発で始動。
といっても、既に250ccクラスでも、「セルボタン」はセルを回すスイッチではなくて、MCUに始動シーケンスの開始を告げるスイッチだ。(だから、セルボタンを押している時間と、セルが回っている時間には関連が無い。)この瞬間から、エンジンは、制御チップの意図の元に、無難に動作を開始する。
跨ると、ポジションは、しごくコンパクト。ハンドルは見た目ほどは低くなくて、意外と背中が立つ感じ。全体的にラクで、何となく、ルマン1000に似ている。うん、ここは馴染み深いなと。(笑)
で、走り出したら。
驚いた。
「えっ、え?・・・え〜〜〜っ!!」
ってくらい、遅かった。
体感的には、250ccというより125ccに近い。
この加速感に近いものを記憶から探すと・・・SR125が思い浮かんだ。
このエンジン、確か、新しい設計の水冷シングルだと思ったが。レブリミットは10,000rpmを越える。その半ばあたり、5,000rpmを越えた辺りでシフトアップ、結構がんばってる感じだが、それでトップ6速に入って、80km/hに届かない。試乗コースは、結構速めに流れている大きめの国道で、普通のクルマの流れに付いて行くのにも、それなりに気合を入れてかかる必要がある。
エンジンのキャラクターは、低回転でのキックは全くなくて、完全に回転馬力型。ビンビン回してナンボという無機質さ加減は、スーパーカブにちょっと似ている。好意的に解釈すれば、高回転を好むホンダらしい、といった所か。
それにしても「進まない」。右手にこめた入力を、制御が勝手に何割引きかしている感じ。キャブ乗りの一念で、いくら右手に念をこめても、制御チップのお気に召さなければ完無視だ。ううむ、何という無念さ。
とにかくエンジンに意思がないから、トルクで車体の制御をする余地はほとんどない。エンジンの存在意義は、やがてスピードに寄与するだろう「馬力」を、気長に供給すること、とそう言っているようだ。
まだ新車だったから、ブチ回すのは避けたいんだが(そも回りたがらないし、ミッションも硬い)高回転を保たないと走らない・・・。久々に感じる、小排気量テイストが酷く濃い痛痒だ。
ブレーキは、まあまあだ。そもそも車重が軽いし、それを受け止める容量は十分にある。タッチもまあまあ。タイヤの容量と、フレームの剛性も十分。
曲がってみると、何せエンジンはスピードを保つので精一杯だから、ただ惰性で何とかする、スケボーみたいな世界だ。タイヤとフレームは、この軽く小さくホイールベースがごく短い、ささやかな車体を支えるには十分だし、サスも安物なんだけど、そも要求される荷重容量が「こんなもん」なので、四の五の言わずに何とかなる世界。
総じて、走りは「タイヤなりで構築する」という方法論は、
MT-07
あたりと同じなのだが、荷重のレベルが数ランク下だから、足周りのプアさが露呈しないで済んでいる、とそんなように感じられる。
乗りながら思ったのだが。
ひょっとしてこれは、「イマドキの軽自動車」なのではなかろうか。
つまり、「タイヤが二つならみんなバイクだ、性能はそれなりで何とか使えさえすればいい、値段が安くて燃費がいいのが一番だ」と、そういう価値観だ。
そんな、ある意味、刹那的な価値観に、必要以上に迎合しすぎた結果、のような。
でも実際、安くはないのだ。
これで、諸費込みで\50万を超えるだろうというプライス。
それが、「スポーツバイク」の衣をかぶっているとくれば。
何だか、不憫だなと。
まあ、CBR1000Rなんて「本物(と書いてバケモノと読む)」が、店の陳列のすぐ奥に、遠近法のように見えているのだから、これが、本式のスポーツバイクだと思いこむ向きというのも、いないのだろうとは思うのだが。
しかしまあ、こうなると、あの80年代の経験は、逆にトラウマになってしまう。私が乗っていたのは、尖がったレプリカなんかじゃなくて、全然大人しいGPz250Rだったのだが、さして速くはなかったけど、スペック馬力も一応はあって、そのおかげか、街中を流す程度の状況で、これほど辛くはなかったと思う。
私の危惧は、やっぱり、当たっていたように思う。
つまり、バイクが進歩したのは、主にタイヤやフレームの車体面であり、エンジンは、進歩どころか出力はかえって下がっている。これらが組み合わされば、普段使いでは、車体なりにシレッと走る度合いが強まるし、逆に、タイヤなりフレームなりの容量を限界まで引き出そうと思えば、手段としては、ブレーキングに頼るウエイトが増える。
その方法論は、スリップストリームと、それに続くコーナーへのツッコミを「醍醐味」と言い張れるサーキットレースなら許されるのかも知れない。(続く手段は、「それでも出られなきゃ当たって進路を開ける」になる・・・というのも、最近のGPシーンが示しているようにも思うが。プロレスかよ。)
しかし、公道を楽しむ方法論としては、逆行している。
「乗っていて楽しくない」からだ。
何だか、相変わらず「素人向け」への適合ばかりが、過激なまでに進行しているように見える。
それも、意図的に。
それが、この大メーカーの本心なのだとしたら、不憫を通り越して、救いようがない。
あの破廉恥だった2stレプリカが「正しかった」と言い募るつもりは、毛頭ない。しかし、例えば今、私の子供たちが、バイクに乗りたいと言い出したとして、こんな機体に触れさせる気には、全くなれない。自力で上達する余地を示せる度量がなければ、スポーツの道具としては意味がない。あのGPz250Rでさえ、上達への示唆は結構あったから、これよりはまだ良質だったと思う。
何だか、登場人物が全員不憫な、下手な舞台を見ているような、いたたまれない気分になった試乗だったが。私の立ち位置が悪いのか、本当に出し物がひどいのか。
・・・まあ、どちらでもいいことだ。
犯人探しをしたところで、何が変わるわけでもない。
良質な、軽いバイクを探すというのは、思ったほど軽い課題ではないようだ。
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