できるだけ日刊的生活
日々思うこと、いろいろを思いつくまま・・・

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76 2000.1.31 カレンダー作り

 そう、今さらなのだけどカレンダーなど作っていた。
 実は里帰り中、妹から子供のカレンダーを作って欲しいと言われながら、コロッと忘れていたのだった。

 ええと、確かプリンタのオマケでカレンダーが作れるソフトがあったはず、と検索をかけるがどうも削除してしまっていたようで見つからない。
 仕方なくCDROMから入れる。これはエプソンのプリンタのバンドルで私暦というソフトだ。まず、カレンダーの形式をリストから選ぶ。1枚モノだから、4か月も入ればいいかな、と思う。しかし、もう1月も終わりではないか・・・
 何だか格好悪いけれど、2月から5月までと設定する。

 次は写真の取り込み。いつも仕事でやっているような感じで取り込もうとするが、アレ? サイズがものすごーく小さくなってしまった。拡大するとかなりモザイクになってしまっている〜! コレって、どういうワケ?

 私の悪いクセは、何ごとも見切り発車というところ。集中力がないというか、いい加減というか、きちんと説明書などよまずにあちこちいじってしまう。で、結果としてわからなくなる。あわてて説明書を開くが、後の祭り〜ということもしばしば。

 ふむふむ、PICTという保存形式にしなければいけないらしい。しかし、すでにスキャンした画像の形式を変えようとしてもPICT形式の部分がグレー表示で、選択できなくなっているではないか。どうして?
 そこまでは説明書には書いていないので、ゴソゴソと手持ちのPhotoshopの解説本の索引を探す。しかし、よっぽど基本的なことと見えてどの本の索引にも出ていないのだ。困った。索引はあきらめて、中をざっと見る。写真の保存形式についてのページには出ているのでは?
 そうしたら、『作業はRGBモードがおすすめ』というコラムの一覧表にCMYKモードのPICT保存は×となっているのを発見。
 おお〜、今まで実際に仕事用に写真はすぐCMYKモードに変換するクセがついていたので、この写真も習慣でCMYKしていたのだ。そうか、こいつが犯人か、と早速RGBに戻すとPICTが選択できた。当然なのだろうが感動。美しい姪と甥の笑顔がカレンダー画面に現れた。ひとつ利口になったぞ。

 しかし、このカレンダーソフトは便利である。仕事用にQuarkなどにペースト出来ないモノか?とやってみたが、やっぱり無理みたい。
 いつだったか、カレンダーを入れた登山用パンフの仕事があって、それは苦労して作った思い出があったので、これが使えればラクできる、という甘い考えが浮かんだのだが・・・。地道に行きます、ハイ。

75 2000.1.30 またまた成長

 気が進まないままカメの水槽の水換え。昨日、お天気の良いうちにしておけば良かったのだろうけれど、とうとう雪が降り始め、オットにお尻を叩かれながら午後からやっと水換えを始める。寒い〜。水が冷たいよ〜〜。

 子供がしきりに「ねえ、体重計るの?」と何回も聞くので仕方なく計ることにした。何だか嫌な予感がしていて、あまり計りたくないのだ。案の定、612gとしっかり増えていた。確か前回、15日に計ったときは550gでショックを受けたのだ。
 また! 決して肥満という感じではなく、甲羅ごとムクムク育っているようなのだ。よく見ると、甲羅のひだ?に黒々した新しそうなものが出来ている気がする。不勉強で恥ずかしいのだが、カメの年が甲羅でわかると言われながらもその本当のところがわからない。亀甲模様のひとつひとつが、年輪のようなモノなのだろうか? 外側は黒々していかにも新しく出来た、という感じ。一応数えてみたら、5段あった。もし年輪式なら、5、6歳というところなのか。
 水槽から移したバケツも、もうアタマがつっかえるほど窮屈な感じになってしまった。ああ、どこまで大きくなるのだろう? これだけ育つのだから、年寄りガメってことは、ないよね? 
「竜宮城まで連れていってもらったら〜?」とオット。
 しかしキーはウミガメではないからなあ。沼にドボン・・・何だか、ねえ。

 しかし、この頃私よりもオットの方がカメにのめり込みつつある。夜など、夕食のマグロの刺身を小さく切って割り箸であげているし、「今にも食いつきそうだな」とか言って、指を見せてキーがぱくぱくするのを面白がっている。で、ついに噛ませて「お、お、結構強い」と楽しんでいた。私でさえ、まだ噛ませたことなかったのに。
 はっ! もしや最近のキーの爆発的な成長の秘密は夜にある? 一番最後に寝るオット。その目の前に水槽はあるのだ。ま、まさか・・・

74 2000.1.29 腰が・・・

 午前中はレンタルビデオ店でやっと念願のCDを借りた。福山雅治のHEAVEN。お友達に聞くまで、Squallとこの曲が同じCDに入っているとは知らなかった。もう、すっかりうとくなっているなあ。最近の小学校はお昼に校内放送で歌謡曲(って今でも言う?)を流すそうで、初めて長男がスマップの「青いイナズマ」を歌うのを聞いたときは本当に驚いてしまった。いけない!これでは置いて行かれるばっかりだ、とFMを聞くようになる。それでも追いつかないけれど。

 ビデオコーナーで「ポーリー」が戻っているか確認するが、また誰かに借りられていた。このビデオにはルギアの仲間のコニュアがたくさん出てきて、しかもストーリーがワクワクするような冒険と涙を誘う愛情にあふれている。絶対にまた見たいと思っているのだけれど、なかなかタイミングが合わず残念。

 午後、ヒマをもてあましたオットがまた片づけを始める。しかし今回は鬼気迫るモノはなくて、なぜかいたってにこやか。相手がソフトだとこっちも殊勝になるもので、オットがありがたく、自分が何て何も出来ないのだろうとまで考えてしまう。珍しく反省なんかもして・・・そのせいだろうか、原因不明の腰痛に襲われ、夜には起きているのもつらくなって、カイロを貼って早々と9時に寝てしまった。

 トシ? まあ、運動不足ではあるかもしれない。

73 2000.1.28 ハンティング・2

 次男の病院の日。病院の隣にあるデパートの中のソニープラザへ寄るのが最近の楽しみである。昨日、東京の姪から「Kuku(オカメインコ)があったら2つ買っておいて」と頼まれていたので何だか「公認」という感じ。幼稚園のお友達も一緒に耳鼻科に行くことになり、早速ソニプラへ誘った。

 おおー、灯台もと暗しとはこのことか。昨日、あんなに時間と体力を使って寒い中探し求めた店よりも、いつものミニ・ソニプラの品揃えの素晴らしいこと!
 妹が欲しがっていたデカガエルと、デカフラミンゴがいるのを見つけて思わず声をあげる。お友達のお母さんはビックリしながらも、「これ、可愛いねえ」と早速リスやカンガルーに手を伸ばす。しかし、彼女はかなりしっかり者のカシコイ主婦で、家計簿もきっちりと付けている、私なんかよりは数段上を行く主婦なので、可愛いとは言いながらも結局は保留。しかし、しきりに気にしていたから時間の問題か? 私がこの時もらったビーニーファンおなじみの青いガイドブックを彼女にあげたらとても喜んでいた。これには写真と一緒に名前やお誕生日まで書いてある、かなりユーワク光線が強烈に発射されているものなのだ。きっと彼女もビーニーファンになってしまうことだろう。

 結局この日、Kukuは見つからなかった。そのかわり、デカシリーズ2匹をゲット。次男に負けてChip(ネコ)を、絶対無いとむくれるので長男にはTracker(バセットハウンド?)を購入。長男は「昨日も今日も、こんなに買ってもらっていいの〜?」とにこにこ顔。いいんだよ、しっかりお年玉から出させてもらうから。

 が、しかし。さすがに最近買い過ぎと反省。ちょっと気を引き締めて、私もカシコイ主婦にならねば。ちょっとオットの目をまともに見られないし〜。

72 2000.1.26 びーにーハンティング

 凍てつく真冬日をものともせずに(ウソ!結構参った)バスに飛び乗って20分、噂のビーニー特約店へ向かった。
 しかし、あろうことかふと目をやった我が時計、電池切れで止まっているではないか〜! 何だか情けなく、さい先思いやられながら、まず着いたら時計の電池を入れてもらわなくてはならなくなった。
 バスを降りて時計屋を探すが、こういう時というのは見つからないものだ。それにあたりの商店街はまだみんな開店前・・・ということは、今は10時前ということか。思い立って、ダイエーに行ってみる。ここなら時計屋くらい入っていそうだ。しかし、やはり開店前で、10人くらいのオバサン(私も?)たちが今か今かとドアが開くのを待ちかねている。どのくらい待ったのか・・・本当に時計がないというのは不便で不安なものだ。やっと開店、時計屋さんで電池を頼む。若い店員さんが「5分から10分ほどお待ち下さい」と言うが、その10分がわからないんだってば・・・
 時計屋の前でうろうろ待つのも恥ずかしいので横の本屋に入るが、気がせいて立ち読みどころではない! それに、あたりに時計がない・・・
 どうにか10分をやりすごし、遠目に時計屋の様子を見ながらやっと元気になった時計を腕にはめた。ウインドウには、何と10年以上前に私が初めて自分で買った時計と同じものが、まだ現役で飾られていた。お値段は私が買ったときの方が安かった。そうか、アレ、まだいけるのか・・・と心の中でほくそ笑む。

 お待ちかね、ビーニー特約店へと小走りになる。開店して間もないせいかまだ掃除中のテナント店を大急ぎで通り過ぎ、ビルの奥にある店へ・・・あった!ここだ〜!
 店は想像以上に小さかった。よく、雑居ビルの中の、商品の間を通るだけでやっとの狭〜い店ってあるでしょう? あんな感じだった。若い店員は私用電話の真っ最中でゲラゲラ大声で笑っている。とにかくビーニーを確認せねばと見渡すが、見つからない。あれぇ・・・と、視線を落とすとそこに・・・正面の突き当たりに、小さな棚がありPouch(カンガルー)とAlmond(クマ)のビーニーがいかにも売れ残りといった感じで置かれているではないか。小さな丸文字で書かれた『ビーニー近日入荷予定』のポップが哀しい。これで特約店なの〜? それとも入荷直前なのだろうか。入荷日にはかなりの人が押し寄せて、嵐のようにうわぁ〜っと買いあさって去っていった・・・のであろうか。

 店員の電話が終わる前に店を出た。ダイエーの店員とはかなりな違いだ。
 次のソニプラは開店が10時半と、まだ間があった。側の大きな本屋に入り、パソコン雑誌コーナーで時間をつぶす。発売されたばかりのMac Fan Beginnersを購入。以前は発売日からちょっと待たないと店頭に並ばなかったものだが、今はどうにか当日に出ているようだ。

 さて、今度こそ! とソニープラザへ。ドキドキしながらビーニーコーナーを探す。ちょっと奥まった一角に、Beanie Babyが、上の棚には大きなBuddyが!やっと、やっとめぐり逢えた〜という感じであった。

 種類は次の通り。「ビーニーって?」という方のために一応種類も書く。実は私もまだよくわからなくて、ガイドブックを見ながら思い出している。だからアルファベット順。

Amber(ネコ)B.B.Bear(クマ・大)Blizzard(トラ)Bones(イヌ)Bongo(サル)Cheeks(マントヒヒ)Chip(ネコ・大)Congo(ゴリラ)Doby(イヌ)Fetch(イヌ)Fleece(ヒツジ)Fortune(パンダ)Fuzz(クマ・大)
Halo(クマ・大)Hope(クマ・大)Kicks(クマ)Knuckles(ブタ・大)
Loosy(カモ)Mel(コアラ)Nanook(ハスキー犬)Neon(タツノオトシゴ)
Prance(ネコ)Pugsly(パグ)Rainbow(カメレオン)Rover(イヌ)
Sammy(クマ・虹色)Scoop(ペリカン)Seaweed(カワウソ)Silver(ネコ)Snort(ウシ)Spangle(クマ・大・星条旗模様)Swirly(カタツムリ)
Valentina(クマ)

 私が買ったのはCheeks(マントヒヒ)で、ユニークな顔つきがたまらない。サルフリークになりそう。それから、禁断のデカビーニー、Buddyをとうとう買ってしまったのだった。それはChip(ネコ)! 思わず目があって、その視線に釘付け。気がついたらしっかり抱えて、離せなくなっていた。

 帰宅後、ネコ科の大好きな次男にChipを、行きがかり上サルが増えている(親の勝手な好みで。だって似てるんだもの・・・)長男にCheeksをあげる。しかしそれはきっとオット対策であって、我が家にその子たちがいる、というだけで満足な私。真の所有者は自分であると思っている(ずるいな〜)。

 え、オットの反応? まだ正式に紹介していないのである。子供たちの布団の中で、こっそりと一夜を明かした彼らであった。

71 2000.1.25 水中ヒーターの功罪

 クサガメ・キー坊の水中ヒーターを強力なものにしてからというもの、キー坊は元気がいい。活発に動くし、よく食べる。私やオットが立ち上がると、溺れてるんじゃないかと心配になるような泳ぎ方?でバシャバシャ興奮している。
「エサくれると思ってるんじゃないの」と冷静に分析するオット。さすがに彼もカメの行動に詳しくなってきたようである。

 しかし。元気→良く動く→エサを良く食う→良く排泄する→水が汚れる という恐怖のパターンが出来上がりつつある。最近、水換えが週一になったと思っていたのは、単に水温が低くてカメが活動していなかったから、ということだったのか。

 キーの水槽は見る見るくもり、あっという間に透明度ゼロになってしまった。4日目にしてコレである。ああ、何だかんだ言っても水換えは少ない方がいい。前のヒーターがなつかしい〜。以前の状態でも体重が増えて成長していたキー。こんなに元気で、一体どこまで大きくなるのだろう。
 早くも彼女は陸場の石を包み込むような大きさになってしまっている。今の石でさえ大きいと思っていたのに。このままいくと、水の重さ、カメの重さ、陸場用ブロック&石の重さで、水槽さえも危ないのでは、と恐ろしい。

 疑問は、彼女は一体いくつなのか、ということだ。これだけ育つのだから、老ガメとは思えない。驚くほどの成長の早さについていけず前の飼い主が手放したのだとしたら・・・今ならちょっと、その気持ちが分からないでもない。
 でも、私は彼女を捨てないけどね。

70 2000.1.24 やっと幼稚園

 えーっ、まだお休みだったの? と思うでしょう。ホントにねえ、もうすぐ1月も終わってしまうよ。

 で、久しぶりにガキンチョたちから解放されて、私がしたこと・・・それはお片づけ。休み中、部屋には放置されたマンガの本や子供雑誌、おもちゃが散乱。これでは仕事関係のお客様も呼べやしない。家で仕事していて困るのは、日常生活までまるごと見えてしまうことなのだ。仕事部屋が完全に独立していれば良いのだが、居間も食堂も兼ねている狭い家だけに、片付けても片付けても雑然としてしまうのだ。
 このあふれた本をしまうには、子供の本棚も整理しなくては、とガタガタやり始める。いい加減に突っ込まれた本やノート、シールやカード。出てくる出てくる、なつかしい過去の遺物・・・

 私はこういうのにからっきし弱い。どれにもひとつひとつ思い出があって、結局は捨てられずに元に戻してしまうのだ。しかし、もうそんな感傷にもひたりきってはいられない状態である。読み古した雑誌は捨て、赤ちゃん時代の絵本はお友達の赤ちゃんにあげよう! あれもこれも、無くても困らないモノなのだ、と未練を断ち切って。

 かなりすっきりとスペースが出来た。しかしここまでで幼稚園バスのお迎えの時間だ。この後、昼食を食べて急いでスイミングに行かなくては・・・

 で、結局部屋の中はあまり片付いていない。本棚の扉を開けて「うわ〜! 片付けられちゃってる」と息子が言った。失礼な! 「片付いてる」と感謝して欲しいものだわ。しかし母に言わせると、息子の片づけ下手は私に似たんだとか。思いっきり否定できないのが情けない。

69 2000.1.23 新しいメガネ2!

 しつこいようだが、まだ目ネタは続く。

 遂に新しいメガネが出来た! 約束された午後3時、待ちかねて早速取りに行く。店内は、休みを利用してメガネやコンタクトの相談に来た人で混み合っていた。引換券を店員さんに差し出すと、奥から大きな書類ケースのような箱に入ったメガネが登場。そう、これ! これが私のメガネです〜! 心境は金の斧、銀の斧。(あんまり関係ないか・・・)

 そっとかけてもらって、フレームの微調整。初めてかけてみた感じは、驚くほど軽い! まるでかけてないみたい・・・というほどだった。
 今まで、朝晩しかかけないせい、と思っていたが、メガネはわずらわしくて重かった。すぐにずれてくるのもイヤで、早くコンタクトを着けたくて仕方なかった。それが、今度のはとても軽くてぴったりと、私の低い鼻にも落ちずにちょこんとのっている。フレームでこんなに変わるなんて! やっぱり、今までの「ザーマスメガネ」はかなりのモノだったらしい。ああ、ケチらずに新しくして良かった〜〜〜。

 店員さんがカゴにたくさん入ったメガネケースを差し出し、好きなのを選べと言う。色々なデザインがあって迷うが、持ち歩きに安心なようにと固いケースに決めた。私の場合、オットの実家にお泊まりなどということが多いのだが、普段のちょっと出掛けるというとき、コンタクトの人はメガネも持ち歩いているものなのだろうか? やはりメガネ派のオットは、車のダッシュボードに何と3つも予備のメガネが入っていた。突然レンズがはずれて割れたことがあるのだとか。

 命の次に大切なものはコンタクト、と思ってきたけれど、メガネもなかなかイイんじゃない?と一人浮かれる私であった。タ〜ンジュン!

68 2000.1.22 新しいメガネ!

 やっと眼鏡屋さんに行く。私の通う眼科には、専属の眼鏡店がないので好きなところに頼むように、処方箋だけ渡される。

 今回も、以前のお店に行くことにした。全品2万円ポッキリ、という店もあるのだが、どんな感じかわからないし、目が悪いだけに、こういう点には慎重になる(後で聞いたら、やはり安い店にはあまり良いレンズやフレームが無い、ということだった)。

 フレームも替えようかどうか、かなり迷った。前回、あまり替えなくても良いようにとガッチリしたフレームを選んだのだが、それが似合わないと不評でちょっと気にしていた。ここで新しくしなければ、また数年間我慢しなければならない。ほとんどコンタクトレンズなので気にしなければ良いのかも知れない。が、気になる。

 結局、妹が「その前の丸い感じのが似合ってた」と言うのを信頼し、出来るだけ丸いフレームを探すことにした。オットは「金や銀縁は、何だかキザでイヤ」という意見も今回は採用。この前は、それを無視して金縁を作った。「ザーマスオバサン」とののしられたものであったが・・・

 ああでもない、こうでもないと取っかえ引っかえし、やっとフレームが決定。レンズの度が強いので、薄くなる特別なレンズを頼んだ。割増料金になる。出来上がるのは明日になるということだ。何だかわくわくしている自分。メガネが変わったからって、顔が変わるわけでもないのに・・・ね。

67 2000.1.21 やっと3学期

 今さらながら、やっと3学期が始まった。

 しっかし、この日を待ちかねたかのように朝から横殴りのものすごい吹雪だ。東京あたりでは完全に臨時休校なのだろうが、そうはいかないのが北国のしぶとさ。子供たちは平気な顔して学校に出掛けていく。スキーウェアでも着せたいくらいなのだが、窓から見ているとどの子もジャンパーにスノトレといういつものスタイル。スキーウェアはあきらめたが、せめてもの抵抗で長靴だけは履かせた。しかし、出掛ける頃になったら吹雪は弱まり、太陽の光も差し込んできた。ちょっと安心。息子よ、たくましく育て! 

 しかしもう一度小学生になれ、と言われても私は御免だ、と強く思う。

 それから、あまり関係ないのだが私の子供の頃は、ランドセルなんて3年生くらいまでしか使わず、あとはみんな手提げ袋やスポーツバッグであった。今も妹の住む東京ではそうらしいのだが、こっちの小学生は卒業するまできちんとランドセルを背負っていく。今は体が大きくて、とても小学生には見えない6年生まで背負っている。ランドセルは申し訳なさそうに背中に張り付いている感じだ。皆さんのところではいかがであろうか?
「おじいちゃんたら、勝手に福袋のランドセル買っちゃったんだよ〜。まあ、あんまり使わないからイイけど・・・」
 妹は、数年前そう言ってあきらめていたっけ。

 息子は1年生の頃からランドセルを酷使していて、毎年冬休みには鞄屋さんに修理に出していた。今回はやっとそれもなく、ホッとしている。しかし我が家では6年間保障の地元のランドセルが欠かせない。これって、男の子だけなのかなあ・・・?

66 2000.1.20 乱視

 去年の12月から引きずっていた眼科に、やっと行くことが出来た。「2週間後に来て下さい」と言われていながら、その間に次男のめまい騒ぎや喘息の発作、私の仕事の多忙などでのびのびになってしまっていた。

 新しいコンタクトレンズはまずまず調子良かった。右目のレンズが汚れやすいことから、目薬を出された。朝晩つけているとかなり違うのだとか。
 今はこすり洗い不要のつけおきクリーナーが主流だが、やはりどうしても汚れが残り、蓄積されていく。そうすると眼科で洗ってもらっても取れない汚れとなり、付着したレンズから目に傷が付いてしまうのだという。今回、この取れない汚れのせいで、5〜6年はもつはずのレンズが4年半でダメになってしまったわけで、これからは面倒がらずに洗浄しなければ、と思う。ドライアイなどで乾燥がひどいと、特にそうなりやすいらしい。パソコンでの画面を凝視するような作業ではなおのこと、と指摘されてしまった。

 さて、やっとメガネを作り替えるための処方箋を書いてもらった。今まで、新しくなったコンタクトに慣れてきてしまった目が、以前のメガネに合わず、夜間の仕事がしづらくて苦労していたのだ。改めて視力を計り直す。それによると、子供の頃から強かった乱視が、今度は弱くなり、新しいメガネには乱視用のレンズを使わなくて良いということであった。
 これは嬉しい驚きであった。目は、悪くなることはあっても、もう絶対に良い方に向かうことはないとあきらめきっていた。ここ1年はMacにかじりついて目を酷使していたから、よっぽどひどいことになってはいないかと心配だったが、この場合、かえって良かった?ということなのだろうか。

 とにかく新しいメガネが出来上がるのが楽しみになってきた。

65 2000.1.19 かゆい地獄の思い出

 今年のスギ花粉は、東京ではもう飛び始めているそうだ。早い! しかも東日本は最悪の飛散量が予想されるそうで、こちらに来る頃のことも思いやられる。

 私の花粉歴は今を去ることン〜年前、高校の卒業式間近の頃からで、世間で大騒ぎが始まる少し前からである。とにかくこの鼻のつらさは経験者でなければ理解できない。止めどなく流れる鼻水。連発するクシャミ。注意力散漫となり、集中できない。鼻がやられるので、モノの味もわからなくなる。何より布団に入ってからの鼻づまりが苦しくてたまらない。
 花粉症でない、それだけであなたはかなりの幸せ者といえるであろう。

 数年前、この状態を打開しなければと思い立ち、症状の出る前が効果的と耳鼻科で薬をもらったことがあった。しかしこれが悲劇の始まりで、この薬を飲んでから、どうも体が変なのである。やけに体がかゆい。熱い湯に入ってスッキリさせようと思ったら、逆にあっという間に症状は悪化。顔を除く全身にじんましんが出てしまったのである。特におなか回りから下半身がひどく、かかずにはいられないのだ。無意識のうちにかく。眠れないほどビリビリとかゆくて、かけば一呼吸おいて数倍になったかゆみが押し寄せてくる。わかってはいるのだが、かく意外なすすべがないのである。
 薬局に薬について問い合わせたが、かゆみを押さえる作用もあるはずのアレルギーの薬で、じんましんなんてあるわけがないと一蹴される。しかしその薬しか思い当たることがないのだ。

 皮膚科にも行ったがもらった薬はいっこうに効いてこない。かゆみは強くなるばかり。友人に「血液検査はしたの?どこか他に悪いところがあるのでは?」と言われ、おそるおそる内科に行った。ここの先生は親身になって話を聞いてくれて、「アレルギーの薬であっても、それが引き金にならないとは限らないのです」とうなずきながら話してくれた。血液検査では内臓に異常はなく、ちょっと安心。そしてここでもらった薬のおかげで私はかゆい地獄から救われることになったのであった。何ごともなく眠れる幸せをしみじみと味わう。

 その時、なぜかあれだけ悩まされた花粉症が出なかった。それどころではない状態ではあったが、どうもこの時の薬が私の花粉症にも効いていたようである。
(アレルギーの場合、何かひとつの症状が強く出ると他は影を潜める、ということもあるようだが)
 次の年から、花粉の時期になるとこの薬を飲んでいる。どんなに強風で花粉が舞い狂っているであろう日でも、大丈夫なのだ。
 それだけ効き目が強いと、恐い薬ではと思う人もいるだろう。しかし、いつまでも効き目のない弱い薬でじっと我慢しているよりは、スッキリと治してしまう方が結果的には良いと思うのだ。
 シーズンになると耳鼻科で注射を1本打ってもらうだけでOKという方法もあるそうだが、残念ながらこちらでは聞かない。早く安全で効き目のある特効薬が出来て欲しいものだ。さて、今年の格闘はいかに・・・?

64 2000.1.18 忘れ物魔

 昨日のスイミングのことで思い出したのだが、長男は一人で通っているせいかよくモノをなくして帰ってくる。実は昨日も、木曜日に忘れたという下着のシャツが届いてないか受付に聞いてみたがやっぱり無かった。まさかね、と思うから名前なんか書いていないし、ただの白いだけのシャツなんか、誰も気にはとめないだろうし、間違って持っていっても気づかないだろうから、とあきらめる。

 長男は、本当に忘れたりなくしたりの名人で、今まで何度同じことをしてきたか数え知れず。靴下の片っぽ、なんていうのは可愛い方で、日常茶飯事。
 私の感覚も日頃鍛えられてきてはいるが、トランクスがなくなったと言って帰ってきたときはさすがに驚いた。仕方がないから、そのまま、じかにズボンをはいて帰ってきたのであるが、その時の様子が今思い出しても涙ぐましい。

「怒らないでね・・・」と言いながら、玄関のドアを半分だけ開けて立ったまま入ってこない。「何? どうしたの?」と問うと「パンツがなくなっちゃったの・・・」「・・・」(どっかーーーん!とカミナリ)

 察しはつく。長男はとにかく脱げば脱ぎっぱなし、友達と話し込んでしまえば今していたことはどこへやらで、意識がパカッと抜け落ちてしまう。コーチが来て、きっと大慌てでそこいらに脱ぎ散らかしたモノを一気にロッカーに突っ込んで、そのまま泳ぎに行ったに違いない。誰が好きこのんで小学生のトランクスを持っていってりするものか・・・。
「わかった。もうトランクスはいいから」恥ずかしいから、今度スイミングに行っても絶対に受付で聞いたりしないようにと言い渡した。万が一出てきたとしても、1週間も放置されたトランクスなんか、存在さえも確認したくはないと思った。

 しかし長男は意気揚々と帰ってきた。「あったよぉーー!」おお、神よ・・・恥ずかしくて私はもう受付に顔を出せないよ。

 トランクスは無事、サルマタケ(知ってる?)も生えずに何ごともなかったような顔をしていた。で、そいつがどうなったか。ウチにかえってきた以上、知らんぷりも出来ないから洗濯して、これまた何ごともなかったかのようにおつとめに励んでいる。めでたし、めでたし・・・?
 

63 2000.1.17 春遠からじ

 久しぶりに次男のスイミングの日。必然的に付き添わなければならない。最近、どうもこれがおっくうでいけない。午前中は家事(一応ね)であっという間にお昼だし、子供たちはこっちの都合なんかおかまいなしに「おなか減ったー」と11時から騒いでいるし。ああ、やっとMacを起動させてノッてきたところだったのに。これから昼食を作り、食べさせ、片付けて・・・。そんなことをしていると、もうバスに時間になってしまうのだ。

 一緒に通うお友達のY君、お母さんとも久しぶりに顔を合わせた。スイミングの様子を見学しながら、約1時間にわたって休み中の報告会。
 Y君のお母さんはもともと体が丈夫な方ではないが、去年子供の風邪による入院に引き続き自分も同じ風邪で入院するという悲劇に見舞われた。とにかく退院は出来たのだが、その時、白血球や血小板の数だとかがおかしいと言われ、年末は検査検査で大変だったのだという。結局、原因も悪いところも解明されずにこれからも2週間に1回の割合で検査していくことになった。しかし、その費用もかなりなものだと嘆いていた。おまけに、長時間かかるので子供を旦那さんの実家に預けたら、おじいちゃんがブツブツ文句を言って半分ケンカになったのだとか。おじいちゃんは大病をした経験から、大したこともないのにしょっちゅう病院で検査なんかして、と言って理解してくれないのだそうだ。
 旦那さんは旦那さんで、白血球の検査をしたと告げたら「本当は白血病ではないのか?」と本人にしつこく追求したという。そうであったら真っ先に配偶者である旦那さんに連絡が行くだろう。そんなことを言われて、かえって不安になったとY君のお母さん。そうだよね、本人が一番心配なはずなんだから、逆に励ましてもらいたいモンだ。
 私は私で、新年早々、それも明日から東京へ里帰りという夜に今までにない大喧嘩をしてしまった話などをした。まあ、どこの家にも何だかんだあるものである。

 泳ぎ終わった子供たちを着替えさせて、帰りのバスを待つ。今まで、帰りはもう真っ暗だったのに、今日はまだ明るいのに驚く。冬本番とはいえ、着実に日は長くなってきているのだ。外が明るいと、何だか得をしたような気分になる。単純である。さあ、これから帰ってお風呂&晩ご飯になだれ込むとするか・・・
 小学生になれば、自分で通うであろうことを期待しつつ、春が待ち遠しい母であった。

 

62 2000.1.16 犯人は誰だ!

 オットが一生懸命作っているベランダの干し柿に、ヒヨドリが来ている。ちょっとかじられた柿を見たときは「腐ったのかな?」と気づかなかったが、ヒヨドリのあのキイキイいう声にのぞいてみると、何とも美味しそうに柿を食べているではないか。それも、あの大きな体でハチドリのようにホバリングしながら。珍しい光景にあわててカメラを向ける。すぐに気づいて逃げるが、またやってきてキイキイ言っている。

「車に入れといたからね、って無理矢理もらっちゃった」
 会社の人からもらったと、大袋いっぱいの渋柿を抱えて帰ってきたオット。自分からせっせと皮をむき、ヒモでしばってベランダに吊した。私はこんな光景、テレビのローカルニュースで見たなあ、と思うけど、まさかオットが作るとは。まあ、やりそうなことではアルけどね。しかし、もともと干し柿が好きではない私は遠慮したが、なかなか甘くフルーティに出来上がってきていたようだ(途中でオットが子供たちに食べさせていた)。

 怒るかなあ。春、やっと実を付けたオットの大切なベランダ菜園のたった一粒のイチゴがかじられ、吐き捨ててあったとき、オットはものすごく怒った。そして犯人は次男ではないか、と疑っていたのだが、結局はヒヨドリのしわざだったのである(失礼な! 次男がそんなことするわけない〜)。

 追い立てるのも可哀相だし、こんなに喜んでいるのだからとそのままにしておいた。自分の好物だったらこうはするまい、と思うけど、冬で食べ物も少ないだろうし、ね。

 隠しきれずにオットに話したら、意外にも平気な顔で、かえって食べに来てくれることが嬉しいようでホッとしたような、拍子抜けしたような。

 とにかく今、我が家はヒヨドリの声で毎朝にぎやかである。

61 2000.1.15 550g!

 やっとオットの休日。待ちかねて買い物に行く。東京から帰ってから、何だか盛岡の寒さが身にしみて、そして気が抜けてしまって、ずっとおこもり生活していた。さあ、長男の新しいスキーウェアも買わなきゃ、キーのヒーターも壊れてるし、それからそれから・・・

 とりあえず、カメ用の水中ヒーターを買いにペットショップへ行く。年明け初めて。そうしたら、入ってすぐの鳥のヒナやウサギ、ハムスターコーナーに、去年アオボウシインコと入れ替わってしまったヨウムのヨウちゃんが帰ってきていた! この子はオットのお気に入りで、私が水ものコーナーにへばりついている間、お相手になってくれるので有り難いのだ。いない間に、だいぶおしゃべりのレパートリーも増えたようであった。

 早速私はヒーターを探す。以前のものは、店員さんおすすめのサーモのいらない自動調節タイプだったのだが、どうも適温まで水温が上がりきれないようだった。水槽の水量が増えたこともあるが、今回は思い切ってサーモ付きの200Wに決めた。セールのため、3980円が3680円。他のトコロも見ないでイイのかな〜とは思いながらも、つい決めてしまう(結局、翌日他を見たら、同じものが定価3480円で出ていてショック・・・!)。

 それからスキーウェアを見にアルペンへ。最近は子供でもスノボスタイルが主流のようで、長男もそれに決める。サイズ150センチ! 大きくなったな〜と実感。次男はレジ横でビンゴゲームを欲しがり、「お兄ちゃんはウェア買ったからね〜」とオットが買ってやっていた。ちょっと意味が違うと思うんだけどねえ。アマイあまい〜!(夜、延々4人でビンゴ大会。最後には私は居眠りしていた)

 帰宅後、キーの水換えをし、早速新しいヒーターをセットする。壊れてから、出来るだけスポットライトを当てて温度が下がり過ぎないようにしていたのだが、やっぱり20度もいかない。陸地で十分に体をかわかし、暖めてからライトを切って私も寝ていたのだが、朝見るといつも水中のヒーターのそばで手足を引っ込め甲羅だけになっていた。前、よくヒーターに寄りかかって寝ていたので、寒くなると思い出して行ってしまうのかな? 何だかとっても意地らしくて、可愛くて「早く新しいのにしてあげるからね!」と話しかけていた。 

 新しいヒーターはすごい!
 水温計は、ピタリ25度、当たり前だが設定どおり。通電を知らせるランプがサーモにもヒーターにも付いていて、オレンジ色の光が何とも頼もしい。消えているときはサーモで調節中。ああ、これってものすごくアタリマエのことなんだろうけれど、初心者はただただ感嘆。水槽にへばりついて、オレンジ色と水温計を見比べてはニタ〜っとしてしまう。

 水温が上昇し、心なしかキーの動きも活発になったようでエサをねだる回数も増えた。しかし、水換え時の体重測定では550g にまで成長していた事実を前に、ちょっとエサくれダンスを見るのが恐いのである。ねだられると、あげちゃうもんなぁ・・・あまいアマイ・・・・・・

60 2000.1.14 おさななじみ

 長男が砂場に通っていた頃からのお友達(盛岡で初めて出来た友人、かな?)の家に遊びに行く。
 母親同士はよく電話したり、お茶したりしているのだけれど、彼女の家が引っ越してしまってからは、子供同士は数えるくらいしか会っていない。たまに買い物先の店でバッタリと顔を合わせるくらいなのだが、突然彼女の息子S君が「一緒に遊びたい!」と言い出したとかで、年末から「里帰りから帰ったら絶対」と約束していたのであった(どうも男子バレーボールのある選手がウチの子に似ているとかで、毎日テレビを見ていて思いがつのったらしい???)。

 コンビニでお昼用のおにぎりやおいなりさん、お菓子を買い込んで10時くらいからお邪魔した。早速、遊戯王のカードの見せあいが始まる。S君は遊戯王のカードバトルセットの立派なスーツケースみたいなものを持っているし、カードの1枚1枚に透明なカバーをしていたりして驚き。
「こんなのもあるんだね〜」と感心していたら「ボクにも買ってよ〜」と長男が言ってきたのであわててその場を離れる。あの山のようなカード全てにカバーだって? ううん、気が遠くなってきた。

 しばらくすると、カードからゲームに変わった。S君はプレイステーション派で、任天堂64派の我が家ではお目にかかれないソフトがいっぱい。お父さんも大のゲーム好きとかで、お昼に食事兼プレステしに帰ってくるほどなのだとか。
 オットはネットに続き、ゲームも大嫌いなヒトなので(子供は外で遊ぶのが一番、という信念のヒト)、この家はさぞやなごやかな雰囲気なんだろうなあ、とうらやましくなる。しかし、父親に文句言われながらもやっぱりゲームが大好きな我が家の息子達、反対されながらもネットを続ける私と、やっぱり似ているのだろうか。そう思うと、あんまりゲームのことで叱るのも可哀相かなあ・・・

 最近買った『筋肉番付』のゲームを仲良くかわりばんこにする3人を横目で見ながら、私と友人はつきないおしゃべりを楽しんだ。
「みんな大きくなったよね〜」赤ちゃん時代からお互い大変な思いをして育ててきたことを知っているだけに、何だかしみじみ。昔は子供同士のとりなしに必死で、ゆっくりお茶も飲めたもんじゃなかったよね。

 見知らぬ土地で初めての育児に悪戦苦闘しているときに心のささえになってくれた友人。あらためてありがたく感じてしまう私であった。
 子供たちはどう思っているんだろう。久しぶりでもすぐに仲良くなれるって、やっぱりあの頃があるからなのかなあ・・・

59 2000.1.13 歯が抜けた

 ついに歯が抜けた〜〜〜!
 っと言っても私ではない。春からやっと1年生になる6歳の次男である。幼稚園のお友達が5歳くらいからどんどん抜け替わり始めているのを見て、ずっとずっと「ボクの歯、まだぬけないの〜?」と気にしていた次男。年末からちょっとグラグラしているのを大喜びしていたのだが、なかなか「その日」がやって来なかった。
「おかあさん、ぬいて〜」と言うのをギョッとしながら「おせんべでも食べれば抜けるんじゃない?」と逃げ回っていた私。なかには「糸引っかけて抜いた!」という気の強いお母さんもいらっしゃるのだろうが、私は御免である。

 東京に行っている間も歯はしつこく居座り続け、ついに今日、我慢できなくなった次男が自分で歯をいじって抜いてしまったのだ。それも、2本。下の前歯、そう、赤ちゃんの頃、初めてはえた最初の2本が、仲良くそろってお役目を終えたのである。 

 大喜びの次男は、大切に歯を洗って「おとうさんにも見せるから」と言って青い容器に入れてテレビの上にのせている。小さな小さな白い歯。アレルギーだらけではあるが、歯だけは虫歯1本ない。だから抜けた歯も、まるで象牙のかけらのようだ(ぎゃ〜!オヤバカ)。

 この歯、私が子供の頃は、上の歯が抜けたら「ねずみの歯と取り替えろ〜!」と言って縁の下に投げ、下の歯が抜けたら「鬼の歯と取り替えろ〜!」と言って屋根の上に投げる・・・と教わった。この前、幼児向け英語番組で「抜けた歯をマクラの下に入れて眠ると、夜の間に妖精がコインと取り替えてくれる」というのをやっていた。それを覚えていた次男は、「コインにかえてもらう」と言っていたのだが、「あれはアメリカでの話だから」と日本風(皆さん、そうでしたよね?)にしようと言っておいた。そういえば、子供の歯をきちんと取ってあるお母さんもいたし、歯医者さんで長男の上の前歯を抜いたときも「お持ちになりますか?」と聞かれたりした。今は記念に親が持っているというのもアリなのだろうか。

 夜、幼稚園の先生からの年賀状の返事を持ってオット帰宅。引っ越したということで、自宅の電話番号やFAXも書いてあった。次男は「せんせいにFAXする」と言って一生懸命、「はがぬけたよ」という言葉とにこにこ顔の自分の顔の絵を書いていた。

 歯が抜けるって、そんなに嬉しいものだったかな? と自分を思い返してみるが、かなり古い話ゆえ困難。次男にとって、歯が生え替わるということは、憧れのオトナに近づく魅力的な出来事なんだろうな。

 夜、久々に母子手帳を開いて見ていたら、初めての歯の記録として、この歯の位置に2/17と書き込んであった。生え始めは8か月、となっていた。そうそう、ウチの子供たちは二人とも生えるのがゆっくりだったっけ。

「そんなに急がなくてもいいのにね〜」と思いながら、6歳の記録のページに歯が抜けたことを書き込んだ。
 次男の歯は、まだどうしようか迷いながらテレビの上にある。

58 2000.1.12 とにかく帰ってきたぞぉ〜!

 卯的生活、いよいよ2000年のスタート。
 とは言え、なぜにこんなに遅い・・・?もう、お正月三が日も過ぎ、世間では日常モードにしっかりと戻っているというのに。
 実は、年が明けてからバタバタと東京の実家に子供たちと押し掛け、私は今まで主婦としての冬休みを楽しんでいたのであった。まあ、オットからすれば毎日遊んで暮らしているように見えるダメ主婦なのだろうけれど、それでもやっぱり盆と正月にはお休みが欲しい! そう、まるで丁稚奉公(古いです・・・ま、落研だったからこんなトコロには詳しいかな?ということで)のような。そう言えば私の結婚生活というのは、確かに行儀見習いに上がっている娘(やや難あり)のようなものかも知れない。

 で、昨日やっと帰って来た。よりによって、さあ、これから帰るぞ!と、ちょうど駅に着いた時間に中央線で事故が発生、電車が止まって振り替え輸送だなんだとあっちこっちへ乗り換えたりラッシュにあったりして、慣れない子供らをとにかく引き回してやっとのことで東京駅から新幹線に飛び乗った。

 可哀相に、乗り物に酔いやすい長男はすっかり人いきれに気分が悪くなり、混み合う電車の隅っこにへたり込んでじっと我慢していた。とにかく先に、東京駅までは行かなくてはと、母も必死。よく頑張ったと親バカながら思う。
 新幹線は指定席を取っていたのだが、平日なのにとにかく混んでいた。乗り込む前にダッシュで買ったロースカツサンド(ちっちゃいプリン付きのチキンライス弁当はすでに売り切れ〜)とポカリで、すっかり元気を回復した長男と、何ごとにも動じないまだ幼稚園児の次男(入学までは電車賃タダ)が早めの昼食を済ませたのを見とどけて、私はゴミを捨てがてら実家に電話を入れた。新幹線からなんて滅多に電話などしないが、とにかく一段落して気が抜けて、この私の惨状を誰かに話したい、実はこんなことがあって・・・と泣き言のひとつも吐きたい気分であった。

 電話すると、母が開口一番「よく新幹線に乗れたね!」と言うではないか。実は、仕事に行く時間を遅らせて駅まで車で送ってくれた父が、私達を降ろしてからラジオで事故のことを知り、心配して母に電話していたのだという。父はとにかくものすごく狼狽していて、どうしようか、どうしようかと繰り返していたという。母は、とにかく何かあれば連絡があるはずだ、ここで自分たちが心配していても仕方ないんだからと父を励ましていたそうである。

 私は私で、とにかく一刻も早く東京駅に着くことしか頭になかった。まさかこの事態を両親が知っていようとは微塵も思わず、ひたすら新幹線に遅れないようにとそれだけで動いていたのであった。

 無事に乗れて良かったと喜んでくれる母の声を列車の轟音のむこうに聞きながら、いくつになっても親とはありがたいものだと改めて思った。母は早速父に連絡するから、と電話を切った。

 帰り着いた盛岡駅は、小雪の舞い散る空模様であった。今まで暖房はホットカーペットのみという場所から、昼間でもヒーター2台フル稼働の自宅に戻ってきたのであった。何だか興奮冷めやらず、おまけに新幹線の中は満員の人と暖房で暑いくらいだった余韻もあって、しばらくは、ボーッとのぼせたようになっていた。この日、盛岡は気温零度くらいの、久しぶりの冷え込みであったそうだ。

 すっかり疲れ切った私は、子供たちと一緒に早々と寝てしまった。ふと目が覚めるとやっと時計が1時を回ったばかりで、まだまだ起きるには早すぎる。しっかり掛けた布団が暑くてバッとはぐと、寝室は身震いするほど寒いではないか。で、また布団にもぐると今度は寝苦しいほど暑い! すっかり東京の気温に慣れてしまっていたようで、何度もこんなことを繰り返しながら、やっと再び眠りにつくことが出来たのであった。