できるだけ日刊的生活
日々思うこと、いろいろを思いつくまま・・・

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38 1999.11.30 感謝、感謝!

 朝から本格的な雪降り。4時半に起きて外を見ると、もうかなり積もっている。かなり横殴りの吹雪だ。

 長男は7時半に出掛けるが、間際になって手袋がないとか、帽子をどうするかと大騒ぎが始まる。どうも彼はいつまでも手が掛かって困る。出掛けるまで私はあれこれ指示しなければならず、ドアを出た途端にホッとする始末。いつまで続く、朝の儀式。

 案の定、幼稚園バスは遅れていて自宅待機との電話連絡。それでも休園にならないのは北国ならでは。その後、40分遅れとの連絡が入る。同じバスに乗るお友達がすでに外で雪まみれで転げ回っていたので、次男もスキーウェアに身を固めて出掛けていく。仰向けに寝ころんだり、雪だるま用の雪を転がしたりと忙しそうだ。ちらちら見ながら私はやっと家事を終えた。

 そろそろバスも来るだろうと外に出ると、イラストレーターの友人が頼んだイラストを持って出てきていた。早い!ありがたい!(実は子供も同じ幼稚園に通っている)
 自家用車で通園のお母さんが戻ってきて「1時間もかかっちゃった」と疲れた様子。いつもなら5分で到着する距離である。やはり雪に慣れた土地とはいえ、シーズン初の積雪にはみんな戸惑い、のろのろ運転なのだ。

 そのままみんなでしばらく話し込み、やっとバスが到着、雪だらけの子供たちが乗り込んで一安心。

 帰って仕事の資料を読みあさる。キーボードを使う仕事は一段落し、今度は記事の構成などを考える。やっぱり私は、機械的に入力するより考えたり思いを巡らせる方が好きだな、とホッとした。

 ルギアがうるさく泣き叫ぶので出してやる。ここのところ、多忙でかまってやれなかったので、すっかりすねている。しばらく相手をしたら落ちついて、肩の上で毛づくろいのまねごとで耳を細かく、やさしくかむ。これが鳥肌モノなのだが、愛情表現なので我慢してやらせた。すっかりご機嫌なルギアはキーボードや原稿ホルダーをかじってみたり、動きに余裕が出てきたようである。

 夕方、あわてて夕飯の準備をしていると入力をお願いした友人から「出来たよ〜」と電話が入って飛んで取りに行く。こちらも歩いて30秒ほどのご近所。持つべきモノは近くの友人、いっぺんに仕事が片付いて大感謝。そして充実感。あとは私が書いてレイアウトまで持って行くだけだ。

 色々なことがあった11月も終わり、明日からいよいよ、決戦の師走に突入! である。

37 1999.11.29 スイミングの付き添だった!

 月曜日は次男のスイミングについて行かなければならなかったのであった。すっかり忘れていて茫然とする。
 ずる休みさせたいのが本音だが、楽しみにしているのだし、大人の事情を押しつけてはいけない、と反省。

 幼稚園バスを待つと間に合わないので、直に幼稚園にお迎えに行く。これも普段よりかなり早い時間になってしまうので、午前中は大忙し。
 ひたすらキーボードをたたいて感覚がおかしくなってしまった。
 指がもつれて動かない。ミスが多い。イライラする。

 スイミングは開き直って、1時間、一緒のお母さんとおしゃべりで発散する。今日は月に一度の検定日でもある。こういう時、気にならないようでやっぱり気にしてしまう。子供より緊張しながら、ガラスの向こうのプールに目は釘付け。
 前回、ダメだったので余計にハラハラしながら見守っていると、どうにか合格したようであった。はぁ〜、気が抜けた。私もなかなか教育ママ(古い?)かも知れないなあ。

 帰宅すると5時過ぎ。大急ぎで夕飯の用意。隙をみてMacでカタカタ。

 子供が寝た9時過ぎ、再びMacに向かうが・・・・・・・

 気がついたらヒーターの前で居眠りしていた。
「寝たら?」とオットにあきれられながら、仕方なく降参。寝る。
 また明日の朝に賭ける私であった。ZZZZ・・・・

36 1999.11.28 休日は進まない〜

 早起きして仕事しようと思い、5時少し前に起きて一人コーヒーをいれ、ヒーターをつける。明るくなったのでカメが起きてきて、ドボンと水中に入りボシャボシャと「エサくれダンス」を始めた。
 カメの大先輩、大和田さん命名のこのダンス、初めは溺れているのかと思ったが、注目されたいときによくやるようだ。エサを入れても遊びたいのか、私にくっついて泳いでいる。ちょっとその余裕がないので水槽の側を離れた。

 朝は能率が違う。夜、特に夕飯後は疲れがどっと出て、とにかく眠くなってしまっていけない。文字の入力など、とんでもないことになるのであきらめて、そんなときは早めに寝て朝に勝負!

 休みなのに子供たちは7時には起きてくる。早い!もっと寝てくれ〜。起きられたら、ご飯の支度をしなければならないではないか。
 しかしこういうときに限ってオットまで起きてきた。あきらめ。
 が、何とオットがみそ汁を作り始めた。彼は独身生活が長かったので、その分ほとんどの家事はこなせる。出来上がったみそ汁で、朝御飯をおいしくいただいた。「おいしいね!おいしいね!」と必要以上のヨイショももちろん忘れずに。

 朝食後、少し仕事して買い物に出かけた。いつもの食料、1週間分のまとめ買い。これがないと糸の切れたタコ状態で毎日近所のスーパーをふらふら漂ってしまう性格の私。しかし、このおかげでメニューはワンパターンだ。どっちが良いかは何とも言えない。

 帰宅して昼食。その後、オット昼寝。私は仕事・・・とMacを立ち上げるがだんだん疲れて眠くなり、結局ヒーターの前に転がって昼寝してしまった。
 あ〜あ、何のための早起きなのか。

 夕方、せっかくの休日なのでまだ寝ぼけ眼のオットを起こして出掛ける。クリスマスケーキを頼んだ(その3日後に長男の誕生日なので、せめてクリスマスは楽しようと)。

 夜、子供が寝てからMacに向かう。明日のことを考えて12時前には就寝。
 やっぱり休日はペースが落ちるなあ。
 悩んでも仕方ない、とパッと気持ちを明日に切り換えた。

35 1999.11.27 ネットワーク

 昨日届いた新しい仕事用の資料を前に頭を抱え込む。
 関連ビデオ(40分もの)、雑誌のコピー数種類、参考書籍4冊、雑誌2冊。
 これに全て目を通して構成を考え、記事を書き、イラストの手配やラフレイアウトまでやれという。締切までは約1週間。

 これだけで良いのなら問題はないのだけど、タッチの差で他の仕事も受けてしまった。この1か月、なぜかヒマだったので、どんな仕事だってありがたい。きちんとやりとげたい。体中がカラカラで、仕事という水を求めていた感じ。

 幸い、同じ団地の友人で今は3人の育児に専念中というイラストレーターを知っていたし、入力のプロもいる。文字通りのママさんネットワークだが、10年主婦をやってきて得た収穫と言えるかも知れない。

「いつか一緒に仕事しようね!」を合言葉にしてきたけれど、とうとう実現のときが来たようで嬉しい。

 でも!イラストを頼むにも、まず資料を頭にたたき込んで構成を考えねば進まない。ごたごたの頭の中、まずイラストで展開する部分を先に描いてもらおうと資料をあさるが、後で私が必要になりそうな項目も混じっていて、どうしようか悩む。我が家にはコピーがない。仕方なく、雑誌のコピーをFAXのコピー機能でどうにかコピーし、見やすい方を友人に渡す。本の方は「私も使うからね!」と念を押して、早めに仕事を進めてもらうことにした。せめてハンド・スキャナタイプのコピーが付いたFAXだったら、と悔やまれる。

 とりあえず、渡せる資料をかき集めてイラストレーター宅へ。
 タイミング良く?3人の子供たちが勢揃いで大騒ぎ状態の中、バサバサと資料を広げて打ち合わせ。
「こんな感じでどお?」とラフを描いてくれたのを見せてもらっていると、横から子供がペンでグリグリ・・・「ペン先がつぶれるでしょ〜!」とお母さん絶叫。1本500円もするプロ用マーカーでは、叫びたくもなるよね。

 我が家もこんな状態だったなあ、と家路につく。といっても同じ団地内、歩いて1分。これが車や電車で手配、となるとまた焦るのだろうな。

「とにかく仕事がしたい!」という彼女の気持ちが良くわかるから、信頼して任せることにした。何だか懐かしい気持ちにふれて、忘れかけていたものを思い出してきた・・・よーし、頑張るぞっ!

34 1999.11.26 授業参観

 今日は長男の授業参観。次男の幼稚園バスのお迎え時間ぎりぎりに戻れるかどうかなので、自転車を飛ばして・・・と思っていたら、来た、来た、降って来ました!今日に限って雪が。まだちらちらではあるけれど、とにかく寒いし帰りに積もられたらたまらないので、歩いていくことにする。

 階段を下りた途端、2階の奥様とバッタリ。彼女の息子も同じ4年生で、クラスは違うが遊び仲間。ちょっと困るのは、ある宗教に一生懸命で、以前「お茶飲み会」と呼ばれたのだが、実はその宗教の婦人部会の集まりだったという苦い経験がある。とても良い人なのだが、案の定、学校に着くまで延々宗教の話をされた。いつも息子がお宅に上がり込んで遊ばせてもらったりしているから、邪険にも出来ずに、しかしそれほど興味も見せずに話を聞くのは難しい。

 やっと学校に着いた。大人の足でも20分はかかる。冬など横なぐりの吹雪でもこっちの学校はちゃんとあるので、そんな中、子供たちはてくてくと歩いて通っているのだ。我が子ながら偉いなあ、と感心しながら、もうへばっている母。

 今日の授業は音楽。いつもの教室とは違った音楽室へ向かう。もうすでに授業が始まっていて、戸惑った。入口は前の方に一つだけ。始めてはいる音楽室で勝手が分からないが、カーペット敷きでみんな上履きを脱いでいる。
 ささっとスリッパを脱いで壁に体を這わせるようにして(こんなことやっても目立つのだが)どうにか教室後部にたどり着く。

 息子は私を見つけてニコニコ顔で「お母さん、セーフ!」とか言う。とんでもないことに後ろから2番目の席である。しっしっ、と手を振って苦笑いを浮かべ「前を向いて!」と小声でささやく。
 それでも息子は嬉しくて仕方ない様子で、何かあるごとに私を振り返ってはニタッと笑う。・・・そんなことの繰り返しの中、45分間の参観はやっと終わったのであった。

 いつもなら「一緒に帰る〜」と甘ったれるのだが、今日はバスの時間があるからと前もって言ってあるのであきらめているようだ。
「お母さん、マサトんちで遊んでもいい?」とだけ聞いて、了解すると満足そうに友達の方へ行ってしまった。ホッとするが、ちょっと気が抜ける。

 男の子って、いつまでたっても甘ったれで、顔さえ見ればじゃれついてくる。一人では何も満足に出来ないので思わず手や口を出してしまう。結局その悪循環なのだろうけれど、知らぬまにこっちまでそのペースに乗せられてしまうのだ。

 マザコンが育ってしまうのは、やっぱり親のせいなんだろうな。でも、男の子って、手をかけてやっと育つ生き物なのだ。仕方ないんだよね、とか考えながら雪の中、今度は次男の待つ場所へと急ぐのであった。

33 1999.11.25 移動図書館

 移動図書館のバスが来た。
 東京にいた頃は覚えがないが、こちらは2週間に一度、本をぎっしり乗せたバスがやって来る。盛岡市には私が知っている範囲でも3カ所は図書館があるが、向こうから来てくれるとはありがたい。ちょうど私の住む棟の真ん前に停車することもあって、ついつい気軽にのぞいてしまう。

 実は今回は久しぶりだった。借りるのは良いのだけれど、返却日になるとバスが来る時間に出掛けていたり、すっかり忘れて帰った頃に気がついたりという、うっかりが続いてなかなか返却できず、自粛していたのであった。

 本を選んでいるときは、とても楽しいし「読むぞ!」という意欲に燃えている(ちょっとオーバーかな)。しかし、いざ家に帰ってみると、雑用があっちからもこっちからも入ってきて、なかなか優雅に読書とはいかないのが現状だ。

 数か月前、次男のお友達のお母さんの車で、ちょっと遠くに出来た図書館に行ってみたことがある。いつもは移動図書館のバスの限られた蔵書だが、やはり本物の図書館はすごかった。久しぶりに沢山の本のにおいをかぎ、隅々まで目を血走らせながら背表紙を追った。『カタツムリの研究』なんていう本もあって、大いに興味をそそられたりした。
 やっぱり返却期日は2週間なのだが、ちょうど2週間目くらいにどちらかの子供が熱を出して図書館行きが流れ、延滞の電話連絡をして、もう2週間の猶予をもらった。しかし、何だかんだやっているうちにまた図書館行きが無理になり、結局そのお友達の、今度はお父さんに返してきてもらうことになった(ちょうど通勤途中だというので)。
 そんないきさつがあって、大きな図書館にはそのまま行けずじまい、次に借りようと思っていた『カタツムリの研究』とはそれっきりになってしまった。

 やっぱり向こうから来てくれるのが一番ね、と久しぶりにバスに乗り込む。頼まれた子供達の好きそうな本を選び(親の好みを押しつけて、『ザリガニ同盟』『きょうりゅうがお店にやってきた』『大槻教授の怪奇現象シリーズ』の3冊)私は気軽に読めそうなもの2冊(東海林さだお×椎名誠『ビールうぐうぐ対談』と斉藤由貴『いつでも わたし流』)を選ぶ。スティーブン・キングは今回は無くて残念。

 心弾ませ帰ってきたら、案の定、新規の仕事が入ると連絡アリ。そろそろ締切りの原稿もあったので、ちょっとあせってMacを開いた。
 そして、なぜか仕事は重なるもので、またもや締切の迫った原稿の依頼。実は今まで時期的なものなのか、さっぱり仕事がなかったので、どんなにダンゴ状態でも嬉しい悲鳴、絶対初志貫徹!なのである。

 結局、私の2冊はまだ開かれていない。それどころかこの分では、卯的生活もキツイし、計画していた友人との忘年会も危うい! 
 締切りと忘年会の予定日が同じだなんて〜〜。さあ、幹事(私のこと!)、どうする、どうする? そして卯的の運命は〜?

32 1999.11.24 幼稚園のカメ・その後

 先日、掲示板でも話題になった幼稚園のカメの話の続編です。その後、先生から電話をもらったので、そのいきさつも含めて、改めて書きます。

 その日は幼稚園の参観日だった。前に見せてもらった幼稚園の大きなアカミミガメ2匹は元気だろうか、と何気なく水槽をのぞいて驚いた。ほんの1週間ほどの間に、カメ達の甲羅がカビだらけになっているではないか。

 さすがに参観日だったので、その場で先生に話すことが出来ずに帰ってきた。しかし、カビだらけのカメのことが気になって頭から離れない。家にある飼育書などをひっくり返してみたが、あまり詳しいことがわからない。とにかく気温が低すぎて、カビが発生したようなのである。幼稚園のカメはプラケースで飼っていて、保温も何もしてはいない。それでも元気で幸せ、と感心していたのに。いてもたってもいられずに、早速カメ飼育の大先輩である大和田さんの掲示板にSOSを求めた。

『大和田さん、みなさんに教えて欲しいことがあります。
子供の幼稚園の教室で飼っているアカミミガメのことなのです。

幼稚園ではかなり大きなアカミミを2匹飼っています。
(詳細は、以前私のHP「日刊卯的生活」でも書いたのですが)
大きめのプラケースに水槽用の砂利を敷き、水は1〜2センチ程度。
陸地はなくて、手足はいつも水に浸かった状態です。
ヒーター、スポットライトなどはありません。
1週間ほど前に見たときは、それでも元気そうだったので「こんな飼い方もあるんだ」と思っていたのですが、今日、参観日で幼稚園に行ったのでケースをのぞいてみると、大きめのアカミミの甲羅の縁が何だか白っぽいんです。
あれっと思いながら他の1匹のケースを見ると、こちらは完全に甲羅全体がカビにやられて無惨なものでした。端の方は、緑色になっていました。
そのときは参観日ということもあり、個人的に先生と話すこともなく帰ってきたのですが、どうしてもカメたちのことが気になって仕方ないのです。
うるさい父兄だと思われるかもしれないのですが、カメを助けてあげたい!
家で本をひっくり返してみましたが、甲羅のカビについての処置法がありません。どなたかご存じありませんか?
嫌な印象を与えないように手紙ででも先生に伝え、もし可能なら私が出向いてカメのカビ退治をしてもいいと思っています。
なにぶん幼稚園のカメなので、設備等、完璧に揃えることは無理だと思います。
冬休みなどは園児の家で預かってもらっているそうなのですが、園内での飼育の仕方など無理のない方法はないものでしょうか』

 以上が投稿した内容である。大和田さんは自分の掲示板と、私の掲示板にもレスを書き込んでくれた。『とにかくカメを洗ってカビを取ること』『せめて陸地と水場を分けること』この書き込みを読んで、私は決心して先生に電話をかけることにした。とにかく話してみなければ。たかがカメに、とあざ笑われる覚悟であった。

 しかし、思っていた以上に先生は誠意をもって私の話を聞いてくれた。そしてとにかく、カメを洗って陸地を作ると約束してくれた。ホッとして体中の力が抜けていった。とにかく私が出来ることは、今はこれだけだけれど。

 その後、掲示板にカメを心配して書き込んでくれた方などもいて、とても嬉しかったし勇気づけられた。メチレンブルーという金魚の白点病用の薬が効くと教えてもらい、ショップをのぞいたついでに購入、翌日には幼稚園に持たせてしまった。すごいお節介だったかもしれない。

 数日後、先生から電話があった。あれから、子供達にカメの話をして、一緒にカメを洗ったそうである。園庭から石をかき集めて陸地を作り、陽当たりの良い場所に水槽を置いたら、カメが気持ちよさそうに甲羅干しをしていてみんなで喜んだということ。
 薬と一緒に同封したキー坊の水槽写真(環境が少しでもわかればと思って)もみんなで見て、息子は一生懸命にキー坊のことを説明したのだそうだ。
 子供達が今まで以上にカメに興味を持ち、一生懸命に世話しているという話に涙が出そうになった。先生も、良いきっかけになったと喜んでくれていた。

 そう、幼稚園のカメは、子供達に可愛がられて暮らすのが一番幸せに違いない。迷子のカメ、キー坊が我が家にやって来て、ぬくぬく暮らしているように。きっとカメにも運命があるよね、とキー坊を見ながらつぶやいた。
 ちょっと引き取れなくて残念な気もしないでは、ないが・・・

31 1999.11.23 1か月

 HPを始めて、この卯的生活を書き始めて、何とか1か月を迎えた。
 実は、日記というものが3日と続いたことのない性格である。こんなに書きまくっておいて、今さら言っても信じてはもらえないかな。
 ホントに飽きっぽい性格で、面倒くさがりで、最初のページで終わったノートがごろごろしている。ハードカバーの日記を買わないのがせめてもの救いであるかも知れない。

 そんな私の日記(というか、その日思いついたことや考えたことなので、必ずしもその日起こった出来事というわけではない)が続いているのは、やはりHPに来てくださる皆さんのおかげである。

 私が書けるのは、日常生活のちょっとしたことで、たぶんどこにでも起こる当たり前の出来事のひとこまであろう。それを読んでくださり、共感したり忘れていたことを思い出してお話ししてくださる皆さんがいることが、とても嬉しく、大きな励みになっている。

 子供の頃から空想好きで、「お話を書く人になりたい」と夢見ていた。しかしあまりに空想の世界を文章にするのは難しく、いつしか実際に体験したり、取材して感じたことを書く方へとのめり込んでいった。
 しかし道は険しく、試行錯誤、紆余曲折の末に結婚して盛岡に住むようになり、求めてきた世界とは一切関係なくなってしまった。

「私は何がしたかったのだろう。結婚して子供を産んだら、それでお終いなのだろうか。あとは子供のため、家族のために生きていくだけなのだろうか」

 思えば、見知らぬ土地での慣れない子育てに、身も心もくたくたになっていた頃であった。自分のゆく場所がわからなくなって、こんなハズではなかったと悔やみ、もがき続けた日々。
 そんな中で、「絶対、書いていて良かったと思えるようになるから」とたった一人、私に書く場を与え続けてくれた人がいた。それが現在の月刊オールバード編集長・柴田氏である。

 書くのが好き、といっても毎日の雑事に追われて締切に泣くこともしばしば。妊娠中の経過が悪くて、入院中のベッドで紙切れに書いたこともあった。産後は疲れ果てて、連載を休んだこともある。でも、可能な限り書き続けよと、叱咤激励してくれる存在がなければ、今、私はこうして書いていなかっただろう。

 書き続けてきたことによって、モスラという1羽の鳥が皆さんに知られることとなり、その広がりで、沢山の人たちとも知り合うことが出来た。

 本当に、読んでくれてありがとう。感謝しています。これからも、よろしくお願いいたします。

30 1999.11.22 Oh!ファービー

 東京のおじいちゃん、つまり私の父は子供が大好きだ。私達がちょっと生意気な子供に成長してしまうと、近所の小さな子達をとても可愛がっていた。出掛けたおみやげに、ウチにではなく近所の子供にケーキを山ほど買って来たときはさすがにあきれた(悔しかった?)。

 私達姉妹に子供が生まれると、待ってましたとばかりに可愛がってくれた。赤ちゃんのお風呂も喜んで一緒に入った。しかし母に聞くと
「今まで赤ちゃんをお風呂に入れたことなんてなかったわよ」と言うではないか。・・・ってことは、長男が初体験? それでも任せてしまった私はかなりいい加減な母親かもしれない。

 孫が可愛くて仕方ないおじいちゃんは、目新しいおもちゃを見つけるとよく子供達にと送ってきてくれた。子供用コンピュータと銘打ったおもちゃや右脳開発用磁石のブロック、ゴジラシリーズの塩ビ人形、特大ウルトラマン、任天堂64、ゲームソフト、ポケットピカチュウetc. 子供達はすっかりおじいちゃんになついて、よく電話でゲームの攻略法なんかを教え合っている。

 さて、いつものようにおじいちゃんからの電話。今度見つけたおもちゃは、今話題のおしゃべりするぬいぐるみ、ファービーだという。東京では限定予約販売とかで、やっと買った1個を電話口でしゃべらせて楽しんでいたのだが、今度は子供達の分を買ってくれたのだという。

 発売日は広告で知らされ、ファービー欲しさにおもちゃ屋さんにかなりの人が並んだという。体の色など、色々な種類があるそうなのだが、選ぶことなど出来ずに次々箱が手渡されるのだという。何と大変なものなのだろう、と感心してしまった。おじいちゃんは妹の子供にもと合計3個買ったのだという。そして今まで興味なさそうだった一番ちいさな孫(妹の子。4歳)が急に欲しがったため、おじいちゃんのファービーをあげたのだという。

 数日後、我が家にカラフルな毛並みのファービーがやって来た。子供達は大喜び。我が家はぬいぐるみのおしゃべりと子供の歓声でえらい騒ぎであった。

 しかし、私は発見してしまった。この大変入手困難なファービーが、盛岡のおもちゃ屋さんでポンと置かれて売られているのを! 色々な毛並みの彼らがズラリと並んでいるのを! そして、さらに『限定版・クリスマスバージョン』とかいうサンタの格好でクリスマスソングを歌うというファービーがあったを・・。

 そういえば、去年64ソフトの『ポケモンスタジアム』が発売されたとき、ちょうど東京に帰っていて、おじいちゃんは限定50個の売り出しに並んでくれた。そしてGBパックというアダプタがもう一つ必要になって買いに行ったとき、いつ入荷されるかわからないと言われ、そっちはあきらめた。しかし盛岡に帰ったら、そんな大騒ぎの品物が平然と売られていたのだ。
「GBパックください!!」私がうわずった声で言うと、店員さんは「ポケモンスタジアムのソフトはお持ちですか?」とにこやかにウィンドウを指し示した。東京では入手困難状態のソフトが、やはりそこには山となっていたのだった。

 しばらく前も、「ポケモン金・銀の予約してきたから。かなり並んだんだぞ」と電話があった。しかし、こちらでは予約は平然と行われており、誰も並んでなんかいなかったのだ。

 おじいちゃん、ありがとう。大変な思いも孫のためなら楽しみの一つなのだろうね。孫以上に情報通のおじいちゃん。おかげでおもちゃ代、助かってます。


 

29 1999.11.21 コンタクトレンズ秘話 弐

 小学校には危険が一杯だった。
 まるで他国のスパイのように「この目にはコンタクトレンズが入っている」という秘密を抱いた私である(母公認でやっと一人だけ友達には打ち明けることを許されていたのだが)。

「だーれだっ!」いきなり背後から目隠しをされる。友達同士の気さくな戯れも、私にとっては恐怖でしかなかった。いきなり強く目を押さえられて、レンズが目に食い込んで痛いし、ずれる。
 このずれるというのが曲者で、白目にずれると青いカラーレンズが異様に目立つ。それに痛い。あわててトイレに駆け込み、個室で悪戦苦闘。手鏡など持っていないから指で押し戻そうと必死なのだが、そのうちレンズが外れて落ちてしまったり。こうなると、這いつくばって探さねばならないのだが、場所が場所だけにとても悲しい。それでも見つかれば良い方である。

 雨の日、傘をさしての帰り道で、まばたきをした瞬間ポロリとレンズが外れ、雨の中を探し回ったが見つからなかった思い出もある。

 何だかんだで、かなり無くしたようである。そのたびに文句を言いながらも母は新しいレンズを作ってくれた。ありがたいことだが、やっぱり小学生には無理があったのではないか、と思わないでもない。

 一番イヤだったのが水泳の授業であった。
 水に入るのだから、レンズを外さなければならない。人に見られずにレンズを出し入れするのと、見えなくなることのつらさで、だんだん水泳の授業をさぼるようになってしまった。
 それまでは泳ぐのが大好きで、夏休みの学校のプールに教えに来ていた大学生のコーチは、私にだけ背泳ぎを教えてくれようとしていたほど見込んでいてくれたのだが、もうそれどころではなかったのである。

 コンタクトレンズの秘密を背負った小学生時代。しかし中学に行って信じられない事実を知った。
「あ、コンタクトずれちゃった〜」とみんなの前で平気で言っている生徒がいたのだ。どきどきしながら話しかける。「ねえ、私もコンタクトなんだよ・・・」「同じだねえ。え、小学生から?早いんだね。私は作ったばっかり」

 これはかなりな衝撃であった。見回すと、回りにはコンタクトレンズの生徒がかなりいたのである。私は「いるんだ! 私だけじゃなかったんだ!」という喜びで、やっとスパイのような秘密生活から解放されることになった。

 う〜ん、こうやって思い出してみると、我ながら実にけなげである。タイムマシンでこっそり小学生の自分を見守り、「大丈夫だよ」とそっと声をかけてあげたいくらい・・・自分で言ってりゃ、世話ないわけだが。

 それからも私はガンガンレンズを無くし、そのたびに母に叱られながらもコンタクト生活の恩恵を受けてきた。
 独立して自分でレンズを買うようになってから、改めてそのありがたさに感謝、である。

 ついこの前、母がレンズを無くして作り替えた、ということを知った。聞けば一緒に作った茶色のレンズ以来だというではないか。すごい。恐れ入りました。あれから何年・・・勘定するのは、トシがばれるので、やめておく。

28 1999.11.20 コンタクトレンズ秘話 壱

 私は目が悪い。今をさかのぼることン年前、小学生になる前の健康診断で初めてそれが明らかになった。
「え?これが見えないの?」と驚く検査官の先生。私も幼心に、今まで見えていた世界が実は限られたものであったと知らされて驚いていた。母方が近視の家系のようなので、この時期から悪いのはやはり遺伝であろう、ということだった。

 それでもまだ、眼鏡はかけなくても良いと言われていたが、悪くなるのは時間の問題で、教室の机はどんどん前の方になっていった。
 絵を描くのも本を読むのも大好きだったので、仕方ないことだった。
 そしてとうとう眼鏡を作ったのだが、今のようなおしゃれなデザインは無く、いかにも「メガネ」というあだ名で呼ばれそうな赤い、ちょっとつり上がったようなフチの眼鏡。やっぱり私はこれがキライであった。

 眼鏡は作ったものの、回りの目が気になって、授業中にわからないときだけそっとかけていたら、かえって、かけたり外したりが視力に良くなかったようで、目は悪くなる一方だった。
 私は眼鏡でもあまり見えなくなり、視力検査の日はとても苦痛だった。遠くの文字が見えないということが、そんなにも悪いことなのか。
 幼い心に、近視は悪いこと、みたいな図式が深く刻み込まれてしまい、コンプレックスに悩まされることになる。

 こんな私を見かねて母が思いきって訪ねたところは、眼鏡店の2階にあるシーンとした何やら秘密めいた場所であった。
 何回か通った末、そこで秘かに渡されたもの・・・それがコンタクトレンズとの初めての出会いであった。
 当時まだ小学校の4年生だったから、かなり思い切った選択であったと今でさえ思う。思い出すのはいつになく真剣な表情の母が「見えるようになりたい?」と聞いてきて、「ウン」と答えた情景である。確かそのまま学校を休んで出掛けたのだった。思い立ったら今!という性格、確かに親子である。
 母なりに心配してくれていたんだなあ、と思うが、実はこの時、母も一緒にコンタクトを作っていた。本当は自分一人で作る勇気が無く、私はダシだったのかも知れない・・・。

 当時では珍しかったカラーコンタクトで、目の色は変わらないが外したときに透明でないのでわかりやすい、ということだった。
「青がいい!」すかさず私が言うと「お母さんも青にしたかったのに〜」と母はしぶしぶ茶色にしていた。別に同じ色でも良かったと思うのだが、「間違えないように」と言う。今思うとおかしな母である。
 レンズの装着を店内のフィッティング・ルームで練習するのだが、私は覚えがいいと店員さんにほめられた。母は鏡無しで外すことが出来ずに、小さな吸盤を目に吸い付けてスッポン、と取っていた。
「よく見ないで出来るわねえ〜」この時も母はうらめしそうであった。

 コンタクトレンズは、良くも悪くも私の世界を変えた。
 瞳にピッタリとフィットするので、見え方が眼鏡と全然違う。眼鏡では視力の出ない人には最適だそうで、目の前がいっぺんに明るくなった。世間はこんなにも明るくくっきりとしたものだった、と初めて知った(かなりオーバー)。

 しかし母はコンタクトレンズは秘密の道具、というイメージが強かったようで、このことは担任の先生にだけこっそりと知らされた。私にも「あまり人に言うんじゃないよ」と言い渡し、この日からまた私は新たなるコンプレックスを持つことになる。母もきっと、見えないことで苦労してきたのであろう。自分が目が悪くない、と見せかけることにこだわってしまうからには、きっとつらい過去があったのかも知れないと、今なら理解することが出来る。

 しかし、学校で秘密を抱えて生活することは、10歳の子供にはかなり厳しいことであった。

長くなるので翌日に続く

27 1999.11.19 ウォーキング(ただのケチ?)

 3日前、コンタクトレンズを換えた。
 私は超ド級の近視で乱視もあるので、眼鏡ではなかなか視力が出ず、もうコンタクト無しの生活は考えられないほどである。その話は改めて書くとして、今回は新しいレンズがどうも見えにくくて、再び眼科に行ったことを書く。

 医師とは別に、眼鏡やコンタクトを調節する専門の技師のような人たちがいて、まずその人に診てもらった。私の訴えは、どうも目が新しいコンタクトに慣れている途中らしく、来週当たりはっきりすると思うのでそれまで様子を見てみましょう、ということになった。
「もったいないので、今日は来なかったことにしましょうね」
 ちょっとダンディーな声の担当者は、気を利かせてそっと診察券を返してくれた。おお!何と良心的な眼科であろう。眼科はバスの通らない不便なところにあり、行きはオットの車に乗せてもらったが、帰りはタクシーで帰ろうと思っていた。私は嬉しい気分で足取り軽く、気ままに店をのぞいて回ることにした。

 まず、デパートの中の小さなソニープラザでビーニー・ベイビーズの入荷状況をチェック。これは米国で大人気のビーズが入ったくたくたの感触のぬいぐるみで、クマや犬猫といったお決まりのものから、鳥類や爬虫類、両生類や魚類、クモやカニまで沢山の種類があるのが魅力だ。盛岡では売っていないと思っていたら、偶然この店で見つけ、秘かに状況をチェックするのが楽しみになっている。
 今回は意外に多く、クロヒョウ、ヒョウ、猫、リス、カニ、サソリ、鳥類(名前を忘れてしまった)が入っていた。じっくり顔つきなど見比べて悩んだが、結局買わずにその場を去った。いかにもヒョウ柄を着そうな女性が、ヒョウを手にとって見ていたので「買ってもらえるといいね」と思いながら先を急ぐ。

 歩いて5分ほどの書店へ行こうと思って出口に向かう途中の小物やさんで、民芸品のフクロウの鈴や猫の置物にしばし見とれ、数分後やっと外へ。

 書店では、まずお決まりのパソコン雑誌コーナーへ。季節柄、年賀状作成CD-R付きの雑誌が山のように出ている。毎年子供の写真で作っているが、今年はどうしようかな?と悩みつつ、恥ずかしながら一応DTPをやっているのだから、こういうのに頼ってはイケナイ!と思い直して次へ。
 目に入った「カラー図鑑 カメのすべて」を立ち読み・・・のつもりがいたく気に入ってしまう。性格上、いったん諦めても心に残り、結局また買いに来てしまうだろうと考え、決める。それを持ったまま今度はパソコン書籍コーナーへ。
 相変わらずWindowsばかりだなあ、とながめながら、「HTMLポケットリファレンス」を手に取る。Page Millはとても良いソフトなのだが、改行したつもりがUPしてみたらされていなかったり、ネスケとIEでかなりレイアウトの差があることを知って、やはりタグの勉強も必要であると痛感しはじめた今日この頃。ううむ、これもなかなか良さそうな本である。
 しかし、確か先週も違う書店で本を買ったばかりのはず。そうでなくても今月は仕事がヒマだったから、今、散財しては後がつらいぞ、と一応は良心がささやく。そのとき「今日は眼科代かからなかったんだから」というもう一つの声がこそこそ言い出す。今日はこの店でこの本と出会う運命だったのだ、と勝手に解釈して、気が変わらぬウチにと足早にレジに向かうのだった。あ〜あ。

 書店の隣のホームセンターで、黒猫さんに教えてもらった「メチレンブルー」を発見。いつ必要になるかも知れないし、せっかく来たのだから、と購入。それから水槽に小ガメが2匹いるのを見つけた。アカミミガメとクサガメベビー。このクサガメベビーの何と可愛いこと! アカミミは小さい頃から何かを悟ったような顔つきなのに比べ、クサガメは、ほけ〜っとしていて見るからに何も考えてなさそうなマヌケ顔。そこがまた愛らしい。
 また考えるが、もし幼稚園のカメが来ることになったりしたら大変なのでサヨナラした。また見に来ることにしよう。

 それから私は、てくてくと40分歩いて家に帰り着いた。タクシーなんてとんでもない!(本買っちゃったし)
 木々の紅葉と岩手山がとても美しかった。
 
 

26 1999.11.18 15歳の大往生

 友人の愛犬が逝った。それはFaxによって知らされてきた。
 ライターである彼女らしいな、と思いながら読んでいるうちに、ペットと、生き物と暮らすということはどういうことなのだろう、と考えてしまった。

 彼女の愛犬は15歳。犬の寿命としては大往生といえるだろう。しかし、あらためてたった15年しかないのか、と思うと悲しくなる。
 生まれたばかりの子犬の頃から、おもらしをしたとか病気になったとか、初めてお手をしたとか涙をなめてなぐさめてくれたとか・・・そんな毎日を積み重ねて、きっとお互いが空気のような存在として過ごしてきたことだろう。
 あたりまえの日々、呼べばいつもそこにいた大きな体。我が身に置き換えると、そんな存在を失うなんて信じられない、信じたくないことだ。

 犬の15歳といえば、かなりの高齢である。彼女のFaxによると、半年にわたって徘徊、餌を食べたことを忘れてしまうボケ、難聴、弱視といった症状に悩まされてきたのだという。まるで人間の老人のようだ。
 永眠する前日の夜から自分の小屋への段差が上れずに倒れ、運ばれた室内のケージの中で立ち上がれなくなり、朝まで夢うつつの中で吠えたりうなったりしながら、翌朝静かに息を引き取ったそうである。

 彼女は倒れたときに「これからが本格的な介護の始まりだ」と覚悟したそうだが、そんな苦労をさせまいとするかのように愛犬は旅立っていった。

 今、ちょっと気に入ればどんな珍しい生き物でもペットに出来るこの時代に、その最期まで看取る覚悟のある人はどれだけいるのだろう。
 小さな頃は可愛らしかったペットも、だんだんに成長し、年老いていく。それは大げさに言えば人間の老人介護にも似た、きれいごとでは済まされない厳しさがあるのだろう。

 我がモスラも10歳。キエリボウシインコは40年生きると言われているが、すでに長年の食生活によって闘病中の彼が、どこまで生きられるのかと問われれば何も答えられない。
 友人の悲しみが、いつ私の悲しみになるかも知れない。昨日まで元気だった鳥やカメが急変し、突然の別れを強いられたケースもたくさん聞いてきた。
 どれも我が身に置き換えずには、いられない。

 別れを恐れるばかりではなく、別れがあるからこそ、この大切な存在を愛していきたい。介護が必要になったときに、躊躇することなく手を差しのべられるように。いつまでも一緒にいられるように。

 犬千代君のご冥福をお祈りいたします。

25 1999.11.17 雪が舞う街

 前の日から予報は出ていたが、今日、遂に雪が降った。
 岩手山にはすでに積雪があったので、これは初雪とは言わないのかな?
 でも盛岡市内に雪が降ったのは今シーズン初めてだと思う。まだ、舞うという感じで大雪にはならないが、風はとても冷たい。

 結婚したばかりの頃、雪が降るのを窓から眺めるのが大好きだった。きれいだなあと、いつまでもしんしんと降る雪を見つめていた。ヒマでもあった。
「雪が積もっていくのを見るのが好き」とどこかで書いたら尊敬する大先輩から「あなたはまだ雪の恐さを知らない」と言われたことがある。「そんなものかな」と思ったが、そのときはピンと来なかった。

 東京の雪は降っても積もってもすぐに消えた。たまに大渋滞や骨折する人が出たりはしたが、そんなニュースも2日ともたなかったような気がする。
 ドカ雪の翌日はだいたい快晴で、子供達は溶けていく雪を名残惜しんでドロドロになって遊んだものだ。何日も何日も雪の中、なんて思いも寄らなかった。

 盛岡はあまり雪は積もらない。そのせいか雪で地熱が保温されることがなく、冷え込みは厳しい。放射冷却というやつだ。乾燥もする。
 私の住む団地は機密性が高く、冬でもとても温かいが、それでも真冬はヒーター2台を一日中点けっぱなしにする。給油も毎日の日課になる。
 もっとも、我が家は鳥達がいるし、子供も部屋中を駆け回るので、一部屋だけを暖房すれば良いという他の家とはちょっと事情が違うかも知れない。

 洗濯物も、干すなり凍る。タオルが1枚の板になる。結露した窓が凍りつき、開かなくなることもある(これは結露した窓のお手入れを忘れたときだが)。
 朝、起きて障子を開けると(防寒のためにサッシの内側に障子がある。子供が破くので凄いことになっているのだが)氷の模様ガラスになっていたりする。美しい自然の芸術だが、すぐに部屋の温度で消えていく。その一瞬が好きだ。

 しかし、こんなにのほほんとしていられるのも、私が家で仕事しているから。
お勤めの人は大変だろうな。道路が凍りつくから車はゆっくり、のろのろと走るので渋滞してバスの時間はあてにならない。近くの駅のローカル線は何のアナウンスもなく10分も平気で遅れたこともある。たまたま電車を使うときだったので、これには参った。ホームは吹きっさらしの東屋風。すっかり凍えた。

 おしゃれなブーツも必要ない。とにかく靴底を確認して、いかにも滑らなそうな、ごつい感じの完全防水を探すとデザインは二の次となる。
 今年のお正月に実家に帰ったとき、ついおしゃれな皮のブーツを衝動買いしたのだがあまり履く機会がなかった。完全に道が凍らぬうちに履かなくては、と思うが外出するのも寒い。

 何だか良いところは全然ないような書き方になってしまったが、北国にはやっぱりそれなりの良さも沢山ある。
 思い立ったらすぐスキーに行けるし「今夜ナイター行かない?」なんて誘い方も可能だそうだ(!これはオットに聞いた話だったが、ということは彼もそうやってデートしていたってこと?)。
 凍りつくような冬の夜空は空気がピン!と澄みきっていて、星が美しい。一瞬寒さを忘れて見入ってしまうこともしばしば。
 そして、何と言っても白鳥がやって来る。近くの高松の池や、湖は、いつもこの時期、沢山の人が白鳥に餌をあげてたりしてにぎわっている。みんな彼らが来るのを楽しみに待っているのだ。

 まだ雪はちらついたばかりで冬もこれから。北国の良さも、だんだんとお知らせしていきたい。雪見酒も、もうすぐ楽しめる。

24 1999.11.16 水いぼバスターズ 弐

 予備知識として
「水いぼは先生がピンセットでぴっ!ぴっ!とむしり取っていくんだよ。すっごく痛くて、ウチの子は5個目までは我慢してたけど、それからはワンワン泣いて大変だったんだから〜」という情報は仕入れていた。

 次男は痛みには結構強いタイプで、予防接種も点滴もケロリとして受ける。点滴の時は嬉しそうにさえ見える。
「イヤじゃないの?」と聞くと「だって、びょうきがなおるためだもん」と達観したお答え。我が息子ながら感心してしまう(大親バカ!)。
 それに引き替え長男は血液検査だけでも震え上がり、パニックになり、看護婦さん数人に全身を押さえ込まれてやっと採血にこぎつけるという、何に対してもお祭りさわぎのにぎやかさ。ああ。

 いくら無敵の次男とはいえ、一応説明はしておいた方がよいだろうと「水いぼを取るからね。ちょっとだけ痛いんだって」と話して心の準備はさせておいた(詳しい方法は教えなかったけれど〜)。
 ちょうどスイミングスクールの側にある皮膚科なので、泳いでいる間に診察券を出し、スイミングが終わってから診てもらうことにした。待合室は混んでいたが、診察券のおかげですぐに順番が来た。

 中待合室に入ると看護婦さんが水いぼの出来ている場所に丁寧にボールペンで印を付けていく。次男は「それ、すいせい?」と心配そうに聞く。「油性!な〜んてね、水性だよ、落ちるから大丈夫」と看護婦さんと余裕のやりとり。母の方が何だか落ち着かず緊張してきてしまった。

 いかにも女医さん!という感じの凛とした先生の診察を受け、別室でいよいよ水いぼ除去が始まる。長椅子のような診察台に寝かされ、先生が来るのを待つ。
さっきの先生が手袋をし、先のとがった長めのピンセットを持って現れた。いつの間にか看護婦さんの数も3人に増え、ずらりと診察台を囲む。私は出来るだけ邪魔にならないようにとは思いながらも、先生の陰からしっかりと一部始終を見届けた。

 強いて表現するなら、にきびをピンセットでつまむような感じ、だろうか。しかしにきびとは違って取るたびに血が吹き出す。片手のガーゼでその血を押さえながら、関係ない話で次男の気をそらそうとしてくれる先生。しかし手先は鮮やかにぴっ!ぴっ!と獲物を逃さない。

「さあ〜、終わったよ!頑張ったねえー」どうにか難関を突破した次男、我が子ながら本当によく我慢したと思う(またまた大大親バカ〜!)。ごほうびのけろっぴシールをもらいながら、腕に巻いてもらった包帯が珍しくて仕方ないという様子。かなり落ち着いている。
「ねえ、おかあさん」「なぁーに?」「このほうたい、おわったら、ぼくもらってもいい?」

 いいよいいよ、なんだってあげる! とにかく『水いぼバスターズの項』無事終了。早く治るといいねえ。

23 1999.11.15 水いぼバスターズ 壱

 子供達がスイミングを習い始めて1年が過ぎた。水が大嫌いで顔をつけただけで半狂乱だった長男が、3年生になってから突然水泳に興味を持ち始めた。
 指導してくれる担任の先生が変わったせいなのだが、親切に教えてもらって水の楽しさをやっと知ったようであった。

 1、2年の時の先生は「泳げない子ひとりにかまっていると、クラス全員で○○分も時間がかかるんですよ、お母さん! 家で顔付けくらいは出来るようにして来てくださいねっ」とヒステリックに話す若い女性だった。私はこの先生に期待するのはやめよう、と秘かに心に誓った。何のための水泳の授業かと腹が立ったがケンカする気にもなれないほど呆れていた。

 3年生でクラス替えがあり、担任もベテランの中年女性へと変わった。この先生は「すべての子供には必ず良いところがある」という信念を持っているようで、学期末の個人面談でも笑顔で「お子さんをぜひ、ほめてあげてください!」と言って単純な私を感涙させた。
 
「お母さん、水泳が終わっちゃうよ」と残念がる長男。このチャンスを逃してはならじと、早速スイミングスクールに通わせることにした。次男もそれを見てお決まりのお兄ちゃんの金魚のフンと化し、めでたく二人はスイミングを始めることとなった。

 良く続いているなあ、と思う。長男は自分でバスに乗って通えるが、次男はまだ無理。まるまる半日つぶれるが、付き添いとしてせっせと通っている。月に一度の検定試験は親ばか丸出しで手に汗握っているのだが、この胸の高鳴りは母親である私にしかわからない特権だと思って開き直っている。

 秋に向かう頃、同じようにスイミングに通うお友達が、水いぼになったと話していた。これはプールなどでうつる皮膚病で、水泡がつぶれるとその汁が付いたところにまた増えるという、やっかいなものだ。
 そのときは何気なく聞き流していたのだが、遂に次男ももらってきてしまった。最初はかかりつけの小児科で診てもらい「このくらいなら放っておいても自然に治りますよ」と言われて安心していたが、一向に治らない。後で知ったが、小児科と皮膚科では所見が違い、まず小児科では「水いぼを取る」とは言わないのに対して、皮膚科はどんなに小さくても必殺!という方針のようだ。

 近所のお友達はほとんどが皮膚科で取って治したという。
「自然に消えるまでは2、3か月かかるんだってよー。それまでにつぶれて増えたりしたらイヤじゃない! 顔だって、出来るし大人にもうつるんだって〜」
 ここまで聞いてはただではおられない。その話を聞き、皮膚科に飛んで行ったのは言うまでもない。

 長くなるので翌日につづく

22 1999.11.14 カメはカメでも

 私がカメと言えば文字通りのクサガメなどの爬虫類のカメ、オカメインコなどの鳥類であるが、これはまた違ったカメ。さあ、あなたはどんなカメを思い浮かべますか?

 答えはムシのカメ、カメムシ〜! 秋田の家には、実にたくさんのカメムシがいた。秋から冬へと向かう中で、ちょっとしたスキに家の中に潜り込んで冬越ししようというその気持ち、わからないではない。しかしヤツラは暖房などで部屋が温かくなると、ついつい顔を出して見つかってしまうのだ。

 カメムシの困るところはやっぱりアノニオイだろう。なんと表現すれば良いのだろう。栗の花のにおいをもっと強烈にしたような感じだろうか?
 カメムシ捕りはオットの役目。子供達の「こっちにもいる!」「あっちにもいる!」という歓声の中、居間で30匹近い数をゲットした。オットは無為な殺生は大嫌いなので、みんなティッシュでつかんで外に逃がしていた。

 夜。台所で片付けをする私のかわりに、オットは2階の寝室となる部屋で布団を敷いていた。彼は結構そういうところは苦にならない人で、洗濯物を干したりも好きなようで、せっせと働く。

「カメムシがいっぱいで参ったよ」と布団を敷き終えて戻って来たオット。2階は陽当たりが良くて日中はぽかぽかなので、余計にカメムシが入りやすいのかも知れない。そこでもかなりの数のカメムシを逃がし、ちょっとニオイが残ったので窓を開けておいたよ、とオットは言った。

 しばらくして、寝ようとみんなで2階に上がった。ドアを開けたとたん、まだ残るカメムシのニオイ。私は「カメ臭がする〜!」と言って子供達を笑わせていたが、何だかいつまでたってもニオイがなくならない。気のせいかも知れないが布団に入るとそのニオイはもっとはっきり感じられるようになった。

「何か、私のところだけカメ臭がするみたい〜」と訴えたら「じゃあ、調べてみる?」とオットが言った。しかし眠いし面倒くさい。「いい〜。きっと気のせいだよね」
 そして、一応寝た。朝になるとさすがにもうニオイは消えていたが、何気なく布団をたたんでいてビックリ! マットレスの下から、のこのことカメムシがお出ましになったのである。やっぱり私のハナは鋭かった。
 ああ、カメちゃんと一緒に夢の中・・・ムシのカメは苦手である。

21 1999.11.13  市場のカメたち

 週末だけ出る市場がある。かなり大規模で、生鮮食料品から雑貨、衣類、中古ゲームソフト屋まで文字通り軒を連ねている。安いし新鮮。消費税も「内税」というところが買う側にも嬉しい。
 オットの実家である秋田に行くときは、道の途中ということもあって必ず寄って食料を調達する。その店の中に、いかにも露天のペット屋という感じのするペットショップがある。

 そこはちょうど市場の入口にテントを張っていて、地べたに金魚や鳥、子犬や子猫を並べて売っている。私が初めて驚いたのは、「雑種」と堂々とうたった子犬や子猫を5000円で売っていることだった。雑種の犬猫は、里親募集こそすれ有料で売るなんてことはないと思ってきた。猫の場合、洋猫の血が少しでも混じっていれば好きな人は喜んで入手しようとお金を出すことがあるとは聞いていたが、犬においては初めてだった。

 保健所に行けば気の毒な犬が山ほど引き取り手を探しているというのに、金を払ってまで飼う人がいるのか、と思っていたらごく近所にいた。行きつけの美容院なのだが、娘さんが衝動買いして来たという。犬はとても従順でおとなしく、店内にいても違和感がないほどになつき、可愛がられていた。

 今日、またこのペットショップをのぞいたら、大きなプラスティック製の衣装ケースの中に大きなカメがゴロゴロ入れられていた。甲羅の厚み(高さ?)が陸ガメを思わせるほどあって、一瞬悩んだ。「これは何て言うカメなんだろう?」
 顔つきはウチのキー坊にそっくりなので育ちすぎたクサガメかな、と思った。
一緒に入っていた巨大アカミミガメも、そのカメが沼ガメなのだと物語っているように感じた。

 ケースには「カメ大放出!500円」の殴り書きの文字。まさか陸ガメをこんな値段で売ったりしないよね、と思いながらもそのカメたちが気になって仕方なかった。甲羅の亀甲模様が薄くなっていてよく見えない。ヤスリでこすったように白っぽくなっているのもいた。
 一体どんな風に生きてきたんだろう、なんてそこまで思いを巡らせてしまう。悲しいかな、カメ飼い。

 秋田の家に一泊後、自宅に戻ってまず驚かされたのはキー坊の水槽が中が見えないほどに汚れてドロドロに濁っていたことだった。どうも濾過装置のエアチューブを蹴飛ばして外してしまったらしい。キー坊の姿はどこにもない。中の見えない水の中で、元気に泳ぎ回っていたようだ。
 水を換えるために手探りでキー坊をたぐり寄せ、「カメがきれい好きなんて、誰が言ったんだ〜!」と疲れた体にむち打ちながら、ひとり悲しい悲鳴を上げる私だった。

20 1999.11.12  ホームポジション

 友人から電話があった。
「ちょっと落ち込むことがあったので聞いてくれる?」
 友人は長男が幼稚園に入る前、公園デビューの頃からのおつきあいである。ずっと同じ団地に住んでいたが、小学校入学を期に新居へ引っ越した。今はたまにしか会えないが、心の中を思いっきり見せられる大切な友人である。

「今朝、不定期の仕事の電話が入ったので受けたんだけど、その後で都合が悪かったことがわかって、断ったんだけどね」
 友人は派遣のような感じで仕事をしている。一人息子がとても可愛くて、フルタイムの仕事はとても出来ないと言っている。
 そして10月から週に一度、ワープロ教室に通いはじめ、今ワープロに夢中なのである。仕事を頼まれた日は、ちょうどワープロ教室の日に当たり、どうしても休みたくないということで断ったのだそうだ。

「オトーさんがちょうど断りの電話を横で聞いていいてね、電話を切るなり『お前の電話は卑屈だ』って言うのよ!」
「ひくつ、って?」
「何度も何度も謝りすぎるって。スミマセンは一回言えばいいのに、お前は何回も謝ったりして卑屈だって。今回だけじゃなくて、PTAとかの電話でもそうだって〜」
 そして旦那様はそれだけ言い捨てて、仕事に出かけたのだという。彼女はあまりのショックに何も反論できず、次第に気になり、頭に来て、そして落ち込んで電話してきたというわけだった。

「そんなことナイでしょう。私だって何度も謝ったりするよー。きっと自分の愛する奥様が他のオトコにぺこぺこアタマ下げてるのが気に入らなかっただけじゃないの〜」
 実際どんな電話だったか知る由もないが、一応は励ます。こんなとき、事の正否は別として、やっぱり同意してくれる味方が欲しいと思うから電話してくるのだ。自分に味方がいる、と思えるだけでもブルーな気持ちは軽くなる。私もそんな電話を何回かけたことか。

 その後、彼女の近況や息子のことなどを報告しあった。家にいることが多い彼女は、機会を見つけてはボーリング教室に出かけたりワープロを習ったり、結構自分磨きに頑張っている。
「ワープロ教室にはいろんな人がいて面白いのよ。就職活動のために覚えたいという高校生や、自分史を書きたいというおじいさんとか。楽しくって2時間があっという間に過ぎちゃう」
 ふんふん。かなりお気に入りの様子である。夢中になれるものがあるって、とても大切だと思いながら明るい彼女の声に安心した。

「ねえ、ウノさんはホームポジションって、ちゃんと出来る?」
 ナニ?そんなの知らない。彼女の説明によると、キーボードを打つのには決まった指の置き場があるのだそうだ。先生はかなり厳しくて、それまで自己流でも結構早かったのだが、それはそれは苦労しているのだとか・・・

 やってない・・・すっごい自己流。打てればイイやって感じ。パソコンが出来る私なら、ワープロなんてプロ級だろう、と彼女は大きな誤解をしていた。「ブラインドタッチ出来るでしょ?」とも言われた。弱った。
 みなさん、キーボード操作はどんなもんでしょ?
「ホームポジションなんて常識じゃない!」なんて言われたら、どうしよう。

19 1999.11.11  嬉しいおみやげ

 昨日、いきなり決まった東京出張でオットは久しぶりに新幹線に乗った。朝、家を7時半に出て行ったのに東京駅に着いたのは11時過ぎだという(その頃、私はウホウホ言いながら本屋にいたわけだが・・・)。
 で、肝心の仕事は午後から、夜の9時には自宅に帰り着くというハードスケジュール。ご苦労様でした!
(せっかくだから、お泊まりして来ても良かったのにぃ〜)

 さて、久々の出張のおみやげはすごかった!
 前は新幹線の中で読んできた週刊誌とかいうとんでもないモノが多かったが、今回は「こちカメ」こと漫画「こちら亀有公園前派出所」の両さんの人形焼き。以前、キティちゃんのはもらって知っていたけれど、今はこんな漫画の主人公モノまであるなんて。 味は美味。合格。
 オマケにペーパークラフトの飛行機が付いていて、子供達は喜んで組み立てていた。会社用には「もんじゃ焼きせんべい」(箱にそう書いてあった)・・・?これも「こちカメ」シリーズ。ナニナニ?どんなお煎餅? 気になるなあ〜〜。

 それから、私に「爬虫両生類飼育入門」というハードカバーの分厚い本!これ、欲しかったのだ。価格が4500円とお高いのと、出版社が以前勤めていた会社であることなどから、どうにかならないかな〜と、ずっと思い続けていたら社長がプレゼントしてくれたのである。ありがとうございます〜! オットはそれを受け取って来てくれたのであった。感謝感謝。

 もう、壮観である。写真がいい!イギリスの本の翻訳ものだが、本当に向こうの写真は迫力あるアップの連続。ページをめくるたび、歓声とため息の連続である。爬虫類の、あのザラリとした皮膚の感じまでがしっかりと表現されている。そして意外にもつぶらな、愛らしい瞳。これは爬虫類が好きでなければ撮れない写真だ、と勝手に納得してうなづく。満足。

 東京の話もそこそこに、じっくりと本の世界に浸ってしまった。オットはあきれて・・・でも、まだ本だからいいか、というようにのんびりテレビを見てくつろいでいた。生体飼いたい、なんて言ったら大変だろうなあ。今のところ予定はない。この本が、宝物。

 翌朝、次男をつかまえて「ねえねえ、見て見て!すごいよー」としっかり深層心理に植えつけといた。じっくり味方を育てておこうっと。

18 1999.11.10  ストレス解消!

 いきなり、ホントに突然「今日は大通りに行こう!」と発作的に思う。それは朝目覚めたときにアタマにひらめいて、朝の準備をしている間にムクムクと大きくなり、幼稚園バスを見送るまでには一通りの家事を終えて(というか適当に区切りをつけて?)、その足でバス停へと向かう。
 幼稚園のお母さん達が「お出かけ?」と言うのに「うん!ちょっとうさ晴らしね〜」と答えて足早に、いつもの立ち話にはまらないように気をつけて小走り。

 大通りというのは盛岡市の地名として本当にある場所である。盛岡駅周辺よりも少し(車で5分くらいかな?)行ったところで、実は駅前よりもこっちの方がにぎやかだったりする。
 昔ながらの大きな百貨店や映画館、衣料品店、大型電気店や飲食店が通り沿いにズラリと軒を並べ、いつ行っても活気がある。私はこの通りの3軒の書店巡りが大好きなのだ。

 家で仕事をすることが多いので、急に外へ出たくなるときがある。もちろん仕事が混んでいたり子供達の予定があると行けないから、ずっとチャンスを狙っているわけだが、この書店巡りを定期的にこなすのが私のストレス解消になっていると言ってもいい。

 自宅周辺とはガラリと違った雰囲気の人たちを見るのも好き。この寒いのに(今朝10時の大通りの温度計の数字は8度だった)ミニスカートの制服にブラウスで、ビル風の中を闊歩するOL。赤い髪に厚底ブーツ、ところ構わずピアスのカップル。きちんとオシャレして老舗の百貨店へお買い物、という感じのご婦人方。何だか自分とは違う感じの人たちが、かえって面白いしホッとする。

 目的地である書店に入って、まずはパソコンコーナーに突進。わが愛するMac関係の書籍は少ないのだが、それでもiMacの活躍で目に付くようになってきた。HP作成関係とQuark Xpress関係を立ち読み。気になる本を見つけるが、一応棚に戻して次の書店へ。少し離れて2軒が向かい合わせに並んでいるので、それぞれの本を見比べて行ったり来たり。
 パソコン関係の書籍は、新刊ならどこでも同じように並んでいるが、出版されてから時間が経っていたりアプリケーション別に探したりすると、書店によってばらつきがあるような気がする。
 だから1軒で妥協して決めてしまうと、他をのぞいたときにもっと良いものがあったりするので、どうしても3軒ハシゴしなければ決められないのだ。
 しかし、だいたいは最初に「コレ!」と思うものに戻ることが多い。無駄足のようだが、結構いろいろ見るのが好きなので苦にはならない。

 書店巡りはひとりに限る。友人と行くと、最初から決まったものを買いに行くわけではないのでやっぱり気をつかうし、運転手を兼ねたオットがいるととにかく時間を気にして十分見ることが出来ない。帰りのバスの時間を考えずにすむので車があるのは助かるのだが、オットはウロウロするのが大嫌い。書店には興味がないようだし、だからといって他に時間をつぶす場所も思いつかないようである。お互いの平和のためにも、私が出歩くのは平日ひとりに限るのだ。

 本日の収穫はやっぱり最初に気になった書籍2冊、約5000円。さあ、またしっかり働いて稼がなきゃ! でも、本につぎ込むお金はちっとも無駄遣いだとは思わないのは、なぜなんだろう。オットが知ったら呆れるだろうなあ。

 

17 1999.11.9  近所の目・ミミ

 いつものように幼稚園バスを見送って家に入ろうとしたとき、バス仲間のお母さんから呼び止められた。
「昨日ね、イヤになっちゃったの」

 彼女は私よりも6歳くらい若いがしっかりして社交的な奥様。つい1か月前、3人目の赤ちゃんを産んで自宅に戻ってきたばかりだ。毎日、元気いっぱいな上の2人の子供を幼稚園へと送り出す。まだまだ甘えたい盛りの子供達であるから、さぞ子育ては大変であろう。

「どうしたの?」育児の悩みかな、と思って聞くと、そうではなかった。
「昨日、階段の出入り口のところに、ガムテープで『○○号室の人は布団を叩く音がうるさい。あたりにホコリもまき散らすのでやめて欲しい』って書いて貼ってあったの・・・」

 それは彼女の家を指しての抗議であった。私達が住んでいる団地は5階建てで、ベランダの正面には他の棟が迫っているので、確かに干した布団を叩く音などは反響しやすい。
 彼女の子供はウチと同じく喘息治療中のアレルギー体質で、お天気の日の布団干しは欠かせない。取り込むときのパンパンという布団を叩く音は普通の生活音だと思うのだが、聞く人によっては騒音になってしまうのかも知れない。

 しかし、だからといってみんなが通る出入り口のドアにでかでかと貼り出すとは、フェアじゃない。文句があるならまず直接本人に言うとか、それが出来ないならせめて郵便受けにでもそっと手紙をしのばせるくらいは出来るだろう。

 彼女は、その人物の見当はついているのだと言う。その名を聞いて驚いた。それは、決してそんなことをしそうもない、極めて気さくで親しみやすい人の名前であったから・・・

 その人は私達の母親ともいえるほどの年齢で、旦那様と二人暮らし。よく元気に外を歩き回っている姿を見かける。小さい子供が大好きで、外で遊んでいる子供達を見かけると必ず声をかけていたし、若い母親達とも子育ての話などで立ち話しする、カラッとした気っぷのいいご婦人である。今回抗議された彼女とも、よく子供を中にして話している姿を見かけていたので意外だった。

「でもね、子供産んで帰ってきてからまだ一度も話してないのよね」
 誰も心当たりはなかったが、知らない間にわだかまりが深まってしまったというのだろうか。

 いつも誰かに見られてるようで、夜中でも、ふっと思い出してゾッとする、と彼女はため息をついた。ただでさえ産後は精神的にも不安定になりやすい。断じて言うが、彼女は常識の無いほど布団を叩きまくるような人物ではない。

「気にしちゃダメだよ!そういう人って、何見ても面白くなくて文句つけるんだから。そうだ、今度みんなでズラーッと布団干して、せーの!でバシバシ布団叩いちゃおうか?『ウルサくしてスミマセーン!』とか叫んで・・・」

 やっと彼女に笑顔が戻った。
 しかし他人事ではない。ウチなんか、鳥達のハンパじゃない叫び声が階段中を駆けめぐっているはずだ。とっくに苦情がきてもおかしくはないのだから。そのときは、平謝りしかないな、と思っている。

16  1999.11.8  幼稚園のカメ

 今日は次男のスイミングの日だったので、久しぶりに幼稚園に迎えに行った。いつものバスの時間だと、間に合わないのだ。

 幼稚園に行くのにはちょっと違った目的もあった。
 実は教室でウチのキー坊と同じくらいに大きなカメを飼っていて、その様子が見たくてずっと機会を待っていたのだ。以前、参観日か何かで見たときは、それほど興味もなかったが、自分がカメを飼うようになると、幼稚園のカメが気になってしかたなかったのだ。

 子供達がいなくなった教室でゴソゴソとカメの水槽をのぞく・・・十分怪しかったかもしれない。偶然入ってきた先生に
「カメを見せてもらってます〜」と悪びれもせずにご挨拶。「どうぞー」と一回りくらい若い先生は、にこやかにカメの水槽を見やすいように出してくれた。
 ウチのより少し大きなアカミミガメである。

「このカメ、誰かが持って来たんですか?」
 すかさず取材の体制になってしまうのは職業病だろうか。
「そうなんですー。つばき組のリエコちゃんの親戚のおじさんが飼っていたカメなんですけど、引っ越すのでリエコちゃんがもらったそうなんですが、こんな大きなカメは飼いきれないって、持って来たんですよー」
 親切に質問に答えてくれる先生。ふんふん、なるほどね。
 
 カメは2匹。そのうち大きい方は水槽に「かみつくのできをつけてね」と貼り紙がしてある。実は、かみつくカメはすべてカミツキガメだと思って、カメ好きの義弟に「幼稚園でカミツキガメを飼っている!」なんていい加減な情報を流していた。正確にはかみつくアカミミガメだったのだ、義弟よ、ごめん。

 で、そのカメなのだが、飼育状況は、大きめのプラケースに砂利を敷き、水は1センチほどしか入っていない。カメの甲羅は水から出ているのだが、手足はずっと浸ったまま。本当は、もっと完全に上陸出来る陸地を作り、水ももう少し入れてカメが泳いだり、陸に上がって甲羅干し出来たりするスペースが欲しいところだが、そんなこと、言えなかった。

 水槽の水は毎日換えているようでとてもきれいだったし、カメは落ち着いておとなしく、健康そうだった。夏の間はよく日光浴をさせているということも子供から聞いていた。餌も、カメ飼い御用達のガマルスとレプトミン。保温用のスポットライトも水中ヒーターも濾過装置もなかったが、きっとこのカメは幸せなんだろうな、と思った。

 冬休みになると、園児の家に預かってもらうのだという。それは別に決まった家ではないと聞いて、思わず
「もし誰もいなかったら預かりますよー」と言ってしまった。
 でも本当に預かったりしたら、きっと別れがたくなるんだろうな。

 生き物と暮らすのに、絶対なんてないと思った。要は、いかに愛情を持っているかということなんだ、そんなことを再確認した日であった。

15  1999.11.7  体が許さない

 今朝は4時に起きた。ここのところ、オットのご機嫌うかがいで夜はMacを開かないことにしているため、どうしても早朝にしたいことが溜まっていたのだ。
(単にテレホタイムに遊びたいだけのケチなのかも・・・)

 昨夜は10時にはおやすみを言い、目覚ましを4時にセット。翌日は日曜日だから子供を起こさなくてもいいし、たっぷりとネットが出来るぞ!とわくわくしながら布団に潜り込んだ。何だか楽しみで、ふと目が覚めて時計を見たら3時だった。これではあまりにも早過ぎるよな、と4時までまた眠った。

 さあ、お待ちかねの時間! 当然ながら、まだみんな眠っている。そーっと居間に行き、コーヒーをいれてMacを立ち上げる。
 まずはメールチェックしてHPの様子を見る。カイコについての書き込みの反響に驚きつつ、発信者のASSHIさんに感謝。こんな風に、掲示板に来た人みんなでワイワイ話せるのもいいな、と思う。
 レスはまだ書かずに、いつものサイトを巡る。鳥、カメ、Macと進むがかなりの数。色々見たり書き込んだりして、早朝ネットを満喫〜!のはずであったのだが、ちょっと違っていた。

 何だか頭がすっきりしない。鈍い痛みがあるし、腕も重たい。長い文章を読むのがつらくて一苦労。そのうち、確認に戻ってきた自分のHPを読み返して、何とつまらないページだろうと思い始め、落ち込む始末。

 睡眠時間はきちんととってあるはずだ。11時や12時に寝て、朝5時に起きるのが私の基本パターン。しかし、4時には無理があった。体が許さない、とでも言おうか。夜更かしで起きているには可能かもしれないが、いったん寝てしまった体にはきつかった。

 まだ6時ではあったが、もう一度布団で寝ることにした。寝室に入ると、今、目覚めたばかりらしいオットが「早いねえ」とちょっと寝ぼけて言う。
「うん。でも、まだ寝る。7時まで寝かせて」オットは何故か機嫌良く布団を掛けてくれると、そのまま入れ替わりに居間へと起きていった。

 結局7時半まで寝て、スッキリと元気を回復。すでに起きてテレビを見ていた子供達、みそ汁を作っていてくれたオット。得した気分で一緒に朝御飯をいただいた。本当のことが知れたら、こんな平和な朝はなかっただろう。

 もう、4時はこりごり。早起きはストレスが溜まるって、何かでも言ってたっけ。鏡の中の自分を見つめながら決意した。目の下のクマ・・・無理のきかないお年頃かも。