使徒星の住人たち vol.3



 緑、緑、緑……。巨大なドーム一面に、さまざまな緑の葉が重なり合ってる。

 資料室を訪れるまえに新鮮な緑を見たくなって、俺は足向くまま中央植物飼育室への一歩を踏み出した。

 そこは一面、緑だらけ。
左右前後だけじゃなく足元の地面にも多くの植物が生息していて、それらは多種多様の緑の光を俺に向かって反射していた。
見上げた空の青さと、この植物たちを囲むドームのせいで眩しく輝く所々の白さを除いて、この緑の王国は、ともすれば入口さえも見失ってしまいそうな、そんな緑色の不安を抱かせる。

 緑の不安──。

 それでも、この緑から離れ難く想うのは、聖地が織り成す魔法のせいなのだろうか。



 ここ、中央植物飼育室は、一般解放されてる一部の飼育室と違って関係者以外立ち入り禁止区域になってる。

 俺だって生物学部の大学外部指定研究所(略称、外研)が技術開発生物研究所内じゃなかったら、ヴァルタナッシュ博士との出会いはなかったろうし、博士がここに俺を連れてきてくれなかったら、この空間を味わうことなく、俺は真っ直ぐ資料室へと駆け込んでいただろう。

 ここでヴァルタナッシュ博士と再会した日。
あの時は博士のほうから声を掛けてくれたんだった……。

 博士は俺が外研にきたコスモ・アカデミーのゴールドカード保持者と聞いた途端、ちょっとの驚きと、次に思い当たる節のあるような間のおいた頷きとともに表情を和らげて軽く俺を抱き締め、懐かしげに俺の頭を何度も撫でまわした。

「あの時の幼子がこんなに大きくなったとはのォ」

 ゆったりとした博士の韻律が人気のない中央植物飼育室の緑の中で、過去の一片と現在とを一瞬のうちに結び付ける。

 当時、俺は八歳のガキだったし、あの頃はゴタゴタの連続で他人の顔を覚える余裕なんてなかったから、「セリーア人の子育て」という一代センセーショナルを引き起こした事件の関係者の中にヴァルタナッシュ博士がいたなどとは、ちょっとどころか失礼だけど全然って言っていいほど覚えちゃいない。

 博士にとって、「朱里・レトマン」は忘れられない名前だったというのに。

「ほんのちょっと前に技術開発生物研究所に配属されての。
おまえさんたちがこの惑星に住んでるとは知ってはいたが、まさかこんな近くにいようとは……。
いやはや夢にも思わなかったのォ」

 そういや、再会した時の博士ってば、偉く驚いてたよなあ。

──でも、それももう一年以上も前の話。

 以来、ここは俺のお気に入りの場所になっている。

 ほんと、外研出向の表向きで何度足を運んだことか。
サボってるわけじゃないけど、用もないのに出入りしている俺だったりする。

 とにかく、それだけここがナイスだってことなんだ。
ほとんど他人とも会わないから自分だけのって感じがして。

 俺ひとり……の……。

──えっ……?

 ほとんど人がいないはずなのに……。

 いないはずなのに人がいるっ?!

 春の日溜りの柔らかい光のような微笑みは、まるで物語の中の天使のそれ。
ゆったりとした薄い布のドレスをそっと草々の上にのせて、彼女は座り込んでる俺の瞳を覗き込むように四つん這いになって、気が付いたら俺の目の前にいた。

「きれいな漆黒の髪ね」

 しかしこの娘、どっから沸いて出てきたんだろう──なぁんて、のどかに構えてる場合じゃないっ。

 だって、この理由のわからん娘……ってば、髪も瞳も肌も……乳白色っ?!

「あら、瞳も黒いのね。黒曜石みたい」

 ジョーダンっ! セリーア人が何でこんなとこにいるんだよ。まさかファラじゃあるまいし。

 第一、この惑星にフラフラと歩くセリーア人がふたりもいるなんて話、聞いたことがないっ。
常識的に考えて、セリーア人がひとつの惑星に、いや、ひとつの星系にふたりもいるなんて、そんなすごいことあっていいのかァ?

──そんなこと、あるわけ、ない!

 その確信を得るために、俺はすぐ側に顔を寄せるその少女の長い乳白色の一房をぐいっと手前に引っ張った。

 すると。

「イタッ。何すんのよっ、このボケッ」

 間を置かずして俺の左の頬には彼女のキツーイ平手打ちが、ばっちり見事に決まっていた。

「げっ。ほ、本物っ……!」

 あまりのショックに髪から手を離すのを忘れて、二発目を頂いてしまったのは情けない話である。
これがまた両の頬の鳴りのいいこと。受け身の俺までホレボレとしてしまう。

「あなたって初めて会った女の子に対していつもこんなことしているの?
ねえ、ちょっとォ。惚けてないで何か言ったら?」

 もし、本当にこの目で幽霊を見るとしたら、実にこんな感じじゃないだろうか。

 ファラを見慣れてるこの俺でさえこのザマなんだ。
ほかの奴だったら、しばらく声なんか出っこない。

 俺は一息ついたあと、深く息を吸ってから、
「きみ、誰……?」
やっとそれだけ、声が出た。

 でも、それだけ言えりゃ大したもんだよ、うん。
腰を抜かさなかっただけ俺って偉いよ。

 そんな俺の動転してるさまを、少女は興味深そうに真面目な顔して見ていた。
でもすぐににっこりと微笑んで、「マリエよ」って心地好い声音で応えてくれる。

「つい昨日、ここに来たばかりなの。あなた、ここの職員なの? 白衣、着てないのね。
ああ、わかった。もしかして産業スパイなんでしょう? 私のショルナでの生活を探りに来たんだわ」
「違うよ、俺は……」

「待って。言わないで。当ててみせるから。えーと、じゃあ、このドームの飼育係?」
「はずれ」

「……なら、何なのよ」
「単なるコスモ・アカデミーの学生だよ。ここの研究室に参加させてもらってるんだ」

「なんだ。職員と変わらないんじゃないの」
「んー、まあ、違うんだけどね。ところで、きみは何でこんなとこにいるんだい?
ほかに誰か、きみがここにいること知ってるの?」

「知ってるわよ。ヴァルタナッシュ博士がこのドームに連れてきてくれたんだもの」
「ヴァルタナッシュ博士が?」

「ええ」
「じゃ、博士はきみに──」

「マリエよ」
「え?」

「マリエよ。『きみ』なんて呼ばないで。私はマリエ。マリエって呼んで」
「マリエ……?」

「そう。じゃあ、今度は私が質問する番ね。あなたの名前は?」
「俺? 朱里・レトマン。朱里だよ」

「オーケー、朱里。あなたはここの職員じゃないって言ったわね。
なら、教えて。この惑星にはセリーア人がいるって本当?
あなた、そのセリーア人を一目でも見たことある?」

 ふいに現れたこの少女は、俺にファラを見たことあるか、などと尋ねる。

 見たこと、ねえ。

「ありますよ」

 もちろんっ。

「まあ、やっぱり。ショルナにいるって噂は本当だったのね。
じゃ、そのセリーア人は男性? それとも女性?」
「男だよ。きみ……マリエはそのセリーア人に興味があるの?」

「もちろんよ。知りたいわ。どんなことでも、どんな細やかなことでも」

 へえ、あんまり夢を持ってなきゃいいけど。

「なら話すけど。まず、名前はアスファラール・ティア・エステル。
現在、環境庁自然保護局のELGをしてるよ。
んー、ELGになって四、五年になるかな。エスター・ストマーって人と組んで仕事してる。
ああ、してた、が正しいな。理由は知らないけど、今度ペアを解消するらしいから。
えー、あとは……、ジャックっていうサミュエ種を飼ってる」

「朱里って詳しいのね」
「このくらいだったら誰だって知ってるよ」

「ふうん」
「もっと聞きたい?」

「うん。聞きたい」
「ファラは……、アスファラール・ティア・エステルのことだけどね、ファラはまず起きて朝食を食べる」

「誰だって食べるわ」
「そうだね。けど、その自分が食べる朝食を、奴は一度も自分で作ったことがない。
当然ながら夕食も、だ。
唯一、昼食は仕事関係によるけど、ま、これはほとんど外食だからいいとして……。
つまり、家で食べる食事は食べるだけで作りはしないし片付けなんてのもやるわけない。
自分で作らないんだから出されたものを黙って食べりゃいいものを、これまたいちいちケチをつけるし、ひどい場合はせっかく作ったってのに全然手をつけない時もある。
部屋の掃除も同様。ペットの水遊びさえ最後まで面倒みないし、ジャックの濡れた羽根を拭くのは同居人の仕事になってる。
なのにジャックが羽根を拡げてまわりの床をびしょ濡れにすると、『早く拭け』だの、『ジャックが風邪をひく』だの、もう銃弾のように言葉を飛ばすんだ」

「何だか聞いてるだけで嫌な性格してるのが伝わって来るわね。
その同居人って人の苦労が目に見えるようだわ」
「だろっ? 誰だってそう思うよな」

「でも、朱里のは感情移入しすぎよ。同居人って人、朱里の知り合い?」

 知り合いだったらね、他人の苦労話で終わってるものだよ。

「俺なの。その同居人っていうの、俺なんだ」



 世間とは広いようで狭いと、一体、どなたがおっしゃったのやら。

 セリーア人のマリエと、彼女が探してるセリーア人の私生活の実態を一番知ってる俺が、このドームの草地の上にふたり座り込んで真向かいに顔を突き合わせている。
今日、俺もここに来たのは偶然なわけだし、彼女だって昨日この惑星に着いたばかり。

 出会いというものはドラマチックなもの、と言うが、まさに出会った途端に相手の髪を引っ張るのも、なかなかどうしてあるようでない出会いだろう。

 けど、出会ったばかりのセリーア人に付き合いの長いセリーア人の話をほとんど憂さ晴らしのように語るのは……、うーん、何て言うか、少し浮いた感じがする。
話してる限りじゃ意外と気さくな娘らしいけど、同居人のあれこれを話すのは、何となく告げ口してるようでやっぱり落ち着かない。

 そう、それに同じセリーア人でも、やぁっぱ全然違うんだなって……。

 ファラにしろジャックにしろ、あいつらって俺の先を読んでるっていうか。
馴れ合いの中に駆け引きみたいのがあって。
しかも、それがいつもってわけじゃなくて、みんなで川の字にゴロッと昼寝でもするような、日溜の中の同化らしきものも過分にあるっていうか……。

 でもマリエの場合は、その時々の一瞬一瞬の俺の言葉を噛み締めるだけで俺の先回りなんてしなくて──。

 ほんとファラたちと違うんだ。
ファラたちが男で、マリエが女の子っだからだって言われちゃうとそれまでなんだけど……。



 この日のマリエとの出会いは、「俺の中では、すでにセリーア人の印象が堅く固まっていた」という新しい発見を生み出した。
ファラ以外のセリーア人と出会うなんて考えたことなかったし、ファラとジャックが俺のシュワルナウツ・ワールドのすべてだったんだ。

 世間は狭いと言うけれど、俺にとってはまだまだ広い。
俺の世界がまだまだ小さくて、視野がすごく狭いだけなのかもしれないけれど、ほんと人は奥が深いよ。

 人との出会いはたくさんの要素を含んで、深く俺を悩ませる──。

 出会い、ねえ。
俺にとっての一番の出会いって何だろう……。

 マリエの、今にも白く浮かび上がりそうな姿を見る。

──ほんとに綺麗だよな。

 宙に浮かぶセリーア人の乳白色──。

 俺のセリーア人のイメージは、昔から、地面の上の彼らより、宙(そら)の中の彼らだった。
だから、ファラやジャックには緑より蒼のほうが似合うって、ずっとそう思ってきた。

 だけど、マリエには緑が似合う。植物に囲まれた現在が、とてもマリエを綺麗に見せた。

 マリエは、緑が似合うセリーア人だった……。



illustration * えみこ



えみこのおまけ




この作品の著作権は、文・moro、イラスト・えみこにあります。
当サイトのあらゆる内容及び画像を無断転載・転用・引用することは固く禁じます。